forget me not
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
次の日の朝。
「兄様」
ソーンの声だ。窓の外は明るくて、雪解けの水が枝をつたってきらきらと光っていた。部屋には時計があって、まだ6時だ。寝起きだけはソーンの方がいいのだ
「ソーン、まだ6……」
「ミサです! 大聖堂に行きませんか?」
「眠い……」
兄様、とソーンが少し甘えた声で体を揺すってくる。アダムは仕方なく体を起こすと、近く着替えが置かれているのに気付く。
「これは?」
「あぁ、兄様が寝ているうちにお手伝いさんが持ってきてくれました」
全く気付かなかった、きれいに洗浄された白いシャツに袖を通す。見ていた世界が180度変わって変な気分だった。
廊下に出ると早朝の事もあって殆ど人はいなく、たまに働く下働きの者達が、軽く頭を下げるくらいだ。昨日教えて貰った大聖堂への道を辿る。
「うわあ……」
「すごいな……」
大聖堂は見上げるほど大きい。城を基調とした豪華な作りは下町の教会とは比べ物にならない。しばらくその前で二人して立ち止まっていたが、流石にこの冬の国の朝は寒く、聖堂内に入ろうと言う話になる。
重そうな扉だが、鍵はもう開いている様だった。扉に手をかける、すると中から声のようなものが聞こえ、誰か居そうだった。下町では流石に教会なのでスラム街の子供が中に入ろうと追い出される事は無かったが、ここはどうなんだろう。緊張しながら扉を開ける。
……Chs hyum ma en fenfa dr sehle
Chs hyum ma en grande alt hyf
Was yea ra messey anw buriyante――……
確かにそれは歌声だった、高い天井が澄んだ音を響かせている。祭壇の方へ向かって誰かが歌っている様だった。
「練習中でしょうか……」
ソーンが気を遣って小さい声で言った。
「どうだろうな……」
「なんだか、聞いた事があるような……」
アダムに聞いた覚えはあまりないが。やがてソーンは小さく鼻歌で、彼女が歌う曲と同じ旋律を紡いでいく。
「知っているのか?」
「……そうみたいですが、なんとなく懐かしいような……どこで聞いたっけ……?」
本人も良く分からないようだった。
やがて心地よく続いていた旋律が途切れて、ソーンから視線を切ると、その人は長い銀色の髪を揺らしこちらを見ていた。
「テレサ……?」
「……! ああ、二人とも。誰かと思った」
どうやら歌声の主はテレサの様だった。
「おはようございます」
「おはようございます、二人とも早いですね」
彼女はにこ、と笑う。久しぶりに他人の笑顔を見た気がする。ソーンも嬉しそうに笑った。
「練習してたんですか?」
「……うん、そんな感じです。ここの聖歌隊は男の子だけですから……わたしは一緒に歌えないのでいつも朝一人でやってるんですよ」
「テレサさんの声、綺麗なのに残念です……」
ソーンが言うとテレサは苦笑する。
「けどまあ……わたしのものは人に聞かせられるようなものではないですし、ここで一人で練習するのが丁度いいんですよ」
言いながらテレサは外を見た。
「まだ、ミサまで少し時間がありますね……。ソーン君も一緒に歌いますか?」
「えっ、でも僕。曲が分からないです……」
「さっき歌ってでしょう? 聞こえてましたから。さっきの、下町の教会で歌ってた曲ですよ」
どうやら、そのためにソーンはさっきの彼女の歌に懐かしさを覚えていたのだろう。ソーンはすぐに返事をした。彼はずっと歌って見たいと言っていたのだ。
「兄様もどうですか?」
「俺はいい……」
曲なんか覚えていないし、ましてや歌った事もあまりなく。得意ではないのだ。
「教えますよ?」
テレサが重ねて行って来る。
「遠慮しておく」
さらに拒否すると、彼女はそれ以上言ってこなかったが。二人が声を合わせて歌い始める、それをアダムは後ろから眺める。
これから、どうなるのだろう。あそこで女王陛下が助けてくれなければ凍死か、餓死していただろう。
(俺は……女王陛下と、ソーンを守るんだ)
大聖堂の真ん中でテレサと声を合わせて歌うソーンを見ながら。また誓うのだった。
「テレサさん、聞いてください……!」
二人が蒼王宮にやって来てどれくらい経ったか、ある日ソーンが嬉しそうに話しかけてきた。テレサはそれに返事をする。
「どうかしましたか?」
「僕、聖歌隊に入れるみたいです!」
「よかったじゃん……!」
あ、とテレサは口を押えるあれほど言葉遣いは丁寧にと言われているのに。なのにソーンはどうだろう、スラム育ちとは思えないほど丁寧な口調で話す。ソーンはそれに付いては何も言わない。むしろ嬉しくて仕方がないと言った様子だった。
ここでの生活はさほど不自由とは思った事は無い。あるとすれば外出が自由に出来ない事と、聖歌隊に入れないことくらいだ。本当にソーンは羨ましい。
「アダムさんも喜ぶんじゃないかな」
まだ騎士団に入れないソーンは今、テレサと共に王宮の下働きを手伝っているような状態だった。そのためかなり一緒に居る時間は長いのだが、アダムは騎士団に入り訓練を積んでいる所だった。テレサとソーンが居る場所と騎士団の詰所は別になるので、数日間に一度会うか会わないかと言うような感じのため、ソーンは淋しそうだった。それもそうだ、彼らが下町でスラムの子供として生きて居た時は常に一緒に居たのだから。
「兄様に会えるのは……次、いつなんでしょうか……?」
「……なら、騎士団の詰所によって見ましょうか? 運が良ければ訓練中のアダムさんが見られるかもしれません」
「えっ、けど。テレサさんは王宮からの外出は禁じられているのではありませんか?」
テレサは基本、王宮内と敷地内の大聖堂広場あたりまでしか外出は許されていない。
「ばれなきゃ大丈夫」
テレサは笑う。数回隠れて騎士団の詰所まで言ったことがあるのだ。正直、それなりに面白かった。
「テレサさんが叱られてしまいます」
「途中までなら大丈夫でしょう、流石に広場を歩いたり。わたしがアダムさんと話す事は厳しいでしょうけど」
ソーンは詰所の入り口辺りでアダムの姿を探す。やがて見覚えのある姿にソーンは駆け寄った。
「兄様……!」
彼はすぐに振り向いてくれる。
「……! ソーン……! お前、どうやって……」
ソーンはテレサの隠れている建物の陰に視線を送ると、アダムがその視線を追う。テレサが軽く会釈すると、アダムも返したのだった。
「しかし、テレサ様は……」
「ばれなきゃ、大丈夫、と……」
アダムはやや呆れた様子だったが、仕方なく笑ったようだった。
「どうして来たんだ?」
「兄様に会いたかったからです! 聞いてください、兄様……!」
ソーンはそのあと、聖歌隊に入る事になった話や、最近はどうか、その他テレサと何をしたかなどの話をアダムにしたのだった。あまりアダムの方に時間が無かったので長い時間は話せなかったが。アダムの声や手が、暖かくて本当に嬉しかった。
やがて兄が他の騎士に声を掛けられ、離れて行ってしまうと淋しかったが。テレサも早く王宮に戻らなければならないため、すぐに身を翻し、テレサの待つ場所に向かったのだった。
テレサに駆け寄ると彼女は笑った。
「どうだった?」
「大変ですが、やりがいがあると頑張っていました」
騎士団は厳しいと聞くので心配をしていたソーンだが、これ以上どうしようもない。これだけ兄と話せただけで嬉しかった。後は帰り道にばれない事を祈るだけだ。