【第1章】喋らない者とその者ども
翌日、朝から代筆業を黙々とこなすだけであっという間に昼になる。
正午を報せる鐘が鳴る。
食堂が軒先に突き出す露店街へ行き、あくびを堪えながら豚肉の入った粥を胃袋に流し込む。
眠気と戦っているイヅの顔を真正面から見ている子爵様の麗しい顔がある。
治安府の高官で夜警団のスポンサーでなかったら殺意多めのジト目で睨んでいるところだ。
「昨夜はご苦労」
自称24歳だという金髪を後ろで結わえた美顔の持ち主は元からそのような造りであるかのような微笑みを絶やさず、テーブルに片肘を衝いて昨夜の顛末を労ってくれた。
昼飯を注文して屋外のテーブルについたと同時に子爵はやってきた。
するりと猫のように相席した。
見知らぬ人間が見ると二人連れでこの席に座ったと思うだろう。
「昨夜の報告書を読ませてもらった。新聞屋が雇う売文家のように形容も修飾もない実に事務的な報告書は見ていて気持ちがいい」
「それはどうも」
下賤なこの身がいつの間にかこの治安府の高官で夜警団のスポンサーであるライデ・ジーロ子爵に気に入られているようだ。
イヅ自身は彼に対して、悪い評価はしていない。しかし、個人的には思うところが多すぎるので知らず知らずのうちに顔に心の中が出てしまう。
すなわち、今のイヅの顔は苦虫を噛み潰したような複雑なシワを眉間に作っているのだ。
彼がイヅの貴重な休憩時間に狙ったように現れる時は面倒臭い報せが殆どなのだ。
面倒臭い報せ…代筆業を中断してすぐにこの案件に取り組んでほしいという内容が殆ど全て。
イヅの虫の居所が少し悪くなるのも当たり前だ。
夜警団の大人は腕っぷしには自信がある荒くれ者が多いが、繊細な判断や雰囲気を読んだ扱いができない者が多い。
貴族に対して謙譲語で話しかけるときでも文法がしどろもどろになってしまうほどだ。
その中にあって少々の口のきき方を知っているイヅは都合がいい『窓口』だ。
最近ではジーロ子爵はイヅを子飼い下男のように扱う。
それに見合うとまではいかなくとも、小銭や本や子爵の名前が入った小切手を駄賃代わりに手渡してくれる。
当初はこの貴族は『そちらの趣味』があり自分に対して『そのような目で』見ているのかと、背中におぞましい寒気が走ったことが有ったが……実をいうと今でもその件については警戒している。
イヅとて、黙って本を読んでいれば女衒に男娼としてスカウトされることもある。
自分の何処がそれほど、何処の層にどのように受けるのかは不明。知りたくもない。特殊な性的嗜好に時代も壁もない。
……と言いつつ、後学のために大手の売春宿や名うての女衒につきっきりで取材したい。
知識として知っているが、それをさらに磨きたい知的好奇心が混じった知識欲に飲み込まれているのは黙っておこうと思っている。
(これは子爵様には言わないほうがいいな)
イヅの本心を知ればライデ・ジーロ子爵はどのように反応するか。
「それで、ライデ様。僕の昼食を邪魔しにきたわけでは無いのでしょ?」
イヅのライデ・ジーロ子爵に対する雑な口のきき方は今に始まったことではない。
庶民が爵位持ちにこのような態度を取れば問答無用で投獄される可能性もあるが、ライデ・ジーロ子爵は微笑みを絶やさない顔で上着の懐から紙を一枚取り出して粥をすするイヅの目の前に置く。
「君が飾りの無い事務的な報告書を書いてくれているおかげで『今回も』気になる点が見つかった……これは、それを別紙に書いてまとめたものだ」
(あちゃー)
塩味しかしない豚肉を咀嚼しながら顔から表情がなくなってくるのを実感する。
この辺りの治安を預かる部門の長として役職に就いている子爵の元には、予算を少しでも沢山もらおうと盛りに盛った報告書が寄せられるので彼の仕事はその精査によって阻害される。
