湘北☆cop
《case file 12》
早朝から灰色の雲が空を覆い、時折り吹く生温い風は早々に雨の匂いを運んで来る。凪いだ海はどこまでも暗く、これから訪れる嵐を静かに暗示していた。
「そーいや……今日だったな」
片瀬湘北署捜査一課の刑事、三井寿はそう呟くと、ふらりと部屋を出て行った。
丁度それと入れ替わりに入って来た桜木花道は「ちゅうす!」と挨拶したあと怪訝な顔で彩子に訊ねる。
「ミッチー、どうかしたんですか?」
「え?何が??」
たった今、すれ違い様に挨拶をしたが全く反応が無かったと言う。
「さぁ?
特に気づかなかったけど?」
「そーですか…」
桜木が首を傾げていると直ぐに宮城が会話に割り込んで来た。
「最近お前らばっかチヤホヤされてっから、面白く無ぇんだろ?きっと」
彩子が誰かと喋っていると気になって仕方ない宮城だ。
「あら、リョータだって面白く無いくせに〜」
「や、やだなぁアヤちゃん
オレはそんなに器、小さかねぇよ」
「どーだか?」
そのやり取りを笑って聞きながら桜木は違和感を拭え切れない。
そもそも三井は自分に気付いてすらいなかったのではないか?
一点を見つめ、まるで外部からの刺激を全て遮断しているかように見えた。
結局、そのあと昼を過ぎても三井は戻って来なかった。
各自の出先を記入するホワイトボードに彩子がそっと視線を移すが三井の欄は白いまま。宮城も気になる様子でチラチラとドアを見ている。舟を漕ぐ流川の隣で桜木がスッと立ち上がった。
「おい、グレさん!」
「えっっ?!
グレさん……て、俺の事かい?」
赤木の出張で主任を代行する木暮が素っ頓狂な声を上げる。
「そうだグレさん!
ミッチーは何処に行ったんだ?」
唐突な質問で躙り寄って来る桜木に木暮は血相を変えた。
「お、落ち着けよ桜木」
「グレさんは知っているはずだ!」
「な、何のことだよ」
「とぼけても無駄だぞ?
この天才桜木刑事の勘に狂いは無いのだよ、ナーッハッハッハ」
謎の自信に満ち溢れる桜木に、宮城もたちまち感化される。
「ホントですか?木暮サン
知ってんなら教えて下さいよ
三井サンの居場所」
「な、なんだよ、お前まで…」
「木暮さん!
みんな三井さんが心配なんですっ!」
彩子のダメ押しで遂に観念した木暮は額に手を添えてボソリと白状した。
「三井は
横須賀刑務所に行ったんだ……」
その言葉に3人は息を飲む。
「え・・・・・?
ウ…、ウソじゃなくて?
本当に?グレさん」
「………………」
「木暮サン…
本当なのか…………?」
「まだ本庁勤務だった頃、アイツは昔の親友を刑務所送りにしたんだよ……」
『うそ…!!!』
「確か今日は、その親友が出所する日だったと思う…」
気まずい沈黙の中、流川の目蓋がゆっくりと開いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
京急久里浜駅の改札を出た三井の頬にポツリと雨粒が当たった。
「やっぱりな、お前は昔っから雨男だったもんな?……鉄男」
三井は自虐的に口角を上げる。
ここから目的地まで徒歩でおよそ30分。タクシーを使えば10分も掛からない距離だが、三井は歩きたい気分だった。
駅前の売店でビニール傘と缶コーヒーを2つ買う。店を出てから傘も二本買った方が良かったかなと気付いたが、結局そのまま歩き出す。
オレが濡れて帰ればいい……
そう思った。
三井が鉄男と連むようになったのは小5の頃だ。全く真逆の家庭環境の二人だったが妙に気が合い、中学を卒業するまでの約5年間、何をするにも一緒の彼らは自他共に認める親友同士という間柄だった。
当然、高校になっても同じ日々が続くと信じていた三井だが、生まれて初めて自分にはどうする事も出来ない過酷な現実にぶち当たる。鉄男が家庭の事情で高校進学を諦めたのだ。
彼を責めても何の解決にもならないと分かっていながら、子供だった三井は卒業式の後、怒りと落胆の全てを鉄男にぶちまけた。けれど彼は言い訳一つする事も無く、最後まで三井をジッと見つめていたという。
それ以後、二人は完全に別々の道を歩き始めた。
時を経て再会した時には三井は本庁勤務のエリート刑事、鉄男はいわゆる反社会的集団と言われている組織に片足を突っ込むような暮らしをしていた。
当時の三井は過去の自責の念から、何とかして鉄男を真っ当な道に引き戻そうと、上司の忠告にも耳を貸さずに職務違反ギリギリで奔走したが、最終的に自分が鉄男に手錠を掛けるという皮肉な結末を迎える。
鉄男の人生を狂わせたのは間違い無くこのオレだ…
三井は中学の卒業式から今日までずっとそう思って生きている。
ビニール傘に当たる雨粒がハッキリと聴こえるようになると、漸く目的の建物が見えて来た。
途端に三井の心拍数が上がる。
おい、何て声掛けるつもりだ?
