ムーンライトシンデレラ
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それからというもの、私は毎日のように月ごよみと睨めっこしていた。
次に満月が巡ってくるのはいつか、それまでにどんな団子を用意しようかと、忙しく働きながらも心はどこか浮ついていた。
あの夜から、私の世界が少しだけ色づいた気がしたのだ。
誰かのために団子を作りたいと思ったのは、生まれて初めてだった。
季節は少し進み、山の木々も青々と勢いづき始めた頃――
今夜、月は再び満ちる。空は晴れ、雲ひとつなく、夜風はやさしい。
包みを抱えて、そっと草を踏みしめながら丘を登る。
白い月下美人は今夜も誇らしげに花を咲かせていて、まるで「おかえり」と囁いてくれているかのよう。
「……来てくれてたら、いいな」
独り言のように呟いてから、いつもの場所へと足を運ぶ。
そのとき、風が唐楓の葉をさらりと揺らした。
……いた。
あの人は、前と同じように木の根元に腰を下ろし、月を仰いでいた。
黒い装束、夜に溶け込むような静かな気配。
こちらに気づくと、ゆっくりと立ち上がり、わずかに微笑んだ。
「こんばんは、結衣。」
名前を――覚えていてくれたんだ。
それだけで、胸がいっぱいになる。
「こんばんは、イタチさん。…また、来てくださったんですね。」
「団子の味が忘れられなくてな。…いや、本当は――君の笑顔を、もう一度見たかったのかもしれない。」
唐突な言葉に、鼓動が跳ねた。
目を逸らそうとして、けれど逸らせず、ただ彼を見つめてしまう。
その赤い瞳は月の光を宿していて、少しだけ柔らかく見えた。
「今日は、違う味を持ってきたんです。お口に合うかわかりませんけど…よろしければ、どうぞ。」
「……ありがとう。」
ふたたび風呂敷を広げる。
今夜は、よもぎと栗餡の団子。それに、甘さ控えめの醤油団子も添えた。
彼はそれを一つずつ丁寧に口に運び、静かに頷く。
「やはり……うまい。」
「ふふっ。よかった。」
「…こうして食べるのは、戦場とは対極だな。時間が、止まっているようだ。」
「……止まってくれても、いいんですけどね。このままずっと。」
ぽろりと零れた私の言葉に、イタチさんは目を伏せた。
少しの沈黙が流れる。だけど、不安ではない。静かな時間が、むしろ心地よい。
やがて彼がぽつりと呟く。
「…… 結衣。お前の団子は、人の心をほどく。まるで……人の生きる意味を思い出させるような味だ。」
「そんな大層な……ただ、わたしは、イタチさんにまた来て欲しくて。だから、心を込めて作っただけです。」
「……心を?」
彼はそっと私の手元に目を落とし、それからまた私の目を見た。
「ならば、その気持ち、大事に受け取ろう。」
その声は、どこか寂しさを含んでいた。
けれど確かに、優しく、温かかった。
満ちた月の下、ふたりの間に流れる空気は、どこまでも穏やかだった。
心が触れ合ったその夜、私はまだ知らなかった。
この想いが、やがて避けられぬ別れの痛みへとつながっていくことをーー
団子を食べ終え、ふたりで並んで月を仰いでいた。
夜風はやさしく、草の葉がこすれ合う音と、遠くで虫が鳴く声だけが静かに響く。
ふと、彼の横顔に目をやると、ほんの一瞬――
何か、とても深い哀しみが浮かんだ気がした。
言葉にするのは躊躇われた。
けれど、このまま知らないふりは、きっともうできない。
「……あの、イタチさん。」
「ん?」
「……あなたのこと、聞いてもいいですか?」
彼はしばらく黙ったまま、視線を月に向けたままだった。
その横顔に緊張が走るのがわかる。けれど、それを拒むでもなく――彼は、静かに口を開いた。
「……何を、知りたい?」
「なんでも。……本当は何を考えてるのか、どんな日々を生きてきたのか……知りたいんです。あなたのこと。」
小さく、風が吹いた。
彼は一度、目を閉じ、それから少しだけ口元をほころばせた。
「奇妙だな……誰にも話そうと思ったことのないことを……君には話してもいいと思える。」
「奇妙でも、うれしいです。」
そう言うと、彼は少し笑って、それから再び視線を遠くへやった。
