Case4.沙羅の場合

「チョコバーが、ない……」
「チョコバー?」
 冷凍庫の扉を開け、ぼそっと呟いたほむらに向かって、ただ黄乃きのだけが、怪訝な表情だ。残るうしお紫蘇ゆかりは、両脇で目を泳がせ、心なしかおろおろとした表情を浮かべているように見える。
 突如、
 シュゥゥゥゥゥ……
 と音がして、
「わぁっ?!」
 驚いた黄乃が見れば、庫内の凍りついた白い壁から、ドライアイスのような煙が、ふうっと流れるように冷凍庫から吐き出され、床を覆っていく。薄い膜のような白い霧が床一面に張られる光景と、
「……」
 いつも温和な焔が、ひたすら無言を貫く様を見ているうちに、黄乃の背筋をうすら寒い、不吉な何かが走り抜けていった。
(なななな、何が起こってるの……っ? って、あ、れ……?)
 一瞬くらっとした黄乃に、すかさず誰かが腕を伸ばした。黄乃が、少し霞んだ目で傍を見れば、潮が身体を支えている。
「お、おいっ、紫蘇……! 予備! 予備はどうした!」
「こ、こっちに……あぁっ! だ、駄目だよ潮兄! こっちにもない! こないだ三箱補充して入れておいたのにっ……! まさか悪魔ルシファーの仕業……! これだけ大量のアイスをいとも簡単に消し去るなんて、きっと禁断の魔法陣を解放してっ」
「ちげーよ! 俺がちょいちょいつまみ食いしてっから……あ、」
「はあぁ!? 潮兄のせいだったのっ!? どうもここ最近アイスの減りが早いと思ったら、アイス用の予算が早々になくなるのは、闇に乗じた迷える魂たちが家計簿という名の聖典を食い荒らすからじゃなかったのか……」
「ふ、二人とも……」
 酸欠を起こしながら、黄乃は必死で二人の間に割って入る。なぜ巻き込まれた自分が、事情を知っているらしき二人の喧嘩を止めているのか、若干理解できない黄乃ではあったが、とりあえずただ事でないことが起こっているのはわかった。
「っ……争ってる場合じゃなかった……お前ら、一旦撤収だ! 逃げろ、このままじゃ一家全滅だ!」
 号令を掛けた潮が、黄乃と紫蘇にがしっと腕を絡めると、半ば引きずるようにして全力で部屋から出る。
「あ、あの、焔くんは……?」
 部屋から出て、ぷしゅうと扉が閉められてから、黄乃は一息ついて、潮を見上げる。どうやら、酸素が薄かったのはあの部屋だけらしい。
「大丈夫、そのうち酸欠になって自分で気絶する」
「それって危ないんじゃないのっ!?」
「だーいじょーぶ、いつものことで慣れてっから」
 さすがに命の危機を感じてはツッこまずにいられない黄乃だったが、潮は飄々として言い返す。紫蘇も、その傍でうなずいて続けた。
「とりあえず、氷河の深淵に立つ茶翼の天使が、世界を破滅から救う唯一の救世主ってわけだね」
「くっ……紫蘇の言い方はあいかわらずサムいが、今は事態が若干的を得てるだけに何も言い返せねぇ……! 黄乃! ちょっとコンビニ行ってチョコバー買ってこい!」
 潮の命令口調に、黄乃は反射的に駆け出そうとする。
「はぁい! ただいまぁ! ……って、ちょっとちょっと、僕このアジトからほとんど出られないんだけどっ!? それ以前になんでチョコバー!?」
「説明は後! これ持ってけ、短時間だけど監視カメラからの遮断になる! 紫蘇、一番近いコンビニの位置は!?」
「今解析してる! ちょっと待って……」
 空間に光でできたスクリーンを浮かべ、端末の地図で検索しようと紫蘇が指を動かす。たかだかチョコバー一本のために任務並み、いやそれ以上に必死な形相の三人だったが、
「みんな、大変なことになってるみたいだねぇ」
 呑気な声で、新たな人物が廊下の先から姿を現した。
つばくろ!」
「「燕さん!」」
 三人の声が重なり、振り返った瞬間、目に飛び込んできたのは――涼しげな小豆色の浴衣姿をわずかにはだけさせ、カラフルなアイスキャンデーを口にする燕だった。あまりの緩さに、三人が三人ともずっこける。全員の気持ちを代弁して、潮が叫んだ。
「あんた……この緊急事態になんでアイス食ってんだよぉぉーーー!」
「はっ! あ、アイス……もしかして……」
 がっくりうなだれる潮の隣で、黄乃と紫蘇は何かを察したようで、互いにうなずきあった。その空気に触発されたように、潮もすぐに顔を上げた。
「そっ、そうだ! 燕さん! あんたアイス持ってんだろ! いや、持ってるに違いねぇ! そこかっ、よこせっ!」
