推しがオレを呼んでいる


非常灯に照らされた薄暗い館内を俺は足音を忍ばせて歩いている。

トイレの個室で息を潜め、何度も脳内シミュレーションを繰り返しつつ、この時間になるのを待っていた。

桜木花道を救う方法ーーー

以前聞いた話では、桜木さんはルーズボールを追って大ジャンプ。その後、来賓だか解説者だかが並んで座っていた長テーブルの上に落ちて背中を負傷したという事だった。

ならば、今夜のうちに元凶となる物を処分すれば事故は起きないはずだ、と俺は考えた。

選手たちが使っていた通路から用心深く会場に侵入する。人の気配は無い。片隅に配置されたままの長テーブルにゆっくりと近付いた。

要は桜木さんがコイツの上に落ちなけりゃいい。たったそれだけで歴史が大きく変わるんだ。

俺は口角を上げて白い布が掛けられた元凶を軽く叩いた。

「これで全国制覇だ」

ポロリと出た言葉に鳥肌が立つ。歴史改変という大仕事に完全に酔っていた。

その時だ。

「おいテメェ
そこで何してる」

低い声が館内に反響する。

俺は口から内臓が飛び出るほど驚いた。

非常灯を背に巨大な影がゆっくりとこちらに向かって来る。

近付く足音に冷や汗が吹き出し、その場から一歩も動けない。

万事休す。

やがてその顔が暗がりに薄ぼんやりと浮かんだ時、俺はこれまでで一番の衝撃を受ける事になった。

「さ……桜木さん??」

「あ"??」

凄まれて怯む。

そ、そうだよ!
こんなところに桜木さんが居る訳無いじゃないか!
それに似てるけどよく見るとこの人……

「の、……お兄さん?…ですか?」

昼の試合で見た本人との違和感が強く、慌てて付け足した。

「・・・はぁ??
テメェなにを………はっ!!
そ、そうだっ!
オレがあの天才桜木花道の……
お、お兄さんだ!
ナハハハハ、バレちゃあ仕方ねぇなぁ
そーかそーかぁ」

激しく動揺している。明らかに何か訳ありなのは間違いないが、あえて乗っかってみた。

「そぉ〜ですよねぇ、ははは
今頃、桜木さんは宿泊所ですもんねぇ」

「ナハハハハハ そうなんだ
分かってるじゃねぇか」

互いの視線はガチのまま、上擦った笑い声が虚しく響く。

ややあって、自称桜木さんのお兄さんは一つ咳払いをした。

「それで?
キミはここで、こんな時間に、
いったい何をしているのかね?」

言葉は丁寧になったが目が恐い。

だが正直に話しても到底信じてもらえないだろう。

返答に窮して黙っていると、ジリジリと間合いを詰めて来る。それが物凄く恐い。迫力が尋常じゃない。俺は覚悟を決めた。

「あ、あの……じ、実は」

「なんだね?」

「俺……、そ、その……、
お、弟さんを、、、
花道さんを助けようと思って…」

「助ける?キミが?
キミごとき庶民が??
この天才桜木花道を、あ、いや…
弟を??
ほほぅ、面白い事を言う」

「し、信じてもらえないでしょうけど
明日、弟さんがここで試合中に大怪我をするんです」

「ぬっ!?」

「そうなってるんです未来では…」

「ミライ……」

「ほ、本当なんですっ!
俺、未来から来たんです
だから知ってる!
山王戦は勝ったけど、桜木さんが怪我で離脱して3回戦はボロ負けした……」

「・・・・・」

「でももし怪我が無かったら絶対に次もその次の試合もその次も湘北は勝った!桜木さんさえ居れば湘北は勝ち続けられた!!
全国制覇出来たんだ!!
俺はそう信じてる!ずっとずっと子供の頃からそう信じてた!」

長年自分を苦しめ続けて来た仕様も無い仮説を一気に吐き出すと、桜木さんのお兄さんは何故か嬉しそうに何度も頷いている。信じてくれたのだろうか?

「ショーネン……お前
イレギュラーなのか?」

「いえ、7年後の湘北バスケ部員ですけど、レギュラーじゃありません」

「や、そーじゃなくてだな」

「なんだか良く分かりませんけど
とにかく俺は!今ここで歴史を変えるって決めたんだっっ!!」

興奮した俺は力任せに長テーブルを持ち上げる。火事場の馬鹿力ってヤツだ。

「えぃぃぃーーっっ!!
こんなもんっっ!!!」

そのまま叩き落とせば任務完了、大願成就だ。だが俺の振り上げた腕はビクともしない。それもそのはず、見れば長テーブルは桜木さんのお兄さんにガッチリと掴まれていた。

「離して下さいっ!!」

「ダメだ…
落ち着け、ショーネン」

「何でですかっっ!!
明日、この上に弟さんが落ちて
大怪我をするんですよ?」

「分かっている」

「なら、どうして!!」

「いいんだ、それで」

「何でだよっ!!
いーわけねぇだろっ!!
離せよっっ!!
桜木さんに怪我させるわけには
いかねぇんだよ!!!
これさえブチ壊せば・・・
うわぁぁぁぁぁーーーっっっ

食い下がる俺を、桜木さんのお兄さんは長テーブルから引き剥がし、ブンっとコートの中に投げ飛ばした。

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