ムーンライトシンデレラ
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夜風が、草を撫でて通り過ぎる。
音もなく咲き誇る白い花が、銀色の月光を浴びて揺れていた。
月下美人。
満月の夜にだけ、その純白の姿を現す、一夜限りの花。
――命と同じだ、と、あのとき思った。
イタチは、その丘に立っていた。
仮初の命。
死してなお、背負うべきもののために立たされたこの世の輪廻。
だが今夜は、ただひととき、
人として、ひとりの女を想う男として――
彼はここへ還ってきた。
足元には、草の香り。
耳に届くのは、焚き火の小さな音。
そして――あの、懐かしい声。
「千景、落とさないようにね。ほら、熱いから、気をつけて」
その言葉に、イタチの胸が締めつけられた。
視線の先にいたのは、結衣。
変わらぬやわらかい眼差し。
そしてその隣には、小さな少年――千景がいた。
風が、ふわりと二人の髪を揺らす。
結衣が、不意に顔を上げた。
そして、見つけた。
あの人を。
「……イタチ、さん……?」
彼女の声が、月の下に落ちた。
静かに、深く、祈りのように響いた。
イタチは歩み寄る。
ひとつひとつの足音が、まるで時を逆に辿っていくかのようだった。
「……逢えて、よかった」
それは、仮初の命を得た男の、
人間としての、心からの言葉だった。
結衣は震える声で答えた。
「わたしも……わたしも、逢いたかった……ずっと」
千景が、不思議そうに見つめている。
イタチの深紅の瞳が、彼に注がれた。
「名前を、聞いてもいいか」
「ちかげ。母さんがつけた。千の景色を、ひとつずつ見てほしいって」
「……いい名だ」
イタチの声が、風に溶ける。
結衣がそっと、彼の手を取った。
その手は冷たかった。けれど、確かに生きていた。
「あなたの命は、終わってなどいません。
ちゃんと、ここに生きています――この子の中に」
イタチの胸に、熱い何かが込み上げた。
「ありがとう……生きて、くれて。
君が、俺のすべてを受け取ってくれた」
彼は千景の頭に手を添えた。
優しく、父として、ひとときの愛を注ぐように。
そして結衣に向き直る。
「俺は……もう、行かなければならない」
「……わかっています」
「けれど、これで……思い残すことは、もうない」
結衣は涙を堪えて笑った。
手を伸ばして、彼の頬に触れた。
「……愛しています。今でも、ずっと」
イタチは、その言葉に目を閉じた。
そして――小さく頷いた。
「俺もだ」
そのとき、花が風に揺れた。
白い月下美人が、二人の間をやさしく揺らめかせる。
その香りを、胸いっぱいに吸い込みながら、
イタチは微笑む。
「月が綺麗だな……君と見られて、よかった」
風が吹いた。
静かに、彼の姿が薄れていく。
仮初の命が、再び帰るべき場所へと還っていく。
結衣と千景は、何も言わずに立ち尽くしていた。
ただ、風の向こうに残された彼の温もりを、心で受けとめていた。
そして、少年が小さく呟く。
「母さん……あの人、ぼくを、撫でてくれたね」
結衣は頷き、息を飲むように空を見上げた。
「ええ……あなたのお父さんよ」
夜空の月が、白くまるく、ふたりを照らす。
花が咲き、夜が更けて、ひとつの愛が永遠になった。
――その丘には、もう誰もいない。
けれど月下美人だけが、今年も変わらず、白く咲いていた。
愛とは、命を越えても、咲き続けるもの。
たった一夜でも、それは永遠。
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