ムーンライトシンデレラ
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結衣は、それから毎日のように、あの丘へ通うようになっていた。
最初は、満月の夜だけだった。
けれど、それでは足りなかった。
月が欠けていようが、曇っていようが、雨が降ろうが――
“彼”がいたその場所に行くだけで、ほんの少し、心が満たされた。
「……また来ちゃいましたね、わたし」
団子をひとつ包んで、小さな敷布に座る。
彼と並んだあの木の根元。
今ではひとりで来るのが当たり前になっていたけれど、
その孤独さすら、彼の痕跡を思えば苦ではなかった。
風が吹き、白く咲いた月下美人がそよぐ。
その甘やかな香りに包まれるたび、思い出す。
彼の静かな声、赤い瞳、そしてあの夜の温もり。
「……会いたい、です」
ぽつりと漏らしたその言葉は、風にさらわれていった。
……そのときだった。
「おや、おや……こんな時間に、ひとりで散歩かい?」
唐楓の影から、低く掠れた声が聞こえた。
振り返ると、草むらを踏んで近づいてくる男が二人。
どちらも旅人に見えない――背には細身の刀、腰にはクナイを忍ばせ、身のこなしは明らかに“忍”のそれだった。
「……あの、どなたでしょうか」
結衣の声がわずかに震える。
背筋に、嫌な予感が這い登ってくる。
「ここによく女がひとりで来るって聞いてね。……最近、ちょっと気になる人物と、接触していたらしいじゃないか」
結衣の胸が、ひゅっとすぼまる。
(……気づかれてる? でも、どうして――)
「ちょっと詳しく話を聞こうか。……お嬢さん」
もう一人の男がにやりと笑みを浮かべながら、結衣の横にすっとしゃがむ。
動きに無駄がなく、背後を取るような形。
「何も知らないならそれでもいい。けれど、もし“誰か”が今もお前を気にしているとしたら――」
「……その“誰か”が現れたときに、ここで迎えてやろうと思ってね」
ふたりの男が視線を交わす。
結衣は、地面に置いた包みの団子に視線を落とした。
(……わたしが、罠に……)
震える手が、膝の上で強く拳を握る。
彼が、戻ってくるかもしれない場所。
彼との思い出が残る、たったひとつの聖域。
それが汚されようとしている。
――わたしのせいで。
「……帰ってください。わたしは、何も知りません」
「言ったろ。知らなくてもいい。けどな、“囮”ってのは、知らないほうがちょうどいい」
男が立ち上がり、手を伸ばす。
結衣は一歩、後ずさった。
心臓が喉元で鳴っている。
(お願い……イタチさん……来ないで……)
あの人に、来てほしくて訪れていたのに。
今は、心の底から――来てはならないと祈っていた。
その矛盾に、胸が張り裂けそうだった。
「やめて……」
声は細く、震えていた。
けれど、その瞳には、確かな意志が宿っていた。
(私が――守る。
この場所を、あなたを、もう誰にも……)
唐楓の枝がざわりと揺れる。
夜の気配が、きな臭く変わった。
結衣の孤独な決意と、敵の罠が交錯するその丘に、
今、運命が静かに忍び寄っていた――。
「大人しく来な、嬢ちゃん」
男の手が伸びる。
結衣は必死に後ずさったが、足がもつれ、地面に手をついた。
「やめて……っ」
「騒ぐなって言ってんだ――」
そのとき。
パァン!
