あれから17年後
周囲から頭一つひょっこり出して、流川楓がJRの改札口から外へ出て来た。
その腕の中で愛娘の紅葉が眠そうに目を擦っている。
今日1日遊び回って、すでにお疲れ気味なのだ。
テーマパークで父親に買ってもらったぬいぐるみを大事に抱えて、ついにウトウトし始める。
流川はその頭をそっと自分の胸に引き寄せると、顔に掛かった髪を小さな耳に挟んでやった。
…車で帰るか
そう思った時、不意に後ろで声がした。
流川が振り向くより先に
片手を上げて追い越して来たのは会社帰りの宮城リョータだった。
「よう、珍しいとこで珍しいヤツと会ったな」
続けて宮城は寝ている紅葉を覗き込む。
「お前のガキか?」
流川は黙ってコクリと頷いた。
「へぇ~
可愛いなぁ」
「…っ」
ちょっと嬉しそうに視線を反らした流川に宮城が吹き出す。
「もう、帰るのか?」
「…そのつもりです」
「…あ~、あのよぉ
良かったらちょっとだけ付き合わねぇ?」
「…ん?」
「近くにイイ店あんだよ
子連れでも平気だと思うぜ?」
少し考えて、流川が承諾すると宮城は「よしよし、そー来ねーとな」と先を歩きだした。
連れて行かれたのは大通りから少し奥に入った隠れ家的な店で、店内は照明が暗く静かな音楽が流れている。
開店間もないせいか、まだ客も少なかった。
「彩ちゃんと時々来るんだ」と言い、案内を待たずに宮城は奥の座敷に向う。
「ここなら子供、寝かせられるだろ?」
革靴を脱ぎながら、宮城が畳を指差した。
頷き、流川も続いてスニーカーを脱ぐ。
そして座敷に上がると紅葉を片腕に抱いたまま
隅に積まれた座布団を数枚並べ、そこに娘をそっと寝かせて靴を脱がせた。
その一連の動きに迷いは無い。
「なんか、…すげぇな」
「…ん?」
「や、お前、本当に父親なんだなぁ~」
「……」
特に返答もしない流川に
宮城はそうかそうかと1人で納得し、手を挙げて生中を2つオーダーした。
「じゃ、乾杯!!」
「…うす」
ジョッキをカツンとぶつけ、喉をならして冷えたビールを飲む。
「プハーーッ
この一杯の為に今日1日頑張ったって感じだな」
ネクタイを緩めながら、宮城がしみじみ言う。
「なぁ、彩ちゃんから聞いたぞ
MAKI SPORTSのCMの事
山王の沢北と一緒だってな?」
誘った目的はコレだ、とばかりに宮城は身を乗り出した。
「で?もう会ったのか?」
「ん…?」
「沢北だよ
アイツ引退後、日本に戻ってんだってなぁ」
「……」
『沢北の夢は日本でバスケをメジャーにする事なんだそうだ』
牧の言葉が蘇る。
「NBAに未練はない
俺は今、それよりも大切な事を見付けたからな」
プレゼン会場を去って行く沢北の背中は、まるでそう言っているようだった。
あの時と同じ、得体の知れない焦りが込み上げて来る。
突如、険しい表情になった流川を見て、宮城は素早く話題を変えた。
「そーいや流川
俺な、お前に礼を言おうと思ってたんだよ」
「…?」
「ありがとな
お前のおかげで彩ちゃんと結婚出来たようなもんだぜ」
「……意味が解らねぇ」
気持ちを上手く切り替えられず、流川がフンッと横を向いた先では紅葉が穏やかな寝息を立てている。
「お前さ、前に魚住さんの店で彩ちゃんにガキの写メ見せたの覚えてっか?」
「……写メ」
そう言えば、そんな事があったような無かったような…
うろ覚えだ。
「それがきっかけで
俺のプロポーズを承けてくれたらしい」
ますます意味が解らない、と流川は思った。
「実はよ、俺も正直
わかんなかったんだ
なんで人ん家のガキの写メ見ただけで…ってな
あんなに長年拒否られてたのによ…」
「……」
「でも、今さっき解った
彩ちゃんが結婚したくなった気持ち」
「…?」
「お前見てると、確かに家族を持つのも悪かねえって思えるぜ」
宮城がニタリと口角を上げる。
「…っっ!!」
照れを隠して仏頂面になった流川が残ったビールを一気に飲み干した。
「なぁ、流川 …って
おぃ、そんなおっかねぇ目で睨むなって
もう言わねーから」
「……」
「ここに彩ちゃん
…呼んでいいか?」
「…別に」
「そーか、助かるぜ
最近、あんまり笑ってくれなくてなぁ
仕事も忙しいみてーだし
ちょっと心配なんだ」
「……」
「ひょっとしたらお前とお前のガキの顔見りゃ
元気出るかもしれねー」
言いながら宮城は上着の内ポケットの携帯電話を取り出す。
「…宮城さん」
「あ?なんだよ」
「…紅葉だ
ガキじゃねぇ」
「あ?
…お、おぉわりぃ
流川紅葉ちゃん、だな」
「…あぁ」
しかし…と、流川は頷きながら思う。
彩子が来るとなるといよいよ沢北の話題は避けられないだろう。
やれやれだ…
ため息をついた横で紅葉がゴロリと寝返りを打った。
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