読切
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ついにあの里にも雪が降り積もったらしい。
妻からの便りで季節が変わりつつあることにはじめて気がついた。
私は城に勤めているため、自分の家に帰れるのはよくて三ヶ月に一度。本音を言うともう少し家にいてあいつと過ごしてやりたい。今は辛い思いをさせてしまっているだろう。けれど、今年の働きが認められ来年からはもう少し自由がきくようにしてやると上司が取り決めてくれたので、きっとあいつも喜んでくれるだろう。
私の奥さんという人は、忍術学園を卒業した人であり、同じ年とは思えないほど小さくて可愛らしい人だ。その柔らかな雰囲気に反して、私を投げ飛ばすことができるほどの力を持っている。けれども虫を殺すことも、ましてや人を傷つけるようなことはできないので、くノ一には全く向いていなかった。しかしそういうところがこの上なく愛しいものだ。
今日は久しぶりに妻に会える。つまるところ、私は里帰りを許されたのだ。学生の頃の里帰りといえばもちろん実家へ戻ることであったが、今の私にとって帰る場所は彼女のいるところである。
雪が降って寒いです、と私の可愛いひとが教えてくれていたおかげで凍えることなく我が家へ戻ってくることができた。
私たちの家は山の中腹にある、いわば隠れ家のようなところである。何故こんなところに家を建てたのかというと、彼女が強者であるとは言えど、いつか何かに襲われて怪我をするかもしれない。好きな女性がひとりで家を守ってくれているのだから最低限人避けだけはしておきたかったのだ。
戸を開け、ただいまと声をかけると奥の方から静かに誰かが走ってくる音が聞こえてきた。足音が目の前で止まるとその誰かは私に一生懸命抱きついてくれた。
「おかえりなさい、小平太」
「ああただいま、咲良。やっぱりこの部屋はお前がいるおかげか温いな」
にこにこと微笑みながら妻は私を見上げる。しばし二人で見つめあっていたが、やがて彼女の方は頬を染め、照れ隠しなのかお茶を汲んできますねなんて言って離れていってしまった。
「お前は昼から働き者だな」
自在鉤に水を張った茶釜を吊るしている咲良の後ろから声をかけると、何を勘違いしたのかこう答えた。
「あら、そうね。うちのご主人様は夜に働くものね」
彼女は確かにそうだわ、なんて言いながら微笑んで今度は茶碗まで用意しようと立ち上がっている。
「違う違う。せっかく私が帰ってきたのだからもう少し側にいて構ってくれと言ってるんだ。茶を淹れるなら私も手伝う」
立ち上がった咲良を追いかけ、後ろから抱きしめた。その瞬間、彼女の髪からふわりと、不思議に甘い香りが漂う。学生時代から変わらないそれに私の心は安らぎ、ここが私の在るべき場所なのだと痛感させられたのだった。
思えばなぜ私は奥さんに恋をしたのだろうか。
ひたすら我武者羅に駆けた学生時代はまるで春の花弁が散るように、夏の陽が湖の冷たい水を温めてしまうように、また秋の葉が落ち、冬の氷が昼には解けてしまうように早く、そして目まぐるしく過ぎたものだ。いかんせん、私は色事というものに興味を持つ暇が大してなかった。級友たちは思い思いに恋やらをしていただろうが。
ただ、種として女性への憧れを抱いたまま私は最終学年を迎えたのだった。
単純に愛らしい娘が好きだった私は、昔から後の奥さんである永藤咲良に憧れていた。しかし当時の私は見かければ挨拶や世間話をした程度で、特に関係を望んでいたわけではなかった。
その気持ちがまるきり変わってしまったのは卒業間近の冬だった。
その日、忍務のために六年生のほとんどが呼び出された。忍たま六人、くのたま二人である。
伝達された内容は難易度の高いものであった。ここにいる全員で、今にも財政破綻でどうにかなってしまいそうな城からある文書を盗み出せとのこと。期限は設けておらず、それぞれが紛れる位置や計画などは全員で相談して決める手はずとなっていた。
まず私たちは計画の策定に取り掛かった。
ちょうどよくその城は常備兵と女中、力仕事ができる雑用係を募集していたので、それぞれが散り散りになり潜入することに決めた。