そもそもオレなんかが待ってていいのかよ……
一番会いたく無ぇヤツなんじゃねーか?
傘の柄を握る手が汗で滑る。持ち換えてはズボンの尻で手のひらを擦った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「鉄男…!」
三井の呼び掛けに鉄男はひどく緩慢に振り返った。
「……おかえり」
だが鉄男はそれには答えず、数年ぶりの煙草を唇に挟む。
「あ、あぁ…お前が出るの今日だって聞いてたからよ、い、一応」
動揺を隠し切れない三井を一瞥して、鉄男をライターに火を灯す。
「なんだ、そのシケた面は
まだポリ公、やってんだろ?」
「……………!!」
「ま……
その方が似合ってるよ
おめーには」
そう言って笑うと、心底美味そうに煙を吸い込んだ。
「鉄男…」
「おおっと
ずいぶんと降ってやがるな」
「あ、コレ…、使えよ」
三井が1本しか無い傘を差し出すと鉄男は僅かに鼻白む。
「知ってんだろ?
オレが雨男だって
傘ってのがキライでよ」
「…………」
「じゃな、ポリスマン」
水溜りに吸い殻を投げ捨てると鉄男はフラリフラリと雨の中を歩き出した。
三井にはその背中が二度と振り返る事は無いと分かっている。例え今後どこかで鉄男と会う事があっても、もう互いに無関係の他人同士だという事……
一緒に過ごした5年間がスライドショーの様に鮮やかに脳裏に蘇った。
「じゃあな……鉄男」
三井はビニール傘を広げると来た道を引き返して行く。
「オレは雨男じゃねーからなー」
その心は思いの外、軽くなっていた。
.
早朝から灰色の雲が空を覆い、時折り吹く生温い風は早々に雨の匂いを運んで来る。凪いだ海はどこまでも暗く、これから訪れる嵐を静かに暗示していた。
「そーいや……今日だったな」
片瀬湘北署捜査一課の刑事、三井寿はそう呟くと、ふらりと部屋を出て行った。
丁度それと入れ替わりに入って来た桜木花道は「ちゅうす!」と挨拶したあと怪訝な顔で彩子に訊ねる。
「ミッチー、どうかしたんですか?」
「え?何が??」
たった今、すれ違い様に挨拶をしたが全く反応が無かったと言う。
「さぁ?
特に気づかなかったけど?」
「そーですか…」
桜木が首を傾げていると直ぐに宮城が会話に割り込んで来た。
「最近お前らばっかチヤホヤされてっから、面白く無ぇんだろ?きっと」
彩子が誰かと喋っていると気になって仕方ない宮城だ。
「あら、リョータだって面白く無いくせに〜」
「や、やだなぁアヤちゃん
オレはそんなに器、小さかねぇよ」
「どーだか?」
そのやり取りを笑って聞きながら桜木は違和感を拭え切れない。
そもそも三井は自分に気付いてすらいなかったのではないか?
一点を見つめ、まるで外部からの刺激を全て遮断しているかように見えた。
結局、そのあと昼を過ぎても三井は戻って来なかった。
各自の出先を記入するホワイトボードに彩子がそっと視線を移すが三井の欄は白いまま。宮城も気になる様子でチラチラとドアを見ている。舟を漕ぐ流川の隣で桜木がスッと立ち上がった。
「おい、グレさん!」
「えっっ?!
グレさん……て、俺の事かい?」
赤木の出張で主任を代行する木暮が素っ頓狂な声を上げる。
「そうだグレさん!
ミッチーは何処に行ったんだ?」
唐突な質問で躙り寄って来る桜木に木暮は血相を変えた。
「お、落ち着けよ桜木」
「グレさんは知っているはずだ!」
「な、何のことだよ」
「とぼけても無駄だぞ?
