読切
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忍務から帰ると、学園は休暇に入っていた。
半分が雪に埋もれ人のいなくなったそこは、普段からは考えられないぐらいに静かである。
少ない荷物と身を床に放り出し、目を閉じ、久しく吸っていなかったこの部屋の空気を肺いっぱいに詰め込むと、あたかも何年もここを離れていたかのように錯覚してしまう。それほどに此度は過酷な毎日であった。
同室の彼は今回の怪我のため、大事をとって別室で泊まることになっている。つまり、今夜は僕が一人この部屋を占領することができるのだ。勿論、留三郎のことは心配だけれど、常に張りつめていた緊張の糸がすっかり緩んでしまって、なんだか小さな城の王様にでもなったような気分だ。
もうじき沈みはじめるであろう陽が、僕を暖めて眠りに誘う。この誘惑に負けて昼寝をするのも気持ちがいいかもしれない。そうして僕が舟をこぎ始めた頃、戸を控えめに叩く音が聞こえてなんとなく嬉しい予感がした。
「私です。先輩、いらっしゃいますか。お戻りになられたと聞きました。お会いしたかったです、ずっと」
その人は遠慮がちながらも戸に語りかけた。僕はすぐに起き上がり返事をすると、戸を開けて招き入れた。
「咲良ちゃん、まだいるとは思わなかったよ」
彼女は目を潤ませながら上目遣いに僕を見た。
「先輩がどうしようもなく心配で、帰るどころの話じゃなかったんです。夜もろくに眠れませんでした」
その雫が溢れそうになったとき、彼女は僕に腕を伸ばして抱擁を求めた。涙を流しながらも怒ったように言う強がりが可愛くてたまらない。
望み通りに抱えてやると、上衣にそれが滲むのを感じた。こうして抱きしめていると彼女は小さくて脆い、紛れも無い「十三歳」であるのだと思い知らされる。
「寂しかったよね、ごめんね。よく眠れなかったのなら今から一緒に昼寝をしようか」
顔を覗き込み、その跡を口付けで拭って様子を伺う。彼女は何も言わずにただ頷くだけだった。
僕は布団を一揃えだけ敷いて寝そべり、咲良を隣に呼んだ。
「実を言うと僕もよく眠れてなかったんだ」
彼女を引き寄せて耳元に囁くと彼女の体温が伝わって、その温かさが僕の眠気を呼び覚ます。
永藤咲良は二つ学年が下のくのたまであり、すこし前から僕の恋人でもある。
四年生のくのたまの中では一番に背が高くて、凛とした印象が深い。彼女は入学したときからその背の高さで目立っていたし、見つけやすかったから、僕とは関わりがなくとも名前は覚えていた。
彼女が三年生のなったあるとき、一度だけ医務室に訪れたことがある。理由は怪我であった。
怪我といっても紙の端で指を切った程度のものではなく重傷なもので、なんと彼女の左腕には苦無が突き刺さっていたのだ。刺さったまま触れなかったおかげで出血が少なかったとはいえ、なんでもなさそうな涼しい顔をしてここへ来たのだから僕は大変に驚かされた。
ゆっくりとその刃を抜き、ぐっと押さえて止血すると流石に痛かったのか彼女は一瞬だけ唸った。普通ならこういうとき女の子ってのはもっと泣いたりするものだと思う。
この類いの怪我は経過観察が必要だから毎日この医務室へ来るようにと僕は伝えた。これが僕にとって初めて彼女に話しかけた時である。
校医の新野先生が毎時いるとは限らず、僕がその職を代行することも多々あり、ほぼ毎日彼女の傷口消毒等を行ったのも僕であった。初めこそ何の会話も無かったけれど、日を経るうちに世間話をしたり勉強の話をしたりと段々僕たちは仲を深めていったのだ。僕はその頃から強がりで可愛いこの後輩を気に入っていたかもしれない。
一年が経ち傷も薄くなった頃、彼女は気重そうに医務室へやってきた。いつも通り左腕を差し出すもののそこに会話はなく、彼女はずっと上の空といった様子。何かあったの、と声をかけると彼女は静かに語り始めた。
「四年生になるとやらなきゃいけない実習がありますよね、先輩も一昨年にやったはずの」