「え? ……ちょ、潮クン、何するんだい?! まだ昼間だよ? 百歩譲って我慢できなくなったんだとしても、こんなところで何て大胆な……」
「変な想像してんじゃねー! 昔っから胸元抑えるやつはそこに何か隠してるって相場が決まってるんだよ! どうだ、当たりだろ!」
 半裸にしかねない勢いで燕につかみかかり、浴衣の袂に手を突っ込む潮と、それを謎の動きでどうにか避けている燕を見て、黄乃と紫蘇は呆れのため息をついた。
「仮に隠すとしても、アイスだったらそこじゃ確実に融けると思うんだけど……潮兄って、時々頭いいのかバカなのかわからなくなるよね……」
 そうこうするうち、潮の元から抜け出た燕が、乱れた浴衣を直しながらふぅっと息をついた。
「まったく、潮クンは野蛮なんだからいけないよ。大人にお願いする時は、もっと丁寧にしないとね?」
「くっ、誰があんたなんかに頭下げて……」
 潮が言いかけた時だった。間に黄乃が一歩前に進み出る。
「燕さん、あの、お願いがあるんですけど……僕たちに、アイス一本分けてもらえませんか。チョコレートの一本でいいんです」
 突然真ん中に割って入り、一生懸命に燕を見上げる黄乃を見て、燕はきょとんとし、潮は驚きの表情を浮かべる。後ろで、紫蘇が目を細めて名前を呼んだ。
「黄乃……」
 振り返って、紫蘇の顔に浮かんでいるのが呆れだと気付いた黄乃は、不思議そうに頭を傾けた。
「え? こ、これでいいんだよね……? 何だかよくわからないけど、僕たちが今必要としてるものって、これで合ってるんでしょう?」
 潮が小声で、
「まさかこいつ、燕に言われたから本当にお願いを……」
 と呟くのが黄乃の耳に届く前に、燕が耐えられないと言う風に、体を折って笑い出した。
「ぷっ……あっははははは! 久しぶりにこんなに笑わせてもらった。……君は本当にいいコだね、黄乃クン♪」
 そう言って、燕はぽんっと黄乃の頭を撫でる。黄乃はうれしそうに、
「えへへ……」
 と照れ笑いなど浮かべながら、肩を揺らした。前話までを読んでおられない方のために念のためもう一度言っておくが、十五歳男子である。決して女子では、ない。というか作者もだんだんわからなくなってきた。なんでこの子男子なんだろう。
「さすが、頭は回るが口先の偉そうな潮クンとは違って、礼儀正しいね」
 その言葉にむっとして舌を出す潮を完璧に無視すると、燕は、ペロリとやたら妖艶な仕草でアイスキャンデーを舐めてからくわえると、背後に隠した手を差し出した。どこからどうやって出したのか、その手には、この場にいる誰もが待ち望んだ、茶色い物体が乗っている。
「「「チョっ、チョコバーだっ……!」」」
 まるで捧げもののように袋を手にして、走り出そうとする三人に、燕が背後から言葉に冷や水を浴びせる。
「喜ぶのはまだ早いよ。君たち、安易にその扉を開けていいのかい?」
 ぎくっとした動作で、潮が固まった。
「そ、そうだ、中にはまだ焔が……い、いや、でも、もしかして既に気絶してるかもしんねーし」
「それじゃあ渡しても意味ないような気がするよ、潮兄」
「なっ……! じゃあ、俺らがこんだけ苦労して大騒ぎしてる間に、あいつはぐーすか寝てるとでも……。くそ、腹立ってきた……」
「潮っ、握ったらアイス融けちゃう! 融けちゃうからっ」
 とりあえず覚悟を決めた三人は、ぷしゅうと自動ドアを開けて、おそるおそる中をのぞき見る。リビングはシーンとして、特に変わった様子もない。誰かが暴れた形跡もないようだった。
 足音を立てないよう、反射的に忍び足になった三人は、ソファーに陰に隠れて台所をうかがった。黄乃が小声で話しかける。
「冷蔵庫、閉まってるみたいだよ……?」
「だな。でも、焔の姿が見えねーし……」
「もしかして、床に倒れてるのかも。慎重にいくよ」
 紫蘇の言葉にうながされ、さらに台所とリビングを隔てるカウンターまで移動する。そこから、三人同時で台所の中を窺うと……
「……おう、みんな。どうしたんだ? 三人で一緒に来るなんて」
 床にぺったりと座りこみ、嬉々としてチョコバーを口に運ぶ焔がいた。傍には、空になったアイスの袋。
「ほ、焔君?」
「焔兄?」
 黄乃と紫蘇はあっけにとられ、潮は「だーっ!」という声と共にカウンターの下にへたりこんだ。
「あ、あの、そのアイス……」
「あぁ、これか。俺の好物なんだ。ちょっと恥ずかしいような気もするが……あるとついつい食べてしまってな」
 そう言って焔は、照れたように、チョコアイス付きの棒をかざす。
