檸檬
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「である」ということに縛られている昨今の世の中。例えば、立花の生まれ「である」私は、生まれたときからどうしようもなく立花の人間で、ゆくゆくはどんな職に就きどんな人と一生を共にするかも決まっている。
私にはいわゆる許嫁というのがいる。永藤咲良という二つ年下の娘だ。
まっすぐと艶々しく伸びた黒髪をもったその少女は見目麗しく、白い肌の上にはっきりとのった切れ長の目で人を惹きつけては決して離さない。その上、気立てもよく教養も備わっているので、誰もが羨むような奥さんである。
また、武家の生まれで、七人の兄たちに囲まれて育ったせいか、愛されやすい体質であるのかもしれない。
「仙蔵、仙蔵」と私の名を甘えた声で呼んで、後ろをよちよちとついて歩いてくる彼女に悪い気はしなかった。十中八九、兄たち気に入りの芸だから私にもそうしたのだろう。
しかし私は彼女を好きになれなかった。
彼女もまた、どうしようもなく永藤の人間で、建前上は私が好きな素ぶりをせねばならなかったのだろうと思ったからだ。嫌ったのではない、しかしそんな女を好きになろうとは思えなかった。
咲良が九つになった頃、私を追ってこの忍術学園に入学するのだと聞かされた。
いやはや、御家のためにここまで来るのかと考えると、関心ともいうべきか、彼女が人生の時間を無駄にしているのではないかと哀れむ。
私たちが共に歩むことになるであろう道のりは果てしなく長いというのに、せめて自由でいられるその数年をわざわざ私のいるところで過ごそうというのだから少し呆れる。可哀想だと思った。
哀れみも呆れも、幼さゆえの照れ隠しだったのかもしれないが、私は彼女を避けようと決めたのであった。
どんなに酷くあしらい避けようとも、彼女が弱音を吐くことはなかった。
来る日も来る日も、彼女は私とたった世間話をしたいがために、私のところへ来るのだ。また、誕生日には立派なお祝いを、危険な忍務の前には必ず御守りを私に持たせようとしたけれど、どれも断った。
しかし、追い払っても翌日再び顔を出し、次の年にもまた祝い、また忍務があれば私のところへやってくるといったように、彼女はいつも私にお節介ばかりを焼く。
その日々を繰り返して、四年ほどが経つ。
今はまだ、その気になればこの婚約を解消できる時期だというのに。早く彼女の心が折れてさえくれれば、彼女を私から解放できるというのに。まだ彼女は、私が好きなふりをしている。
また一つ忍務が終わり、安堵の溜め息が身体の底から出てくる。
しかし、煌々と燃え上がる炎の残像が未だ目の奥に焼きつき、敵陣にいたという緊張の記憶が、この身を焦がすように興奮させるのだ。
湯浴みで落ち着こうと思ったが、気はずっと鋭いままで、どうにもならなかった。温かいままの素足で凍てつくような廊下を歩いたって、むしろその冷たさが快感にすら思える。
休暇中の学園に戻ってきたので、私の気をそらすような喧騒もない。
眼は昼間以上に開き、床に入ってもなかなか身体は休まらないでいて、ようやく寝付けたのは夜も更けてしばらくした後だった。
陽の光が部屋に差しはじめた頃、誰かが私の部屋に近づく気配がして目覚めた。軽い、女の足音がして、そのうち控えめかつ躊躇いがちに襖が開いた。
「お前、休暇ではないのか」
そこにいたのは咲良その人である。
「一度、屋敷に戻りましたがそこで仙蔵さまが学園にご帰還なさると聞き、こうして参上申し上げたのです。お父上さまもお母上さまも、たいへん仙蔵さまを心配しておられましたよ」
お前は心配したかと尋ねたくなったけれど、聞くことはできなかった。
先日つくったばかりである冬用の上衣を着たままであるし、髪もところどころ乱れている。頬も微かに上気していて、彼女が急いでここまでやってきたのだと察するに十分であった。