女中に応募したのは咲良と仙蔵。もう一人のくのたまは男装して、私と留三郎と共に雑用係に応募したのだ。とりあえず三日間、お互い各所で情報を集めることにして皆城へと入っていった。
約束の日の晩、全員で集まり情報を共有した。どうやら私たちが知り得たことはほとんど同じで、目的のものは執務室の机にあるらしいことがわかった。二日後の丑満時、留三郎ともう一人のくのたまでそれを失敬して、城と学園の中継地点である隠処まで皆がそれぞれ戻ることに決め、また私たちは解散する。
丑満時の頃、倉庫で城を出る準備をしていた私は異変に気がついた。人が寝静まった後であるはずなのに、やたらと外がうるさくなり、人々が駆けていく音が聞こえる。不思議だ。私たちの策が気づかれたかと思ったが、戸の隙間から外を見やると、なんと人々は一斉にあらゆる城の門へと向かって走っていたのだ。
やがて一人の男が、火が放たれたと叫びながら急いで去っていった。この時間なら留三郎たちもそろそろ撤退しているだろうし、この混乱に乗じて私も脱出することにした。
城の裏にある山の入り口にさしかかったところ、数人の人影が見えた。それは級友たちであった。
しかし何かがおかしい。咲良は呆然とした様子で立ち尽くし、火が燃え広がりつつある城を見ている。そして彼女は私を見つけると膝から崩れ落ちてしまった。まだ来ぬ私を必死に探していたようだった。
話を聞くと、ついに陥落といったところだろうか。苦しい税の取り立てに耐えかねた若い男が村人と共謀して火をつけたのだと、咲良を抱きとめた仙蔵に教えてもらった。
彼女は私へ力なく腕を伸ばす。私はとっさにその手を取って、心配させてすまなかったと詫びた。
「……二人は」
咲良は、話し合った通りに撤退しようとする私たちに向かって尋ねる。私はその言葉で留三郎たちが戻ってきていないことに気がついた。
きっと既に隠処の方へと進んでいるだろうと皆口々に言うが、自信はなさそうだ。しかし確かめるにも我々は隠処へと向かう必要があった。
咲良はどうしても立ち上がろうとしない。仙蔵が行こうと言っても、引きずろうともその場を離れなかった。
この攻防に彼女も痺れを切らしたのか、ついには仙蔵の腕と私の手を振り払い、燃え盛る火の中に向かって走ろうとする。私はその彼女を抱きしめることでどうにか制止したが、それでも依然として咲良は私の腕の中で暴れて抵抗する。やがて二人の名前とよくわからないことを叫び始めた。彼女の絶叫はまるで命乞いをするようであった。
ちょうど彼女の声がかすれ始めた時、誰かが二人が戻ってきたぞと喜びに満ちた声で言った。彼女はそれを聞いて安心したのだろう。隠処までの道中、私の腕のなかで気絶したまま決して目覚めることはなかった。
翌朝目覚めると、皆で雑魚寝していたはずの部屋から彼女が消えていることに気がついた。隠処とするこの家には部屋が二つしかなく、一つの部屋にほとんどの人が集まり、命からがらで出てきたくのたまと留三郎はその隣の部屋で処置を受けていたのだ。
縁側に出ると、彼女はそこに座っていた。昨晩のうちに雪が降ったようだ。彼女の右隣の冷たい床に私も座った。
「……死んじゃうんだと思った」
咲良はぽつりと、誰に言うわけでもなく呟いた。そして手探りで私の小指を見つけるとそれを優しく握る。
「あのとき、留三郎がいなかったらと思うと怖いの。さっき伊作に聞いた。大事はなさそうって」
「ならばよかった」
小指を握っていた彼女の手を私の手で包むと、小さく震えていることに気がついた。震えはこの寒さのせいかはたまた恐怖のせいなのだろうか。
「あの子の綺麗な髪、毛先が少し焼けてしまったから今度切ってもらうんだって」
彼女はたいそう残念そうに言う。私はその声に、そうかの一言しか返せなかった。
「死ぬって哀しいのね。時には髪すら残らないかもしれないのだと思い知った」
彼女は自身の死を見通したかのようにまっすぐ前を見つめたまま言った。
「寂しいのか、死というのは」
「それはそれはとっても。その時は誰かについてきてほしいくらいに、寂しいことよきっと」
彼女は身を寄せ、私の肩に頭を乗せた。いかにも私についてきてほしいと言いたげに。そして誘うように私を見上げる彼女がとても儚げで美しい。まるでそれに導かれてしまいそうにも思えて、私には愛らしいこの娘を見放すことなどできないのだと気付かされたのだ。
