第五章:静かなる変調

数週間が経ち、王都の不穏な空気は日増しに濃くなっていた。
今夜の夜会もまた、二人は大広間の華やかな喧騒を背に、重厚な扉の向こうへと消えていった。
遠のく管弦楽の調べと香水の残り香が、水面の下へ沈んでいく。
冷え切った回廊へと足を踏み入れた瞬間、先ほどまで扇子の裏で交わしていた完璧な微笑みが、ヴィクトワールの顔からすっと消えた。
​隣を歩くアルベールもまた、周囲に向けていた柔和な仮面をかなぐり捨て、無表情のまま窓の外を眺めている。

​「……気づきました?」

​アルベールが低く問いかける。
窓の向こう、闇に沈む王都の灯りを指差す彼の横顔は、鋭利な刃物のようだ。

​「ええ、いつもよりワインの質が落ちていること、給仕たちの落ち着かない様子……些細な変化に見えて、すべてが繋がっている。この城の底に溜まった泥が、人々の焦燥でかき乱され、水面まで濁り始めているわ」

​ヴィクトワールは扇子を閉じ、冷たい大理石の床をコツ、と鳴らした。

​「父はまだ気づいていないようね。貴方の目には、これがどの程度の速さで崩れるように映っているの?」

​アルベールは窓から視線を戻し、彼女を一瞥一瞥いちべつする。
その瞳には、サロンの柔和さとは別の、冷徹な予見が宿っていた。

​「盤面の崩壊を止める手立ては、もう残っていないでしょう。……僕たちが思っているよりも、ずっと早く終わりは来る」

​その言葉は冷たい回廊の空気に溶け、澱んだ予感を残した。
ヴィクトワールは一瞬だけ彼を見つめ返し、すぐに淑女の微笑みを仮面として装着する。
涙の代わりに毒を吐くことこそが、今の二人にとっての唯一の抱擁だった。

​「……なら、最後までその足元をすくわれぬよう、注意なさい。それがルブラン子爵としての矜持でしょう?」

​アルベールは満足げに、そして酷く哀しげに目を細めた。

​「仰せのままに。では、舞台に戻りましょうか」

​カチャリ、と硬質な音を立てて扉が開く。
サロンの眩いシャンデリアの光と、管弦楽の調べが二人を飲み込んだ。
一歩足を踏み入れると、そこには再び「ルブラン子爵」と「モントルシー公爵令嬢」という、完璧な二人が完成している。
​二人は並んで大広間の中央へ歩みを進める。
周囲の貴族たちは、その姿を見てまたひそひそと噂を始めた。
彼らは知らない。
この二人が、やがて来る終末を共有し、魂を削り合いながら今この瞬間を演じていることを。
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