この天才桜木刑事の勘に狂いは無いのだよ、ナーッハッハッハ」
謎の自信に満ち溢れる桜木に、宮城もたちまち感化される。
「ホントですか?木暮サン
知ってんなら教えて下さいよ
三井サンの居場所」
「な、なんだよ、お前まで…」
「木暮さん!
みんな三井さんが心配なんですっ!」
彩子のダメ押しで遂に観念した木暮は額に手を添えてボソリと白状した。
「三井は
横須賀刑務所に行ったんだ……」
その言葉に3人は息を飲む。
「え・・・・・?
ウ…、ウソじゃなくて?
本当に?グレさん」
「………………」
「木暮サン…
本当なのか…………?」
「まだ本庁勤務だった頃、アイツは昔の親友を刑務所送りにしたんだよ……」
『うそ…!!!』
「確か今日は、その親友が出所する日だったと思う…」
気まずい沈黙の中、流川の目蓋がゆっくりと開いた。
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京急久里浜駅の改札を出た三井の頬にポツリと雨粒が当たった。
「やっぱりな、お前は昔っから雨男だったもんな?……鉄男」
三井は自虐的に口角を上げる。
ここから目的地まで徒歩でおよそ30分。タクシーを使えば10分も掛からない距離だが、三井は歩きたい気分だった。
駅前の売店でビニール傘と缶コーヒーを2つ買う。店を出てから傘も二本買った方が良かったかなと気付いたが、結局そのまま歩き出す。
オレが濡れて帰ればいい……
そう思った。
三井が鉄男と連むようになったのは小5の頃だ。全く真逆の家庭環境の二人だったが妙に気が合い、中学を卒業するまでの約5年間、何をするにも一緒の彼らは自他共に認める親友同士という間柄だった。
当然、高校になっても同じ日々が続くと信じていた三井だが、生まれて初めて自分にはどうする事も出来ない過酷な現実にぶち当たる。鉄男が家庭の事情で高校進学を諦めたのだ。
彼を責めても何の解決にもならないと分かっていながら、子供だった三井は卒業式の後、怒りと落胆の全てを鉄男にぶちまけた。けれど彼は言い訳一つする事も無く、最後まで三井をジッと見つめていたという。
それ以後、二人は完全に別々の道を歩き始めた。
時を経て再会した時には三井は本庁勤務のエリート刑事、鉄男はいわゆる反社会的集団と言われている組織に片足を突っ込むような暮らしをしていた。
当時の三井は過去の自責の念から、何とかして鉄男を真っ当な道に引き戻そうと、上司の忠告にも耳を貸さずに職務違反ギリギリで奔走したが、最終的に自分が鉄男に手錠を掛けるという皮肉な結末を迎える。
鉄男の人生を狂わせたのは間違い無くこのオレだ…
三井は中学の卒業式から今日までずっとそう思って生きている。
ビニール傘に当たる雨粒がハッキリと聴こえるようになると、漸く目的の建物が見えて来た。
途端に三井の心拍数が上がる。
おい、何て声掛けるつもりだ?
そもそもオレなんかが待ってていいのかよ……
一番会いたく無ぇヤツなんじゃねーか?
傘の柄を握る手が汗で滑る。持ち換えてはズボンの尻で手のひらを擦った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「鉄男…!」
三井の呼び掛けに鉄男はひどく緩慢に振り返った。
「……おかえり」
だが鉄男はそれには答えず、数年ぶりの煙草を唇に挟む。
「あ、あぁ…お前が出るの今日だって聞いてたからよ、い、一応」
動揺を隠し切れない三井を一瞥して、鉄男をライターに火を灯す。
「なんだ、そのシケた面は
まだポリ公、やってんだろ?」
「……………!!」
「ま……
その方が似合ってるよ
おめーには」
そう言って笑うと、心底美味そうに煙を吸い込んだ。
「鉄男…」
「おおっと
ずいぶんと降ってやがるな」
「あ、コレ…、使えよ」
三井が1本しか無い傘を差し出すと鉄男は僅かに鼻白む。
「知ってんだろ?
オレが雨男だって
傘ってのがキライでよ」
「…………」
「じゃな、ポリスマン」
水溜りに吸い殻を投げ捨てると鉄男はフラリフラリと雨の中を歩き出した。
三井にはその背中が二度と振り返る事は無いと分かっている。例え今後どこかで鉄男と会う事があっても、もう互いに無関係の他人同士だという事……
一緒に過ごした5年間がスライドショーの様に鮮やかに脳裏に蘇った。
「じゃあな……鉄男」
三井はビニール傘を広げると来た道を引き返して行く。
「オレは雨男じゃねーからなー」
その心は思いの外、軽くなっていた。
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