イヅも夜警団の団長にもっと勇ましく書けとか手柄をたくさん立てた者がいるとか犯罪組織を壊滅させたと書き足せとよく突かれる。
悲しいかな、夜警団の団長は識字者ではないので、サラサラと筆を走らせるイヅは自分の意見を全て報告書に書いていると思いこんでいる。
「昨夜の火事…西の外れにある食料の…乾物倉庫で火事をがあった」
「被害者は出ていないと聞いていますが。それとも類焼範囲が広かったのですか? それでもそれは消防団の仕事では?」
「確かに報告書にはそう書かれていたな」
そう言いながら子爵は指で紙片に整然と並んだ字を指で追う。
(これは、僕の『まとめ方』じゃない。……インクのノリが良い。紙はかなり上質。右上に帝国製の透かし。文字の間隔と桁が整っているから下書きの後に清書。公文書で使われる羽ペンの筆跡。筆圧からみて非力な文官か女性)
「これは?」
「やんごとなき方とご関係あそばされる人物が行方不明だ」
書類は恐らく極秘事項なのだろう。公衆の面前で大々的に晒していいものではない。 どうせこの界隈にはまともに字が読める人間はいないだろうという爵位持ち特有の驕りが見える。イヅは住む世界が違うとこんなにも視点が違うのかと辟易した。
書類の文面はまとめるとこうだ。
【ルーフン公爵が密使に下命して書籍が偽物だと判明。途中ですり替えられた可能性が高く、書籍の入手のために諸外国との取引窓口として雇っていたた交易商サルバル・ドルと連絡が取れない。至急サルバル・ドルを探し出し、事の詳細を聞き出してほしい。反旗や内通の疑いが有る場合は捕縛せよ。探索中の書籍の表題は『南方動物稀譚』。】
とのこと。
「ライデ様」
イヅは匙を置いて口元を腰布で拭って姿勢を正した。
「ん? どうした?」
やや置いて落ち着いて言う。
「西の外れの乾物倉庫との関連性を教えてください」
正午を報せる鐘が鳴る。
食堂が軒先に突き出す露店街へ行き、あくびを堪えながら豚肉の入った粥を胃袋に流し込む。
眠気と戦っているイヅの顔を真正面から見ている子爵様の麗しい顔がある。
治安府の高官で夜警団のスポンサーでなかったら殺意多めのジト目で睨んでいるところだ。
「昨夜はご苦労」
自称24歳だという金髪を後ろで結わえた美顔の持ち主は元からそのような造りであるかのような微笑みを絶やさず、テーブルに片肘を衝いて昨夜の顛末を労ってくれた。
昼飯を注文して屋外のテーブルについたと同時に子爵はやってきた。
するりと猫のように相席した。
見知らぬ人間が見ると二人連れでこの席に座ったと思うだろう。
「昨夜の報告書を読ませてもらった。新聞屋が雇う売文家のように形容も修飾もない実に事務的な報告書は見ていて気持ちがいい」
「それはどうも」
下賤なこの身がいつの間にかこの治安府の高官で夜警団のスポンサーであるライデ・ジーロ子爵に気に入られているようだ。
イヅ自身は彼に対して、悪い評価はしていない。しかし、個人的には思うところが多すぎるので知らず知らずのうちに顔に心の中が出てしまう。
すなわち、今のイヅの顔は苦虫を噛み潰したような複雑なシワを眉間に作っているのだ。
彼がイヅの貴重な休憩時間に狙ったように現れる時は面倒臭い報せが殆どなのだ。
面倒臭い報せ…代筆業を中断してすぐにこの案件に取り組んでほしいという内容が殆ど全て。
イヅの虫の居所が少し悪くなるのも当たり前だ。
夜警団の大人は腕っぷしには自信がある荒くれ者が多いが、繊細な判断や雰囲気を読んだ扱いができない者が多い。
貴族に対して謙譲語で話しかけるときでも文法がしどろもどろになってしまうほどだ。
その中にあって少々の口のきき方を知っているイヅは都合がいい『窓口』だ。