「……昔、俺には弟がいた。」
「……いた?」
「いや、生きている。……ただ、俺が――弟のすべてを壊した。」
月の光の下、その言葉はあまりに重く響いた。
けれど、結衣は言葉を挟まない。ただ、そっと彼の横に座り直し、同じ景色を見つめる。
「俺は、里の命で――己の一族を滅ぼした。弟だけを残して。」
「……っ」
心が、ぎゅっと締めつけられた。
それがどんなに過酷な命だったか、どんな想いでそれを受け入れたか、想像もできない。
けれど――彼は、その全てを抱えたまま、今ここにいるのだ。
「……どうして、そんな命を……?」
「誰かがやらなければ、里は内側から崩壊していた。争いを止めるために、あえて全てを呑み込んだ。それが、俺にできる唯一の“正しさ”だった。」
彼の声は淡々としていた。だが、その奥にある痛みは、確かに伝わってきた。
「弟には憎まれて当然だ。……そのために、生きている。」
「復讐……されるために?」
「そうだ。弟が俺を超えて初めて、意味がある。俺の命は……そのために使うと決めた。」
結衣は静かに目を伏せた。
優しすぎるのだ、この人は。自分を責めるようにしか生きられない。
だからこそ、誰よりも強くて、孤独で――哀しい。
だからこそ、そっと言った。
「……あなたは、優しい人ですね。」
イタチは、わずかに目を見開いた。
そして、すぐに俯いて、微かに笑った。
「……そう言われる資格はない。」
「……少なくとも、わたしはそう思いました。」
彼の赤い瞳が、こちらを見つめる。
月の光を反射して、ほんの少し揺れていた。
「あなたがどんな人でも……わたしは、あなたを知れてよかったと思っています。」
そう言った結衣の声は震えていたけれど、心は迷っていなかった。
何があっても、この人の哀しみを、見ないふりなんてできない。
ただ傍にいて、ほんの少しでも温かさを届けたい――それが、今の自分の願いだった。
沈黙の中、ふたりの間にやわらかな風が吹いた。
イタチは、それ以上多くを語らなかった。
けれど、肩に触れた風と、彼の目に映った微かな温もりが、言葉より多くを伝えていた。
この夜、ふたりの距離は、ほんの少しだけ近づいた。
次に満月が巡ってくるのはいつか、それまでにどんな団子を用意しようかと、忙しく働きながらも心はどこか浮ついていた。
あの夜から、私の世界が少しだけ色づいた気がしたのだ。
誰かのために団子を作りたいと思ったのは、生まれて初めてだった。
季節は少し進み、山の木々も青々と勢いづき始めた頃――
今夜、月は再び満ちる。空は晴れ、雲ひとつなく、夜風はやさしい。
包みを抱えて、そっと草を踏みしめながら丘を登る。
白い月下美人は今夜も誇らしげに花を咲かせていて、まるで「おかえり」と囁いてくれているかのよう。
「……来てくれてたら、いいな」
独り言のように呟いてから、いつもの場所へと足を運ぶ。
そのとき、風が唐楓の葉をさらりと揺らした。
……いた。
あの人は、前と同じように木の根元に腰を下ろし、月を仰いでいた。
黒い装束、夜に溶け込むような静かな気配。
こちらに気づくと、ゆっくりと立ち上がり、わずかに微笑んだ。
「こんばんは、結衣。」
名前を――覚えていてくれたんだ。
それだけで、胸がいっぱいになる。
「こんばんは、イタチさん。…また、来てくださったんですね。」
「団子の味が忘れられなくてな。…いや、本当は――君の笑顔を、もう一度見たかったのかもしれない。」
唐突な言葉に、鼓動が跳ねた。
目を逸らそうとして、けれど逸らせず、ただ彼を見つめてしまう。
その赤い瞳は月の光を宿していて、少しだけ柔らかく見えた。
「今日は、違う味を持ってきたんです。お口に合うかわかりませんけど…よろしければ、どうぞ。」
「……ありがとう。」
ふたたび風呂敷を広げる。
今夜は、よもぎと栗餡の団子。それに、甘さ控えめの醤油団子も添えた。
彼はそれを一つずつ丁寧に口に運び、静かに頷く。
「やはり……うまい。」
「ふふっ。よかった。」
「…こうして食べるのは、戦場とは対極だな。時間が、止まっているようだ。」
「……止まってくれても、いいんですけどね。このままずっと。」
