Case2.潮の場合

「はぁ、はぁっ……ちょっと待ってよ、どこに連れて行くつもり……」
「いーから、捕まりたくないなら黙ってついて来いっ!」
 半ば強引に腕を掴まれるようにして、黄乃は、突然目の前に現れた少年の後ろを走っていた。
 黄乃のすぐ目の前にいる少年の出で立ちは、青を基調にしたチェックシャツに、動きやすいベージュのチノパン。短めの跳ねたくせっ毛と、真剣ながらわずかに幼さの残る表情は、いかにもやんちゃっ子なのに、耳に光るピアスがやけに大人っぽい。
(ていうか、最近妙な声が聞こえるようになったと思ったら、家族に警察に突き出されそうになって、街に出たらまたお巡りさんに追われて……なんでこんな散々な目に遭ってるんだよぉ!)
 何の説明もされないまま、人気の少ない路地を走る。
 相当に入り組んだところなのに、目の前の少年に迷う気配はない。
「こっちだー!」
「追えー!」
 路地の行く手から、背後から聞こえてくる声を的確に聞き分けて、少年はスニーカーでステップを踏み、進路を変えていく。
 包囲網は狭まってきているようなのに、未だぎりぎりなところで、警察官とは鉢合わない。
(逃げ、慣れてる……?)
 ぼんやりと思う黄乃の思考回路が、だんだん霞がかってきた。
 もともと体力のない黄乃は、自力で逃げてきただけで、結構息が上がっている。その上、突然現れた謎の少年に引っ張り回されては、たまったものではなかった。
(誰なの、この人……?)
 あまりの苦しさに、のどに酸っぱいものが込み上げる。どこまでも続く、果てない灰色に囲まれた景色。裏路地の、毒々しいくらいカラフルなポスターが、視界の横に流れる。道の脇のゴミ箱を知覚するがままに避け、引きずられるように走っていると、
「くっ……そ、やっぱり素直には逃げさせてくれねぇか」
 前を走っていた少年が、足を止め、つぶやいた。
「おい、あそこだ!」
「君たち、止まりなさい!」
 びくり、と、黄乃の体が震えた。白い制服を身に纏った、警官たちの姿が、路地を抜けた明るみに見える。
「も、もうっ……」
(だめかもしれない……)
 下を向いて、ぎゅっと目をつぶる黄乃の横で、少年は冷静だった。何者かと、通信を取っている。
「あ? 横道? ……りょーかい。東に300m先だな。心配ねーと思うけど、入ったら援護頼む。……あぁ」
 そして、腰を抜かさんばかりの黄乃を、強引に立ち上がらせた。
「ぼけっと突っ立ってんな。こっち来い」
「……へ?」
 この期に及んでまだ逃げるのか、と言いたげな黄乃に、少年が苛立たしげな目を抜けた。引っ張られるままに、左へ曲がる。
「こら! 止まりなさい!」
 黄乃の予想通り、背後から数人の警官の影が現れた。容赦なく懐から取り出されたレーザー銃に、黄乃が凍りつく。
「けっ、お子様にんな物騒なモン向けるとは……何が『帝都市民の平和と安全を守る』だ? 警察が、聞いてあきれるぜ」
 対して少年は、バカにした調子で、腰から下げた鞄から小型の筒のような何かを取り出した。プラスチックの透明ケースの内側に、赤、緑、無数の配線が張り巡らされている。
「さって、新作の出番だな……どこまで使えるか」
 おもむろに物体のピンを抜き、ぽいと警察の方に放り投げる。
「な、なんだ……ぐわっ?!」
 ばぁんという爆発音と共に、黄乃の目が一瞬眩んだその直後。ばちばちと、すさまじい火花が遠くで舞った。縦に横に、網のようにはびこる線状の光が、警官らを圧倒する。
「お、おいっ、そ……んな、たかが子供のイタズラではっ」
「はーん、意外と使えるな、これ」
 予想外の電圧だったらしい。痺れて動けない大人を前にして、少年は涼しい顔だ。対して、黄乃の顔色は真っ青。