僕から視線を外し、恥ずかしそうに遠くを見つめる彼女を見て言いたいことはなんとなく察した。それと同時に、思い出したくもないあの夜が蘇り、一気に頬が染まったような気がする。僕が思い当たるものが正解ならば、それはきっと同衾の課題だろう。僕がたじろいでいると彼女は続きを言った。
「まだ相手がわからなくて緊張してるんです、課題の晩は明日やってくるというのに。あの端っこの部屋でわたしを待っているのが伊作先輩だったらいいのにって毎日思います」
終わりにかけて小さくしぼんでいく声を僕は逃さないように聞いた。聞き違いでなければ彼女は僕に抱かれたいのだと言っている。けれどもそんなの僕が望んでいるだけの言葉ではないか、そんな考えだけが頭を巡り正気でいられないような感覚がした。
「先輩は誰にでも温かさを分ける太陽のような人です。とても優しい人。でもどんな人にも優しいせいで月は嫉妬してしまうんです。つまり、わたしは先輩の光に当たる唯一になりたいと思ってしまうのです」
戸惑いと不安の入り混じった視線が僕の首元を熱くする。彼女という人間は僕を期待させすぎる。ああ夢ならここで覚めてほしいと思った。
彼女の気持ちは言うなれば嫉妬である。しかも、特定の人間に対して感情ではなく、僕が優しくしうる全ての人々に向けてのそれ。つまり僕は誰彼構わず助けたりするのだから、彼女は人間という大きな枠組み自体に妬いていたのだとも言える。だから咲良の告白は一人の男として嬉しく思えるものであり、同時に人々を癒す者としては辛い複雑な気持ちであった。
「太陽は平等に光を与えなければならないんだよ、咲良ちゃん。でもいつも月を見つめていることにはかわりないから、その事を君には気づいてほしいな」
僕は関係性を彼女の喩えに則って認めたのだった。その頃既に彼女を想っていたことは自分でも朧気に気づいていたし、彼女の言葉で確信できたような気もする。彼女と恋仲になったのはこの時である。
昼寝と称し寝そべったものの、目が覚めると日はすっかり落ちてしまっていた。未だに眠る咲良の寝顔がどれほどかわいらしいか、僕の持ちうる語彙では表現するに足らないだろう。柔らかく曲線を描いた頬、長くのびた目つ毛。僕はその奥にある瞳がどれほど清らかも知っている。それから穏やかな寝息をたてるこの薄桃の唇。この世には彼女ほど愛くるしいものなどないとも思える。
暫く見つめているとやがて彼女の目つ毛が触れあって、瞼がゆっくりと開いた。
「おはよう、咲良ちゃん」
「……おはようございます。疲れはとれましたか」
眠そうに応える彼女の疲れこそとれていないだろうと思ったが、僕を思いやってくれる優しさに今は甘えていたくなった。
「全然とれてないかも、さすがに今回のはきつかったし。もっと君のそばにいればよくなるかも」
咲良の頭を優しく撫でると、彼女は期待いっぱいの目で僕を見上げた。その目は、僕が学んだ彼女の知らない世界について聞いてみたいという好奇心で満ちていて、まるで寝つきにお伽噺を請う幼子のようである。
「どんなでしたか、お城は。先輩はなにをしたんですか」
後輩はみなこうして先輩の話を聞きたがるものだ。質問をし、学び、ゆくゆくは自分の将来につながる経験がここでは得られる。
「今回は苛酷だったなあ。僕は常備軍の救護係に紛れていたのだけれど___」
課題を完了させ城から脱出しようとしたとき、火事が起きたんだ。ほとんど全員が怪我なく出られたけれど、二名ほど逃げ遅れちゃって。なかなかやってこない二人が僕たちはひどく心配だったんだ。それはもう、心臓があり得ないほどはやく鳴って、変な汗が出てくるぐらいに。
しばらく待っていたら二人はきちんと戻ってきたよ。幸いなことに軽い火傷だけで済んだけれど、もう少し遅れていたら二人ともどうなっていたかわからない。
彼らを看病できたのは僕しかいなかったから夜通しつきっきりで二人を看ていたよ。ほんとうに、ほんとうに二人が無事でよかった。
「___仕方ないのはわかっているけど気苦労が絶えなくてね、うん、心が疲れちゃったな」
そう話すと、彼女は不思議そうな顔をしてから僕の上衣にしがみついて、先輩が消えてしまいそうと感情の読み取れない声で呟いた。