 いや、そうではなくそのアイスはどこから……と探ろうとした黄乃だったが、聞く間でもないことが判明した。焔が座っている前の床に、1メートル四方ほどの蓋がついており、その隙間が若干開いている。
 紫蘇が、こっそりと黄乃に耳打ちした。
「そっか……地下の食糧貯蔵庫に入れてあったんだ。焔兄が思い出してくれて助かった……」
「あの銀色の袋、常温で保存できて、開封すると即座にアイスになる、『Plenty of Ice #01』だよね? 実用化はされているけど、かなり高いものだったはずじゃ……」
「だから非常用だったんだよ……いざという時の禁断の切り札カードにする予定だったのに。また買い足しておかなきゃ」
 ま、今回がその非常事態だったから、いいんだけどね……と得意気な表情で一瞬目を閉じると、
「焔兄、いくら好きだからって、ちゃんとこっち来て落ち着いて食べなよ。貯蔵庫の蓋も開けっ放しなんだから」
 そう焔に言い置いて、紫蘇はもうこれで安心というように、台所にくるっと背を向けた。だがしかし次の瞬間足元を見ると、ぎょっとする。
「ちょっと潮兄! さっき冷凍庫のアイスを全部食べ尽くしたのは潮兄って言ってたよね?! まだ食べるの!?」
「へっ、らって、ほむらのはもうかいけふひたんひゃから、いいひゃれーか(へっ、だって、焔のはもう解決したんだから、いいじゃねーか)」
「そういう問題じゃない! だいたい潮兄はアイス食べすぎなんだよ! お腹壊しても知らないからねっ!?」
「へーひ、へーひ…ってあぁ!? おい紫蘇っ! お前、俺の口からアイスを抜き取るたぁどういう了見だよっ!」
 先ほど座り込んだ潮は、必要ないと見て取るや否や、燕に先ほどもらったアイスにさっさと手を付けていたのだった。
 笑いながら黄乃が見ていると、ぬっと大きな影が現れた。振り返ると、いつの間にかアイスを持って立ち上がった焔が、三人の元にやって来ている。喧嘩の仲裁をするのかと思いきや、潮と紫蘇の間に、アイスの袋を持った手をにゅっと差し出した。
「ほら、喧嘩するな。これで二人とも食べれるだろ」
 流れる一筋の沈黙。
「いや、焔兄、僕達アイスが食べたくて喧嘩してるわけじゃないんだけど……」
 勘違いを起こしてアイスを食べながらきょとんとする焔、それを見てお腹を抱えて笑う潮に釣られて、黄乃も笑い声を上げる。
 再び訪れた和やかな時間が、リビングに流れて行った。

「ところで、焔君の……あれ、なんだったの?」
 後日、ことが落ち着いてから、焔がいないところで、黄乃が潮に尋ねた。なんとなく、焔に直接訪ねるのははばかられたのだ。
「あれな…あいつの能力は、地上の磁波を操って、空気に微妙な振動を加え、空気そのものの流れを変えてしまうことなんだ。」
「空気、そのもの……?」
 難しい、というように黄乃が「?」マークを頭上に浮かべると、潮は腕を組んでしばし考え込んでから、説明を付け足した。
「明確に名前は付けづらいけど……『気流形成』とでも言えっか? あんまり恰好はつかないが。とりあえず、空気を自由に操れるんだ。増やすも減らすも自由。すごい勢いで動かせば、風や竜巻だって作れる」
「じゃあ、僕があの時酸素が薄いって感じたのは、もしかして……」
「あいつの能力で、部屋の空気が薄くなってたってことだよ」
 では、何故あの状況で焔の能力が? という疑問には、黄乃が口を開く前に、潮がやれやれといった様子で答えた。
「焔のやつ、滅多なことじゃ怒んねーけどな。ただひとつ、好物のチョコバーがなくなった時だけ、もうっっ烈に怒るんだよ。しかも、本人無自覚なままキレるんだから、タチが悪い……」
 ぶつぶつ言う潮に、黄乃が苦笑した。
「じゃあ、あれは焔君、怒っていたんだ……?」
「そうそ。でさ、あいつ、キレても表面に出さない分、能力を活性化させちまうみたいでよ……部屋の空気がなくなるなくなる。もしあいつの怒りを収める奴がいなかったら、世界中真空状態になって、人類滅亡だぜきっと」
 その言葉には、さっきまで笑っていた黄乃もぶるっと身を震わせた。
(た、たしかに、状況だけ見ればそういうことだよね……)
「ま、ある意味いっちばんおっかねぇ能力だよな、俺らの中で。」
 黄乃の心を読んだように、潮がぼそりと言った。
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