「上がっていけ、同室のものはいない」
先生方の配慮で、昨晩だけはそれぞれに部屋があたっていたため、私は彼女を部屋にあげた。
彼女は小さくお邪魔しますと言い、他人行儀なのがまた面白い。寝床に彼女を連れ込んだことがなかったから、なんだか不思議な感じもする。
「外は寒かっただろう、いま火を焚く」
「いえ、平気でしたよ。わたしが用意致しますから、どうか御休みになっていてください」
火鉢を出そうとするその手は、言葉とは裏腹に寒さで震えている。しかし私はそれを手伝おうとは思わなかった。なぜならこいつは世話焼きたがりで、私が手出ししようものなら酷く傷つくからである。
疲れきっている私を気遣いつつも、彼女はここ数日のことを隅からすみまで話したがった。会話で身体があたたまり、火の暖かさが部屋に充満したのもあって、彼女はやっと上衣を脱いだ。
そのとき、ふわりと甘酸っぱいような薫りが彼女の着物から漂う。それに気づいた私はもっと近く傍に寄るように彼女へ言いつけた。
「そうか、そうか。橘の香を焚きしめたか」
彼女は黙ったまま頷いて返事をした。それを認めた私はたぶん意地の悪そうな笑みを浮かべていたことだろう。
「それで根から立花の女だとでも言いたいのか」
壊れ物を傷つけぬよう優しく扱うように、先程まで私が寝ていた布団に彼女を押し倒した。ずっと昂ぶっていた気が、打ちつける水に抵抗できない魚のような私を突き動かす。
耳の後ろに口付け、挑発的に彼女を見つめるが、その目を温かさかはたまた恥じらいかに潤ませるばかりで何も言わない。
「お前は私のものか。ならばどうされても文句は言えまい。それで構わないのか」
私は冷静さも理性もすべて失っていた。私は彼女に惨いことをしてしまったかもしれない。
咲良だって、決まった運命だと押し付けられたこの関係に苦しんでいるはずだ。はいともいいえとも言えない立場の彼女に、肯定なり否定なりしてみろというのは、最もしてはいけない要求である。
彼女の目からは遂に涙が溢れてくる。それはもう、ほろほろと留まるところを知らないように。そして一生懸命私を拒むように、首を横にふった。
どんなことをしても彼女は私を受容するのだと思っていたから、それを見て少し心が痛んだ。なにがあっても、たとえその心が偽りだとしてもこの女は私を愛するのだと信じて疑わなかったから。
なんと愚かなことか、きっと私は咲良に冷たくあたることで彼女の愛を推し量ろうとしていたのだろう。
怯える彼女の様子は、ふつふつと私の心に妙な征服感を湧かせる。そして己の矛盾を気づかせた。私は結局、彼女の気持ちすら全てが欲しかったのだ。
「すまない、泣かせるつもりはなかった」
「いいえ、いいえ」
咲良は気丈に振る舞うつもりなのか下手な笑顔でなんでもないふりをする。それがむしろ痛々しくて、申し訳ないという気持ちがより一層募った。
「どうぞ、お望みなら、なんなりと。ですが、戻れないところへいってはなりません、貴方もわたしも。戻れなくなれば、貴方はこれから永久にわたしに縛られたままになるのです」
咲良は涙ながら切実に訴えた。
「ではお前は、咲良は、自分の心も身体も私に許すことを恐れないのか。私は恐ろしい。お前を私だけのものにする価値が私にはないだろう」
彼女はほんとうに美しい人だ。素直で、まだ白い花の蕾のような女性だ。決して、私のような人間に捕まってはならない雀の子。触れてはそこから彼女の全てが錆びてしまうのではないかとさえ思う。
私には彼女の価値すべてを奪う覚悟さえもない。もっと相応しく、彼女を愛し、また彼女が愛する人物が他にいるだろうと臆病になるのだ。