「咲良ちゃんはいつだか僕のことを太陽みたいだって言ってくれただろう。でもほんとうの僕はそれほど器が大きいような人間なんかじゃないんだ。怪我や病気の人を治す度に、自分の心のどこかが削れていくようにも思える。僕の優しさも、人の命と同じで永遠じゃないんだ」
「先輩の身体は、まるで蝋燭なのですね」
まるで蝋燭。蝋燭は自身を燃やして周囲に光を与えるので、無償の愛情を象徴するものである。遠くの星より近くの蝋燭の方が親しみ深いし、なにより僕の気持ちにその表現がしっくりきた。
「でも先輩が蝋燭ならば、いつか燃え尽きてしまいます」
無垢な子供の発見は、ときに寂しく悲しいものである。戦場を幾度となく潜ってきた僕は、人の世の終着点がどこにあるかをよく知っているし、その淵にいる人の手を握れなかったこともあった。
そういった間接的な死を経験することで実は僕の心がすり減っている。このまま、生死について慣れて、無感情になってしまう日がいつか僕に訪れてしまうのではないかと思い恐ろしくなるものだ。
「でもどうだろう、僕を埋めてくれるなにかが届くところにあれば……例えば君とか。咲良ちゃんがいれば僕は救われるよ、絶対に」
消えかかった感情は、誰かに分けてもらわなければそのうちに足りなくなるから、君が永久に僕のそばにいてくれればいい。臆病で、そんな気持ちのままに言葉を紡ぐことはできなかった。
「では先輩がなくなってしまわないように、わたしが時々その灯火に息を吹きかけます」
また彼女は僕が欲しがった言葉をくれる。一点の曇りもない微笑みでそう言ってくれる彼女が頼もしい。さて一体どちらが護られているのだろうか、今の僕は彼女の愛で成り立っているのに違いはない。
「君は僕を愛しているんだね。疑っているわけじゃないけれど、改めてそう思うと嬉しい。僕には君がどうしても必要だから、僕を想っていてくれてありがとう。僕も君を愛してる」
僕にあるすべての愛を込めて、彼女の額に口づけた。
目前の黒髪が一層深い色で艶めいて、夜の来訪を伝える。さあそろそろ夕食の時間だろうか。昼寝は心地よかったし、今夜は誰もいない静かな夜だから、咲良を城に招いて二人で眠ろう。
半分が雪に埋もれ人のいなくなったそこは、普段からは考えられないぐらいに静かである。
少ない荷物と身を床に放り出し、目を閉じ、久しく吸っていなかったこの部屋の空気を肺いっぱいに詰め込むと、あたかも何年もここを離れていたかのように錯覚してしまう。それほどに此度は過酷な毎日であった。
同室の彼は今回の怪我のため、大事をとって別室で泊まることになっている。つまり、今夜は僕が一人この部屋を占領することができるのだ。勿論、留三郎のことは心配だけれど、常に張りつめていた緊張の糸がすっかり緩んでしまって、なんだか小さな城の王様にでもなったような気分だ。
もうじき沈みはじめるであろう陽が、僕を暖めて眠りに誘う。この誘惑に負けて昼寝をするのも気持ちがいいかもしれない。そうして僕が舟をこぎ始めた頃、戸を控えめに叩く音が聞こえてなんとなく嬉しい予感がした。
「私です。先輩、いらっしゃいますか。お戻りになられたと聞きました。お会いしたかったです、ずっと」
その人は遠慮がちながらも戸に語りかけた。僕はすぐに起き上がり返事をすると、戸を開けて招き入れた。
「咲良ちゃん、まだいるとは思わなかったよ」
彼女は目を潤ませながら上目遣いに僕を見た。
「先輩がどうしようもなく心配で、帰るどころの話じゃなかったんです。夜もろくに眠れませんでした」
その雫が溢れそうになったとき、彼女は僕に腕を伸ばして抱擁を求めた。涙を流しながらも怒ったように言う強がりが可愛くてたまらない。
望み通りに抱えてやると、上衣にそれが滲むのを感じた。こうして抱きしめていると彼女は小さくて脆い、紛れも無い「十三歳」であるのだと思い知らされる。
「寂しかったよね、ごめんね。よく眠れなかったのなら今から一緒に昼寝をしようか」
顔を覗き込み、その跡を口付けで拭って様子を伺う。彼女は何も言わずにただ頷くだけだった。
僕は布団を一揃えだけ敷いて寝そべり、咲良を隣に呼んだ。