空気が裂けるような音とともに、男の手元に黒い影が飛んだ。
「っな……!?」
地面に突き立ったのは、鋭い鉄の刃。
男が振り向いた瞬間――
そこに、いた。
黒衣に身を包み、血のような瞳を夜の闇に灯して――
「……離れろ」
その声に、空気が凍りついた。
「……イタチ……!!」
男のひとりが怯えたように名前を漏らす。
もう一人は口元を引きつらせて、結衣の腕を掴んだまま声を荒げる。
「てめぇ……! 来やがったな!」
「……来ないで……っ!」
結衣は叫んだ。
でもイタチは、まるでそれを拒むように一歩、また一歩と近づいてくる。
「彼女に指一本でも触れたら……命はないと思え」
言葉と同時に、男の足元へ数本のクナイが突き刺さる。
殺気ではない。だが――圧倒的な制圧。
怯んだ男たちが距離を取ろうとする、その刹那。
イタチの姿が、風のように消えた。
「な……!?」
「っ……ぐあああっ!」
呻き声と共に、二人の男は地面に叩きつけられていた。
刃は抜かれていない。
だが、彼らはもう立ち上がれない。
イタチはその場に膝をついた結衣に視線を向ける。
目が合った瞬間、結衣の瞳から堰を切ったように涙が溢れた。
「……どうして……来たんですか……!」
叫ぶような声。
怒りと、安堵と、痛みが混じった、抑えきれない想い。
イタチは黙って彼女に近づき、そっと手を差し伸べる。
「……すまなかった」
その言葉は、結衣を安心させるよりも――
イタチ自身の胸を深く貫いていた。
彼女の姿を見た瞬間、心臓が音を立てて跳ねた。
(……来るべきではなかった)
それは誰よりも自分がわかっていた。
巻き込むつもりはなかった。
“守る”と決めて、距離を取ったはずだった。
なのに――
彼女はそこにいて、敵は彼女を“餌”にしようとしていた。
(俺が、彼女を……戦場へと引き寄せた)
助けるしかなかった。
そして、助けた今――もう、村には戻せない。
イタチは敵の一人の遺した札を拾い、眼差しを険しくする。
「……残党がまだいる。村に戻せば、追っ手がまた現れる」
「……でも、村にはお染さんや、お客さんたちが……」
「危険だ。君だけでなく、周囲も巻き込まれる」
その言葉に、結衣は震える唇を噛んだ。
「……どうすれば……」
イタチはひとつ息を吐き、静かに答える。
「……暁が使っている古寺がある。山の奥――人の目が届かぬ場所だ。
そこへ君を連れていく。……そこに身を隠せば、当面の危険は避けられる」
「……それって、あなたと……一緒に?」
「しばらくは。……君を守るためだ」
目を合わせられなかった。
それが“本心”であることを、イタチ自身が否定できなかったからだ。
結衣はしばらく黙っていたが――
やがて、小さく頷いた。
「……わたし、どこへでも行きます」
イタチがわずかに目を見開いた。
「あなたが、わたしを……連れて行くと言うのなら」
その言葉は、赦しだった。
罰ではなく、選択だった。
――このとき、彼女はすでに知っていたのだ。
たとえ隣に戦があっても、
彼のそばに在ることを望む自分の心を。
イタチは静かに目を閉じた。
そして、彼女の手を取る。
「行こう。……もう、二度と奪わせない」
月のない夜、ふたりは森の奥へと歩みを進めた。
その先に待つものが何であれ、もう迷いはなかった。
最初は、満月の夜だけだった。
けれど、それでは足りなかった。
月が欠けていようが、曇っていようが、雨が降ろうが――
“彼”がいたその場所に行くだけで、ほんの少し、心が満たされた。
「……また来ちゃいましたね、わたし」
団子をひとつ包んで、小さな敷布に座る。
彼と並んだあの木の根元。
今ではひとりで来るのが当たり前になっていたけれど、
その孤独さすら、彼の痕跡を思えば苦ではなかった。
風が吹き、白く咲いた月下美人がそよぐ。
その甘やかな香りに包まれるたび、思い出す。
彼の静かな声、赤い瞳、そしてあの夜の温もり。
「……会いたい、です」
ぽつりと漏らしたその言葉は、風にさらわれていった。
……そのときだった。
「おや、おや……こんな時間に、ひとりで散歩かい?」
唐楓の影から、低く掠れた声が聞こえた。
振り返ると、草むらを踏んで近づいてくる男が二人。
どちらも旅人に見えない――背には細身の刀、腰にはクナイを忍ばせ、身のこなしは明らかに“忍”のそれだった。
「……あの、どなたでしょうか」
結衣の声がわずかに震える。
背筋に、嫌な予感が這い登ってくる。
「ここによく女がひとりで来るって聞いてね。……最近、ちょっと気になる人物と、接触していたらしいじゃないか」
結衣の胸が、ひゅっとすぼまる。
(……気づかれてる? でも、どうして――)
「ちょっと詳しく話を聞こうか。……お嬢さん」
もう一人の男がにやりと笑みを浮かべながら、結衣の横にすっとしゃがむ。
動きに無駄がなく、背後を取るような形。
「何も知らないならそれでもいい。けれど、もし“誰か”が今もお前を気にしているとしたら――」
「……その“誰か”が現れたときに、ここで迎えてやろうと思ってね」
ふたりの男が視線を交わす。
結衣は、地面に置いた包みの団子に視線を落とした。
(……わたしが、罠に……)
震える手が、膝の上で強く拳を握る。
彼が、戻ってくるかもしれない場所。
彼との思い出が残る、たったひとつの聖域。
それが汚されようとしている。
――わたしのせいで。
「……帰ってください。わたしは、何も知りません」
「言ったろ。知らなくてもいい。けどな、“囮”ってのは、知らないほうがちょうどいい」
男が立ち上がり、手を伸ばす。
結衣は一歩、後ずさった。
心臓が喉元で鳴っている。
(お願い……イタチさん……来ないで……)
あの人に、来てほしくて訪れていたのに。
今は、心の底から――来てはならないと祈っていた。
その矛盾に、胸が張り裂けそうだった。
「やめて……」
声は細く、震えていた。
けれど、その瞳には、確かな意志が宿っていた。
(私が――守る。
この場所を、あなたを、もう誰にも……)
唐楓の枝がざわりと揺れる。
夜の気配が、きな臭く変わった。
結衣の孤独な決意と、敵の罠が交錯するその丘に、
今、運命が静かに忍び寄っていた――。
「大人しく来な、嬢ちゃん」
男の手が伸びる。
結衣は必死に後ずさったが、足がもつれ、地面に手をついた。
「やめて……っ」
「騒ぐなって言ってんだ――」
そのとき。
パァン!
