Case1.黄乃の場合

 だが、黄乃があの晩、声を聞いたのは、ただの偶然ではなかった。
 次の日も、またその次の日も。
 頭痛が起こる度に、声が聞こえるようになったのだ。
 それは、時と場所を選ばない。授業中のときもあれば、一人でぼーっとしているときもあったが、断片的に、何かの声が聞こえてくる。
 少しずつ、聞き慣れるようになると、それは様々なものだった。
 ニュース番組だったり、遠く離れているはずのクラスメイトの話し声だったり。
 ただ、黄乃自身にわかるのはそこまでで、幻聴とも何ともつかないその声を、黄乃は恐れていた。もちろんこんなこと、親にも医者にも相談できない。
「あぁ、やっぱりあの時、ママップに入力して治してもらうんだった……」
 好奇心と少しの反抗心で放置していた頭痛が、こんなおかしな症状をもたらすとは。嘆息して、黄乃は学校帰りに、電気店のテレビの前で、足を止めた。
「先日、花部第一交差点にて発生したモニター不具合の事故は、クラッシャーの仕業によるものと断定されました。クラッシャーは、機器を特殊な手段なしに破壊する恐れのある危険体質であり、現在、政府の保護対象となっています。我々の生活にこれ以上の影響を及ぼさないため、花部は危機管理体制を敷いて……」
 ニュース番組で、女性が喋っている。
「『クラッシャー』……かぁ」
 授業で聞いたことがある。民間の中で、無自覚なクラッシャーがいた場合も保護されて、シェルターで体質を取り除くための治療を受けるのだと。
「僕には関係ないと思ってたけど、花部でもこんなことがあるんだ……いつつ」
 いつものように襲ってくる頭痛に頭を押さえた黄乃は、声を聞いた。
『もう、黄乃! また壊したでしょう!』
『ぼ、僕、洗濯機のスイッチ押しただけだよぅ……』
『嘘おっしゃい! 回線も全部ショートして、使い物にならないって、修理屋さんおっしゃってたわよ! 一体何をしたら、こんなひどいことになるの!』
 目を閉じた瞬間、まぶたのうらにくっきりと浮かんだ光景に、黄乃ははっとした。
(あれは……小さいころの、僕?)
 間を置かずして、
『黄乃! どうして父さんの大事なパソコンのデータを、いじったりしたんだ!』
『ぼ、僕、なんにもしてない!』
『勝手に触っちゃいけないと、いつも言ってるだろう! これで何度目だ! まったく、直そうにも、復元データまで文字化けして……ウイルスでも入ったか?』
 声と同時に、脳裏に幼いころの自分と両親が浮かぶ。はっとして目を開けると、そこはもう、いつもの町だった。
 人の波に従い、とりあえず電気屋の前を離れて歩きながらも、黄乃の頭は混乱する。
(あれは……覚えていないけど……でも、僕だった……)
 頭の中に再生された映像。それは、黄乃の記憶にないものだった。

 その日の晩。黄乃が家に帰ると、珍しく玄関には靴が二足並んでいた。
「あれ……? 父さん、と、母さん……?」
「おかえりなさい、黄乃! 待ってたのよ」
 母親が、笑顔でリビングの奥から現れる。
「ど、どうしたの? 急に?」
「えぇ、急に父さんと同時に休暇が取れちゃって……ちょうどいいからって、二人で帰って来たのよ。久しぶりに黄乃と一緒にご飯が食べたかったしね」
 そんなばかな、と黄乃は口を開けた。違う部署に勤めていて、夜はいつも仕事をしていて、黄乃が寝静まった後、深夜にしか帰って来ない両親が、こんなことをするはずがない。
 久しぶりに会う母親の笑顔は、妙によそよそしく見えた。
「さっ、黄乃、ご飯できてるから! 久しぶりに作ったのよ、奥で食べましょう」
 何も言えないまま、黄乃は母親に背を押されて、ダイニングに向かった。

「ほぉう、黄乃、大きくなったな。背が伸びたんじゃないか?」
「そうね。あっ、黄乃、休暇は土日もあるのよ。服買ってあげましょうか?」
 親戚からの美辞麗句のような両親の言葉を聞きながら、黄乃は曖昧にうなずくだけだった。
 彼には、聞こえていたのだ。オフィスの雑音の中に混じる、スーツの親の会話が。
『どうやって、黄乃の前でごまかそうか?』
『これよ、「久々に娘・息子に会うためのマニュアル集」。これ見れば、きっと黄乃の前で、父親と母親らしい演技ができるはずだわ』
『うん。そうだな。えーと、何々、会話は、「久しぶりだな、元気だったか」で始めるのか……』
 黄乃は必死で、笑顔を保っていた。機械同然の育てられ方。今彼の目の前にいるのは、父親と母親という役割を持った、人形でしかない。
(父さんと母さんは……どうして僕を生んだの……?)
「どうしたの、黄乃? 食が進まないようだけど……具合でも悪いの?」
「いや、大丈夫。少し頭が痛いだけ……」
 作り笑いの下手な彼が、かぶりを振ってみせると、
「あら、大変! 薬はどこにあったかしら……」
「だ、大丈夫! ほんとに、一瞬ちょっと痛んだだけだから……ほら、もう治った」
 元気いっぱい、という表情を作ってみせる。
 治されてはたまらない、と黄乃は思った。頭痛はともかく、この声まで消されては、黄乃の気になっていることは、これ以上知れなくなる。
「本当に、大丈夫? あとで、念のため、部屋に薬持って行くわね」
「体を壊したら大変だ。今日はもうゆっくり休みなさい」
 定型句のような会話を聞きながら、黄乃はその場をやり過ごした。