「実を言うと僕もよく眠れてなかったんだ」
彼女を引き寄せて耳元に囁くと彼女の体温が伝わって、その温かさが僕の眠気を呼び覚ます。
永藤咲良は二つ学年が下のくのたまであり、すこし前から僕の恋人でもある。
四年生のくのたまの中では一番に背が高くて、凛とした印象が深い。彼女は入学したときからその背の高さで目立っていたし、見つけやすかったから、僕とは関わりがなくとも名前は覚えていた。
彼女が三年生のなったあるとき、一度だけ医務室に訪れたことがある。理由は怪我であった。
怪我といっても紙の端で指を切った程度のものではなく重傷なもので、なんと彼女の左腕には苦無が突き刺さっていたのだ。刺さったまま触れなかったおかげで出血が少なかったとはいえ、なんでもなさそうな涼しい顔をしてここへ来たのだから僕は大変に驚かされた。
ゆっくりとその刃を抜き、ぐっと押さえて止血すると流石に痛かったのか彼女は一瞬だけ唸った。普通ならこういうとき女の子ってのはもっと泣いたりするものだと思う。
この類いの怪我は経過観察が必要だから毎日この医務室へ来るようにと僕は伝えた。これが僕にとって初めて彼女に話しかけた時である。
校医の新野先生が毎時いるとは限らず、僕がその職を代行することも多々あり、ほぼ毎日彼女の傷口消毒等を行ったのも僕であった。初めこそ何の会話も無かったけれど、日を経るうちに世間話をしたり勉強の話をしたりと段々僕たちは仲を深めていったのだ。僕はその頃から強がりで可愛いこの後輩を気に入っていたかもしれない。
一年が経ち傷も薄くなった頃、彼女は気重そうに医務室へやってきた。いつも通り左腕を差し出すもののそこに会話はなく、彼女はずっと上の空といった様子。何かあったの、と声をかけると彼女は静かに語り始めた。
「四年生になるとやらなきゃいけない実習がありますよね、先輩も一昨年にやったはずの」
僕から視線を外し、恥ずかしそうに遠くを見つめる彼女を見て言いたいことはなんとなく察した。それと同時に、思い出したくもないあの夜が蘇り、一気に頬が染まったような気がする。僕が思い当たるものが正解ならば、それはきっと同衾の課題だろう。僕がたじろいでいると彼女は続きを言った。
「まだ相手がわからなくて緊張してるんです、課題の晩は明日やってくるというのに。あの端っこの部屋でわたしを待っているのが伊作先輩だったらいいのにって毎日思います」
終わりにかけて小さくしぼんでいく声を僕は逃さないように聞いた。聞き違いでなければ彼女は僕に抱かれたいのだと言っている。けれどもそんなの僕が望んでいるだけの言葉ではないか、そんな考えだけが頭を巡り正気でいられないような感覚がした。
「先輩は誰にでも温かさを分ける太陽のような人です。とても優しい人。でもどんな人にも優しいせいで月は嫉妬してしまうんです。つまり、わたしは先輩の光に当たる唯一になりたいと思ってしまうのです」
戸惑いと不安の入り混じった視線が僕の首元を熱くする。彼女という人間は僕を期待させすぎる。ああ夢ならここで覚めてほしいと思った。
彼女の気持ちは言うなれば嫉妬である。しかも、特定の人間に対して感情ではなく、僕が優しくしうる全ての人々に向けてのそれ。つまり僕は誰彼構わず助けたりするのだから、彼女は人間という大きな枠組み自体に妬いていたのだとも言える。だから咲良の告白は一人の男として嬉しく思えるものであり、同時に人々を癒す者としては辛い複雑な気持ちであった。
「太陽は平等に光を与えなければならないんだよ、咲良ちゃん。でもいつも月を見つめていることにはかわりないから、その事を君には気づいてほしいな」
僕は関係性を彼女の喩えに則って認めたのだった。その頃既に彼女を想っていたことは自分でも朧気に気づいていたし、彼女の言葉で確信できたような気もする。彼女と恋仲になったのはこの時である。
昼寝と称し寝そべったものの、目が覚めると日はすっかり落ちてしまっていた。未だに眠る咲良の寝顔がどれほどかわいらしいか、僕の持ちうる語彙では表現するに足らないだろう。柔らかく曲線を描いた頬、長くのびた目つ毛。僕はその奥にある瞳がどれほど清らかも知っている。それから穏やかな寝息をたてるこの薄桃の唇。この世には彼女ほど愛くるしいものなどないとも思える。
