万華鏡
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桔梗は、本当の名前を月子と言った。
貧乏な家に生まれた双子の片割だった。妹が瓜二つの綺麗な顔をしていたが、体が弱く両親も可愛がっていたので、月子だけが端金で遊郭に売られた。
家よりも遊郭での暮らしは格段に贅沢で、芸事を覚えるのは楽しかったし、文字もすらすらと覚えられた。悪いことは何もないと思ったが、姐さんの嬌声を毎晩聞きながら、いつか愛してもいない男に抱かれるためにこれをこなしているのかと思うと虚しい時もあった。いずれにしろ、素晴らしい太夫になると禿の頃から期待されていた。
水揚げの儀、すなわち初めて遊女として客をとる日を数日後に控えて、月子はデイダラと出会った。姐さんたちがほかのお客にしなだれかかり楽しそうに談笑しているなか、沈んだ顔の月子に気づいてくれた。幼い顔で笑うのに誠実な態度の彼に、思わず弱音を打ち明けた。姐さんに聞かれたらきっと怒られるだろうが、デイダラは真剣に聞いてくれた。
遊女なんて、今にも死にそうな老人に抱かれるのなんて嫌だ。それまで黙っていたデイダラが、今にも死にそうな婆さんだったら抱きたくない、と神妙な顔で言ったので、月子は吹き出してしまった。
「お、笑ったな。お前、笑ったほうがかわいいじゃねーか、うん。すましてないでそうやってふつーにしとけ。体ばっか求めるジジイなんて気にすんな、今度は下手くそって蹴っ飛ばしちまえ。ほんとの笑顔をいい客だけに見せたらいい」
重い荷物が下ろされて、固まっていた体も心もほぐれていくようだった。
彼は年の割に幼な顔で、真面目なのに少年のようにかわいらしいところもあって、その情事は情熱的で大変魅力的だという噂があった。色んな遊女を本気にして泣かせている罪深い色男だとも。月子には関係のないことだと思っていたが、今この人を目の前にして、甘い予感に胸がしびれていた。
そして月子はデイダラの言葉だけを頼りにして、初めて女として上客の老人に抱かれた。
月子が客をとるようになって幾月か経った。紫陽花がむせかえるように咲く頃。霧雨が降っていた。
「……姉さん?」
張り見世の中で客を待っていた時、思いもかけないことが起こった。ほかの遊女たちもざわついた。月子とそっくりの顔の女がそこにいたからだ。あ、と掠れた声が出た。
「姉さん!久しぶりね、綺麗な着物にお化粧をして……とっても綺麗ね……元気そうで何よりだわ。あらいやだ、女の身で張り見世の前を陣取ってしまって恥ずかしいわね。姉さん、父さんと母さんも元気よ。あとね、わたし結婚したの。職人をしているひと。とても面白いお方よ。そう、主人がこの先で待っているの。仕事先の方との宴会で、わたしを紹介したいのだとかで……あのね、今度子供も産まれるの。姉さんがここにいるのなら、産まれたら連れてきてもいいかしら。きっと見てほしいわあ」
妹。ふっくらとした腹を片手でさすり、無邪気に傘をくるくると回して雨の滴を跳ね上げている、妹。対してわたしは金を落としてくれる男を待つ、監獄の中。わたしが客に抱かれているとき、妹は愛する人に抱かれて子供を授かったのか。同じとき、同じ腹から産まれて、どうしてこうも違う。見下しているのかただ無邪気なだけなのか、どちらにしろ残酷な妹の笑みに、悔しさに唇を噛みしめた。言葉の代わりにぼろぼろと涙が溢れた。
「まあっ姉さんどうしたの……やっぱり遊女ってお辛いのね。あのとき、わたしが売られてくれば良かったのに……」
「あんたにゃこの仕事はできねえよ」
声がして、妹の後ろからひょっこりと姿を現したのは雨に額を濡らしたデイダラだった。
「オイ、世間知らずの嬢ちゃん。主人がこんな花街であんたを待ってるだって?ちゃんと手綱をつけといてもらった方が良いんじゃねえか?」
「まっ、なあに、失礼な方……姉さん、またきますね」
同情して涙目にまでなっていた妹が急に眉を潜め、いそいそと去っていく。遊女たちも静かに悪態をついたが、気を取り直すと目の前に現れたデイダラに甘い声でねだり、言い寄っていく。
月子は情けないことに涙が止まらなかった。いつもの調子を取り戻すことができそうにない。一度引っ込もうと腰を上げかける。
「……っ」
「顔ぐしゃぐしゃじゃねえか。オイラも傘忘れちまってびしょ濡れだ。中入れてあっためてくれねえか?」
そう言って雨を受けるように、月子を受け入れるように両手を広げるデイダラ。その後ろでは通行人が持ち主不明の番傘を邪魔くさそうに蹴っ飛ばしていた。
月子はその日、初めてデイダラに買われた。
結局、抱かれなかったのだが。夜通し話をした。デイダラは静かに相槌を打ち、時折自分の話もした。月子の目から涙が溢れると優しく子供をあやすように頭を撫でた。夜がふけ、朝の空が白んだ。
生きてきていちばん、幸せな時間だと思った。体を重ねるよりも心がつながってこんなにも満たされる。この人を愛していると思った。デイダラもそうであれば良いと願った。
