第二章:生誕祭の舞踏会《前編》

​眩いばかりのクリスタル・シャンデリアの光が、大広間を埋め尽くす貴族たちの宝石を照らし出していた。
今夜は現・宰相の生誕祭。
王宮の最高峰の権力者が主催するこの舞踏会は、出席すること自体が一流の証とされる、社交界最大の夜だ。
その華やかな会場で、ひときわ人々の視線を集めていたのは、やはり彼女──ヴィクトワール・ド・モントルシー公爵令嬢だった。
今夜の彼女は、夜空の青を写し取ったような深いサファイアブルーのドレスを纏い、誇り高き薔薇の如き美しさで大理石の床を進んでいく。
その隣で、いかにも誇らしげに胸を張っているのは、若きエリート・レイモン侯爵だった。

​「素晴らしい夜ですね、ヴィクトワール。誰もが君の美しさに息を呑んでいる。
今夜、僕たちがファーストダンスを踊れば、社交界は完全に僕たちのものとなる。君にふさわしい男は、このフランス広しと言えども僕しかいない」

​レイモンは甘い微笑みを浮かべ、ヴィクトワールのエスコート役に収まっていることに陶酔しきっていた。
家柄も容姿も完璧。
親同士が薦める婚約者候補としては、これ以上ない男だった。

​「ええ、本当に素敵な夜ですわ、レイモン侯爵」

​ヴィクトワールは扇子を優雅に揺らし、完璧な、けれどどこか冷ややかな微笑みを返した。
彼女の耳には、レイモンの自信に満ちた自慢話など、ほとんど入っていなかった。

​(……あの、ずるい狐)
脳裏をよぎるのは、一週間前のあの夜、月明かりの回廊で不敵に笑った衛兵──アルベールの瞳。

​『一人の男として、あなたを正式にダンスに誘いに参ります』

​あの傲慢な誓いが、ドレスの奥の胸をわずかにザワつかせる。
(本当に来るのかしら。……まぁ、私には関係ないわ。いくらルブラン家の当主とはいえ、今は衛兵の身。どうやってこの厳しい警備の目を盗んで、宰相閣下の舞踏会に紛れ込むというの?)
来られるはずがない。
そもそも、彼がどうなろうと私には一切関係のないこと。
──そう自分に言い聞かせ、前を向く。
それでも、ヴィクトワールはレイモンの腕に手を添えたまま、無意識のうちに、大広間の大扉の方へと視線を走らせてしまっていた。
新しく客人が到着し、扉が開くたびに、扇子を握る指先にほんの少しだけ力がこもる。

​「ヴィクトワール? どうかしましたか、入り口ばかり見て」

​「いいえ? なんでもありませんわ、レイモン。……少し、夜風が恋しくなっただけです」

​そう答えた瞬間だった。
大広間の大扉がゆっくりと左右へ開かれ、新しく到着した客人の名を告げる式部官の高らかな声が響き渡った。

​「──ルブラン子爵、アルベール・ド・ルブラン殿!」

​その名が呼ばれた瞬間、会場の空気が一変した。
「ルブラン? あの没落した……?」「なぜ彼がここに?」と、周囲の貴族たちから一斉に囁き声が漏れる。
​ヴィクトワールはハッとして入り口を振り返った。
大扉の向こうから歩を進めてきたその男の姿に、彼女の灰緑の瞳が大きく見開かれる。
そこにいたのは、深い藍色の衛兵の軍服を脱ぎ捨て、誰も見たことのないような極上の夜会服に身を包んだ男だった。
仕立ての良い漆黒の上着は、彼の引き締まった長身をこれ以上なく気高く引き立てている。
洗練された身のこなし、纏う圧倒的な気品──それは、並み居る名門貴族たちを黙らせるほどの「格」を持っていた。

(なにあの上等な仕立て……。一体どこでそんな服を工面したのよ、あの泥まみれの狐が……っ)
ヴィクトワールは心の中で毒づくことで、胸の高鳴りを必死に隠そうとした。
​アルベールは、自分に向けられる驚愕と好奇の視線を悠然と受け流しながら、まっすぐにヴィクトワールの方へと歩いてくる。
細められた瞳には、あの夜と同じ、いたずらっぽくきらめく「狐」の光が宿っていた。
彼がヴィクトワールとレイモンの目の前まで辿り着いた、まさにその瞬間──。
ゴーン、とファーストダンスの幕開けを告げる鐘の音が、大広間に響き渡った。

​「さあ、行きましょうか、我が美しい公爵令嬢」

​隣のレイモン侯爵が、鐘の音に合わせて自信満々にヴィクトワールへ右手を差し出そうとした。
しかし、それよりも一瞬早く。
アルベールが流れるような優雅さで一歩前に踏み出し、レイモンの動きを遮るようにして、ヴィクトワールの前にすっと完璧な仕草で右手を差し出したのだ。

​「お待たせいたしました、ヴィクトワールお嬢様」

​アルベールは激昂しかけているレイモン侯爵を一顧いっこだにせず、ヴィクトワールだけを見つめて、不敵に、そして残酷なほど美しく微笑んだ。

​「──約束通り、ずるい狐も紛れ込めるほど、華やかな夜会に参りました。どうか、僕の手を取っていただけますか?」
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