Case1.黄乃の場合

「あぁぅ……なんで、こんな女の子っぽい名前なんだろう……」
 新任の教師に、人生何度目になるやらわからない、性別の勘違いをされた黄乃は、クラスメイトの中で、だーっと涙を流していた。休み時間の教室で、彼を囲んだクラスメイト達が、次々とはやしたてる。
「しょうがないよ、黄乃きの、ほんとに女の子っぽいじゃねーか」
「動作もなんとなくそれっぽいしな。あと髪とか服装とか」
「そんなことなーい! みんなとそんなに変わらないよ!」
 ぶーっと頬を膨らましながら、クラスメイトに反論する黄乃。その彼を見て級友たちは笑い、それに根負けするように、黄乃もまた笑った。
 ふと窓の外を見ると、中央の広場の電子モニターに、巨大な桜の映像が映っている。掃除が大変だからという理由で、模造の街路樹しか植えられていない帝都の町中では、画面の中の桜が風物詩だ。
「……本物、見たいなぁ」
 ぽつりとつぶやいた黄乃の声が、風に流されていく。
 教室の入り口から、声を掛ける男子たちの声が聞こえてきた。
「おーい、黄乃、何してんだよ。身体測定、遅れるぞ」
「ったく、寝っころがって機械通りゃ、あとはデータ処理で全部やってくれるってのに、わざわざ数分のためだけに行くとはなぁ……めんどくさ」
「あっ、ごめん……今いくよ!」
 窓辺から離れ、黄乃は級友たちの元へ駆けて行った。

 数多くの情報、ハイテク技術、人々の結集する帝都。
 円形の枢軸区を、中央区と呼ばれる正方形の区画が取り囲む、大都市だ。その中央区は、機能性を重視し、大きく分けて四つの区域に整然と分かれていた。
 その名も、花部かぶ鳥部ちょうぶ風部ふうぶ月部げつぶ
 黄乃は、花部の中学に通う、中学二年生。実家は、風部にある。花部の丁度対局に位置する区域だ。両親が公務員なのだが、枢軸区に隣接する風部は公務員寮があり、職員が通いやすい体制が整っている。
 この大都市において、官公庁に勤めるのはそう容易ではない。両親ともに公務員の家庭である黄乃は、風部の中では珍しい方だ。
 中高一貫教育が主流になってきている帝都では、小学校の区画と、中学校と高等学校をまとめた中等部の区画が、花部に集中している。黄乃もまた、花部の学園の受験に成功し、ここへ通っているのだった。電車で片道四十分ほど。時間はかかるが、電車が頻繁に通る上、家が駅に近いので、さほど苦ではない。

