Case1.黄乃の場合

 翌日。
 荷物はまとめたものの、結局逃げ出す手段までは思い浮かばず、よく眠れないまま、黄乃は玄関にいる親の元へ向かった。
「さぁ、黄乃、行こうか。」
「今日はいい天気ね。たくさんいい服、見つかるといいわねぇ」
 わざとらしい声を上げる父親と母親の後をついて、玄関へ向かう。快晴の外と対照的に、黄乃の心は重かった。
(……なんだか、胸がざわざわする。)
 黄乃がそう思ったときだった。
 どんどん、と玄関の扉がノックされる。
「こちらは電磁警察です! この間のモニター故障について、少し伺いたい件が……」
「お宅は、クラッシャー体質のお子様がいらっしゃいませんか?!」
 複数人の声が聞こえる。固まったのは、黄乃だけではなかった。
「は、はいっ! 今開けますので……」
「黄乃っ、さぁ! 今なら間に合う、これからでも施設へ行って、治してくるんだ!」
 あっさりと応じて、ロックを解除しようとする母親。むんずと腕をつかんで、自分を警察に突き出そうとする父親。その姿に、最後まで残っていた、実の親に対する良心の呵責は、完全に消し飛んだ。
「いやだっ! 絶対に……絶対に行くもんか! 僕はもう、あなたたちの言うことなんか聞かないっ!」
 黄乃が叫んだ瞬間。
 ばつんっ。
 部屋中の電気が消灯した。
「きゃあっ!」
 ぼんっという爆発音と共に、母親が叫ぶ。手元のロック解除のためのモニターが割れ、炎が上がっていた。父親が、その光景を茫然と見つめる。
「や、やっぱりこの子はクラッシャーよ……もう、もう嫌! 私達の日常を壊す奴なんか、出て行ってよ! どうして私たちが、警察なんかに巻き込まれなきゃいけないの!」
 母親の金切声を聞いた瞬間、外から扉が開かれる。
(つかまるっ……!)
 制服姿の男たちの手をすり抜けるようにして、黄乃は部屋の外へ走り出した。
「あっ、君! 待ちなさい!」
 制止の声を聞かずに、黄乃は走る。ホールにあった一番近いエレベーターが、丁度上がってきたところだったので、飛び乗ってボタンを押した。ドアが閉まる。そこへ、さっきの電磁警察たちが殺到した。
「待ちなさいっ! い、行っちまった……くっそう! なんで扉が開かなかったんだっ」
「おい、他のエレベーターは停電だぞ! なんでこれ一台だけ動いてるんだよ」
「階段で行くしかねぇか……」
 後にそんな声を残しながら、黄乃のエレベーターは、下へ降りる、降りる。まるで、黄乃の意思を聞いているかのように、他のどこの階で停止することもなく、一直線に下りて行った。
(これも、クラッシャーの力……なのかな)
 エレベータを降り、公務員寮の外まで出ると、さすがにここまで電磁警察は張っていないようだった。相手は子供だし、親が安心して引き渡すだろうから、そう警戒しなくてもいいと思ったのだろう。
 後ろを振り返るのが怖くて、とにかく一番近くの駅まで必死で走り、電車に飛び乗る。ぷしゅーと目の前でドアが閉まり、誰も追ってこないことを確認した黄乃は、まず一息ついた。
(これは……もう持っていてもしょうがないよね)
 黄乃は、キーホルダー型の端末を鞄から外すと、走る電車の窓の隙間から、外へ投げた。カラフルなデザインのそれが、景色の中に遠ざかって行く。幼い頃から肌身離さず持っていたもの。その呪縛から、ようやく解放された。
 これで向こうから黄乃の居場所を探知することはできないが、既に警察が親に話を聞きながら動いていることだろう。今まで自分を監視してきて、なまじ自分のことを知っている親が向こうにいるだけ、不利だった。
(本当に知って欲しいことは、何も知らなかったくせに……)
 親のいう「穏やか」と「安定」に居心地の悪さを感じた自分とは、きっと一生わかり合えない。滲みそうになる涙を、黄乃はぬぐった。
(いけない、こんなとこで泣いてる場合じゃない。とりあえず、いつもの駅で降りるのは、親にも予想済みだろうから……)
 黄乃は、一度も降りたことのない駅で降りて、花部を歩き出した。

