Case3.紫蘇の場合
「紫蘇君、買い……物?」
「……」
リビングで、おずおずと振り返った黄乃に、じっと視線を向けてから、紫蘇は黙々と冷蔵庫に買ってきたものを詰め出した。
黄乃が思わずびくついてしまうのも、紫蘇があまり相手にしないのも相変わらずだが、それでも以前とは違い、きっかけを見つけては、黄乃の方から話しかけるようになっていた。フードを被っている間の紫蘇は、いくらウサギ耳が面白おかしいとはいえ、纏う雰囲気は固く、なんとなく相手を警戒しているように見える。潮を信用して、ここまであっさり来てしまった黄乃とは、えらい違いだ。
(でも、僕と同い年なんだよね…?)
伏せがちな目から伸びる長い睫毛を、ソファから乗り出して、そっと盗み見ながら黄乃は思った。とても同い年とは思えない、大人びた落ち着いた雰囲気の紫蘇に、黄乃は興味を引かれていた。
「何?」
黄乃が我に返ると、視線に気付いた紫蘇が、振り返っていた。少し険のある瞳を、きゅっと細めている。
「あっ、ううんっ、いや、なんでも、その……」
「何こっちじろじろ見てんの。言いたいことがあるならはっきり言いなよ」
「え、ええと……」
苦し紛れに捻り出した黄乃の提案に、紫蘇は目を見開いた。
「……あきれた。ホットケーキも一人で焼いたことないんだ」
「だって、料理は全部親が作るか、レトルトの補給が自動で……」
「そこまでしてもらえるほど、うちは裕福じゃなかったよ」
目をぱちくりとさせて、黄乃はフライ返しを握ったまま紫蘇を見た。
「そんなに、贅沢かな……」
「そこ。ひっくり返さないと焦げる。もっと火弱めて」
「え? はわわっ」
ばたばた動き回る黄乃を、紫蘇はため息をついて見やる。
「まったく、先が思いやられるよ……。自分が料理当番のときに、焔兄にばっか迷惑かけてるんじゃないだろうね」
じろりと睨まれて、黄乃は一瞬身をすくませたが、すぐに弁解した。
「野菜炒めならできるようになったよ! ゆかり君たちが学校でいない時も、練習してるし」
「そんなの初歩中の初歩でしょ。これから毎日おかずが野菜炒めなんて、僕はごめんだからね」
割った卵の殻を片付けながら、容赦なく言う。しょげながら狐色のホットケーキを返す黄乃の横で、紫蘇は呟いた。
「これで、おやつ代は節約できるか……」
「……紫蘇君って、同い年とは思えないくらいしっかりしてるよねぇ」
尊敬のまなざしを向けて、思わず黄乃の素直な本音が漏れる。それを受けて初めて、紫蘇の顔に焦りの表情が浮かんだ。
「はぁ? 何言ってんの。こんなの普通だから。家族がいたらおやつぐらい……」
そこまで紫蘇が言いかけたときだった。
「おにいちゃん!」
ぱたぱたと小さな足音がして、ドアが開く。そこにいたのは、無機質な地下のアジトには不似合いな、幼い女の子。地味な色のオーバーオールから、細身の手足がのびている。
「ま、真菜っ?! な、なんでここに……」
そして、幼い女の子は、紫蘇に駆け寄るなり、隣にいた黄乃をきょとんと見上げ、首を傾げて言ったのだった。
「このおねえちゃん、だれ?」
「うぅ、まさかこんな小さい子に、間違われるなんて……」
「小さい子だから間違われるんだよ。真菜はまだ保育園児だし、わざと間違えてるわけじゃない」
椅子に座ってどよんとしている黄乃に、気まずそうに言って、紫蘇は膝の上の少女に、ホットケーキを食べさせている。
「……おいしい?」
「うん! おいしい!」
満面の笑みで、ホットケーキの屑を口の周りに付けた少女。少しくせの入った髪は、光を反射すると紫に見える。紫蘇は優しげな表情で言った。
「いい子だから、それを食べたら帰るんだよ」
「えー? や! おにーちゃんとあそぶ!」
「真菜、ここは来ちゃだめって言っただろう? ちゃんと母さんのところでいい子にしていないと。外は危ないから……」