 放課後。
 鞄についている、キーホルダー型の端末が光っているのに気付き、黄乃はスイッチを押した。音がして、小さめのホワイトボードのような画面が空中に浮かぶ。
「えっと、この後塾で、17時まで授業……帰りはこっちのルートにあるパンが美味しい、か。うん、了解」
 端末は、空中のスクリーンに情報を映し出すための映写機と、データ本体としての役目を持っている。ノートのように区切られ、整理された見やすい画面には、塾の予習内容、帰宅ルート、その途中にあるパン屋の写真が、アップで写されている。
「お前の両親、パン好きなのか?」
 クラスメイトの一人が、声を掛けてくる。
「えっ? うん、割と……なんで?」
「いや、端末にパン屋の写真映ってたの見えたから。」
「すげぇよな、Mam-App見るだけで、親の趣味がわかっちゃうってのも」
 他のクラスメイトも、会話に加わってきた。
「お前んち、洋楽の情報がすげーもんな」
「ほんと、クラシックはやっとくと教養になるっつって、毎日楽器店寄らされるんだぜ。見てるだけで楽器弾けたら苦労しねえってーの」
 あははは、と笑うクラスメイトの群れを見て、黄乃はふと気が付いた。
「あれ……いつも一緒にいる、あの子は?」
「ああ、あいつ。こないだやらかしたせいで、退学になったらしいよ。」
 クラスメイト達の表情が陰り、黄乃の全身から血の気が引いた。
「やっぱ、学校に楯突くもんじゃねぇよな……Mam-App使用に関する抗議起こして、それが学校側の規則に抵触したんだろ?」
「『Mam-Appは子供のプライバシーを侵害し、親が子供の自由を束縛する、悪しきアプリです!』……まぁ、そりゃそうだけどさ。実際そのおかげで、俺ら平和に暮らしてられんだし。特に不都合もねーしな。今更そんなとこ突っ込んだところで、しょうがねぇっつーの」
(学校に……親に、楯突く……)
 想像し、黄乃はぶるっと、身を震わせた。
(そんなの想像できない。やっぱり、言うことはちゃんと聞かないと……)
「ま、私立っていっても、結構ここ、政府擁護派だし……国が直々に開発に携わってるAppで、問題点だの声高に叫ばれちゃ、学校も困るんだろ」
「え、ママップって、『公共アプリ』の一部だっけ?」
 黄乃が、会話についていけず、首を傾げた。
「昨日の情報Ⅲの授業でやってたじゃねぇかよ。さては黄乃、寝てたな」
「はい、黄乃にもんだ~い。政府が開発した『公共アプリ』ママップのうち、推奨されている機能を三つ答えよ!」
「え? えーと……」
 焦る黄乃の前で、級友が指を振る。
「はい、時間切れで~す。答えは、『予防接種確認表』と『スケジュールノート』と『見守りGPS』でしたっ!」
「いやぁ、それにしても、黄乃って普段そういうとこほんとトロいよな」
「……なんだよぉ」
 むくれて言い返す黄乃を、クラスメイトは気にも留めない。
「そんなこと覚えたって、何の役にも立たないじゃないか」
「ああ、立たないよ。テストの役にしかな。でも覚えないと叱られるの俺らだしぃ」
「だから黙って覚えておけばいいんだよっ、黄乃ちゃんっ」
 肩をバンバン叩かれながら、ますます黄乃はいらいらを募らせる。
(たく、みんなぼくを子供か女子みたいな扱いして……)
 だが、その気持ちをぶつけることにすら、黄乃は怯えていた。正直、不満はいっぱいあるものの、下手に言い返して、爪弾きにされるのも怖い。
(父さんや母さんが言ってるみたいに、友達をたくさん作って、仲良しのメンバーから離れないように、ほどほどに合わせて……え?)
 そこで、黄乃は、最近何度か感じている、違和感に気付く。
(ぼく、何か変なこと考えたっけ……)
「おい、黄乃、ぼんやりしてんな。帰るぞ!」
「え? あ、あぁっ! 塾に遅れちゃう!」
 悲鳴を上げて、鞄をかついだ黄乃は、慌てるあまり、パソコン設置型の並んだ机にあちこち体をぶつけながら、教室を後にした。

 塾で、学校の復習を終え、新しい課題をもらうと、黄乃はビルを後にした。手にした端末で、「出席」マークが画面についていることを確認する。ちなみに、宙に浮かぶ画面の大きさは、時と場合により調節が可能だ。
 今は、携帯電話の画面くらいのコンパクトなものが、手のひらの上に浮いている。
(サボったら、すぐバレちゃうんだよな……サボろうなんて、思ったことないけど)
 別のボタンを押すと、画面のすぐ横に簡易式キーボードが現れた。宙をなぞるようにしてキーに触れると、画面に文字が入力できる。ネットサーフィンをしながら、黄乃は街を歩いた。
(ママップ……かぁ。もしかして、この画面も、見られてたりして)
 画面の奥につながる、息をひそめてじっとこちらを観察する両親の目を感じて、慌てて画面を閉じる。耳にお気に入りのイヤホンをはめて、音楽を流しながら、それでもさっきの想像は消えない。
(どこまで見られているのかわからない……んだよね。そもそも、ぼくが見ていて、って、頼んだわけでもないのに……)
 違和感が、むくむくと大きくなる。が、まだそれが何なのか気付けない。
(そういえば、パン屋の場所が送られてきてたっけ?)
 地図の中にマークで記された地点は、ただの親の勧め。強制的に寄らなければいけないわけではない。それでも、黄乃の心を、ためらいが支配していた。
(うーん、ま、まぁ、でも明日の朝もパンは食べるし……行ってこよう)
 無理やりに納得させるように、黄乃はルートの通り、商店街へ足を向ける。
 任意が強制と同義になっていることに、彼はこの時、まだ気付いていなかった。

「まいどありー」
 機械ではなく、昔ながらの手ごねで焼いている、個人経営のパン屋を出て、黄乃は帰途に就く。いつも乗る路線の駅までの道は、ママップの地図が記してくれた。
(あぁ、でも……おいしそうなパンばっかりだったなぁ。ふふっ)
 ほんのりと温む紙袋のパンを抱えながら、黄乃は笑みをこぼした。Mam-Appに記された上限金額を超えないよう、指定された食パン以外に、慎重に菓子パンを選ぶ黄乃の顔は、真剣そのもので、パン屋の店主に、何がそんなにおもしろいのかと不思議がられたくらいだ。
(また来たいけど、ここまで道が反れると、母さん達が持ってるママップの地図じゃ、いつもの帰宅ルートから外れて見えるか……うーん、寄り道って難しいなぁ)
 クラスメイトの中には、端末の改造で、親の目を盗んで色んな場所で遊んでから帰る者もいる。だが、大概のスケジュール項目は、塾の出欠や病院の診察チェックを始め、Appに達成の可否を自動登録されるものばかりだ。上手く寄り道できたところで、その時間帯に何をしていたか言い訳することはできないし、第一そんな度胸は自分にはないと、黄乃は思った。
「さて、帰ろう」
 夕陽に目を細めながら、ちょうど目の前に来た電車に、黄乃は飛び乗った。

