Case3.紫蘇の場合
黄乃が初めて踏み入れた、紫蘇の研究ルームは、怪しげな記号を画面に浮かび上がらせる、巨大なコンピュータで埋め尽くされていた。
「これが何かわかる?」
「よくわからない……」
正直に答えた黄乃の前で、紫蘇は椅子に座り、キーボードに手を滑らせる。
「僕が作っているのは、何種類ものウイルス」
えっ、と一瞬方又黄乃に、紫蘇は言葉を続けた。その間も、カタカタとキーボードを叩く手はとまらず、画面にいくつもの黒い画面と、ちかちかする色の文字が躍る。
「えーっと……それは、犯罪?」
「黄乃だって、保護とかいう名目で犯罪者扱いされて追われてるんだから、一緒でしょ」
言われてしまえば身も蓋もなかったが、それにしても、と黄乃は驚いて、紫蘇の手元と画面を見比べる。
「僕が担っているのは、この組織の砦。僕らの要塞に、無駄な奴は何一つ寄せ付けない。僕にこの『手段』を与えてくれたのは、燕さん……それをどう生かすかは、僕にかかってる」
ぱちん、とエンターキーを鳴らすと、まるで折り畳まれるかのように、画面が次々と終了していく。絵本が閉じるようにして収束した画面の先に、宝の小箱のようなショートカットが一つ、現れた。
「魔法みたい……」
「魔法さ。開ければ知らずに伸びた触手が、同じ糸の上にあるすべてに絡みつき、情報を吸収する……まるで蜘蛛みたいに。そうだな、名前は……」
ショートカットをクリックして、紫蘇はアルファベットの名称を変更した。――『Spider mouce』。
「……何て読むの?」
「『蜘蛛の密偵』だよ。スパイダーっていうのは、蜘蛛の意味と『スパイ』を掛けていて、なおかつ……」
「前から思ってたんだけど、紫蘇君ってネーミングセンス独特だよね……」
「? そうかな」
いやに真面目くさった表情を消して、紫蘇はきょとんとなった。この顔の方が、年相応だなと、密かに黄乃は思う。こほんと咳払いして、紫蘇は言った。
「とにかく、これが僕の仕事。僕にも能力はあるにはあるけど、まだちょっと実践段階ではないというか……」
「へぇぇ……」
もごもごと言い訳をする紫蘇の視線の先を追うと、床に転がったいくつかのボールや、それを当てる的のような物が見つかった。
(……?)
それ以上深く突っ込むのをやめて、黄乃は紫蘇をうながす。
「こんなことまで教えてもらって、紫蘇君は何を……」
「そうだね。一言でいえば、復讐――かな」
暗い色の目を伏せて、紫蘇は自嘲気味に話し始めた。
* * * * *
僕の家は、特別保護区にあるんだ。
……聞いたことある? 公務員の人には縁遠いと思うけどね。ほどほどに田舎なんだ。ちょっと車で郊外に行けば、あっという間に山とか田んぼが広がってる。せいぜいが工場くらいさ。……何目をきらきらさせてるの? ほんと世間知らずなんだね、黄乃って……何もないけど、そんなに見たかったら、今度いくらでも連れて行ってあげるよ。
特別保護区なんて、単なる上っ面の名前で、実際は、中央区からあぶれた人間の追いやり所もいいところさ。迷える子羊の放牧場……って感じかな。え? わかんない? ……ここの住人はさ、帝都に住んでいる市民とはいえ、どこかしら蔑みの目で見られるんだよ。
僕の家は、母子家庭で……父さんがだいぶ前に家を出て行って、母さんが妹と僕を育ててくれた。だけど、母さんは体が弱いから……普通に働いてさえ、暮らしを補うのは大変なのに、寝込んで家を出られないこともある。僕の家は花部に近いけれど、その境界線上の外に住むか、内に住むかでは、大きな違いがあるんだ。とても、花部にある住宅の家賃には手が届かない。おかしいよね、たった一本道を隔てただけなのに。
ただ、僕の近所の中学は、言っちゃ何だけどレベルが低かった。僕みたいな異端の人間が供用を身に付けるみは、素養が低すぎて、芽生える能力も芽生えなくなってしま……え? 潮が、僕のこと居眠りしてたって……授業中に? が、学校が違うのに分かるわけないだろ! はったりだよ、やったり! ……と、とにかくレベルが低すぎるから、中学校からは花部に通っていたんだ。人間の中身はともかく、教育は人並みだからね。