ぐずっていた少女は、しかし聞き分けのいい子らしく、夕方には帰るという紫蘇の約束に納得して、ドアから出て行った。ホットケーキをくれた黄乃に、手を振りながら。黄乃の隣に並んだ紫蘇が、ぽつりと呟く。
「……時々、ここに来るんだ」
「妹?」
黄乃が後姿を見送って尋ねると、紫蘇は表情を変えずに頷いた。
「おねーちゃん、これみて!」
何度か会っても、未だに黄乃を女と勘違いする紫蘇の妹だったが、ある日、黄乃に向かって、小さな手に握った端末を掲げてみせた。子供の手に乗るほど小さいが、タブレット型をしたそれは、綺麗な飾りがついている。
「どうしたの、これ?」
「まなのたからもの! ゆかりおにいちゃんがくれたの!」
(宝物……)
少し安物の、プラスチックでコーティングされたような、玩具。しげしげと、そのデザインを見ていた黄乃は、尋ねてみた。
「おにいちゃんが作ったの?」
「うん! そう! まなのために!」
そう言って、紫蘇の妹はにこにこっと笑顔になる。
「ここをね、こーやってね、おはなを、ともだちと、とりかえっこするんだよ!」
小さな指先が器用に操作してみせる画面を黄乃がのぞくと、花や動物の絵柄のカードが、内部に保存されているようだった。
「これで、友達と遊ぶんだ?」
「そう。でも、まなはね、おにいちゃんにもらうまで、ともだち、ひとりもできなかったの」
はっとして、黄乃は真菜の表情を見つめる。
「みーんな、これであそぶのよ。たけうまをしても、かけっこをしても、これがなかったら、『なかま』じゃないの。まな、ずーっと、ひとりでないてたの」
一生懸命喋る園児の言葉に、黄乃はじっと耳を傾け、黙って聞くことしかできなかった。
「……真菜と、随分仲がいいみたいだね」
すぅっと研究ルームの扉が開き、偶然中から出てきた紫蘇が、黄乃を見て行った。黄乃が真菜を見送った帰りのことだ。
その横に並び、殺風景な廊下を歩きながら、黄乃は尋ねた。
「紫蘇君は、どうして、この組織に……?」
やれやれ、といったように、紫蘇が首を振る。
「真菜に何を聞いたか知らないけれど、僕がそんな簡単に、手の内をさらすような人間に見える? 僕が試みているのは、危険な実験なんだよ。真菜はもちろん、他の人間を巻き込むわけにはいかない。――それが、見ず知らずの君であったとしても」
いつもと変わらぬ表情で、紫蘇は黄乃を見た。だが、その目の色が、いつもとは違う輝きで満ちている。
「君が僕と、義兄弟の契りを交わしたいというのなら、名前を呼んでみなよ」
(……ぎきょうだい?)
即座に脳内変換できなかった黄乃だが、
「……えーと、ゆかり、くん?」
すぐに名前を呼んだ。これをきっかけに、紫蘇と仲良くなれそうな気がしていたし、何より、紫蘇から珍しく、楽しそうな雰囲気を察したのだ。
うん、と深くうなずいた紫蘇が、口を開く。
「黄乃。僕も君を、そう呼ぶことにするよ」
黄乃よりほんの少し身長の低い紫蘇は、見上げる形で、夢中になって黄乃に語りかけた。
「ねぇ、黄乃。僕の黒歴史を受け止める覚悟がある? 禁じられたパンドラの匣を開ける勇気が」
そして、立ち止まって、黄乃に告げる。
「もし見たいというのなら、僕の部屋においでよ」
「……」
リビングで、おずおずと振り返った黄乃に、じっと視線を向けてから、紫蘇は黙々と冷蔵庫に買ってきたものを詰め出した。
黄乃が思わずびくついてしまうのも、紫蘇があまり相手にしないのも相変わらずだが、それでも以前とは違い、きっかけを見つけては、黄乃の方から話しかけるようになっていた。フードを被っている間の紫蘇は、いくらウサギ耳が面白おかしいとはいえ、纏う雰囲気は固く、なんとなく相手を警戒しているように見える。潮を信用して、ここまであっさり来てしまった黄乃とは、えらい違いだ。
(でも、僕と同い年なんだよね…?)
