第1界層 〜変幻自在なる翻弄の海〜
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__第1界層、六日目の夜
自室に戻ったメルクはいつものように机に向かっていた。
その手にはペンを持ち、日記を綴っている。
今日あった出来事を思い出しながら綴っていく……いつもの日課。
『今日は釣り大会もしたし、ギルドの話もした…。それから好きな食べ物の話をして……』
そこまで言ってふと思う。
『そういえば…ユーリの好きなものって何だったのでしょうか?』
聞かれるだけ聞かれて、すぐ大物の魚に気を取られていたのでそれどころでは無かったのだが、それでも聞いておきたい。とぼんやりとそう思ったのだ。
何故か彼のことを思い出すと胸が温かくなる。
そんな感覚があった。
それは、とても不思議な感覚だ。
急に芽生えた感覚なのに、自然と受け入れている。そんなこと露とも思わない彼女は「今度会ったら聞いてみなくては」と頬を朱に染めペンを走らせる。
それは誰が見ても、恋する乙女だ。
ふと、外の空気が吸いたくなって一度大きく伸びをしたメルクは自室の扉を抜け、甲板へと身を滑らせた。
そこには満天の星空が浮かんでいて、一瞬にしてメルクの視界を奪った。
『まぁ…!』
何処を見ても綺麗な星空が見え、心が一気に温まる。
元より彼のことを考えていて心は温かったのだが、更に胸が熱くなる。
〝感動した時、人は胸が熱くなる〟
本当にそうなんだなってメルクは改めて思った。
天を仰ぎ、大きく息を吸い込む。
なんだか、星屑の光を吸い込んだみたい。
「こんな夜に散歩ですか、おじょーさん?」
その声の主は、先ほどまで頭に思い描いていた人。
ゆっくりと振り返ると、そこには呆れ顔のユーリが居た。
「明日は決戦なんだろ?少しでも寝たらどうだ?」
『少し、外の空気を吸いたくなって。』
「気持ちは分かるけどな。」
メルクの横に移動したユーリは空を見上げ、感嘆の声を上げる。
やはり誰が見てもこの光景は感動するものらしい。
そんなユーリを見て、メルクもまた空を見上げる。
「……きれいだな。」
『はい。…大きく息を吸い込めば、まるで星屑のシャワーを浴びているみたいだったの。ユーリもやってみる?』
「ははっ。遠慮しとくぜ?俺にはそんな豊かな感性、持ち合わせちゃいねえからな。」
腰に手を当て、こちらを見るユーリ。
その瞳にも満天の星空が映っていて、とてもキラキラしていた。
『綺麗…』
「ん?」
『ユーリの瞳に映る星空が…とても綺麗だったの。』
「…そっか。(俺の目に映してるのはお前なんだがな…)」
メルクはふと、日記を書いたときに思った疑問を思い出す。
聞くなら今かもしれない。
もうもしかしたら、彼に会えないかもしれないから。
『…一つ、質問しても?』
「ん?」
『今日、私に好きな食べ物を聞いてきたわよね?それで思ったのだけれど…、ユーリの好きなものは何だったのかなって。』
「あぁ、その事か。」
少し思案した後、ユーリは再びメルクを見る。
「そうだな…。甘いものが好きだな。」
『甘い物?甘味ものってこと?』
「っつうよりは、甘いもの全般だな。後はマーボーカレー。」
『そうなの?マーボーカレーが好きなら今の食材でも作れたのに…。』
「知らなかったんだから仕方ねえだろ?…ま、俺の好きなものはそんくらいだな。」
明日もし、昼食を作れるならマーボーカレーを作ってみようかな。
そんなことを想いながらうんうんと頷く姿を、ユーリが笑って見ていたことにメルクは気付かなかった。
「……寂しくなるな。」
『…え?』
「あいつらもお前には気を許してたし…、何より料理が上手かったしな。」
そう言ってそっぽを向くユーリ。
そういって貰えるとは思っていなかったメルクは一瞬だけ目を見張ると、嬉しそうにはにかんだ。
『……もし、私に…居場所がなくなったとしたら……、私も皆のいるギルドに入れて貰えますか?』
「ん?なんだ、追い出されそうなのか?」