「き、君っ……け、警察の人になんっ、なんてことしっ、」
「うっせー、しなきゃ俺らが捕まるだろうが。お?」
 言っている間に、前方からも駆けてくる人影があった。挟み撃ちにするつもりでやって来た警官達らしい。
「やれやれ、面倒だな……子ども相手に大人げない奴らって、見てて、冷める。ま、闘う相手としては不足ねーけど」
 ざっ、と靴を鳴らし、そちらの方向へ、少年は向き直った。
「もう一戦交えるってんなら――容赦はしねーぜ?」
 つい、と少年が人差し指を動かした瞬間。
「―――! ……?」
 黄乃は、不思議な光景を目にした。倒れた警官たちの周りでばちばちと残っていた火花が、少年の足元に集まりつつある。視認できないくらい弱弱しかった電撃は――少年の足元をぐるりと一周した瞬間、龍のような勢いを取り戻した。
「くらえっ、サンダーストーム!」
 何かを投げるようなモーションで振るった腕に合わせ、電撃波が警官たちに襲い掛かる。反撃の余地もなく、彼らはあっという間に、地面に崩れた。
「……え」
 何が起こっているのかわからないまま、黄乃はぽかんとした表情だ。
「こっちだ」
 闘う時の不敵な笑みとは一変、ぶすっとした表情に戻った少年が、開いた通用門から黄乃を手招きしている。反射でその後を追った黄乃の姿が、扉の奥に消えた。

 地下への階段を延々と下り、足ががくがくになった黄乃は、最後の一段を踏み外しかけた。
(う、な、長い……ていうか、ここはどこ……)
 とりあえず言われるままに付いてきてはしまったが、黄乃はここがどことも、少年が誰とも聞いていない。
 ふらふらの黄乃を意とも介さず、少年は階段を下りた先にある、鉄扉の前に立った。頑丈そうなその扉のロックを解除し、さらに奥へ進んでいく。研究施設のような、自動式の扉と配線らしき壁面の筋模様が、両脇にずらっと並んで黄乃を出迎えた。
(なんだろうここ。すごく大きいな……)
 先ほど衝撃的な目に遭い過ぎたせいか、ひとたび落ち着くと、黄乃の心を好奇心が満たしていた。ところどころ事務室やリネン室、リビングスペースがあるだけで、色の変わらない殺風景な廊下だったが、黄乃は興味深げにあたりを見渡す。
 無言でひたすら歩を進めていた少年は、行き止まりにある白い壁の前でぴたりと足を止めた。色の違いからして、どうやらこの部屋は特別な造りになっているらしい。
 首を傾げる黄乃の前で、潮はあっさりとロックを解除し、スライド式の扉を開けた。
「ただいm……「おかえり、潮兄うしおにい。遅いよ」
 少年の声に被さるようにして、咎めるような声が響いた。
「悪ぃって。こいつの足が遅すぎてよ……」
「任務予定時間、二分も過ぎてる。僕たちの任務遂行にあたっては、ちょっとの遅刻も、万死に値するんだよ? 潮兄」
「よく言う……ていうか、挟み撃ちだぜ? 案の定、電磁銃器法は完全スルーでレーザー銃取り出すわ、路地裏であれだけ人数割いてくるわで、こっちは久々に力を……」
「言い訳は言い訳だよ。賭けは僕の勝ちだね」
「わーった、わーったよ! イヤホンだろ? 今度発売の新型! 買ってやるから……」
「二言はないよね? 今の契約、僕の端末で呪いのダイヤルに掛けて、しかと録音してるから。禁断の悪魔を仲裁人にしてるからね。これで約束を破ったときには、煉獄の炎が潮兄の身を……」
「いつの間にンなけったいな約束になってんだよ! てか、紫蘇ゆかり! お前また意味わかんねぇ新興宗教みたいなダイヤルに電話を……」
 ぎゃあぎゃあと言い争う少年は、さきほどの無愛想さとはうってかわって賑やかだ。あっけにとられた顔で、とりあえず黄乃は、少年たちの名前を会話中に耳にした。
(うしお……?)