「ではお前が生きている限り、私も生きると約束しよう。その代わりお前が死ねば私も死ぬし、私が死ねばお前も死ぬ。できれば二人でよぼよぼの老夫婦になるまで生きていたいものだがな」
目をじっと合わせてそう言うと、咲良は面食らったような顔をしたがすぐに笑顔になった。そして彼女は、私もそうなれば嬉しいと囁き、約束よ、と言って雪に足跡をつけたのである。
咲良と二人でこんな話をしたのは後にも先にもこれきりだった。
あの時代を走馬灯のように思い出して、心が愛で満たされるような気がしてくる。なんだか懐かしくなって、私は奥さんを雪遊びに誘った。
「雪遊びだなんて何年ぶりかしら」
「さあ。でもあの頃は雪が降ろうが何が起きようが元気に校庭を駆け回っていたものだな」
それは貴方だけよ、と彼女は私に向かって雪玉を投げた。私たちは昔話に花を咲かせて時々笑い合う。それから二人は兎を作ったり、少しの雪で子供が一人しか入れなさそうな程にささやかなかまくらを作った。
彼女の手の先は真っ赤になり、頬もすっかり染まっていて艶っぽい。疲れ果ててしまったのだろうか、咲良は雪の上に倒れこんで肩で息をしている。私はその隣に添うように倒れて、冷たいはずなのにじわりと熱を感じる奥さんの身体を抱きしめた。
「小平太、わたしとても楽しいの。貴方と一緒になれてよかったって心から思う。ありがとう、愛してる」
ぎゅっと抱きしめ返し、甘えるように擦り寄る咲良がほんとうに愛しくて、私の腕にもさらに力がこもった。彼女を離してしまえば、今にも消えてしまうかのような気さえする。そういえば私は彼女のそんな危うさに惚れていたのだった。
「あのときのお前は雪のようだった。触れて、今にも消えそうなお前をこの世に繋ぎ止めることで私のものにしておきたかったんだ。今でもそう思える。愛してる。お前こそが私の生きる意味であり、生きた証拠であることを永久に忘れないでほしい」
この世で最も危なげで愛い人、そんな印象はどんなに老いても変わらないだろう。死というものがある限り、私たちにはいつか終わる日が来るだろうが、この愛が何千年先の未来にも続いてほしいと私は心から思う。
妻からの便りで季節が変わりつつあることにはじめて気がついた。
私は城に勤めているため、自分の家に帰れるのはよくて三ヶ月に一度。本音を言うともう少し家にいてあいつと過ごしてやりたい。今は辛い思いをさせてしまっているだろう。けれど、今年の働きが認められ来年からはもう少し自由がきくようにしてやると上司が取り決めてくれたので、きっとあいつも喜んでくれるだろう。
私の奥さんという人は、忍術学園を卒業した人であり、同じ年とは思えないほど小さくて可愛らしい人だ。その柔らかな雰囲気に反して、私を投げ飛ばすことができるほどの力を持っている。けれども虫を殺すことも、ましてや人を傷つけるようなことはできないので、くノ一には全く向いていなかった。しかしそういうところがこの上なく愛しいものだ。
今日は久しぶりに妻に会える。つまるところ、私は里帰りを許されたのだ。学生の頃の里帰りといえばもちろん実家へ戻ることであったが、今の私にとって帰る場所は彼女のいるところである。
雪が降って寒いです、と私の可愛いひとが教えてくれていたおかげで凍えることなく我が家へ戻ってくることができた。
私たちの家は山の中腹にある、いわば隠れ家のようなところである。何故こんなところに家を建てたのかというと、彼女が強者であるとは言えど、いつか何かに襲われて怪我をするかもしれない。好きな女性がひとりで家を守ってくれているのだから最低限人避けだけはしておきたかったのだ。
戸を開け、ただいまと声をかけると奥の方から静かに誰かが走ってくる音が聞こえてきた。足音が目の前で止まるとその誰かは私に一生懸命抱きついてくれた。
「おかえりなさい、小平太」
「ああただいま、咲良。やっぱりこの部屋はお前がいるおかげか温いな」
にこにこと微笑みながら妻は私を見上げる。しばし二人で見つめあっていたが、やがて彼女の方は頬を染め、照れ隠しなのかお茶を汲んできますねなんて言って離れていってしまった。
「お前は昼から働き者だな」
