あれから17年後
次のピークを迎える前に魚住の妻が貸切を知らせる札を表に下げに出た。
割烹『うおずみ』は相変わらずあちこちで
陽気な笑い声が上がっている。
座敷から溢れ出た輩がテーブル席を陣取り始めたので
グラスを持ちカウンター席に逃げる事にした。
「飲むか?」
調理場に立つ魚住が空っぽのグラスを指差す。
「あ、…えぇ」
そう言って頷くとすぐにカウンター越しに透明の液体が注がれた。
「強いな、酒
何杯目だ?」
「…さぁ」
「そこまで強い奴はお前の他にあと1人しか知らん」
「ん?」
「仙道だよ、仙道」
魚住が予期せぬ名前を口にした。
陵南高校 仙道 彰
高1の春、1つ年上のあの男に出会わなければ
ひょっとして今の自分はなかったかもしれない。
練習試合ではあったが、初めて味わった完全な敗北。
思えばあの敗北が終り無き強さの深みへ突き進むきっかけとなった気がする。
今、どこでどうしているのか…
最後に彼と言葉を交わしたのは自分の渡米が決まった直後だった。
「なんでアンタはアメリカで勝負しねえ」
そう問い質すと
眉頭を少し上げ、ちょっと人を小馬鹿にした顔で
「バスケの上手い奴が全員同じ高みを目指してるわけじゃあねーさ
俺は俺の高みを目指す
それだけだ」
と言った。
そんなもん、腰抜けの言い訳じゃねーか
……どあほう
あの時はそう思い、
酷く失望した記憶がある。
渡米後暫くして、仙道が実業団で活躍していると風の噂で聞いたが
もう彼に興味はなかった。
自らが仙道彰に捺した落伍者の印は今も自分の中に残っている。
「ここ、よく来るんですか…仙道」
別に関係ない事だとは思いながら
やはり気になった。
魚住はその質問には答えず「ちょっと待ってろ」と言い残し奥の自宅に姿を消す。
連絡先でも教えるつもりなのか…
だが、せっかく知らされてもこちらから連絡を取る気は毛頭ない。
ややあって調理場に戻った魚住の手には一枚の葉書があった。
「アイツ、意外に筆まめでな
毎年、年賀状をくれる
それは今年のだ」
渡された葉書の住所を見て思わず顔を上げると魚住はゆっくりと頷く。
「実業団で活躍してた絶頂期だった
急に引退表明してそこに行っちまった」
「…………」
「南にある小さな離島だ
8年前からそこで小学校の教師をしてる
休み時間に子供達にバスケを教えて、休日は釣り三昧だと…」
「小学校の教師……」
その後の言葉が続かない。
「全くな…勿体ない話だ
仙道ならバスケで悠々食って行けるのになぁ」
「…………」
「アイツは誰よりも練習が嫌いでサボってばかりいたくせに
いざ試合になると誰よりも上手くて頼りになる奴だった
あーゆぅのを天才って言うんだろうな
……所詮、凡人には天才の考えなど解りはしないって事だな」
魚住は遠い目をしてため息をつく。
葉書の写真は校庭で写したものなのか
平屋建ての校舎の前で子供達に囲まれた仙道が心から楽しそうに笑っていた。
余白には、自分がバスケを教えた子供達が本土の高校で選手として頑張っていると書かれている。
これがおめーの目指した高みなのか…
ちくしょー
イイ顔してやがる…
『10年、いや20年後
俺の目指した高みは
決しておめーに負けてねぇ
これだけは今、言っとくよ』
あの時は負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった仙道の言葉が突如、光を放つ。
この歳になって初めてわかる事がある。
幸せの、その尺度は人それぞれ違うという事。
そしてその幸せは人から与えられるものではなく
自分自身で探し、掴み取るものだという事。
写真の仙道はそれを教えてくれる。
いつの日か、この離島にかつてのライバルを訪ね
朝まで飲み競べてみたいとオレは強く思った。
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