 白い円卓で、ノートパソコンを広げていた紫髪の少年が、黄乃をここに連れて来た彼を、そう呼んでいた。
(と、もう一人は……)
 ゆかり、と潮に呼ばれた名前通りの容貌を、黄乃は見つめる。
 ――そう、紫。まず目を引いたのは、首筋を隠さんばかりの、紫色の髪だった。くせっ毛で、濃い色の毛束が、外側に跳ねている。年の頃は見た感じ黄乃と同じで、ややハスキーな声が、声変わりの少年を表していた。薄い紫のパーカーを羽織っている。
(兄弟、かな……?)
 きょとん、と首を傾げたまま、黄乃は、時折「魔法陣」だの「世界の終焉」だのと意味不明な単語が聞こえてくる会話を、眺めていた。表面上は喧嘩しているみたいに見えるが、仲が悪いわけではなさそうだ。ひとしきりやり合った後、紫蘇と呼ばれた少年は、黄乃に目を留めた。
「ねぇ、潮兄。まさかと思うけど、つばくろさんが選んだ覇者への通路を開く鍵って、この子じゃないよね」
「……。なんたらのカギかどうかは知らねー。でも、こいつで間違いない。俺も信じられねーけどな」
 腕を組んで壁に寄り掛かり、潮は睨むようにして黄乃を見る。紫蘇は、じっくり観察するように黄乃を見ると、言葉をつづけた。
「だって、邪悪な大罪を包み込む聖なる波動があるようには、どうしても見えないよ。これなら、僕の黒魔術の方が、よっぽど通用するんじゃない?」
「……」
 今度言葉を失ったのは、黄乃だけではないようだった。
「あ、あのっ……」
 とりあえず、ここはどこで、何故自分は連れて来られたのか。
 黄乃が腹に力を入れて声を出し、二人の視線がそちらに向いた時。
 ぷしゅう、と扉が開いて、第三の人物が入ってきた。
「潮、帰ってたんだな。」
「…お? おぅ、ほむら焔、おかえり」
焔兄ほむらにい。もう、ミーティングの時間?」
 口々に、黄乃の前にいた二人が応え、扉の方向を見る。
(ほむら?)
 炭のように漆黒の髪を持つ少年を、黄乃は見た。年は、潮と同じくらい。瞳も髪と同じ黒。ラインが入った、これまた黒系のスマートなジャージを着こなしている。よく見ると、前髪の中央部は、グレーのような紫のような、ほのかな色に筋がかっていた。
「紫蘇、例のシステムの遮断、成功したよ。上手く捲けたみたいだ。よく頑張ったな」
 黒ジャージをまとった焔と呼ばれた少年は、紫髪の少年に歩み寄り、ぽんぽんと頭を撫でた。少年の顔に、年相応にはにかんだ表情が浮かぶ。
「僕は、焔兄の言う通りにしただけだよ」
「んんん? おい焔、なに紫蘇だけ褒めてんだよ。俺だって、どんくさい奴をがんばって連れて来ただろ! 誉めろ、誉めろ!」
「はいはい、わかったから……わかりました。ありがとな、潮」
 子供のように頬を膨らませて後ろから絡んでくる潮を、焔は苦笑しながら、逆手で撫でてやっている。正直、手首が変な方に向いているので、撫でる側がかなり辛そうだ。
 そして。彼らと言葉を交わすのも束の間、焔はすぐに、黄乃に目を向けた。この部屋に入ってきた時から黄乃の存在を気にしていたようではあったが、改めて正面から向き合う。
 緊張して背筋が伸びる黄乃。こちらを窺うような潮らに挟まれた焔は、柔和に困惑を少しプラスしたような顔で、それでも精一杯黄乃を安心させるように、微笑みかけた。
「……ようこそ、俺たちの組織へ」
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