ムーンライトシンデレラ
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
風が少しずつ冷たさを帯びてきた。
昼はかすかな陽光が差し、秋の実りの匂いを運ぶ。
夜は早く訪れ、古寺を包む闇が深くなる。
けれど、結衣の心には――あたたかさが、あった。
「……どうですか? 今日のきな粉団子」
イタチは団子をひとくち噛み、静かに頷いた。
「……香ばしい。甘さも控えめで、よく合っている」
「ふふっ、よかった」
結衣が笑うと、イタチの唇もわずかに緩む。
この数日で、二人の間に流れる空気はずいぶん変わった。
はじめは遠慮と緊張に満ちていた。
だが、結衣の静かな気遣いと、イタチの少しずつ溶けていく心――
それが、毎日の小さな積み重ねによって、確かな“ぬくもり”となっていた。
彼女は外で薪を割り、イタチは傷の手入れをしながら火を熾す。
食事は結衣が用意し、イタチは黙って後片付けを手伝う。
特別なことは、何もない。
けれど、それは確かに“誰かと生きる”ということだった。
⸻
夜――
火鉢の炭が赤く灯り、部屋の隅に小さな影を落としていた。
結衣は手元で針仕事をしながら、ふと問いかける。
「……イタチさん。ご家族のこと、聞いても……いいですか?」
針の音が止む。
イタチはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「……弟がいた。“いた”と言っても、生きている。
ただ、俺の手で――すべてを壊した」
「……」
「任務だった。里の均衡を保つために……家族を犠牲にした。
それでも弟だけは、生かした。俺を憎み、強くなるように。……それが、俺の役目だった」
淡々とした語り。
だがその言葉の一つ一つに、奥深く沈んだ痛みがあった。
「夜になると、今でも夢に出るんだ。
父が、母が、弟が――笑って、手を振ってくる。
……俺はいつも、その向こうで、刃を持って立っている」
結衣は手を止め、火鉢の光に照らされたイタチの横顔を見つめた。
その目は、夜の深さよりも静かで、哀しかった。
「……あなたは、優しすぎる人ですね」
「違う。俺は……」
「それでも、そう思います」
その静かな言葉に、イタチは目を伏せた。
火鉢が、ぱち、と音を立てる。
その音に紛れるように、彼はぽつりと呟いた。
「……もし、俺が“戦うため”に生まれてこなかったのなら」
結衣は、手を止めた。
彼の横顔は静かで、それでいてどこか、遠くを見ていた。
「うちはの名を継ぐ者として……物心ついたときから、“守るために殺す”ことしか教えられなかった。
最初から、穏やかな日常なんて……与えられていなかったんだ」
結衣の胸が、きゅっと痛んだ。
「……あなたが、戦いではなく、穏やかな場所にいられるときに。
出会えていたら、違った未来もあったのかもしれない」
イタチは返事をせず、ただ炭の灯りを見つめ続けていた。
やがて、結衣がそっと微笑み、首を振った。
「……それでも、わたしは“今”でよかったと思います」
その言葉に、イタチがゆっくりとこちらを向く。
低く、囁くように問うた。
「……なぜ?」
結衣は目を細めて、火鉢の赤を見つめる。
その光は、どこか遠い星のように、切なく美しかった。
「たとえ、戦の中で傷だらけでも。
あなたが歩いてきた過去の全部があって、だから今、ここにいてくれた。
わたしが出会ったのは、戦って、悩んで、それでも人を守ろうとする、あなたそのものです」
「……」
「この“今”じゃなきゃ、きっと私は……あなたに恋してなかった。
だから、“今”で、よかったんです」
沈黙の中、火の爆ぜる音だけが、ふたりの間を満たしていた。
やがてイタチが、ほんの少しだけ、目を伏せたまま微笑んだ。
「……不思議な人だな、君は」
「あなたが……そう言うなら、きっとそうなんでしょうね」
ふたりの影が、赤い灯に重なって、静かに寄り添っていた。
イタチは、ゆっくりと結衣のほうを向く。
火鉢の灯が、その瞳の奥に静かな光を宿す。
ふと、風が一つ吹き抜けた。
その風に、結衣の髪がさらりと揺れた。
イタチの指先が、自然と伸びていた。
躊躇うように、けれど吸い寄せられるように。
彼はそっと、結衣の髪に触れた。
しんとした空気の中で、それはひどく優しく、あたたかい所作だった。
