つまり、愛してるってことさ
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一緒に食事をした日の帰り、彼は必ず私を玄関の前まで送り届けてくれる。
ふたりだけで食事をした日はもとより、その席に他の誰かが居たとしても、黙ってふらりと二次会の輪から離れた私を「流石に夜半に独りで帰るなよ、お嬢さん」そう言って、キースは私の頭を優しく撫でるのだ。
……だから、と言ってしまうと可笑しな話かもしれない。ただ、その日は昼間との気温の差が激しくて、彼の着ているものが薄手のシャツ一枚で、いつものように私が玄関のドアを閉めてしまうのを律儀に待っているキースと私の間をひゅう、と冷たい風が吹き抜けていって──彼が寒そうに肩を竦めて。……だから、仕方がなかったのだ。
ドアノブを引く手に少しだけ力を込めて閉じかけていたドアを押し開ける。どうした?忘れ物か?そんな顔をした青年の少しだけ草臥れたシャツの袖を逃げられないように指の先で捕まえた。──私から、この人に触れたのは初めてだ──そんな、関係のないことを思う。私が今、言おうとしている言葉を聞いたらキースはどんな反応を返すだろうか。迂闊なことを言うなと怒る?幻滅した──とは流石に言われないと、思いたい。だって、だって今日は急に寒くなったから。だって、君がなんだか寒そうだったから。
「少しだけ、上がって行ったら如何かしら」
──温かいものなんて、お茶くらいしか出せないけれど。
「……はぁ?」
私の言葉に、動揺したみたいに震えた彼の声を聞いて思わず笑みが溢れた。お父さん、お母さん、鳩が豆鉄砲を喰らった顔。貴方たちがよく言っていた日本の諺の鳩ってきっと、こんな顔をしていたのね。
▽
古めかしいデザインのケトルにたっぷりと水を入れて、IHコンロのスイッチを入れる。カチカチとつまみを回すタイプのノスタルジックなガスコンロの方が、個人的には好みなのだけれど、昨今のセントラルの単身用マンションは大抵が新型のIHコンロを採用している。災害対策だと言われて仕舞えばそれまでではあるのだけれど。
そんな、如何でもいいことを考えながら沸騰したお湯でカップを温める。別の器に移したお湯を少しぬるくなる程度に冷ましている間に茶葉をポットに移していく。父の故郷ではこうやってお茶を淹れて飲むのだと母に聞いたのは私が趣味で紅茶以外の茶葉にも手を出すようになった頃だった。時間は掛かるけれど、掛ければかけただけ美味しいものができるのだと話していた母はどんな表情をしていただろうか。そんなことを考えながら、ぽたりぽたりとケトルから落ちていく水滴を眺め、ひとり、思考の海に沈んでいく。
──冷えた身体を暖める。それだけの理由ならもっと時間の掛からない茶葉を選んだってよかったのに。なんだって私はわざわざ時間のかかる父の故郷のお茶なんて淹れているのだろうか。
冷ましたお湯をポットに流し込んで、また少し時間を置く。背後からはさわさわと音量を絞ったテレビの音声とそれに紛らた手持ち無沙汰を隠すような咳払い。煙草を吸わない私からは絶対にしない燻った煙の匂いが部屋に仄かに漂っているのがなんだかくすぐったくて、もう少しいてくれたっていいのにな。などと考えたところではた、と思考が止まった。
──私、今。もっと……もっと彼と一緒にいたい。もしかして、そう……思った?
ぐ、と思い至ってしまった可能性の衝撃で一瞬呼吸が詰まる。動揺している自分の気持ちを落ち着かせるように深く……静かに息を吸って、細く、長く吐き出した。驚きと戸惑いで頭から血の気が引いた感覚がして思わずコンロの淵に体重を支えるように手のひらをつく。
まさか、こんな、このタイミングで気がつくだなんて
シャツの裾を掴んで引き留めたのも、キースが部屋にいる気配のする心地よさも、長くいてほしいと無意識に時間のかかる飲み物を用意している自分がいることにも、一切合切、全てに理由がついてしまった。彼を自分の部屋に引き入れたことに気恥ずかしさが襲いかかる。私、変なもの、置いてなかったかしら?
「…… アキ?」
背後の気配が濃くなって、思っていたよりもだいぶ近い距離から声を掛けられた。私が急にコンロの縁に手を掛けたのを見留めて体調を心配してくれたのだろう。無理してまで飲み物なんて用意しなくていい。座れるか?腰を折って声をかけてくれているのだろうか、いつも感じているよりもずっと近くで聞こえる低い声に心拍数が跳ね上がる。どくどくと身体中の熱が一部分に集まって顔を上げることができなかった。耳元がやけに熱くて、自分がみっともなく赤くなっていることだけがよくわかる。ああ、なんでこのタイミングで気がついてしまったんだろう。
「……大丈夫」
「大丈夫……ってお前」
「動きにくいから、少しだけ身体を話してもらえたら嬉しい……かな」
言葉を返しながら、小さく口の端を引き上げる。今の私はきちんと笑えているだろうか?