自在鉤に水を張った茶釜を吊るしている咲良の後ろから声をかけると、何を勘違いしたのかこう答えた。
「あら、そうね。うちのご主人様は夜に働くものね」
彼女は確かにそうだわ、なんて言いながら微笑んで今度は茶碗まで用意しようと立ち上がっている。
「違う違う。せっかく私が帰ってきたのだからもう少し側にいて構ってくれと言ってるんだ。茶を淹れるなら私も手伝う」
立ち上がった咲良を追いかけ、後ろから抱きしめた。その瞬間、彼女の髪からふわりと、不思議に甘い香りが漂う。学生時代から変わらないそれに私の心は安らぎ、ここが私の在るべき場所なのだと痛感させられたのだった。
思えばなぜ私は奥さんに恋をしたのだろうか。
ひたすら我武者羅に駆けた学生時代はまるで春の花弁が散るように、夏の陽が湖の冷たい水を温めてしまうように、また秋の葉が落ち、冬の氷が昼には解けてしまうように早く、そして目まぐるしく過ぎたものだ。いかんせん、私は色事というものに興味を持つ暇が大してなかった。級友たちは思い思いに恋やらをしていただろうが。
ただ、種として女性への憧れを抱いたまま私は最終学年を迎えたのだった。
単純に愛らしい娘が好きだった私は、昔から後の奥さんである永藤咲良に憧れていた。しかし当時の私は見かければ挨拶や世間話をした程度で、特に関係を望んでいたわけではなかった。
その気持ちがまるきり変わってしまったのは卒業間近の冬だった。
その日、忍務のために六年生のほとんどが呼び出された。忍たま六人、くのたま二人である。
伝達された内容は難易度の高いものであった。ここにいる全員で、今にも財政破綻でどうにかなってしまいそうな城からある文書を盗み出せとのこと。期限は設けておらず、それぞれが紛れる位置や計画などは全員で相談して決める手はずとなっていた。
まず私たちは計画の策定に取り掛かった。
ちょうどよくその城は常備兵と女中、力仕事ができる雑用係を募集していたので、それぞれが散り散りになり潜入することに決めた。
女中に応募したのは咲良と仙蔵。もう一人のくのたまは男装して、私と留三郎と共に雑用係に応募したのだ。とりあえず三日間、お互い各所で情報を集めることにして皆城へと入っていった。
約束の日の晩、全員で集まり情報を共有した。どうやら私たちが知り得たことはほとんど同じで、目的のものは執務室の机にあるらしいことがわかった。二日後の丑満時、留三郎ともう一人のくのたまでそれを失敬して、城と学園の中継地点である隠処まで皆がそれぞれ戻ることに決め、また私たちは解散する。
丑満時の頃、倉庫で城を出る準備をしていた私は異変に気がついた。人が寝静まった後であるはずなのに、やたらと外がうるさくなり、人々が駆けていく音が聞こえる。不思議だ。私たちの策が気づかれたかと思ったが、戸の隙間から外を見やると、なんと人々は一斉にあらゆる城の門へと向かって走っていたのだ。
やがて一人の男が、火が放たれたと叫びながら急いで去っていった。この時間なら留三郎たちもそろそろ撤退しているだろうし、この混乱に乗じて私も脱出することにした。
城の裏にある山の入り口にさしかかったところ、数人の人影が見えた。それは級友たちであった。
しかし何かがおかしい。咲良は呆然とした様子で立ち尽くし、火が燃え広がりつつある城を見ている。そして彼女は私を見つけると膝から崩れ落ちてしまった。まだ来ぬ私を必死に探していたようだった。
話を聞くと、ついに陥落といったところだろうか。苦しい税の取り立てに耐えかねた若い男が村人と共謀して火をつけたのだと、咲良を抱きとめた仙蔵に教えてもらった。
彼女は私へ力なく腕を伸ばす。私はとっさにその手を取って、心配させてすまなかったと詫びた。
「……二人は」
咲良は、話し合った通りに撤退しようとする私たちに向かって尋ねる。私はその言葉で留三郎たちが戻ってきていないことに気がついた。
きっと既に隠処の方へと進んでいるだろうと皆口々に言うが、自信はなさそうだ。しかし確かめるにも我々は隠処へと向かう必要があった。
咲良はどうしても立ち上がろうとしない。仙蔵が行こうと言っても、引きずろうともその場を離れなかった。