伏せがちな目から伸びる長い睫毛を、ソファから乗り出して、そっと盗み見ながら黄乃は思った。とても同い年とは思えない、大人びた落ち着いた雰囲気の紫蘇に、黄乃は興味を引かれていた。
「何?」
黄乃が我に返ると、視線に気付いた紫蘇が、振り返っていた。少し険のある瞳を、きゅっと細めている。
「あっ、ううんっ、いや、なんでも、その……」
「何こっちじろじろ見てんの。言いたいことがあるならはっきり言いなよ」
「え、ええと……」
苦し紛れに捻り出した黄乃の提案に、紫蘇は目を見開いた。
「……あきれた。ホットケーキも一人で焼いたことないんだ」
「だって、料理は全部親が作るか、レトルトの補給が自動で……」
「そこまでしてもらえるほど、うちは裕福じゃなかったよ」
目をぱちくりとさせて、黄乃はフライ返しを握ったまま紫蘇を見た。
「そんなに、贅沢かな……」
「そこ。ひっくり返さないと焦げる。もっと火弱めて」
「え? はわわっ」
ばたばた動き回る黄乃を、紫蘇はため息をついて見やる。
「まったく、先が思いやられるよ……。自分が料理当番のときに、焔兄にばっか迷惑かけてるんじゃないだろうね」
じろりと睨まれて、黄乃は一瞬身をすくませたが、すぐに弁解した。
「野菜炒めならできるようになったよ! ゆかり君たちが学校でいない時も、練習してるし」
「そんなの初歩中の初歩でしょ。これから毎日おかずが野菜炒めなんて、僕はごめんだからね」
割った卵の殻を片付けながら、容赦なく言う。しょげながら狐色のホットケーキを返す黄乃の横で、紫蘇は呟いた。
「これで、おやつ代は節約できるか……」
「……紫蘇君って、同い年とは思えないくらいしっかりしてるよねぇ」
尊敬のまなざしを向けて、思わず黄乃の素直な本音が漏れる。それを受けて初めて、紫蘇の顔に焦りの表情が浮かんだ。
「はぁ? 何言ってんの。こんなの普通だから。家族がいたらおやつぐらい……」
そこまで紫蘇が言いかけたときだった。
「おにいちゃん!」
ぱたぱたと小さな足音がして、ドアが開く。そこにいたのは、無機質な地下のアジトには不似合いな、幼い女の子。地味な色のオーバーオールから、細身の手足がのびている。
「ま、真菜っ?! な、なんでここに……」
そして、幼い女の子は、紫蘇に駆け寄るなり、隣にいた黄乃をきょとんと見上げ、首を傾げて言ったのだった。
「このおねえちゃん、だれ?」
「うぅ、まさかこんな小さい子に、間違われるなんて……」
「小さい子だから間違われるんだよ。真菜はまだ保育園児だし、わざと間違えてるわけじゃない」
椅子に座ってどよんとしている黄乃に、気まずそうに言って、紫蘇は膝の上の少女に、ホットケーキを食べさせている。
「……おいしい?」
「うん! おいしい!」
満面の笑みで、ホットケーキの屑を口の周りに付けた少女。少しくせの入った髪は、光を反射すると紫に見える。紫蘇は優しげな表情で言った。
「いい子だから、それを食べたら帰るんだよ」
「えー? や! おにーちゃんとあそぶ!」
「真菜、ここは来ちゃだめって言っただろう? ちゃんと母さんのところでいい子にしていないと。外は危ないから……」