「デイダラさんがいつかわっちのこと、迎えにきてくれる?」
貧乏な家に生まれた双子の片割だった。妹が瓜二つの綺麗な顔をしていたが、体が弱く両親も可愛がっていたので、月子だけが端金で遊郭に売られた。
家よりも遊郭での暮らしは格段に贅沢で、芸事を覚えるのは楽しかったし、文字もすらすらと覚えられた。悪いことは何もないと思ったが、姐さんの嬌声を毎晩聞きながら、いつか愛してもいない男に抱かれるためにこれをこなしているのかと思うと虚しい時もあった。いずれにしろ、素晴らしい太夫になると禿の頃から期待されていた。
水揚げの儀、すなわち初めて遊女として客をとる日を数日後に控えて、月子はデイダラと出会った。姐さんたちがほかのお客にしなだれかかり楽しそうに談笑しているなか、沈んだ顔の月子に気づいてくれた。幼い顔で笑うのに誠実な態度の彼に、思わず弱音を打ち明けた。姐さんに聞かれたらきっと怒られるだろうが、デイダラは真剣に聞いてくれた。
遊女なんて、今にも死にそうな老人に抱かれるのなんて嫌だ。それまで黙っていたデイダラが、今にも死にそうな婆さんだったら抱きたくない、と神妙な顔で言ったので、月子は吹き出してしまった。
「お、笑ったな。お前、笑ったほうがかわいいじゃねーか、うん。すましてないでそうやってふつーにしとけ。体ばっか求めるジジイなんて気にすんな、今度は下手くそって蹴っ飛ばしちまえ。ほんとの笑顔をいい客だけに見せたらいい」
重い荷物が下ろされて、固まっていた体も心もほぐれていくようだった。
彼は年の割に幼な顔で、真面目なのに少年のようにかわいらしいところもあって、その情事は情熱的で大変魅力的だという噂があった。色んな遊女を本気にして泣かせている罪深い色男だとも。月子には関係のないことだと思っていたが、今この人を目の前にして、甘い予感に胸がしびれていた。
そして月子はデイダラの言葉だけを頼りにして、初めて女として上客の老人に抱かれた。
月子が客をとるようになって幾月か経った。紫陽花がむせかえるように咲く頃。霧雨が降っていた。
「……姉さん?」
張り見世の中で客を待っていた時、思いもかけないことが起こった。ほかの遊女たちもざわついた。月子とそっくりの顔の女がそこにいたからだ。あ、と掠れた声が出た。
「姉さん!久しぶりね、綺麗な着物にお化粧をして……とっても綺麗ね……元気そうで何よりだわ。あらいやだ、女の身で張り見世の前を陣取ってしまって恥ずかしいわね。姉さん、父さんと母さんも元気よ。あとね、わたし結婚したの。職人をしているひと。とても面白いお方よ。そう、主人がこの先で待っているの。仕事先の方との宴会で、わたしを紹介したいのだとかで……あのね、今度子供も産まれるの。姉さんがここにいるのなら、産まれたら連れてきてもいいかしら。きっと見てほしいわあ」
妹。ふっくらとした腹を片手でさすり、無邪気に傘をくるくると回して雨の滴を跳ね上げている、妹。対してわたしは金を落としてくれる男を待つ、監獄の中。わたしが客に抱かれているとき、妹は愛する人に抱かれて子供を授かったのか。同じとき、同じ腹から産まれて、どうしてこうも違う。見下しているのかただ無邪気なだけなのか、どちらにしろ残酷な妹の笑みに、悔しさに唇を噛みしめた。言葉の代わりにぼろぼろと涙が溢れた。
「まあっ姉さんどうしたの……やっぱり遊女ってお辛いのね。あのとき、わたしが売られてくれば良かったのに……」
「あんたにゃこの仕事はできねえよ」
声がして、妹の後ろからひょっこりと姿を現したのは雨に額を濡らしたデイダラだった。
「オイ、世間知らずの嬢ちゃん。主人がこんな花街であんたを待ってるだって?ちゃんと手綱をつけといてもらった方が良いんじゃねえか?」
「まっ、なあに、失礼な方……姉さん、またきますね」
同情して涙目にまでなっていた妹が急に眉を潜め、いそいそと去っていく。遊女たちも静かに悪態をついたが、気を取り直すと目の前に現れたデイダラに甘い声でねだり、言い寄っていく。
月子は情けないことに涙が止まらなかった。いつもの調子を取り戻すことができそうにない。一度引っ込もうと腰を上げかける。
「……っ」
「顔ぐしゃぐしゃじゃねえか。オイラも傘忘れちまってびしょ濡れだ。中入れてあっためてくれねえか?」
そう言って雨を受けるように、月子を受け入れるように両手を広げるデイダラ。その後ろでは通行人が持ち主不明の番傘を邪魔くさそうに蹴っ飛ばしていた。
月子はその日、初めてデイダラに買われた。
結局、抱かれなかったのだが。夜通し話をした。デイダラは静かに相槌を打ち、時折自分の話もした。月子の目から涙が溢れると優しく子供をあやすように頭を撫でた。夜がふけ、朝の空が白んだ。
生きてきていちばん、幸せな時間だと思った。体を重ねるよりも心がつながってこんなにも満たされる。この人を愛していると思った。デイダラもそうであれば良いと願った。
「デイダラさんがいつかわっちのこと、迎えにきてくれる?」