あれから17年後
厨房で魚住がふと時計に目をやると時刻は10時近い。
店内は酔っぱらいの大男達が奥座敷から溢れ出し
大部分が占拠されつつあった。
戸口が開き、入ろうとした常連客が2人
驚いて立ちすくむ。
「…大将
どうしちゃったの、コレ」
「異様に盛り上がっちゃってるね…」
「すいません…
私の昔なじみの集まりでして」
魚住は頭を下げた。
「仕方ない、改めるか」
「そうだな」
苦笑して引き返す客に魚住の妻が詫びる。
やはり貸し切りの札を外に出そうと魚住は思った。
彩子と入れ違うように
グラスを持った木暮がテーブル席に移動して来た。
だが、戸口をチラチラ見てばかりで落ち着きがない。
「木暮さん…
どうかしたのか」
気になって声を掛けてみた。
「あ、いや…
ちょっと、余計な事したかなと思って…」
「ん?」
「呼んじゃったんだよ、藤真を…」
木暮の視線は座敷にいる南に注がれていた。
藤真は彼がエースキラーと呼ばれる切っ掛けを作った男だと聞いている。
「参ったな
まさかアイツが来るなんて思わなかったから…」
ふぅ~ん…
木暮がかつての翔陽バスケ部主将、藤真健司と親しくしていたとは知らなかった。
「付き合いあるんすか?藤真さんと…」
「ああ、…大学が同じだったんだよ
学部は違ってたけどな
今も時々、一緒に飲んだりしてるんだ」
「…へぇ」
「昼間、お前と会うってメールしたら
自分も是非会いたいって言ってな」
「………」
藤真に「是非」と言われるほど面識はなかったが
プロになってからこうした事はよくあるので、もう慣れている。
「…別に、木暮さんが気にする事ねーんじゃねーですか?」
「そうかなぁ…」
藤真に気を遣っているのか南を恐れているのか…
木暮はこちらにすがるような眼差しを向ける。
「そんな事より、もうこんな時間だ…
ほんとに来るんすか?
…藤真さん」
「ああ、それは間違いない」
木暮の顔つきが急に変わる。
「アイツが来ると言ったんだから必ず来る
そういう男なんだ」
やれやれ…
ずいぶんな入れ込みようだ。
「いつも忙しいんだよ、藤真は…」
「…仕事か?」
「ああ
…そうか、流川は知らないのか」
「ん?」
「藤真は母校の翔陽で教鞭を取りながらバスケ部の監督も務めてるんだよ」
「…へぇ」
正真正銘の監督になったわけか…
「今、神奈川の最強は翔陽だ…
藤真が監督になってから8年連続IH出場を果たしてる」
「……8年」
藤真は現在34歳だから、26歳から監督として采配を振っている事になる。
初めての試合が蘇った。
神奈川Bブロック決勝、第2シード校の選手兼監督として彼は湘北の前に立ちはだかった。
冷静な判断力と抜群のバスケセンス…
そして人の心を瞬時に掴み、支配してしまう人間性…
26の若さで監督に就任も、藤真なら納得がいく。
それにしても…
「…湘北はダメなのか、今」
「いや…決してダメってわけじゃないよ、ただ」
「ただ?」
その時、ガラガラと戸口が開いた。
「悪い、遅れた」
爽やかな声が店内に響く。
木暮が「ほらね」というように笑顔でこちらを見た。
「おっ、翔陽監督さんのご到着~~!!」
酔っぱらった宮城がおどけたように言う。
藤真はグルリと座を見渡すと真っ直ぐにこちらへ歩いて来た。
だが記憶の中の顔とどこか違う気がする。
「久し振りだな、流川」
「……どーも」
差し出された右手を軽く握る。
その時、この違和感は彼の口髭のせいだと気付いた。
「おーい、藤真」
赤木が上機嫌で座敷から手招きする。
「いま行く」と合図する藤真に木暮がそっと耳打ちした。
「へぇ、そりゃ楽しみだな」
ニッコリ微笑むとこちらに軽く会釈して奥へ歩いて行った。
「…藤真さん、気にしてねーみてーですね」
「あ、あぁ…」
木暮はポリポリと頭を掻く。
「あの頃の事って
結構イイ思い出に変わっちまってるから…」
「…流川」
「きっと、藤真さんも同じなんじゃねーかな」
「……そうかも、しれないな」
座敷に行った彼は、あっという間に輪の中心になっている。
生まれながらに花があると言うのは藤真のような人間をいうのだろう。
見れば、南ともすぐに打ち解けていた。
時間というものは実に不思議なものだ。
過ぎ去った日々を、いつの間にか自分に都合のいいように変えてくれている。
こんな事に気付かせてくれる今夜の酒は、つくづくイイ酒だ。
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