「恐れるものですか。御家のためでなくともわたしは貴方のものになれます、むしろずっと貴方のものです、きっと。ただわたしが怖いものは、貴方がわたしを選んで後悔することのみです」
さすが武家の娘、潔く言ってのけて私を睨み付けた。
しかしその瞳には不安も少なからずあって、私をほんとうに慕ってくれていることがわかる。私の自惚れかもしれないが、そのことのなんと愛しいことか。
私は咲良を大切に想うからこそ放してやりたいと思っていたのだと、たった今わかった。
「後悔などするものか。君はわたしが思っていたよりずっと浅はかなのだな。浅はかで、それでいてこんなに愛い女はいない」
私には勿体ないばかりの娘だ。生涯にこれ以上愛しいひとを見つけられるだろうか、否、そんなことは起きやしない。こんなにも心のままに私を想っていてくれたのだから。
「もっと、己の意思で生きてゆく選択を君にはしてほしかった。君は押し付けられたような、例えば私のような者などに左右されなければ良いとずっと思っていた。」
「ええ、そうですね、わたしたちは長らく同じ心配をしていたようです。ですが、わたしは仙蔵のことが好きです」
咲良が微笑んで、まるで花が咲いた。彼女のこんな表情を初めてみた。今までは彼女を直視するのが怖かったから気づけなかっただけなのかもしれないが。
「いいのか。私は嫉妬深いんだぞ」
「わたしにちょうどいいと思いますよ。だって、橘の香りで貴方がいない寂しさを紛らわせたのですから」
まったくこの少女は私を困らせるのが趣味なのか、どんな難解な試験より煩わせてくれる。今のひとつひとつの言動にどれ程私が喜んでいるか、それをはかることなど私にさえできない。
それほど私の心はすっかり奪われてしまったのだ。
咲良を愛することが出来ないとずっと思っていた。それは能力的な意味合いでの「出来ない」ではなく、そうなってはいけない結末だと思っていただけなのだろう。
「おかえりなさい、仙蔵」
「ああ、ただいま」
しかしこれからの私は、必ず彼女のところへと戻っていくのだ。
ありがとう、咲良と巡り逢わせてくれた運命。
ありがとう、私は私が立花仙蔵であることに感謝している。
私にはいわゆる許嫁というのがいる。永藤咲良という二つ年下の娘だ。
まっすぐと艶々しく伸びた黒髪をもったその少女は見目麗しく、白い肌の上にはっきりとのった切れ長の目で人を惹きつけては決して離さない。その上、気立てもよく教養も備わっているので、誰もが羨むような奥さんである。
また、武家の生まれで、七人の兄たちに囲まれて育ったせいか、愛されやすい体質であるのかもしれない。
「仙蔵、仙蔵」と私の名を甘えた声で呼んで、後ろをよちよちとついて歩いてくる彼女に悪い気はしなかった。十中八九、兄たち気に入りの芸だから私にもそうしたのだろう。
しかし私は彼女を好きになれなかった。
彼女もまた、どうしようもなく永藤の人間で、建前上は私が好きな素ぶりをせねばならなかったのだろうと思ったからだ。嫌ったのではない、しかしそんな女を好きになろうとは思えなかった。
咲良が九つになった頃、私を追ってこの忍術学園に入学するのだと聞かされた。
いやはや、御家のためにここまで来るのかと考えると、関心ともいうべきか、彼女が人生の時間を無駄にしているのではないかと哀れむ。
私たちが共に歩むことになるであろう道のりは果てしなく長いというのに、せめて自由でいられるその数年をわざわざ私のいるところで過ごそうというのだから少し呆れる。可哀想だと思った。
哀れみも呆れも、幼さゆえの照れ隠しだったのかもしれないが、私は彼女を避けようと決めたのであった。
どんなに酷くあしらい避けようとも、彼女が弱音を吐くことはなかった。
来る日も来る日も、彼女は私とたった世間話をしたいがために、私のところへ来るのだ。また、誕生日には立派なお祝いを、危険な忍務の前には必ず御守りを私に持たせようとしたけれど、どれも断った。