結衣はその手を拒むことなく、むしろ静かに頬をその掌に擦り寄せる。
言葉はなかった。
けれど、ふたりの視線が、ゆっくりと重なる。
火鉢の前、冷え込む夜の中で、ふたりはただ静かに――
再び、想いを重ねた。
唇が触れ合うと、温もりが胸の奥まで染み渡っていった。
それは、戦いも、痛みも、過去の罪も、未来の不安すらも――
すべてを一瞬だけ忘れさせる、静かな祈りのような口づけだった。
ふたりはただ、そこにいることを確かめるように、
長い、長い時間をかけて、互いを受け入れていった。
やがて、そっと唇が離れる。
瞳が合うと、言葉は交わされない。
けれど、それでもわかった。もう、何も言葉はいらなかった。
どちらからともなく、そっと身を寄せる。
イタチの腕が、結衣の背を優しく抱き込む。
結衣は胸元にそっと顔をうずめた。
その温もりに包まれるたび、涙が出そうになるほど、胸が締めつけられる。
彼の鼓動が、静かに響いていた。
脆くて、でも確かで――ずっと、ここにあってほしいと思った。
「…… 結衣」
低く、柔らかな声が耳元に落ちる。
そのまま、イタチの唇がそっと耳に触れた。
くすぐったくて、愛おしくて――
結衣は、目を閉じたまま彼の肩に顔を埋める。
彼の唇は、やがて耳の輪郭から頬をなぞり、静かに首筋へと辿り着いた。
その動きには、焦りも欲もなかった。
ただひたすらに、愛おしさを確かめるような、静かな情熱だけがあった。
「……あなたを、愛しています」
結衣が囁くように告げると、イタチは抱きしめる力をほんの少しだけ強くした。
その腕が震えているのを、結衣は知っていた。
(きっと、怖いのだ)
自分が誰かをこんなにも求めてしまうことを。
その誰かを、守り切れない未来があることを。
――それでも、いまだけは。
暗闇の中、さらりと羽織が落ちる音がした。
重なった衣擦れが、ふたりだけの世界に静かに響く。
火鉢の灯りが、小さく揺れる。
灯の下で重なった影は、ひとつの形となって、夜の深みに溶け込んでいった。
外の風は冷たい。
だが、ふたりの間に流れる温もりだけが、
この世界に確かに“生きている”ということを教えてくれていた。
やがて、ふたりの身体は、呼吸の波に合わせるようにゆっくりと寄り添い、
ただ静かに、ただ深く――
夜の奥へと、溶けていった。
昼はかすかな陽光が差し、秋の実りの匂いを運ぶ。
夜は早く訪れ、古寺を包む闇が深くなる。
けれど、結衣の心には――あたたかさが、あった。
「……どうですか? 今日のきな粉団子」
イタチは団子をひとくち噛み、静かに頷いた。
「……香ばしい。甘さも控えめで、よく合っている」
「ふふっ、よかった」
結衣が笑うと、イタチの唇もわずかに緩む。
この数日で、二人の間に流れる空気はずいぶん変わった。
はじめは遠慮と緊張に満ちていた。
だが、結衣の静かな気遣いと、イタチの少しずつ溶けていく心――
それが、毎日の小さな積み重ねによって、確かな“ぬくもり”となっていた。
彼女は外で薪を割り、イタチは傷の手入れをしながら火を熾す。
食事は結衣が用意し、イタチは黙って後片付けを手伝う。
特別なことは、何もない。
けれど、それは確かに“誰かと生きる”ということだった。
⸻
夜――
火鉢の炭が赤く灯り、部屋の隅に小さな影を落としていた。
結衣は手元で針仕事をしながら、ふと問いかける。
「……イタチさん。ご家族のこと、聞いても……いいですか?」
針の音が止む。
イタチはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「……弟がいた。“いた”と言っても、生きている。
ただ、俺の手で――すべてを壊した」
「……」
「任務だった。里の均衡を保つために……家族を犠牲にした。
それでも弟だけは、生かした。俺を憎み、強くなるように。……それが、俺の役目だった」
淡々とした語り。
だがその言葉の一つ一つに、奥深く沈んだ痛みがあった。
「夜になると、今でも夢に出るんだ。
父が、母が、弟が――笑って、手を振ってくる。
……俺はいつも、その向こうで、刃を持って立っている」
結衣は手を止め、火鉢の光に照らされたイタチの横顔を見つめた。
その目は、夜の深さよりも静かで、哀しかった。
「……あなたは、優しすぎる人ですね」
「違う。俺は……」
「それでも、そう思います」
その静かな言葉に、イタチは目を伏せた。