『ふふ。研究費がかさんでしまって…なんてことはないから安心して?』
ふふふ、と笑うメルクの横顔を見て、真実を見極めようとする瞳になるユーリ。
そんなユーリをちらりと見たメルクは腕を後ろに組んで少し前かがみになると上目遣いでユーリを見上げた。
それはまるで、いたずらっ子のような顔だ。
しかしそれもすぐに終わり、海へと視線を向けたメルクはゆっくりと自分の思いを吐露し始めた。
『いずれは、私もギルドを卒業する時が来る……。あのギルドは子供たちの夢のためのギルドなのだから。私が大きくなればいつまでもそこに居る訳にはいかない…。だから思うの。あのギルドを抜ければ私は……何処に行くのだろうって。』
「…メルク」
『いつまでも子供ではいられない。分かってはいるけれど…少し……いえ、とても寂しく感じるの…。』
コツコツとヒールを響かせ、海に近づく彼女は顔を見せることなく話す。
『植物の研究は、私にとって生きがいでもあるの。でも、それを取られてしまったら…私は……一体、何者になるんでしょうね…?』
本当はギルドをクビになりそうなのだけれど。
本当のことなんて言えないメルクは、違う話へと持っていく。
でも、最後に言ったその想いだけはメルクの本音だった。
植物の研究は自分の生きがいだ。
なのに、それを取られてしまったらきっと私は何者でもなくなってしまう。
ただそこに居るだけの女。
そうなった時、私はどんな気持ちでいるのだろう、と……思わない日はなかった。
この時のメルクは知らなかったのだ。
ギルドをクビにされるということは、殺されるということを。
だからそう思ったのだ。
「…何者でもねえよ。メルクはメルク、だろ?」
ユーリがそう言えば、驚いたようにメルクがユーリを振り返った。
その瑠璃色の瞳に、僅かに涙が溜まっていたことに気付き、今度はユーリが驚く番だった。
急いで涙を拭った彼女は、いつもの笑顔に変えると微笑んだ。
『ユーリは…優しいのね?』
「…俺は優しくなんかねえよ。お前がそう思ってるだけだろ?」
僅かに視線をそらしたユーリだったが、メルクに近づき、その体をゆっくりと閉じ込めた。
「泣きたいときは泣け。今は誰も居ねえんだから。気ぃ張る必要ねえだろ。」
『…!』
背中をゆっくりと叩くその優しさに、微笑みながら涙を一筋流したメルク。
__「泣いているときでも、その笑顔は消えないんだな。」
その言葉を今だけは飲み込んで、彼女が思いっきり泣けるようにしてやろう。
ゆっくりと、ゆっくりと…その小さな背中を叩いてやれば微笑んだまま涙を流す彼女。
しかし、ぎゅっとユーリの服を掴んだのを見てユーリは気付かないふりをして満天の星空を仰いだ。
「行き場所がねえなら、いつでも来い。絶対ぇ、カロルや他の奴らは喜んでギルドに入れてくれると思うぜ?」
『……』
「俺はお前のギルドのことを何一つ知らねえが…、これだけは言える。ガキのためだろうが何だろうが、自分の大切な居場所を追い出すような奴らはいい奴じゃねえってな。」
『ゆーり__』
「そんな場所ならさっさと抜けてこい。うちのギルドはいつでも歓迎するぜ?なんてったって…万年人手不足なんだからな?」
遂に彼女がユーリの胸に顔を隠すように泣き始めるのを、肌で感じた。
その顔は泣き顔で歪んでいるのか、はたまたまだ笑顔で泣いているのかは天を仰いでいるユーリには分からなかったが、ともかく泣ける体勢になったことに今は満足しておくことにした。
暫く二人の間には沈黙が訪れ、その状態が続いていた。
静かに泣く彼女を不憫に思いながら、ユーリは明日の決戦に想い馳せる。
「……だからこそ、明日の決戦には必ず勝つぞ。ここから出て、勝利を噛み締めようぜ?」
その言葉にようやく顔を上げた彼女の顔はもう涙に濡れていなかった。
ゆっくりと手を離した彼女は朱に染めた顔を手で押さえながら、恥ずかしそうにふふと笑った。
珍しい表情を見たユーリもまた、笑いを向けた。
明日、何が何でも勝とう。
お互いそんな誓いを立てて、お互いの部屋に戻るのだった。