 帰宅後、風呂あがり。
「さってと、さっきのパンを……」
 紙袋に手をのばしかけた時、端末が「ピピッ」と音を立てる。
「夕食の時間デス。献立ヲ、パンに合うモノに変更しマス」
「あー、はいはい、わかったよ……」
 なぜか揚げ足を取られたようで、一気に興ざめする。
冷凍庫の扉を開ければ、母親が作り置きした食品が入っている。真っ先にパンを頬張ろうかと考えていた黄乃は、ため息をついて、食器を並べた。
(……んん? でも、何で食べる順番まで、指示されなきゃいけないんだろ? 買ってきたの僕なのに)
 ふと違和感を覚えながら、黄乃は手を合わせる。
「おアガリなサイ。」
 その動きを感知して、端末が無機質な音声で告げた。

「ふぅっ、なんか今日は、暑い……なぁ」
 五月のある日。黄乃は、春先のじんわりした陽気にさらされながら、花部の町中を歩いていた。町を歩く人波も、心なしか、足取り軽いように感じる。
「でも、珍しいな……父さんがお使いを頼むなんて」
 首を傾げて、もう一度Appを確認する。ママップの画面には、確かに、地図のとある位置にある電気屋と、「ここで電球を買え」というメモが記されていた。
「しかも命令調……はあぁ、電球くらい、通販で頼めばいいじゃないか」
 どうして今に限って、とため息をつきながらも、黄乃は嫌な気分ではなかった。普段「寄り道」ができない分、ルートを外れられるのは、嬉しいことなのだ。
 うきうきした足取りで、街を歩いているとき。
 バツンッ―――
(……え?)
 ふと、振り向くと。交差点の近くに堂々と掲げられた、帝都名物の大型モニターが、暗闇に画面を閉ざしていた。
「……え? え? なんで? さっきまで映って…」
 戸惑う黄乃の周りも、同じようにざわついている。
「なんだ? 故障か?」
「でも、さっきまで動いてたわよ? もしかして停電じゃない?」
「あれ? おい、あっちの信号機、動いてないぞ…」
「あら? ……きゃー! ちょっと、早くどきなさいよ! あっちの信号青になってるじゃないっ、車が来ちゃうっ」
 平穏だったスクランブル交差点が、ざわめきに包まれていく。
そして、期せずして、交差点の真ん中に間抜けに突っ立っていた黄乃に、だんだんと周囲の群衆の視線が注がれた――気がした。
「……え? 僕? 何……」
「落ち着いてください! 電磁警察です!」
 割くような大声が、人ごみの中から響く。
「今、妨害電波の発信地を特定中です! 犯人は交差点の中にいると思われます! 皆様、その場を動かれませぬよう!」
(は、犯人……?)
 日常では聞き慣れることのない言葉に、黄乃の心臓がどきどきと音を立てる。
(じゃ、じゃあ……さっきモニターが消えたのは、誰かの仕業……)
「おい、近くなってきたぞ!」
「もう少しだ! 急げ!」
 心なしか、足音は黄乃の方へ近づいて来るように思える。
(な、なんか、怖い……)
 その場を後にする数人の動きに紛れて、黄乃も人ごみの外へ出ると、まっさきに駅へ向かって駆け出した。人々のどよめきが、後ろへ遠ざかっていく。