ぐずっていた少女は、しかし聞き分けのいい子らしく、夕方には帰るという紫蘇の約束に納得して、ドアから出て行った。ホットケーキをくれた黄乃に、手を振りながら。黄乃の隣に並んだ紫蘇が、ぽつりと呟く。
「……時々、ここに来るんだ」
「妹?」
黄乃が後姿を見送って尋ねると、紫蘇は表情を変えずに頷いた。
「おねーちゃん、これみて!」
何度か会っても、未だに黄乃を女と勘違いする紫蘇の妹だったが、ある日、黄乃に向かって、小さな手に握った端末を掲げてみせた。子供の手に乗るほど小さいが、タブレット型をしたそれは、綺麗な飾りがついている。
「どうしたの、これ?」
「まなのたからもの! ゆかりおにいちゃんがくれたの!」
(宝物……)
少し安物の、プラスチックでコーティングされたような、玩具。しげしげと、そのデザインを見ていた黄乃は、尋ねてみた。
「おにいちゃんが作ったの?」
「うん! そう! まなのために!」
そう言って、紫蘇の妹はにこにこっと笑顔になる。
「ここをね、こーやってね、おはなを、ともだちと、とりかえっこするんだよ!」
小さな指先が器用に操作してみせる画面を黄乃がのぞくと、花や動物の絵柄のカードが、内部に保存されているようだった。
「これで、友達と遊ぶんだ?」
「そう。でも、まなはね、おにいちゃんにもらうまで、ともだち、ひとりもできなかったの」
はっとして、黄乃は真菜の表情を見つめる。
「みーんな、これであそぶのよ。たけうまをしても、かけっこをしても、これがなかったら、『なかま』じゃないの。まな、ずーっと、ひとりでないてたの」
一生懸命喋る園児の言葉に、黄乃はじっと耳を傾け、黙って聞くことしかできなかった。
「……真菜と、随分仲がいいみたいだね」
すぅっと研究ルームの扉が開き、偶然中から出てきた紫蘇が、黄乃を見て行った。黄乃が真菜を見送った帰りのことだ。
その横に並び、殺風景な廊下を歩きながら、黄乃は尋ねた。
「紫蘇君は、どうして、この組織に……?」
やれやれ、といったように、紫蘇が首を振る。
「真菜に何を聞いたか知らないけれど、僕がそんな簡単に、手の内をさらすような人間に見える? 僕が試みているのは、危険な実験なんだよ。真菜はもちろん、他の人間を巻き込むわけにはいかない。――それが、見ず知らずの君であったとしても」
いつもと変わらぬ表情で、紫蘇は黄乃を見た。だが、その目の色が、いつもとは違う輝きで満ちている。
「君が僕と、義兄弟の契りを交わしたいというのなら、名前を呼んでみなよ」
(……ぎきょうだい?)
即座に脳内変換できなかった黄乃だが、
「……えーと、ゆかり、くん?」
すぐに名前を呼んだ。これをきっかけに、紫蘇と仲良くなれそうな気がしていたし、何より、紫蘇から珍しく、楽しそうな雰囲気を察したのだ。
うん、と深くうなずいた紫蘇が、口を開く。
「黄乃。僕も君を、そう呼ぶことにするよ」
黄乃よりほんの少し身長の低い紫蘇は、見上げる形で、夢中になって黄乃に語りかけた。
「ねぇ、黄乃。僕の黒歴史を受け止める覚悟がある? 禁じられたパンドラの匣を開ける勇気が」
そして、立ち止まって、黄乃に告げる。
「もし見たいというのなら、僕の部屋においでよ」