夏の終わりみたいなくすんだオリーブ色の瞳が私のことを凝っと見ているのがわかる。見ていて欲しくて、見て欲しくなくて。正反対の感情が自分の中でぐるぐると目まぐるしく行ったり来たりしている。なんだか落ち着かなくて……でも、それが妙にくすぐったくて心地がいい。
──如何したらいいんだろう。こんな気持ち、誰も教えてくれなかったじゃないか
恋、だなんて前代未聞の感情。私が抱えてしまうには荷が重すぎるのだ。
ふたりだけで食事をした日はもとより、その席に他の誰かが居たとしても、黙ってふらりと二次会の輪から離れた私を「流石に夜半に独りで帰るなよ、お嬢さん」そう言って、キースは私の頭を優しく撫でるのだ。
……だから、と言ってしまうと可笑しな話かもしれない。ただ、その日は昼間との気温の差が激しくて、彼の着ているものが薄手のシャツ一枚で、いつものように私が玄関のドアを閉めてしまうのを律儀に待っているキースと私の間をひゅう、と冷たい風が吹き抜けていって──彼が寒そうに肩を竦めて。……だから、仕方がなかったのだ。
ドアノブを引く手に少しだけ力を込めて閉じかけていたドアを押し開ける。どうした?忘れ物か?そんな顔をした青年の少しだけ草臥れたシャツの袖を逃げられないように指の先で捕まえた。──私から、この人に触れたのは初めてだ──そんな、関係のないことを思う。私が今、言おうとしている言葉を聞いたらキースはどんな反応を返すだろうか。迂闊なことを言うなと怒る?幻滅した──とは流石に言われないと、思いたい。だって、だって今日は急に寒くなったから。だって、君がなんだか寒そうだったから。
「少しだけ、上がって行ったら如何かしら」
──温かいものなんて、お茶くらいしか出せないけれど。
「……はぁ?」
私の言葉に、動揺したみたいに震えた彼の声を聞いて思わず笑みが溢れた。お父さん、お母さん、鳩が豆鉄砲を喰らった顔。貴方たちがよく言っていた日本の諺の鳩ってきっと、こんな顔をしていたのね。
▽
古めかしいデザインのケトルにたっぷりと水を入れて、IHコンロのスイッチを入れる。カチカチとつまみを回すタイプのノスタルジックなガスコンロの方が、個人的には好みなのだけれど、昨今のセントラルの単身用マンションは大抵が新型のIHコンロを採用している。災害対策だと言われて仕舞えばそれまでではあるのだけれど。
そんな、如何でもいいことを考えながら沸騰したお湯でカップを温める。別の器に移したお湯を少しぬるくなる程度に冷ましている間に茶葉をポットに移していく。父の故郷ではこうやってお茶を淹れて飲むのだと母に聞いたのは私が趣味で紅茶以外の茶葉にも手を出すようになった頃だった。時間は掛かるけれど、掛ければかけただけ美味しいものができるのだと話していた母はどんな表情をしていただろうか。そんなことを考えながら、ぽたりぽたりとケトルから落ちていく水滴を眺め、ひとり、思考の海に沈んでいく。
──冷えた身体を暖める。それだけの理由ならもっと時間の掛からない茶葉を選んだってよかったのに。なんだって私はわざわざ時間のかかる父の故郷のお茶なんて淹れているのだろうか。
冷ましたお湯をポットに流し込んで、また少し時間を置く。背後からはさわさわと音量を絞ったテレビの音声とそれに紛らた手持ち無沙汰を隠すような咳払い。煙草を吸わない私からは絶対にしない燻った煙の匂いが部屋に仄かに漂っているのがなんだかくすぐったくて、もう少しいてくれたっていいのにな。などと考えたところではた、と思考が止まった。
──私、今。もっと……もっと彼と一緒にいたい。もしかして、そう……思った?
ぐ、と思い至ってしまった可能性の衝撃で一瞬呼吸が詰まる。動揺している自分の気持ちを落ち着かせるように深く……静かに息を吸って、細く、長く吐き出した。驚きと戸惑いで頭から血の気が引いた感覚がして思わずコンロの淵に体重を支えるように手のひらをつく。
まさか、こんな、このタイミングで気がつくだなんて
シャツの裾を掴んで引き留めたのも、キースが部屋にいる気配のする心地よさも、長くいてほしいと無意識に時間のかかる飲み物を用意している自分がいることにも、一切合切、全てに理由がついてしまった。彼を自分の部屋に引き入れたことに気恥ずかしさが襲いかかる。私、変なもの、置いてなかったかしら?
「…… アキ?」
背後の気配が濃くなって、思っていたよりもだいぶ近い距離から声を掛けられた。私が急にコンロの縁に手を掛けたのを見留めて体調を心配してくれたのだろう。無理してまで飲み物なんて用意しなくていい。座れるか?腰を折って声をかけてくれているのだろうか、いつも感じているよりもずっと近くで聞こえる低い声に心拍数が跳ね上がる。どくどくと身体中の熱が一部分に集まって顔を上げることができなかった。耳元がやけに熱くて、自分がみっともなく赤くなっていることだけがよくわかる。ああ、なんでこのタイミングで気がついてしまったんだろう。
「……大丈夫」
「大丈夫……ってお前」
「動きにくいから、少しだけ身体を話してもらえたら嬉しい……かな」
言葉を返しながら、小さく口の端を引き上げる。今の私はきちんと笑えているだろうか?
夏の終わりみたいなくすんだオリーブ色の瞳が私のことを凝っと見ているのがわかる。見ていて欲しくて、見て欲しくなくて。正反対の感情が自分の中でぐるぐると目まぐるしく行ったり来たりしている。なんだか落ち着かなくて……でも、それが妙にくすぐったくて心地がいい。
──如何したらいいんだろう。こんな気持ち、誰も教えてくれなかったじゃないか
恋、だなんて前代未聞の感情。私が抱えてしまうには荷が重すぎるのだ。