ぽろりと零れた私の言葉に、イタチさんは目を伏せた。
少しの沈黙が流れる。だけど、不安ではない。静かな時間が、むしろ心地よい。
やがて彼がぽつりと呟く。
「…… 結衣。お前の団子は、人の心をほどく。まるで……人の生きる意味を思い出させるような味だ。」
「そんな大層な……ただ、わたしは、イタチさんにまた来て欲しくて。だから、心を込めて作っただけです。」
「……心を?」
彼はそっと私の手元に目を落とし、それからまた私の目を見た。
「ならば、その気持ち、大事に受け取ろう。」
その声は、どこか寂しさを含んでいた。
けれど確かに、優しく、温かかった。
満ちた月の下、ふたりの間に流れる空気は、どこまでも穏やかだった。
心が触れ合ったその夜、私はまだ知らなかった。
この想いが、やがて避けられぬ別れの痛みへとつながっていくことをーー
団子を食べ終え、ふたりで並んで月を仰いでいた。
夜風はやさしく、草の葉がこすれ合う音と、遠くで虫が鳴く声だけが静かに響く。
ふと、彼の横顔に目をやると、ほんの一瞬――
何か、とても深い哀しみが浮かんだ気がした。
言葉にするのは躊躇われた。
けれど、このまま知らないふりは、きっともうできない。
「……あの、イタチさん。」
「ん?」
「……あなたのこと、聞いてもいいですか?」
彼はしばらく黙ったまま、視線を月に向けたままだった。
その横顔に緊張が走るのがわかる。けれど、それを拒むでもなく――彼は、静かに口を開いた。
「……何を、知りたい?」
「なんでも。……本当は何を考えてるのか、どんな日々を生きてきたのか……知りたいんです。あなたのこと。」
小さく、風が吹いた。
彼は一度、目を閉じ、それから少しだけ口元をほころばせた。
「奇妙だな……誰にも話そうと思ったことのないことを……君には話してもいいと思える。」
「奇妙でも、うれしいです。」
そう言うと、彼は少し笑って、それから再び視線を遠くへやった。
「……昔、俺には弟がいた。」
「……いた?」
「いや、生きている。……ただ、俺が――弟のすべてを壊した。」
月の光の下、その言葉はあまりに重く響いた。
けれど、結衣は言葉を挟まない。ただ、そっと彼の横に座り直し、同じ景色を見つめる。
「俺は、里の命で――己の一族を滅ぼした。弟だけを残して。」
「……っ」
心が、ぎゅっと締めつけられた。
それがどんなに過酷な命だったか、どんな想いでそれを受け入れたか、想像もできない。
けれど――彼は、その全てを抱えたまま、今ここにいるのだ。
「……どうして、そんな命を……?」
「誰かがやらなければ、里は内側から崩壊していた。争いを止めるために、あえて全てを呑み込んだ。それが、俺にできる唯一の“正しさ”だった。」
彼の声は淡々としていた。だが、その奥にある痛みは、確かに伝わってきた。
「弟には憎まれて当然だ。……そのために、生きている。」
「復讐……されるために?」
「そうだ。弟が俺を超えて初めて、意味がある。俺の命は……そのために使うと決めた。」
結衣は静かに目を伏せた。
優しすぎるのだ、この人は。自分を責めるようにしか生きられない。
だからこそ、誰よりも強くて、孤独で――哀しい。
だからこそ、そっと言った。
「……あなたは、優しい人ですね。」
イタチは、わずかに目を見開いた。
そして、すぐに俯いて、微かに笑った。
「……そう言われる資格はない。」
「……少なくとも、わたしはそう思いました。」
彼の赤い瞳が、こちらを見つめる。
月の光を反射して、ほんの少し揺れていた。
「あなたがどんな人でも……わたしは、あなたを知れてよかったと思っています。」
そう言った結衣の声は震えていたけれど、心は迷っていなかった。
何があっても、この人の哀しみを、見ないふりなんてできない。
ただ傍にいて、ほんの少しでも温かさを届けたい――それが、今の自分の願いだった。
沈黙の中、ふたりの間にやわらかな風が吹いた。
イタチは、それ以上多くを語らなかった。
けれど、肩に触れた風と、彼の目に映った微かな温もりが、言葉より多くを伝えていた。
この夜、ふたりの距離は、ほんの少しだけ近づいた。