空気が裂けるような音とともに、男の手元に黒い影が飛んだ。
「っな……!?」
地面に突き立ったのは、鋭い鉄の刃。
男が振り向いた瞬間――
そこに、いた。
黒衣に身を包み、血のような瞳を夜の闇に灯して――
「……離れろ」
その声に、空気が凍りついた。
「……イタチ……!!」
男のひとりが怯えたように名前を漏らす。
もう一人は口元を引きつらせて、結衣の腕を掴んだまま声を荒げる。
「てめぇ……! 来やがったな!」
「……来ないで……っ!」
結衣は叫んだ。
でもイタチは、まるでそれを拒むように一歩、また一歩と近づいてくる。
「彼女に指一本でも触れたら……命はないと思え」
言葉と同時に、男の足元へ数本のクナイが突き刺さる。
殺気ではない。だが――圧倒的な制圧。
怯んだ男たちが距離を取ろうとする、その刹那。
イタチの姿が、風のように消えた。
「な……!?」
「っ……ぐあああっ!」
呻き声と共に、二人の男は地面に叩きつけられていた。
刃は抜かれていない。
だが、彼らはもう立ち上がれない。
イタチはその場に膝をついた結衣に視線を向ける。
目が合った瞬間、結衣の瞳から堰を切ったように涙が溢れた。
「……どうして……来たんですか……!」
叫ぶような声。
怒りと、安堵と、痛みが混じった、抑えきれない想い。
イタチは黙って彼女に近づき、そっと手を差し伸べる。
「……すまなかった」
その言葉は、結衣を安心させるよりも――
イタチ自身の胸を深く貫いていた。
彼女の姿を見た瞬間、心臓が音を立てて跳ねた。
(……来るべきではなかった)
それは誰よりも自分がわかっていた。
巻き込むつもりはなかった。
“守る”と決めて、距離を取ったはずだった。
なのに――
彼女はそこにいて、敵は彼女を“餌”にしようとしていた。
(俺が、彼女を……戦場へと引き寄せた)
助けるしかなかった。
そして、助けた今――もう、村には戻せない。
イタチは敵の一人の遺した札を拾い、眼差しを険しくする。
「……残党がまだいる。村に戻せば、追っ手がまた現れる」
「……でも、村にはお染さんや、お客さんたちが……」
「危険だ。君だけでなく、周囲も巻き込まれる」
その言葉に、結衣は震える唇を噛んだ。
「……どうすれば……」
イタチはひとつ息を吐き、静かに答える。
「……暁が使っている古寺がある。山の奥――人の目が届かぬ場所だ。
そこへ君を連れていく。……そこに身を隠せば、当面の危険は避けられる」
「……それって、あなたと……一緒に?」
「しばらくは。……君を守るためだ」
目を合わせられなかった。
それが“本心”であることを、イタチ自身が否定できなかったからだ。
結衣はしばらく黙っていたが――
やがて、小さく頷いた。
「……わたし、どこへでも行きます」
イタチがわずかに目を見開いた。
「あなたが、わたしを……連れて行くと言うのなら」
その言葉は、赦しだった。
罰ではなく、選択だった。
――このとき、彼女はすでに知っていたのだ。
たとえ隣に戦があっても、
彼のそばに在ることを望む自分の心を。
イタチは静かに目を閉じた。
そして、彼女の手を取る。
「行こう。……もう、二度と奪わせない」
月のない夜、ふたりは森の奥へと歩みを進めた。
その先に待つものが何であれ、もう迷いはなかった。