しかし、追い払っても翌日再び顔を出し、次の年にもまた祝い、また忍務があれば私のところへやってくるといったように、彼女はいつも私にお節介ばかりを焼く。
その日々を繰り返して、四年ほどが経つ。
今はまだ、その気になればこの婚約を解消できる時期だというのに。早く彼女の心が折れてさえくれれば、彼女を私から解放できるというのに。まだ彼女は、私が好きなふりをしている。
また一つ忍務が終わり、安堵の溜め息が身体の底から出てくる。
しかし、煌々と燃え上がる炎の残像が未だ目の奥に焼きつき、敵陣にいたという緊張の記憶が、この身を焦がすように興奮させるのだ。
湯浴みで落ち着こうと思ったが、気はずっと鋭いままで、どうにもならなかった。温かいままの素足で凍てつくような廊下を歩いたって、むしろその冷たさが快感にすら思える。
休暇中の学園に戻ってきたので、私の気をそらすような喧騒もない。
眼は昼間以上に開き、床に入ってもなかなか身体は休まらないでいて、ようやく寝付けたのは夜も更けてしばらくした後だった。
陽の光が部屋に差しはじめた頃、誰かが私の部屋に近づく気配がして目覚めた。軽い、女の足音がして、そのうち控えめかつ躊躇いがちに襖が開いた。
「お前、休暇ではないのか」
そこにいたのは咲良その人である。
「一度、屋敷に戻りましたがそこで仙蔵さまが学園にご帰還なさると聞き、こうして参上申し上げたのです。お父上さまもお母上さまも、たいへん仙蔵さまを心配しておられましたよ」
お前は心配したかと尋ねたくなったけれど、聞くことはできなかった。
先日つくったばかりである冬用の上衣を着たままであるし、髪もところどころ乱れている。頬も微かに上気していて、彼女が急いでここまでやってきたのだと察するに十分であった。
「上がっていけ、同室のものはいない」
先生方の配慮で、昨晩だけはそれぞれに部屋があたっていたため、私は彼女を部屋にあげた。
彼女は小さくお邪魔しますと言い、他人行儀なのがまた面白い。寝床に彼女を連れ込んだことがなかったから、なんだか不思議な感じもする。
「外は寒かっただろう、いま火を焚く」
「いえ、平気でしたよ。わたしが用意致しますから、どうか御休みになっていてください」
火鉢を出そうとするその手は、言葉とは裏腹に寒さで震えている。しかし私はそれを手伝おうとは思わなかった。なぜならこいつは世話焼きたがりで、私が手出ししようものなら酷く傷つくからである。
疲れきっている私を気遣いつつも、彼女はここ数日のことを隅からすみまで話したがった。会話で身体があたたまり、火の暖かさが部屋に充満したのもあって、彼女はやっと上衣を脱いだ。
そのとき、ふわりと甘酸っぱいような薫りが彼女の着物から漂う。それに気づいた私はもっと近く傍に寄るように彼女へ言いつけた。
「そうか、そうか。橘の香を焚きしめたか」
彼女は黙ったまま頷いて返事をした。それを認めた私はたぶん意地の悪そうな笑みを浮かべていたことだろう。
「それで根から立花の女だとでも言いたいのか」
壊れ物を傷つけぬよう優しく扱うように、先程まで私が寝ていた布団に彼女を押し倒した。ずっと昂ぶっていた気が、打ちつける水に抵抗できない魚のような私を突き動かす。
耳の後ろに口付け、挑発的に彼女を見つめるが、その目を温かさかはたまた恥じらいかに潤ませるばかりで何も言わない。
「お前は私のものか。ならばどうされても文句は言えまい。それで構わないのか」
私は冷静さも理性もすべて失っていた。私は彼女に惨いことをしてしまったかもしれない。
咲良だって、決まった運命だと押し付けられたこの関係に苦しんでいるはずだ。はいともいいえとも言えない立場の彼女に、肯定なり否定なりしてみろというのは、最もしてはいけない要求である。