……そう、中身が問題だったんだ。あんな、ゴミくず並みに心が腐った奴ら……。もともと、髪が長いだの色が変だので、いじめられることはあったよ、小学校からね。だけど、中学からは、なんとなくその質が変化していったのがわかった。何でだと思う? ……皆が端末を持っていたからさ。
あからさまなものじゃないだけに、タチが悪かったよ。給食中や授業中、黙りこくって下を向いてるフリしては、タブレットをいじって悪口陰口は当たり前。標的 を盗撮しては、落書きした写真をループネットに上げて、共有者全員の笑い者にするなんて、よくある話さ。
ループネット。知ってるでしょ。登録した人が他人を招待すると、誰であっても環状に、グループの広がりが繋がっていくアプリ。チャット感覚で使えるから、便利は便利だけど、下手な書き込みをすると、誰かがちょっと外部の人間と繋がっただけで、学校中……いや、下手すると帝都中の中学に知れ渡る。それで、情報を漏らした側が「裏切り者」とか言われてまた虐められてさ。
バカみたいだよ、繋がりたいばっかりに。そんなもの、……そんなもの、向き合って何も知ろうとしない連中に、得られるはずもないのに。醜いよね。醜いよ。だから、僕はその輪から外れて、傍観者であり続けようと努めたんだ。天上よりすべてを見通す、裁きの神としてね。
僕には、すべてお見通しだったさ。端末を通して、百の目を持つアルゴスも同然なんだから。この場合、僕の家が貧乏で、最新型の端末を買えなかったのもカモフラージュになったな。みんな、持つだの持ってないだの馬鹿にして……電子系の知識なんか、僕にはこれっぽっちもないと思ってた。僕は、小さい頃から、端末を持ってないだけでバカにされるのが悔しかったから――今、真菜にフェイクで持たせてるのは、それの予防線なんだけどね――死にもの狂いで勉強したよ。学校でも家でも、パソコンは使える。家には一台しかなかったけどさ。色々、裏サイトの知識なんかも総動員して……気が付いたときには、誰よりも詳しくなってた。
禁断の果実に手を伸ばしたアダム……堕ちたその身の、贖罪と鉄槌として。僕は彼らに、罰を与えた。……そう、最後まで「大多数」という邪教に囚われ、僕や僕と似た境遇の子を虐げた、愚かな殉教者たちにね。
百の目を持った僕のしたことは、ただ一つさ。密かに裏で作り上げたネットワークを使い、ウイルスを流したんだ。もちろん、ウイルス対策ソフトには引っ掛かりもしないやつを。まぁ、奴らは哀れなぐらい愚かだからね。そこまで凝らなくても、何も考えずにスパイソフトだの何だの、ネットにつなぐだけでどんどんダウンロードするから、ほいほい引っ掛かったよ。悪魔の種子は、簡単に捲かれたというわけさ。
ただ、僕は相手の端末をクラッシュさせるだけじゃ、満足しなかった。データを破壊して二度と復元しない程度には叩きのめしたけど、それじゃダメージを与えるにも静かすぎる……狼のように、音無く背後から忍び寄るのもいいけど、もっと徹底的なまでに、相手が僕に屈服しないと、満足できなかった……。
そこからだよ。僕が「影の支配者」と呼ばれていたのは。恐怖から僕の側についた生徒を集めて、かたっぱしから端末を回収させて、壊して回ったんだ。弱い者いじめをしたって噂を聞いたときは、「ループ」の錯乱でグルの奴ら全員を陥れた挙句、目の前で端末を叩き割ったりもした。
自分の鞄を開けた時に、ハンマーで叩き割られた画面を見たあいつらは、どんな気分だっただろうね……? ま、今思えば、自分だってつまらない事をしていたと思うけど。僕だって、未熟だったんだ。
(それを聞いた黄乃は、身震いしつつ、今だってまだ中学生じゃないか……と内心で思った)
端末を叩き割って制裁を与えるのが、無意味だと感じるくらい……頭の切れる救世主が、僕の前に現れたんだから。
* * * * *
「……それって、もしかして……燕さん?」
ベッドに腰掛け、クッションを抱きながら話を聞いていた黄乃が、なんとなく予想をしながら振ってみると、紫蘇は大きく頷いて答えた。
「よくわかったね。そう、あの人は光を纏って降臨してきた……」
「こ、こうりん……」
目を白黒させる黄乃の横で、紫蘇は夢見る目つきになっていた。
「あの日、いつもみたいに、ロッカーを回って荷物の端末を漁っていた僕に、急にあの人が声を掛けてきたんだ。――『君、それじゃ甘すぎるよ。復讐は、もっと人目につかないところでひっそりと……クレバーに、むごたらしくやらないと、ね?』って」
