つまり、愛してるってことさ
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ひとつの言い訳もできないキスをしてしまった。
一度、触れた彼女の唇はやけに甘く、潤んでいて。そのまま悪いと顔を離せば良かったものを、気がついた時には二度三度、オレはアキの口唇に自身の唇を押し付けていた。
恐れていた抵抗は一切なかった。一度、驚いたように身体を硬くはした彼女は、触れたモノの正体がオレの唇であることを理解すると、とろりと目元を蕩けさせ、腰で撓んだオレの草臥れたシャツをその細い指で柔らかく握りしめた。──好かれているかもしれない──そんな、都合のいい妄想だと見ないふりをし続けていた彼女からの好意が目に見えてしまった瞬間でも、あった。
夕陽に透けたアキの長いまつ毛がやけに綺麗だったことを昨日のことのように思い出しながら、手にしていたペーパーカップの中身を一気に煽る。カップの中で揺れていた香りも何もない、ただただ苦いばかりの黒い液体はそれでも口の中に残る彼女の舌の甘さを消すにはまだ、足りなかった。
空になったカップを手の中でぐしゃりと握り潰してデスクに突っ伏す。胸の中で凝った澱を吐き出すように、口からくぐもった呻き声が溢れて落ちた。
──好きだ──
たったひとこと、たった3文字を伝えればいいだけの話である。ほぼ、好いているのだと申告しているも同義である行為を受け入れられているのだから何も怯えることはない。それなのに、オレは最後の一歩を踏み出すことに躊躇していた。のろのろと伏せていた頭を持ち上げ、日本の腕で額を支えて肘をつく。目の前にブラッドの手で積まれた数冊の参考書を引き寄せて指先でぱらぱらと捲る、紙を埋める小さな文字が眼前で踊る。しかし、その小さな印刷面はオレの目を滑っていき、思考は別の場所へと沈んでいく。
──ヒトにはそれ相応の分、と言うものが存在する。
幼い頃からその事実はオレの身に否応なく、降り掛かってきていたからよく、わかる。そんな、身の丈にあっているクソみたいな生活から抜け出したくてヒーローになったのだ。他人に脅かされない生活、明日を考えなくていい食事に生きていくのに困らない程度の金……欲しい、子供の頃そう思っていたものを全て手に入れて尚、彼女を求めてしまってもいいものかどうか、オレはずっと、測りかねていた。そのくらい、そんなことを思ってしまうくらい、彼女は何もかもが美しかったのだ。
愛されて、慈しまれて、宝物のように育てられた高嶺に咲く花である。世の中の汚いものなんて何一つ教わらずに育った美しいいきものにオレの俗っぽい欲を押し付けることが怖いのだ。大切に、大切に触れていたのに、俗っぽい邪な気持ちなど見せないように触れていたのに。そんな、なけなしの自制心を全て忘れて、あの日オレはアキにキスをした。してしまった。忘れてくれ、なんて最低な言葉と一緒に。
「………」
心ここに在らず。そんな調子で頁を捲っていた指の先に影が落ちる。「珍しいね」降ってきた言葉を追いかけるように視線を上げると、深い色をした、女の瞳と視線が絡んだ。「……… アキ」 呼んだ名前に彼女の眦がふわりと緩み、流れるような動作で隣の椅子に腰かける。オレが気にしないように、困った顔を作らせないように、何事も無かった顔で振る舞うその姿に彼女への思いがまたひとつ、降って、積もる。
「ブラッドくんから借りたやつ、ね」
「借りたっつうか」
押し付けられたっつうか
答えるオレの言葉になんとなく、そんな風情で頷きながら、身を乗り出してアキがこちらの手元の本に触れる。手のひらひとつぶん、近くなった距離からふわりと花の匂いが甘く香った。
「結局、受けるのね昇級試験」
「……あいつらも受けるって言うし、な」
オレは別に星が2つのままでも構わないんだが。そう、言おうとした言葉がじっと見つめるアキの視線に絡め取られて喉の奥に仕舞い込まれる。深く、暗い色をしている癖にオレなんかよりもずっと明るくちらつく彼女の瞳がカフェテリアのライトに反射して星が砕けたように、瞬いた。せめて、一つでも胸を張れるような物差しが、あれば、この不釣り合いな天秤も少しは平行に、傾くのではないだろうか……そんな、都合のいい言い訳が脳裏を過ぎる。
「……気が変わった」
「え?」
「もう少し、真面目にやるか……って、思っただけだよ」
受かったら喜んでくれるだろ?