彼女の目からは遂に涙が溢れてくる。それはもう、ほろほろと留まるところを知らないように。そして一生懸命私を拒むように、首を横にふった。
どんなことをしても彼女は私を受容するのだと思っていたから、それを見て少し心が痛んだ。なにがあっても、たとえその心が偽りだとしてもこの女は私を愛するのだと信じて疑わなかったから。
なんと愚かなことか、きっと私は咲良に冷たくあたることで彼女の愛を推し量ろうとしていたのだろう。
怯える彼女の様子は、ふつふつと私の心に妙な征服感を湧かせる。そして己の矛盾を気づかせた。私は結局、彼女の気持ちすら全てが欲しかったのだ。
「すまない、泣かせるつもりはなかった」
「いいえ、いいえ」
咲良は気丈に振る舞うつもりなのか下手な笑顔でなんでもないふりをする。それがむしろ痛々しくて、申し訳ないという気持ちがより一層募った。
「どうぞ、お望みなら、なんなりと。ですが、戻れないところへいってはなりません、貴方もわたしも。戻れなくなれば、貴方はこれから永久にわたしに縛られたままになるのです」
咲良は涙ながら切実に訴えた。
「ではお前は、咲良は、自分の心も身体も私に許すことを恐れないのか。私は恐ろしい。お前を私だけのものにする価値が私にはないだろう」
彼女はほんとうに美しい人だ。素直で、まだ白い花の蕾のような女性だ。決して、私のような人間に捕まってはならない雀の子。触れてはそこから彼女の全てが錆びてしまうのではないかとさえ思う。
私には彼女の価値すべてを奪う覚悟さえもない。もっと相応しく、彼女を愛し、また彼女が愛する人物が他にいるだろうと臆病になるのだ。
「恐れるものですか。御家のためでなくともわたしは貴方のものになれます、むしろずっと貴方のものです、きっと。ただわたしが怖いものは、貴方がわたしを選んで後悔することのみです」
さすが武家の娘、潔く言ってのけて私を睨み付けた。
しかしその瞳には不安も少なからずあって、私をほんとうに慕ってくれていることがわかる。私の自惚れかもしれないが、そのことのなんと愛しいことか。
私は咲良を大切に想うからこそ放してやりたいと思っていたのだと、たった今わかった。
「後悔などするものか。君はわたしが思っていたよりずっと浅はかなのだな。浅はかで、それでいてこんなに愛い女はいない」
私には勿体ないばかりの娘だ。生涯にこれ以上愛しいひとを見つけられるだろうか、否、そんなことは起きやしない。こんなにも心のままに私を想っていてくれたのだから。
「もっと、己の意思で生きてゆく選択を君にはしてほしかった。君は押し付けられたような、例えば私のような者などに左右されなければ良いとずっと思っていた。」
「ええ、そうですね、わたしたちは長らく同じ心配をしていたようです。ですが、わたしは仙蔵のことが好きです」
咲良が微笑んで、まるで花が咲いた。彼女のこんな表情を初めてみた。今までは彼女を直視するのが怖かったから気づけなかっただけなのかもしれないが。
「いいのか。私は嫉妬深いんだぞ」
「わたしにちょうどいいと思いますよ。だって、橘の香りで貴方がいない寂しさを紛らわせたのですから」
まったくこの少女は私を困らせるのが趣味なのか、どんな難解な試験より煩わせてくれる。今のひとつひとつの言動にどれ程私が喜んでいるか、それをはかることなど私にさえできない。
それほど私の心はすっかり奪われてしまったのだ。
咲良を愛することが出来ないとずっと思っていた。それは能力的な意味合いでの「出来ない」ではなく、そうなってはいけない結末だと思っていただけなのだろう。
「おかえりなさい、仙蔵」
「ああ、ただいま」
しかしこれからの私は、必ず彼女のところへと戻っていくのだ。
ありがとう、咲良と巡り逢わせてくれた運命。
ありがとう、私は私が立花仙蔵であることに感謝している。