ま、今じゃ時々いたずらが過ぎるけどね、と紫蘇は肩をすくめて笑った。
「これが何かわかる?」
「よくわからない……」
正直に答えた黄乃の前で、紫蘇は椅子に座り、キーボードに手を滑らせる。
「僕が作っているのは、何種類ものウイルス」
えっ、と一瞬方又黄乃に、紫蘇は言葉を続けた。その間も、カタカタとキーボードを叩く手はとまらず、画面にいくつもの黒い画面と、ちかちかする色の文字が躍る。
「えーっと……それは、犯罪?」
「黄乃だって、保護とかいう名目で犯罪者扱いされて追われてるんだから、一緒でしょ」
言われてしまえば身も蓋もなかったが、それにしても、と黄乃は驚いて、紫蘇の手元と画面を見比べる。
「僕が担っているのは、この組織の砦。僕らの要塞に、無駄な奴は何一つ寄せ付けない。僕にこの『手段』を与えてくれたのは、燕さん……それをどう生かすかは、僕にかかってる」
ぱちん、とエンターキーを鳴らすと、まるで折り畳まれるかのように、画面が次々と終了していく。絵本が閉じるようにして収束した画面の先に、宝の小箱のようなショートカットが一つ、現れた。
「魔法みたい……」
「魔法さ。開ければ知らずに伸びた触手が、同じ糸の上にあるすべてに絡みつき、情報を吸収する……まるで蜘蛛みたいに。そうだな、名前は……」
ショートカットをクリックして、紫蘇はアルファベットの名称を変更した。――『Spider mouce』。
「……何て読むの?」
「『蜘蛛の密偵』だよ。スパイダーっていうのは、蜘蛛の意味と『スパイ』を掛けていて、なおかつ……」
「前から思ってたんだけど、紫蘇君ってネーミングセンス独特だよね……」
「? そうかな」
いやに真面目くさった表情を消して、紫蘇はきょとんとなった。この顔の方が、年相応だなと、密かに黄乃は思う。こほんと咳払いして、紫蘇は言った。
「とにかく、これが僕の仕事。僕にも能力はあるにはあるけど、まだちょっと実践段階ではないというか……」
「へぇぇ……」
もごもごと言い訳をする紫蘇の視線の先を追うと、床に転がったいくつかのボールや、それを当てる的のような物が見つかった。
(……?)
それ以上深く突っ込むのをやめて、黄乃は紫蘇をうながす。
「こんなことまで教えてもらって、紫蘇君は何を……」
「そうだね。一言でいえば、復讐――かな」
暗い色の目を伏せて、紫蘇は自嘲気味に話し始めた。
* * * * *
僕の家は、特別保護区にあるんだ。
……聞いたことある? 公務員の人には縁遠いと思うけどね。ほどほどに田舎なんだ。ちょっと車で郊外に行けば、あっという間に山とか田んぼが広がってる。せいぜいが工場くらいさ。……何目をきらきらさせてるの? ほんと世間知らずなんだね、黄乃って……何もないけど、そんなに見たかったら、今度いくらでも連れて行ってあげるよ。
特別保護区なんて、単なる上っ面の名前で、実際は、中央区からあぶれた人間の追いやり所もいいところさ。迷える子羊の放牧場……って感じかな。え? わかんない? ……ここの住人はさ、帝都に住んでいる市民とはいえ、どこかしら蔑みの目で見られるんだよ。
僕の家は、母子家庭で……父さんがだいぶ前に家を出て行って、母さんが妹と僕を育ててくれた。だけど、母さんは体が弱いから……普通に働いてさえ、暮らしを補うのは大変なのに、寝込んで家を出られないこともある。僕の家は花部に近いけれど、その境界線上の外に住むか、内に住むかでは、大きな違いがあるんだ。とても、花部にある住宅の家賃には手が届かない。おかしいよね、たった一本道を隔てただけなのに。
ただ、僕の近所の中学は、言っちゃ何だけどレベルが低かった。僕みたいな異端の人間が供用を身に付けるみは、素養が低すぎて、芽生える能力も芽生えなくなってしま……え? 潮が、僕のこと居眠りしてたって……授業中に? が、学校が違うのに分かるわけないだろ! はったりだよ、やったり! ……と、とにかくレベルが低すぎるから、中学校からは花部に通っていたんだ。人間の中身はともかく、教育は人並みだからね。
……そう、中身が問題だったんだ。あんな、ゴミくず並みに心が腐った奴ら……。もともと、髪が長いだの色が変だので、いじめられることはあったよ、小学校からね。だけど、中学からは、なんとなくその質が変化していったのがわかった。何でだと思う? ……皆が端末を持っていたからさ。