「う、うぅう~……どうしよう……」
 黄乃は、見知らぬ街で途方に暮れていた。
 逃げ出したはいいが、行く場所もない。それどころか、ここがどこかもわからない。
 一度も足を踏み入れたことのない月部よりは、花部の方がまだ土地勘があるだろうと思って降りてみたものの、通学路しか通らない黄乃がいつもと違う駅で降りたところで、何もわからないのは当然のことだった。
 その時。
 見慣れた制服姿の男たちを見て、黄乃はぎょっとした。
(あ、あれって……電磁警察?!)
「おい、この駅の近くは見つかったか?」
「いや、まだだ。おそらく、降りているだろうな……」
「親御さんからの情報によれば、絶対この沿線のどこかにいるはずだ。探せ探せ!」
 身が凍りつく思いがする。どう考えても、自分のこととしか思えない。
 さっと身を翻して、人ごみの中に紛れた瞬間。
「ん? あの後姿……」
「どうした?」
「なぁ、ちょっと来てくれ! さっき、それらしい人影を見かけたんだ。」
 そんな会話を聞いて、黄乃は今度こそ、全速力で走りだした。

「はぁ、はぁ、はぁ……」
 体育でしか運動していない体に、走るのは堪える。しかし。
「おい、路地に入ったんじゃないのか?!」
「くそっ、あんなガキ一人に、どれだけ手間取ってるんだ…」
「なんか知らねーけど、無線レーダーの調子が悪くってよ、本部との連絡が……」
 切れ切れに聞こえてくる声を耳にして、また弾かれたように懸命に走る。今はまだ距離がある様子だが、いくらGPSを絶っているとはいえ、これでは捕まるのも時間の問題だ。
(な、なんか……さっきより人数、増えてるよぅ……)
 泣き泣きになりながら、黄乃は思う。これだけの人数を相手にしながら、黄乃が奇跡的に逃げおおせているのは、奇跡的なタイミングでクラッシャー能力を発動し、通信を妨害したり、自動ドアを開かなくしたり、信号を勝手に変えたりしていたからなのだが、もちろん本人は知る由もない。
 ざりっと、すぐ近くで足音が聞こえる。
(うあぁ、どうしよう……! やっぱり、逃げることなんてできないの……?!)
 震えながら、黄乃は物陰に身を隠した。頭を抱えてぎゅっと縮こまる。
 足音の主は、そんな黄乃の考えを無視するように、いともあっさりと現れ――
「……はぁ。お前、最悪だな」
「……へっ?」
おそるおそる顔を上げた黄乃を、あきれたように見ていたのは、電磁警察ではなかった。
「逃げるんなら、きっちり逃げろよ。ったく、事前に逃走ルート考えてあんのかと思ったら、考えなしに走り回るわ、交通妨害するわ……街中大混乱だぞ。ただでさえ大事やらかしたってのに、これ以上罪でかくしてんじゃねーよ」
「え……そうなの?」
 素直に言葉に応じた黄乃を見て、黄乃に声を掛けた青年はずっこける。見た目の年は、黄乃よりは上に見えるが、そう変わらない。
「君は……誰?」
 澄んだ黄乃の瞳を捉えて、少年が見下ろした。比較的明度の高い、青と赤のチェックシャツにズボン。随分と動きやすそうな格好だ。それが、普段の恰好なのだろうと推測がつくくらい、彼にぴったりと似合っていた。
「あのな……お前、今ほんとに自分の状況わかってんのか? 説明してる暇があるかよ。ったく、なんでつばくろさんはこんな奴を迎えに……」
 舌打ちした少年がそう言ったとき、
「この先の路地だ!」
 すぐ近くで、声が上がる。
「走れ!」
 慌てた様子の少年が、鋭く声を掛けて、黄乃を立ち上がらせる。
「あっ、」
 引っ張られるまま、路地を駆け抜ける黄乃。何の説明もないまま、突然現れた少年についていく――賢い判断とは思えないながらも、根拠のない信頼を彼に感じながら、黄乃は先の見えない路地に向かって走っていた。

Case1. End.
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