火鉢が、ぱち、と音を立てる。
その音に紛れるように、彼はぽつりと呟いた。
「……もし、俺が“戦うため”に生まれてこなかったのなら」
結衣は、手を止めた。
彼の横顔は静かで、それでいてどこか、遠くを見ていた。
「うちはの名を継ぐ者として……物心ついたときから、“守るために殺す”ことしか教えられなかった。
最初から、穏やかな日常なんて……与えられていなかったんだ」
結衣の胸が、きゅっと痛んだ。
「……あなたが、戦いではなく、穏やかな場所にいられるときに。
出会えていたら、違った未来もあったのかもしれない」
イタチは返事をせず、ただ炭の灯りを見つめ続けていた。
やがて、結衣がそっと微笑み、首を振った。
「……それでも、わたしは“今”でよかったと思います」
その言葉に、イタチがゆっくりとこちらを向く。
低く、囁くように問うた。
「……なぜ?」
結衣は目を細めて、火鉢の赤を見つめる。
その光は、どこか遠い星のように、切なく美しかった。
「たとえ、戦の中で傷だらけでも。
あなたが歩いてきた過去の全部があって、だから今、ここにいてくれた。
わたしが出会ったのは、戦って、悩んで、それでも人を守ろうとする、あなたそのものです」
「……」
「この“今”じゃなきゃ、きっと私は……あなたに恋してなかった。
だから、“今”で、よかったんです」
沈黙の中、火の爆ぜる音だけが、ふたりの間を満たしていた。
やがてイタチが、ほんの少しだけ、目を伏せたまま微笑んだ。
「……不思議な人だな、君は」
「あなたが……そう言うなら、きっとそうなんでしょうね」
ふたりの影が、赤い灯に重なって、静かに寄り添っていた。
イタチは、ゆっくりと結衣のほうを向く。
火鉢の灯が、その瞳の奥に静かな光を宿す。
ふと、風が一つ吹き抜けた。
その風に、結衣の髪がさらりと揺れた。
イタチの指先が、自然と伸びていた。
躊躇うように、けれど吸い寄せられるように。
彼はそっと、結衣の髪に触れた。
しんとした空気の中で、それはひどく優しく、あたたかい所作だった。
結衣はその手を拒むことなく、むしろ静かに頬をその掌に擦り寄せる。
言葉はなかった。
けれど、ふたりの視線が、ゆっくりと重なる。
火鉢の前、冷え込む夜の中で、ふたりはただ静かに――
再び、想いを重ねた。
唇が触れ合うと、温もりが胸の奥まで染み渡っていった。
それは、戦いも、痛みも、過去の罪も、未来の不安すらも――
すべてを一瞬だけ忘れさせる、静かな祈りのような口づけだった。
ふたりはただ、そこにいることを確かめるように、
長い、長い時間をかけて、互いを受け入れていった。
やがて、そっと唇が離れる。
瞳が合うと、言葉は交わされない。
けれど、それでもわかった。もう、何も言葉はいらなかった。
どちらからともなく、そっと身を寄せる。
イタチの腕が、結衣の背を優しく抱き込む。
結衣は胸元にそっと顔をうずめた。
その温もりに包まれるたび、涙が出そうになるほど、胸が締めつけられる。
彼の鼓動が、静かに響いていた。
脆くて、でも確かで――ずっと、ここにあってほしいと思った。
「…… 結衣」
低く、柔らかな声が耳元に落ちる。
そのまま、イタチの唇がそっと耳に触れた。
くすぐったくて、愛おしくて――
結衣は、目を閉じたまま彼の肩に顔を埋める。
彼の唇は、やがて耳の輪郭から頬をなぞり、静かに首筋へと辿り着いた。
その動きには、焦りも欲もなかった。
ただひたすらに、愛おしさを確かめるような、静かな情熱だけがあった。
「……あなたを、愛しています」
結衣が囁くように告げると、イタチは抱きしめる力をほんの少しだけ強くした。
その腕が震えているのを、結衣は知っていた。
(きっと、怖いのだ)
自分が誰かをこんなにも求めてしまうことを。
その誰かを、守り切れない未来があることを。
――それでも、いまだけは。
暗闇の中、さらりと羽織が落ちる音がした。
重なった衣擦れが、ふたりだけの世界に静かに響く。
火鉢の灯りが、小さく揺れる。
灯の下で重なった影は、ひとつの形となって、夜の深みに溶け込んでいった。
外の風は冷たい。
だが、ふたりの間に流れる温もりだけが、
この世界に確かに“生きている”ということを教えてくれていた。
やがて、ふたりの身体は、呼吸の波に合わせるようにゆっくりと寄り添い、
ただ静かに、ただ深く――
夜の奥へと、溶けていった。