第四章:剥がれゆく仮面、重なる仮面

翌朝の社交界は、毒を含んだ噂で埋め尽くされていた。
前夜、モントルシー公爵令嬢ヴィクトワールが、ルブラン子爵と踊り明かしたという事実は、令嬢たちの嫉妬と、彼女を追い落としたい者たちの格好の餌食となっていた。
​サロンの片隅。
ヴィクトワールは冷ややかな視線を背中に感じながら、扇子で口元を隠し、完璧な淑女の微笑みを浮かべている。
そこへ、宰相閣下が悠然と歩み寄ってきた。

​「やあ、ヴィクトワール。昨夜は随分と愉しそうだったね」

​宰相は老獪ろうかいな笑みを浮かべ、あえて周囲に聞こえるような声で釘を刺す。
昨夜、宰相は結果的にアルベールを利用して騒ぎを収めた。だが、政治の現実を知る彼だからこそ、今朝の忠告は冷徹だった。

​「あの『古い友人の息子』は少々手癖が悪くてね。火遊びが大好きな男だ。いくら昨夜の恩があるとはいえ、君のような高潔な公爵令嬢が、あのような男とこれ以上深く付き合うものではないよ。家門の名に傷がつく」

​宰相の言葉は、周囲の冷笑を誘う。
昨夜の華やかな主役から一転、ヴィクトワールを社交界から孤立させるための冷たい罠。
ヴィクトワールは扇子を握りしめ、言い返せない現実を前に、喉の奥までせり上がった悔しさを飲み込む。
彼女が俯きかけた、その時──。

​「おや、閣下。僕の噂をしてくださるとは、光栄の極みです」

​涼やかな声がサロンの空気を塗り替えた。
振り返ると、完璧な所作で一礼するアルベールの姿があった。
昨夜の回廊で見せた闇を宿した瞳はどこへやら、今の彼は、誰からも愛される善良な若き貴族の仮面を完璧に被っている。
​アルベールはヴィクトワールの隣に立つと、彼女を庇うように一歩前へ出た。

​「お嬢様は、昨夜の僕の無作法を、寛大にも『ダンス』という形で許してくださったのです。閣下の仰る通り、僕は火遊びが好きかもしれません。ですが……火に飛び込むか否かを決めるのは、いつだってその『美しいはね』を持つ主役でしょう?」

​アルベールはヴィクトワールを振り返り、甘く、それでいて周囲を煙に巻くような柔和な笑みを向けた。

​「そうですよね、お嬢様?」

​その微笑みは、昨夜の回廊で見せた本音を隠すための仮面の一つに過ぎない。
しかし、ヴィクトワールはその仮面の奥底にある、彼なりの「誠実さ」を確かに嗅ぎ取っていた。
彼は、宰相の正論という名の悪意から、自分の身を盾にして守ろうとしてくれているのだ。
それは、誰にも悟られないように差し出された、彼なりの救いの手だった。
(……意地悪で、けれどこれほど心強い救いの手を、他に誰が差し伸べてくれるというの?)
どれほど過酷な状況でも、この男だけは私を一人の人間として見ている。
その事実が、冷え切っていたはずの心に、少しずつ熱を戻していくのを感じていた。
​ヴィクトワールは優雅に頷き、彼の手を取った。
仮面の上に、さらに仮面を重ね、周囲の悪意を堂々と跳ね返す。

​「ええ、ルブラン子爵。仰る通りだわ。……昨夜のダンスは、私にとっても忘れがたい『学び』でしたもの。今後とも、どうぞよろしくお導きくださいね?」

​二人の間に流れる、言葉にできない特別な空気。
周囲の思惑にさらされながらも、お互いが唯一無二の共犯者として、誰にも踏み込めない絆を築き始めていた。
それが、彼らの新たな物語の幕開けだった。
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