あからさまなものじゃないだけに、タチが悪かったよ。給食中や授業中、黙りこくって下を向いてるフリしては、タブレットをいじって悪口陰口は当たり前。
ループネット。知ってるでしょ。登録した人が他人を招待すると、誰であっても環状に、グループの広がりが繋がっていくアプリ。チャット感覚で使えるから、便利は便利だけど、下手な書き込みをすると、誰かがちょっと外部の人間と繋がっただけで、学校中……いや、下手すると帝都中の中学に知れ渡る。それで、情報を漏らした側が「裏切り者」とか言われてまた虐められてさ。
バカみたいだよ、繋がりたいばっかりに。そんなもの、……そんなもの、向き合って何も知ろうとしない連中に、得られるはずもないのに。醜いよね。醜いよ。だから、僕はその輪から外れて、傍観者であり続けようと努めたんだ。天上よりすべてを見通す、裁きの神としてね。
僕には、すべてお見通しだったさ。端末を通して、百の目を持つアルゴスも同然なんだから。この場合、僕の家が貧乏で、最新型の端末を買えなかったのもカモフラージュになったな。みんな、持つだの持ってないだの馬鹿にして……電子系の知識なんか、僕にはこれっぽっちもないと思ってた。僕は、小さい頃から、端末を持ってないだけでバカにされるのが悔しかったから――今、真菜にフェイクで持たせてるのは、それの予防線なんだけどね――死にもの狂いで勉強したよ。学校でも家でも、パソコンは使える。家には一台しかなかったけどさ。色々、裏サイトの知識なんかも総動員して……気が付いたときには、誰よりも詳しくなってた。
禁断の果実に手を伸ばしたアダム……堕ちたその身の、贖罪と鉄槌として。僕は彼らに、罰を与えた。……そう、最後まで「大多数」という邪教に囚われ、僕や僕と似た境遇の子を虐げた、愚かな殉教者たちにね。
百の目を持った僕のしたことは、ただ一つさ。密かに裏で作り上げたネットワークを使い、ウイルスを流したんだ。もちろん、ウイルス対策ソフトには引っ掛かりもしないやつを。まぁ、奴らは哀れなぐらい愚かだからね。そこまで凝らなくても、何も考えずにスパイソフトだの何だの、ネットにつなぐだけでどんどんダウンロードするから、ほいほい引っ掛かったよ。悪魔の種子は、簡単に捲かれたというわけさ。
ただ、僕は相手の端末をクラッシュさせるだけじゃ、満足しなかった。データを破壊して二度と復元しない程度には叩きのめしたけど、それじゃダメージを与えるにも静かすぎる……狼のように、音無く背後から忍び寄るのもいいけど、もっと徹底的なまでに、相手が僕に屈服しないと、満足できなかった……。
そこからだよ。僕が「影の支配者」と呼ばれていたのは。恐怖から僕の側についた生徒を集めて、かたっぱしから端末を回収させて、壊して回ったんだ。弱い者いじめをしたって噂を聞いたときは、「ループ」の錯乱でグルの奴ら全員を陥れた挙句、目の前で端末を叩き割ったりもした。
自分の鞄を開けた時に、ハンマーで叩き割られた画面を見たあいつらは、どんな気分だっただろうね……? ま、今思えば、自分だってつまらない事をしていたと思うけど。僕だって、未熟だったんだ。
(それを聞いた黄乃は、身震いしつつ、今だってまだ中学生じゃないか……と内心で思った)
端末を叩き割って制裁を与えるのが、無意味だと感じるくらい……頭の切れる救世主が、僕の前に現れたんだから。
* * * * *
「……それって、もしかして……燕さん?」
ベッドに腰掛け、クッションを抱きながら話を聞いていた黄乃が、なんとなく予想をしながら振ってみると、紫蘇は大きく頷いて答えた。
「よくわかったね。そう、あの人は光を纏って降臨してきた……」
「こ、こうりん……」
目を白黒させる黄乃の横で、紫蘇は夢見る目つきになっていた。
「あの日、いつもみたいに、ロッカーを回って荷物の端末を漁っていた僕に、急にあの人が声を掛けてきたんだ。――『君、それじゃ甘すぎるよ。復讐は、もっと人目につかないところでひっそりと……クレバーに、むごたらしくやらないと、ね?』って」
ま、今じゃ時々いたずらが過ぎるけどね、と紫蘇は肩をすくめて笑った。