最近ではジーロ子爵はイヅを子飼い下男のように扱う。
それに見合うとまではいかなくとも、小銭や本や子爵の名前が入った小切手を駄賃代わりに手渡してくれる。
当初はこの貴族は『そちらの趣味』があり自分に対して『そのような目で』見ているのかと、背中におぞましい寒気が走ったことが有ったが……実をいうと今でもその件については警戒している。
イヅとて、黙って本を読んでいれば女衒に男娼としてスカウトされることもある。
自分の何処がそれほど、何処の層にどのように受けるのかは不明。知りたくもない。特殊な性的嗜好に時代も壁もない。
……と言いつつ、後学のために大手の売春宿や名うての女衒につきっきりで取材したい。
知識として知っているが、それをさらに磨きたい知的好奇心が混じった知識欲に飲み込まれているのは黙っておこうと思っている。
(これは子爵様には言わないほうがいいな)
イヅの本心を知ればライデ・ジーロ子爵はどのように反応するか。
「それで、ライデ様。僕の昼食を邪魔しにきたわけでは無いのでしょ?」
イヅのライデ・ジーロ子爵に対する雑な口のきき方は今に始まったことではない。
庶民が爵位持ちにこのような態度を取れば問答無用で投獄される可能性もあるが、ライデ・ジーロ子爵は微笑みを絶やさない顔で上着の懐から紙を一枚取り出して粥をすするイヅの目の前に置く。
「君が飾りの無い事務的な報告書を書いてくれているおかげで『今回も』気になる点が見つかった……これは、それを別紙に書いてまとめたものだ」
(あちゃー)
塩味しかしない豚肉を咀嚼しながら顔から表情がなくなってくるのを実感する。
この辺りの治安を預かる部門の長として役職に就いている子爵の元には、予算を少しでも沢山もらおうと盛りに盛った報告書が寄せられるので彼の仕事はその精査によって阻害される。
イヅも夜警団の団長にもっと勇ましく書けとか手柄をたくさん立てた者がいるとか犯罪組織を壊滅させたと書き足せとよく突かれる。
悲しいかな、夜警団の団長は識字者ではないので、サラサラと筆を走らせるイヅは自分の意見を全て報告書に書いていると思いこんでいる。
「昨夜の火事…西の外れにある食料の…乾物倉庫で火事をがあった」
「被害者は出ていないと聞いていますが。それとも類焼範囲が広かったのですか? それでもそれは消防団の仕事では?」
「確かに報告書にはそう書かれていたな」
そう言いながら子爵は指で紙片に整然と並んだ字を指で追う。
(これは、僕の『まとめ方』じゃない。……インクのノリが良い。紙はかなり上質。右上に帝国製の透かし。文字の間隔と桁が整っているから下書きの後に清書。公文書で使われる羽ペンの筆跡。筆圧からみて非力な文官か女性)
「これは?」
「やんごとなき方とご関係あそばされる人物が行方不明だ」
書類は恐らく極秘事項なのだろう。公衆の面前で大々的に晒していいものではない。 どうせこの界隈にはまともに字が読める人間はいないだろうという爵位持ち特有の驕りが見える。イヅは住む世界が違うとこんなにも視点が違うのかと辟易した。
書類の文面はまとめるとこうだ。
【ルーフン公爵が密使に下命して書籍が偽物だと判明。途中ですり替えられた可能性が高く、書籍の入手のために諸外国との取引窓口として雇っていたた交易商サルバル・ドルと連絡が取れない。至急サルバル・ドルを探し出し、事の詳細を聞き出してほしい。反旗や内通の疑いが有る場合は捕縛せよ。探索中の書籍の表題は『南方動物稀譚』。】
とのこと。
「ライデ様」
イヅは匙を置いて口元を腰布で拭って姿勢を正した。
「ん? どうした?」
やや置いて落ち着いて言う。
「西の外れの乾物倉庫との関連性を教えてください」