「自分が悪いわけでもないのに、逃げてきちゃうなんて、僕もバカだなぁ……」
 独り言を言いながら、黄乃はアパートの一室で、ため息をついた。
 モニターの一件の後、逃げ帰るようにして自宅へ戻ってきた彼は、誰もいないリビングで、椅子に腰かけながら、端末を見てさらに深いため息をつく。
『ミッション不達成』
 「!」マークと共に表示されたその警告を見ながら、端末を机に放りだす。
「なんだって言うんだよ、お使い一つに、ミッションなんて大仰だよ……」
 ぶつくさ言っていると、端末が着信音を立てた。
「もしもし?」
「あぁ、黄乃。父さんだ」
「あ、父さん……どうしたの?」
「うん。仕事中なんだけど、最近電話してないことに気付いてな。久々にお前の声を聴きたくなった」
「そっか……お仕事大変?」
 父親と会話を交わしながら、黄乃は寂しげな笑みを浮かべる。本当は彼にはわかっていた。それが作り物の愛情であることを。
 前に父親から電話がきたのは、二週間前。母親からの電話は、一週間前だ。ママップは、子供との連絡が少なくなると、定期的に親の端末へ通知を入れる。
 両親が共働きで長期間不在のとき、子供を寂しくさせないように、最低限一週間おきに、相互の両親から連絡があらざるをえない仕組みになっていることを、黄乃は勘で知っていた。そもそもそこまで子供を放り出すような親が、自分の知る限り周囲の子どもにはいないことも。
「そういえば、父さん。ごめんね。お使い、失敗しちゃって」
「え? お使い? 父さん、何か頼んだか?」
 震える思いで謝った黄乃は、父親の言葉に拍子抜けする。
「え? だって、父さん、『ここで電球を買え』って、地図とメモを……」
「ははは、何言ってんだ。家に必要なものは、全部自動で届くように、システムでチェックされてるよ。お前にわざわざ頼むまでもない。システムのエラーじゃないか?」
「そうかな……」
 ひとまずそこで会話を畳んだものの、黄乃は納得しないまま通話を切った。
「うーん、おかしいな……」
 画面に指を滑らせ、ママップの履歴を見ていた黄乃の目が、見開かれる。
「あれ……?」
 先ほどの『ミッション失敗』の文字は消え、それどころか、転送されてきた地図やメモ自体が、データに存在していなかった。
「……? やっぱり、システムのエラー……かな……っ!」
 不思議そうに首を傾けた黄乃は、直後、激しい頭痛に襲われた。
「っ、何これ……いたた……」
 一瞬の刺すような痛みはすぐに引いたが、風邪を引いた時のような頭痛は、宿題をしていても風呂に入っていても、じんじんと頭を締め付ける。
「どうしよう、これ……そうだ、」
 しばらく経っても治らない体調の異変は、すぐにママップに入力すれば、的確な薬、および医療機関を紹介してくれる。そう教え込まれた黄乃は、夕食前に画面をタップしようとして、指が止まった。
「……ほんとうにいいのかな、これで」
 今まで、ママップにすべてを頼りきりだった。それは、ママップでつながった親の望みに従うということ。便利だし、今まで助けられたこともあったはず。この通りに体を動かしていれば、安定して生活が約束されるはず。だが、黄乃はそれに納得できなくなってきていた。
「どうして、周りの言うこと、聞かなくちゃいけないんだろう……」
 ぽつりと、黄乃はつぶやいた。
 クラスメイトが当たり前にやってるから。親が持っていなさいというから。だから、疑問を持つことなどなかった。
「夕食の時間デス」
 箸を取るまで、Appが無機質な音声を告げる。その言葉に従う理由。
「僕は、怖かったんだ……」
 規定の分量、冷蔵庫から取り出したおかずを箸でつまむ。口に運んでいる間、次々に疑問が噴出してきた。
「どうして、僕は、誰かの目を気にして、好きなものを選べないんだろう。 どうしていつも、見られてるかもって、怯えてなくちゃいけないんだろう。 どうして僕は……寄り道しちゃいけないんだろう」
 不思議なくらい、するすると疑問が出てくる。当たり前すぎて、考える余地もなかったはずの疑問が。
「この頭痛は、僕のスケジュールの外から、やってきたもの……」
 頭痛、という言葉に反応して、ママップがピピッと音を立てる。
「薬を処方、シマスカ?」
「いや、いいよ。」
 それに音声で返事をして、黄乃はじっと、空になった茶碗を見つめた。
(薬なら、ママップに聞かなくたって、自分で探せるし……我慢してたら治るんなら、別にこのままだっていい)
 薬箱を探そうと、食卓から立ち上がったとき。
 頭の中を、たとえようもない――もし言うなれば、一筋の光が駆け抜けるような衝撃と同時に。
(『……ザザ……はり、彼は……』)
(『……らばれ……存z……』)
「……え? 何?」
 きょろきょろとあたりを見回すが、もちろん何もいない。しかし、黄乃の耳にははっきり、ノイズに混じった声が聞こえていた。すぐにそれは、消えていくように聞こえなくなる。
「……隣の、テレビの、音?」
 防音設備からして、それは考えられないことだったが、黄乃はそう結論づけて、食器を片づけると、自分の部屋に戻った。
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