この攻防に彼女も痺れを切らしたのか、ついには仙蔵の腕と私の手を振り払い、燃え盛る火の中に向かって走ろうとする。私はその彼女を抱きしめることでどうにか制止したが、それでも依然として咲良は私の腕の中で暴れて抵抗する。やがて二人の名前とよくわからないことを叫び始めた。彼女の絶叫はまるで命乞いをするようであった。
ちょうど彼女の声がかすれ始めた時、誰かが二人が戻ってきたぞと喜びに満ちた声で言った。彼女はそれを聞いて安心したのだろう。隠処までの道中、私の腕のなかで気絶したまま決して目覚めることはなかった。
翌朝目覚めると、皆で雑魚寝していたはずの部屋から彼女が消えていることに気がついた。隠処とするこの家には部屋が二つしかなく、一つの部屋にほとんどの人が集まり、命からがらで出てきたくのたまと留三郎はその隣の部屋で処置を受けていたのだ。
縁側に出ると、彼女はそこに座っていた。昨晩のうちに雪が降ったようだ。彼女の右隣の冷たい床に私も座った。
「……死んじゃうんだと思った」
咲良はぽつりと、誰に言うわけでもなく呟いた。そして手探りで私の小指を見つけるとそれを優しく握る。
「あのとき、留三郎がいなかったらと思うと怖いの。さっき伊作に聞いた。大事はなさそうって」
「ならばよかった」
小指を握っていた彼女の手を私の手で包むと、小さく震えていることに気がついた。震えはこの寒さのせいかはたまた恐怖のせいなのだろうか。
「あの子の綺麗な髪、毛先が少し焼けてしまったから今度切ってもらうんだって」
彼女はたいそう残念そうに言う。私はその声に、そうかの一言しか返せなかった。
「死ぬって哀しいのね。時には髪すら残らないかもしれないのだと思い知った」
彼女は自身の死を見通したかのようにまっすぐ前を見つめたまま言った。
「寂しいのか、死というのは」
「それはそれはとっても。その時は誰かについてきてほしいくらいに、寂しいことよきっと」
彼女は身を寄せ、私の肩に頭を乗せた。いかにも私についてきてほしいと言いたげに。そして誘うように私を見上げる彼女がとても儚げで美しい。まるでそれに導かれてしまいそうにも思えて、私には愛らしいこの娘を見放すことなどできないのだと気付かされたのだ。
「ではお前が生きている限り、私も生きると約束しよう。その代わりお前が死ねば私も死ぬし、私が死ねばお前も死ぬ。できれば二人でよぼよぼの老夫婦になるまで生きていたいものだがな」
目をじっと合わせてそう言うと、咲良は面食らったような顔をしたがすぐに笑顔になった。そして彼女は、私もそうなれば嬉しいと囁き、約束よ、と言って雪に足跡をつけたのである。
咲良と二人でこんな話をしたのは後にも先にもこれきりだった。
あの時代を走馬灯のように思い出して、心が愛で満たされるような気がしてくる。なんだか懐かしくなって、私は奥さんを雪遊びに誘った。
「雪遊びだなんて何年ぶりかしら」
「さあ。でもあの頃は雪が降ろうが何が起きようが元気に校庭を駆け回っていたものだな」
それは貴方だけよ、と彼女は私に向かって雪玉を投げた。私たちは昔話に花を咲かせて時々笑い合う。それから二人は兎を作ったり、少しの雪で子供が一人しか入れなさそうな程にささやかなかまくらを作った。
彼女の手の先は真っ赤になり、頬もすっかり染まっていて艶っぽい。疲れ果ててしまったのだろうか、咲良は雪の上に倒れこんで肩で息をしている。私はその隣に添うように倒れて、冷たいはずなのにじわりと熱を感じる奥さんの身体を抱きしめた。
「小平太、わたしとても楽しいの。貴方と一緒になれてよかったって心から思う。ありがとう、愛してる」
ぎゅっと抱きしめ返し、甘えるように擦り寄る咲良がほんとうに愛しくて、私の腕にもさらに力がこもった。彼女を離してしまえば、今にも消えてしまうかのような気さえする。そういえば私は彼女のそんな危うさに惚れていたのだった。
「あのときのお前は雪のようだった。触れて、今にも消えそうなお前をこの世に繋ぎ止めることで私のものにしておきたかったんだ。今でもそう思える。愛してる。お前こそが私の生きる意味であり、生きた証拠であることを永久に忘れないでほしい」
この世で最も危なげで愛い人、そんな印象はどんなに老いても変わらないだろう。死というものがある限り、私たちにはいつか終わる日が来るだろうが、この愛が何千年先の未来にも続いてほしいと私は心から思う。