Case4.沙羅の場合

 そんなことがあってから、数日。
「ええ、それでは作戦会議を……こほんっ」
 もったいぶった焔が、咳払いをしてホワイトボードに向かった。会議室のテーブルに座っているのは、黄乃、潮、紫蘇の面々。
「今日はリビングじゃないんだね……」
 紫蘇の呟きは、何故か今日に限って妙にはりきっている焔には聞こえていなかった。普段は掛けない伊達メガネまでして、得意気だ。
「それでは、俺が昨夜寝ずに考えた、渾身のプランを発表する。今回は潮がここに入った後……」
 ガタンゴトン……ガタンゴトン……
「……で、ここで紫蘇が回線を……」
 ゴトンゴトン…ガーーーーーッ……
「……した後、最後が黄乃の出番だ。合図があったr……」
 ガガガガガ……ゴーーーーッ……
「……だ。わかったか? お前ら」
「いや、でんでん」
 びしっと腕を上げて即答する潮。やれやれと焔が肩をすくめた。
「潮、お前はまた俺が心血注いで作った計画を聞いてなかったのか?」
「んじゃなくて! どっちにしろ地下鉄の音がうるさすぎて聞こえないっつの!」
 潮が言っている間に、また頭上でガーーーーッ……ゴーーーーッ……と、電車が通過する容赦のない騒音が響く。
「燕さん、なんでここに会議室なんか作ったんだろ? バカじゃないの?」
 という紫蘇の声も、かなりの大声でないと届かない。
「それにしても……毎回聞こえないってわかってるのに、焔君、よくミーティングはここでするよね」
 潮の耳に寄せて、焔に聞こえないように黄乃が言うと、
「普段、あいつが作戦の表舞台に出ることはないからな。どっちかっていうと、裏方で必要な道具やプログラムを作ったり、全体を見通して指示を考えたりするのが得意だから。その分、こういうところで目立ちたいってこったろ。すました面して、弟の心が手に取るようにわかるぜ」
 くつくつと楽しそうに笑う潮の橫から、紫蘇も会話に参加した。
「縁の下の力持ちってやつだね。それに、いざとなったら焔兄も闘えないわけじゃないし。僕らはみんな、焔兄を頼りにしてるんだよ」
「うん……そだね」
 こくり、とうなずいた黄乃は、一人満足したようにスライドまで流し始め、指し棒を振る焔を見て思った。
(焔君って、普段しっかりしていて、優しいと思ってたけど、あんな表情もするんだ……潮はお兄さんだし、紫蘇君も僕よりずっと長く焔君たちといるんだから、僕より色んなことがわかって当然だよね)
 それでも、声の通りが悪い会議室でのミーティングの度、焔の新しい一面を見られる気がして、密かに楽しんでいる黄乃だった。

**********

 ところ変わって、こちらは月部。
 花部に比べて静かな区画であり、整然と並んだ建物がいかにも計画都市という雰囲気を醸し出しているが、政府機関の関与が最も大きい場所と言われており、裏では妙な噂が絶えない。
 潮が猫を被りつつ登校している情報統制機関設立校――情制校もここに位置する。
 そして、情制校を凌駕する権力を持った機関が、月部には存在した。
 宮内総合学園。
 幼稚舎から大学までの大規模な学園に加え、人々に馴染み深いのは、ここの附属病院だった。豊富な資金と人材、研究施設を備え付けた宮内総合学園において、この病院は帝都一、治療の技術が発展していると言われており、さらに設備も大きいとなれば、訪れる人は一日千人規模にも及ぶ。
 そんな病院の中で働く、一人の女性がいた。
 黑い髪を帽子にひっつめた、薄桃色のナース姿。
 女性にしては高めの身長で、すらりとした体つきの彼女は、今、点滴スタンドを立てた男性患者の介添えを終えたところだった。
「じゃ、夕方の時にまた検温に来ますから」
「ありがとよ、お姉ちゃん」
「今、本当は安静にしてなきゃいけない時期なんですから。看護師の許可なしに、病室の外に行っちゃ駄目ですよ?」
「なになに。そんときはまた、あんたを呼ぶさ。若いねえちゃんと一緒の散歩なんざ、オジサンには心躍ることだからな」
「もう……」
 にやにやとからかわれ、何度似たような目に遭っても初心な反応をする彼女は、いつまで経っても患者の目を楽しませていた。同じ病室の他の患者たちも、釣られて彼女をからかう。
「にしても、本当にかわいいよなぁ。今度病院の喫茶店でも……」
「はい、ナンパはそこまで! 看護師と仲良くなるのはけっこーですけど、私事にまで巻き込まないでくださいね! 一応公共財なんで!」
 唐突に、彼女の脇に表れた同僚看護師が、強引に彼女の腕を引っ張って連れて行く。午後三時の病室の気だるい雰囲気が遠ざかり、慌ただしく看護師と患者が行き来する廊下を、引きずられるようにして彼女は歩いていた。先を歩いていた看護師が、振り返って言う。