アキの表情を伺うように、下から覗く。オレの打算なんて全く気がついていない顔をして「その時は、二人でお祝いしましょうか」そう言って、差し出した小指を絡めて仄かに、甘く彼女は笑った。幸せそうに、頑張ろうね、と声を弾ませる無邪気な姿を見て、あと、少しの努力で彼女を抱きしめる権利を得られるのだ、とオレはすっかり、浮かれていた。目に見える幸せな未来しか、思い描けていたかったのだ。
この後、手に届くほど近くにあった未来が酷く、遠いモノになる事を、あの時のオレはまだ、知る由もなかったのだから。
一度、触れた彼女の唇はやけに甘く、潤んでいて。そのまま悪いと顔を離せば良かったものを、気がついた時には二度三度、オレはアキの口唇に自身の唇を押し付けていた。
恐れていた抵抗は一切なかった。一度、驚いたように身体を硬くはした彼女は、触れたモノの正体がオレの唇であることを理解すると、とろりと目元を蕩けさせ、腰で撓んだオレの草臥れたシャツをその細い指で柔らかく握りしめた。──好かれているかもしれない──そんな、都合のいい妄想だと見ないふりをし続けていた彼女からの好意が目に見えてしまった瞬間でも、あった。
夕陽に透けたアキの長いまつ毛がやけに綺麗だったことを昨日のことのように思い出しながら、手にしていたペーパーカップの中身を一気に煽る。カップの中で揺れていた香りも何もない、ただただ苦いばかりの黒い液体はそれでも口の中に残る彼女の舌の甘さを消すにはまだ、足りなかった。
空になったカップを手の中でぐしゃりと握り潰してデスクに突っ伏す。胸の中で凝った澱を吐き出すように、口からくぐもった呻き声が溢れて落ちた。
──好きだ──
たったひとこと、たった3文字を伝えればいいだけの話である。ほぼ、好いているのだと申告しているも同義である行為を受け入れられているのだから何も怯えることはない。それなのに、オレは最後の一歩を踏み出すことに躊躇していた。のろのろと伏せていた頭を持ち上げ、日本の腕で額を支えて肘をつく。目の前にブラッドの手で積まれた数冊の参考書を引き寄せて指先でぱらぱらと捲る、紙を埋める小さな文字が眼前で踊る。しかし、その小さな印刷面はオレの目を滑っていき、思考は別の場所へと沈んでいく。
──ヒトにはそれ相応の分、と言うものが存在する。
幼い頃からその事実はオレの身に否応なく、降り掛かってきていたからよく、わかる。そんな、身の丈にあっているクソみたいな生活から抜け出したくてヒーローになったのだ。他人に脅かされない生活、明日を考えなくていい食事に生きていくのに困らない程度の金……欲しい、子供の頃そう思っていたものを全て手に入れて尚、彼女を求めてしまってもいいものかどうか、オレはずっと、測りかねていた。そのくらい、そんなことを思ってしまうくらい、彼女は何もかもが美しかったのだ。
愛されて、慈しまれて、宝物のように育てられた高嶺に咲く花である。世の中の汚いものなんて何一つ教わらずに育った美しいいきものにオレの俗っぽい欲を押し付けることが怖いのだ。大切に、大切に触れていたのに、俗っぽい邪な気持ちなど見せないように触れていたのに。そんな、なけなしの自制心を全て忘れて、あの日オレはアキにキスをした。してしまった。忘れてくれ、なんて最低な言葉と一緒に。
「………」
心ここに在らず。そんな調子で頁を捲っていた指の先に影が落ちる。「珍しいね」降ってきた言葉を追いかけるように視線を上げると、深い色をした、女の瞳と視線が絡んだ。「……… アキ」 呼んだ名前に彼女の眦がふわりと緩み、流れるような動作で隣の椅子に腰かける。オレが気にしないように、困った顔を作らせないように、何事も無かった顔で振る舞うその姿に彼女への思いがまたひとつ、降って、積もる。
「ブラッドくんから借りたやつ、ね」
「借りたっつうか」
押し付けられたっつうか
答えるオレの言葉になんとなく、そんな風情で頷きながら、身を乗り出してアキがこちらの手元の本に触れる。手のひらひとつぶん、近くなった距離からふわりと花の匂いが甘く香った。
「結局、受けるのね昇級試験」
「……あいつらも受けるって言うし、な」
オレは別に星が2つのままでも構わないんだが。そう、言おうとした言葉がじっと見つめるアキの視線に絡め取られて喉の奥に仕舞い込まれる。深く、暗い色をしている癖にオレなんかよりもずっと明るくちらつく彼女の瞳がカフェテリアのライトに反射して星が砕けたように、瞬いた。せめて、一つでも胸を張れるような物差しが、あれば、この不釣り合いな天秤も少しは平行に、傾くのではないだろうか……そんな、都合のいい言い訳が脳裏を過ぎる。
「……気が変わった」
「え?」
「もう少し、真面目にやるか……って、思っただけだよ」
受かったら喜んでくれるだろ?
アキの表情を伺うように、下から覗く。オレの打算なんて全く気がついていない顔をして「その時は、二人でお祝いしましょうか」そう言って、差し出した小指を絡めて仄かに、甘く彼女は笑った。幸せそうに、頑張ろうね、と声を弾ませる無邪気な姿を見て、あと、少しの努力で彼女を抱きしめる権利を得られるのだ、とオレはすっかり、浮かれていた。目に見える幸せな未来しか、思い描けていたかったのだ。
この後、手に届くほど近くにあった未来が酷く、遠いモノになる事を、あの時のオレはまだ、知る由もなかったのだから。
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