暫く見つめているとやがて彼女の目つ毛が触れあって、瞼がゆっくりと開いた。
「おはよう、咲良ちゃん」
「……おはようございます。疲れはとれましたか」
眠そうに応える彼女の疲れこそとれていないだろうと思ったが、僕を思いやってくれる優しさに今は甘えていたくなった。
「全然とれてないかも、さすがに今回のはきつかったし。もっと君のそばにいればよくなるかも」
咲良の頭を優しく撫でると、彼女は期待いっぱいの目で僕を見上げた。その目は、僕が学んだ彼女の知らない世界について聞いてみたいという好奇心で満ちていて、まるで寝つきにお伽噺を請う幼子のようである。
「どんなでしたか、お城は。先輩はなにをしたんですか」
後輩はみなこうして先輩の話を聞きたがるものだ。質問をし、学び、ゆくゆくは自分の将来につながる経験がここでは得られる。
「今回は苛酷だったなあ。僕は常備軍の救護係に紛れていたのだけれど___」
課題を完了させ城から脱出しようとしたとき、火事が起きたんだ。ほとんど全員が怪我なく出られたけれど、二名ほど逃げ遅れちゃって。なかなかやってこない二人が僕たちはひどく心配だったんだ。それはもう、心臓があり得ないほどはやく鳴って、変な汗が出てくるぐらいに。
しばらく待っていたら二人はきちんと戻ってきたよ。幸いなことに軽い火傷だけで済んだけれど、もう少し遅れていたら二人ともどうなっていたかわからない。
彼らを看病できたのは僕しかいなかったから夜通しつきっきりで二人を看ていたよ。ほんとうに、ほんとうに二人が無事でよかった。
「___仕方ないのはわかっているけど気苦労が絶えなくてね、うん、心が疲れちゃったな」
そう話すと、彼女は不思議そうな顔をしてから僕の上衣にしがみついて、先輩が消えてしまいそうと感情の読み取れない声で呟いた。
「咲良ちゃんはいつだか僕のことを太陽みたいだって言ってくれただろう。でもほんとうの僕はそれほど器が大きいような人間なんかじゃないんだ。怪我や病気の人を治す度に、自分の心のどこかが削れていくようにも思える。僕の優しさも、人の命と同じで永遠じゃないんだ」
「先輩の身体は、まるで蝋燭なのですね」
まるで蝋燭。蝋燭は自身を燃やして周囲に光を与えるので、無償の愛情を象徴するものである。遠くの星より近くの蝋燭の方が親しみ深いし、なにより僕の気持ちにその表現がしっくりきた。
「でも先輩が蝋燭ならば、いつか燃え尽きてしまいます」
無垢な子供の発見は、ときに寂しく悲しいものである。戦場を幾度となく潜ってきた僕は、人の世の終着点がどこにあるかをよく知っているし、その淵にいる人の手を握れなかったこともあった。
そういった間接的な死を経験することで実は僕の心がすり減っている。このまま、生死について慣れて、無感情になってしまう日がいつか僕に訪れてしまうのではないかと思い恐ろしくなるものだ。
「でもどうだろう、僕を埋めてくれるなにかが届くところにあれば……例えば君とか。咲良ちゃんがいれば僕は救われるよ、絶対に」
消えかかった感情は、誰かに分けてもらわなければそのうちに足りなくなるから、君が永久に僕のそばにいてくれればいい。臆病で、そんな気持ちのままに言葉を紡ぐことはできなかった。
「では先輩がなくなってしまわないように、わたしが時々その灯火に息を吹きかけます」
また彼女は僕が欲しがった言葉をくれる。一点の曇りもない微笑みでそう言ってくれる彼女が頼もしい。さて一体どちらが護られているのだろうか、今の僕は彼女の愛で成り立っているのに違いはない。
「君は僕を愛しているんだね。疑っているわけじゃないけれど、改めてそう思うと嬉しい。僕には君がどうしても必要だから、僕を想っていてくれてありがとう。僕も君を愛してる」
僕にあるすべての愛を込めて、彼女の額に口づけた。
目前の黒髪が一層深い色で艶めいて、夜の来訪を伝える。さあそろそろ夕食の時間だろうか。昼寝は心地よかったし、今夜は誰もいない静かな夜だから、咲良を城に招いて二人で眠ろう。