「もう、沙羅さら! あんなのは適当にあしらっとけっていつも言ってるでしょ! あんたかわいいからモテるんだからね! 気を付けてよ!」
「ご、ごめんね……でも、あしらうって言っても、私あなたみたいにビシッと言えないから」
「沙羅は遠慮しすぎ!」
 肩をすくめて、ようやく腕を開放された彼女――沙羅と呼ばれた女性は、先を歩く看護師について、担当部署の総合受付に向かう。
 受付では、集まっていた看護師が、顔をあげて沙羅たちを迎えた。
「遅かったわね、沙羅。斉藤さん、また何か具合でも悪かった?」
「いえ、その……少し、患者さんたちのお喋りに捕まってしまいまして」
「ほんっと、この子はモテるくせに誰にでも優しいんだから、困るわよねぇ」
「沙羅ちゃんって、年の割に顔は幼く見えるよな」
 あははは、と輪になった看護師たちが快活に笑う。
(私だって、幼く見られたいわけじゃないけど、しょうがないし……少なくとも、中身は大人なのに)
 若干内心は反発しつつも、笑顔で沙羅は応えた。
「愛想よく……しないように、します」
「それが正しいわ。さ、みんな、休憩よ。それぞれ時間には用意して持ち場につくこと。いくら検査器具の容易や結果の解析は機械がやるっていっても、そこに至るまでの過程――直に患者さんと触れ合って、検査や治療に当たるのは私達なんだからね。解散!」
 チーフの号令を機に、集まっていた看護師は思い思いの場所に散っていった。友達と売店に向かう者、一人でコーヒーを買いに行く者、ベンチに座って本を読み始める者、書類の続きを書く者……
 申し送り事項の記入をパソコンに終わってから、沙羅も伸びをして、立ち上がった。一人で受付を出ると、決まった場所があるかのような足取りで、さっさと歩いていく。
(いくら、機械での管理やセキュリティの万全さを歌っても、患者の病気や状態を見抜くのは、機械だけではできない。こんなに、パソコンやデータに支配された街でも、人間の手がないとできない仕事は、たくさんある)
 考え事をしながら、ロッカールームに向かって、さっさと着換えた。次の勤務は夜からなので、それまで楽な服になるのが沙羅の習慣だ。ざっくりしたコットンのチュニックに、藍染めにした麻のロングスカート。
 団子の髪は降ろさないまま、病院内を闊歩していくと、スカートが後方に流れるように揺れ、沙羅の後についていく。緩めの首元から覗く肩の白い肌が、ガラスを通した柔らかな陽光に輝いていた。
(私達は、この仕事を誇りに思ってるんだ。誰かのために、役に立ちたい。誰かが苦しんでる時に、何もできずに見ているだけなんて、もう嫌だ……)
 エスカレーターで最上階にたどり着いた後、ガラス張りの壁の向こう側にある屋上広場の扉を、彼女は開けた。
 来る前から見えていた子供たちの楽しげな声が、遮る物なく直に耳に聞こえてくる。寝間着や入院服を着て、それでも子供たちは、青空と太陽のもと、いっぱいに体を伸ばして遊んでいた。
「あー、沙羅おねえちゃんだー!」
 手を振る子供たちに応えて、沙羅も屋上の端の方へ歩を進めた。歩きながら、フードから零れないよう束ねていた髪を解くと、背中いっぱいの長い黒髪が波打ち、つややかに輝く。
 緑の芝生と植え込みに覆われ、ちょっとした緑のドームのようになっているこの場所は、子供たちだけでなく、沙羅にとってもお気に入りの場所だった。
 危なくないよう高めにしたフェンスには、いっぱいに蔦が絡まり、緑の壁のようになっていた。ベンチに腰掛け、その葉の隙間から、沙羅は眼下を覗き込む。
 大部分の灰色と、統一性の欠けた色彩に覆われた、くすんだ街。
(退院したら、この子たちは、こんな世界に戻っていかなくてはならないのよね。この安全な巣を出て、電磁波が……自分たちに害のあるものがいっぱいに溢れる世界に)
 複雑な気持ちで隣に目をやった沙羅は、ふと気が付いた。
(あの子……)
 それは、沙羅がこの広場で、よく見かける少女だった。
 年の頃は、見た目で十歳くらい。小柄で幼さを残した体躯の少女は、小さな手でフェンスを掴み、外を見つめていた。
沙羅の見ている限りでは、ここへ来ても決して少年少女の輪には入らず、ぽつんと一人で、フェンスの外を見ている。ただ、その見つめ方は、どこか諦めを含んだ気持ちでぼんやり眺める沙羅とは違って――決して揺るがない静かな目の底に、渇望や羨望を秘めたような、どこか食い入るほどの必死さを湛えたような、そんな様子だった。
(この子、ここから出たがっている……?)