 その晩、黄乃は、眠れないまま、ベッドの上で時を過ごしていた。
 急に帰って来た親。謎の頭痛。クラッシャー。
 その三つのことが、黄乃の頭の中をぐるぐる回る。
 親に、全くといっていいほど愛情を持たれていなかった衝撃もさることながら、それ以上に、何故親が演技までして帰ってきたのかが気になった。
 そっと蒲団から置きだし、学校の資料集を部屋のパソコンで開く。さすがにここまでは、ママップに監視されていないはずだ。
(えと、『クラッシャー』……)
 単語を打ち込んで検索すると、いくつかのワードがそれぞれの資料から検出される。そのひとつひとつを追っていく。
「これは、昼間のニュースで言ってたこととだいたい同じ……。あ、これは?」
 「電磁警察」の文字が気になってクリックしてみる。
(国家情報統制機関、GICAの特殊部隊で、主に電気系統、機器に関する治安を維持し、事件を取り締まる……クラッシャーの保護、監視も仕事の一つ……警察?!)
 記事を読んでいた黄乃の手が、小さく震えた。
(じゃあ、保護とか、なんとかって……クラッシャーは、警察につかまっちゃうの?!)
 さらに、関連項目をクリックしていく。
(クラッシャー体質の……特徴?)
 ある専門書のコピーで、黄乃の手が止まった。
(原因不明だが、触れただけで電化製品が故障、データ配列の狂い、改ざん等が引き起こされる……保護フィールドを無効化し、直にデータ・回線に干渉可能なため、国家の機密情報や社会インフラを危険に陥れる可能性があり……)
 それ以上頭に中身が入って来なくなり、黄乃はパソコンを閉じた。先ほどより震えの大きくなった体を、両腕で抱きしめた。
(クラッシャー、って……たまたま電気製品を壊しちゃう人のことじゃないのっ?! そんな大変なことだったなんて……だったら、僕、僕は……)
 あの日の昼間、突然モニターの消えた光景が、嫌でも頭に蘇る。
(もし、あれが本当のことなら、僕は、もしかして……)
 認めたくない、という気持ちと、知りたい、という気持ちが、いっぺんに押し寄せる。再びベッドに身を横たえた黄乃の頭は、冴えわたっていた。
(もう、ママップに……ううん、親に頼ってちゃいけない。何も本当のことなんて、教えてもらえないまま、ずっと母さんと父さんの傍にいるのは……嫌だ)
 ごろりと寝返りを打って、黄乃は、両手を胸の前でぐっと握り合わせた。これまで微弱な電流のように、胸を時折走り抜ける違和感の正体が、明らかになる。どくんどくんという、心臓の音に乗って聞こえてくるそれは、これまで、ずっと安心だと思ってきた暮らしの中では感じたことのない、強烈な衝動、だった。
(――知りたい。たとえ、知って、どうにもならないのだとしても。父さんたちが何を考えているのか。そして、僕はこれからどうしたら……)
 そう思った瞬間だった。閃光と共に、黄乃の頭に映像が流れ込む。
 今まさに、台所で話し合っている、二人の両親の姿が。
『……なぁ。黄乃、やっぱりおかしくないか?』
『やっぱり? 私もそう思ってたのよ。最近はないけど、昔よく、家電を壊したでしょ?』
『中学に上がってからも、ミュージックプレイヤーや端末をよく壊していたしな。俺は、よく落とすもんだからそうなっているんだと思ったが…』
『いやよ、そんなこと言って、あなた、うちの子がクラッシャーだったらどうするの?』
『……むぅ。警察に、突き出すしかあるまい。しかし、あそこは……』
『一家の滅亡よりマシよ。かくまったら、私達まで逮捕されるんですからね』
『わかっているよ』
『せっかく手に入れた、この安定した生活を、みすみす手放してなるものですか……あなた、なんとしても、黄乃を警察に。私、怖くってたまらないわ。あぁ、穏やかな暮らしをさせたかっただけなのに、どうしてあの子があんなことに……』
『落ち着け、お前。黄乃に罪はないだろう。今、なんとかして手を……』
 フェードアウトしていく声を聞きながら、黄乃の目から涙が流れていた。
(父さん……母さん……?)
 今までの人生が、何だったのかと思えてくる。大切に育てられているわけではないと察しながらも、それでもどこかでは信じていたのかもしれない。
 耳元の声は、黄乃に知りたかったことと同時に、過酷な現実を突きつける。
(このまま、ここにいたら僕は……捕まる?)
 泣きながら、黄乃ははっと気が付いた。
(……嫌だ)
 黄乃は真夜中の部屋の中、ぐしゃぐしゃと手で涙をぬぐうと、身を起こした。
 親に必要とされていないと、自分は縛られているわけではないと知った今。
(……こんなところで、終わらせない。絶対に、終わらせたくない! 誰が守ってくれなくても、僕は自分で、ここを出て行くんだ!)
 一度決意が固まってしまうと、今までのぐずぐずした自分とは思えないくらい、するすると体が動いた。
 やることはひとつ。
(……夜のうちに準備して、なんとか明日抜け出すんだ。)
 セキュリティ管理の行き届いた家は、出入りの記録まできっちり残されてしまう。親が自分を連れ出そうとしている明日こそ、逃げるチャンスだろう。
 そう判断して、黄乃は小さなカバンに荷物を詰めた。
2/3ページ
スキ