 ふとそんなことを考え、少女を見ていた沙羅は、彼女がこちらを見た時、どきっとした。まるで自分の考えを読んだかのように、少女が唐突に顔を上げたからだ。
 いつの間にか、屋上からは子供たちが撤退し、静かな広場には、風と植物の匂いだけが漂っている。
(気のせい、だよ、ね)
 そう考え、自分も戻ろうとした沙羅の身に、いつもと違うことが起きたのは、その時だった。
 沙羅と目が合うなり、駆けだして逃げていた少女が、今日はずんずんこちらに近寄ってくる。さくさく、と芝生を踏み分けてやって来る少女は、髪をツインテールに結っていた。
 ただ何を考えるでもなく、目線を合わせて屈んだ沙羅の目の前で、光の具合で水色にも灰色にも見える少女の髪先が、銀色に揺れる。
(あれ? この子……)
 少女の足元に目を留めた沙羅は、内心首を傾げた。裸足には、沙羅の知っている小児科では使わない色のタグ。着ているのは入院着というよりは検査着のようだった。
 髪と同様に色素の薄い瞳で、沙羅を見た少女は、小さく、だがはっきりと通る声で、言った。
「あんた、私が、怖い?」
「……え、」
 幻を見ているような気分の沙羅を残し、少女は小鳥が飛び立つように芝生を蹴ると、走り去っていた。屋上の扉を閉める音がする。
(あの子、私に何を伝えたかったんだろう。でも……)
 さらさらと、風に流される髪を押さえながら、沙羅は呟いた。
「さびしそうだった、な……」

 まもなく、沙羅は屋上の少女と、偶然の再開を果たすことになる。
 いつものように、昼間の勤務で、忙しく動き回っていた時のこと。
「いそいで! 今日は脳電磁科の外来が多いから! 初診の方も多いって話よ! こっちの部署にも回ってくるだろうし!」
 先輩の看護師にせっつかれ、沙羅はいつもより分厚く感じるカルテを抱え、患者を呼びに走っていた。待合を探していた、その時。
(なんか静かね……)
 沈黙の波が、前方から伝わってくるように感じて、沙羅は一瞬動きを止めた。静かどころか、廊下にいた人々が恐れおののくように、道を空けたのがわかる。待合のテレビを見てはしゃいでいた子供たちまでもが、しんとして押し黙った。
(何……)
 おそろしいくらい静まり返った病棟の中で、彼女は例の少女を目にした。ほんの小学生くらいの、あどけない少女。あの時と同じ検査着で、二、三人の職員に付き添われた彼女は、周囲の好奇と、恐れの視線を鉄の仮面で跳ね返し、黙々と歩いていた。
 その一瞬、沙羅と彼女の目が合ったのは気のせいではなかった。
 沙羅が思わず声を掛けようとしたものの、
「ほら、ぼけっとしない! 時間押してるよ!」
 指示を飛ばされ、結局一言も話せないまま、沙羅は横を走り去る。少女が通った後ろから、空気に温度が戻り、賑やかさが増したのがわかった。早足になりながら、沙羅が問う。
「ねぇ、あの子、可哀そうじゃないんですか? いったいなんで、あんな冷たい目で見られて……」
「沙羅、知らなかった? 私も詳しく聞いてるわけじゃないけどね。あの子、研究棟の実験台だって、もっぱらの噂だよ」
「研究棟……!?」
 そこまで聞いて、昨日の足のタグも納得がいくと、沙羅も思った。
 研究棟には、治療が難しく時間がかかる入院患者や、特殊な病態の患者を入院されていると、沙羅は聞いていた。しかし、実際に目にしたことは一度もなかったのだ。
「研究棟……ってさ。実際、あの子みたいに入院してる子もいるけど、ほんとはごく少数なの。見なくて当然よ。それに……あそこに入った患者は、一生研究棟から出してもらえないって噂だから」
 沙羅は息を飲み、言われた内容を必死で反芻する。
(だって、まさか……あの子が……!)
 暗い話を打ち切るように、先輩看護婦が声をかける。
「さっ、この話はおしまい! 次にいくよ!」
 仕事を再開しても、沙羅はなかなか、あの少女のことが、頭から離れないのだった。
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