【第1章】喋らない者とその者ども

 翌日。

 イヅの朝は時として早く時として遅い。

 今日は早い朝だった。

 本業の代筆業が幾つか舞い込んだのと手書き新聞の定期便が貼り出される日だからだ。

 代筆業とは字の読み書きができてない人のために手紙の執筆を代行したり、看板やチラシの宣伝文句を考えて草案草稿を書き起こす仕事だ。
 変わったところでは戯曲作家や詩人が詠う内容を紙に書き出す仕事などもある。
 
 帝国全土で見ても識字率が低いので公示人や旅芸人や行商人が話す情報は貴重な情報源だが、それらには噂が尾ひれ背びれのごとく生えてくる場合が多い。

 思想や情報の統制を図るために帝国がわざと国の内外の情報を小出しにして、世論を誘導している。その一端を担うのが手書き新聞だ。

 銀行や金融取引所に貼り出された手書き新聞を更に手書きして(大方の場合、雇い主の思惑を込めた記事に捏造されて)、次の手書き職人に渡す。
 最後にはその手書き新聞は過疎地域や人口密度の薄い近郊と辺境の中間あたりまで伝わり、その集団の中でも字を読める者が広場の真ん中で公示人よろしく大声で読み上げる。

 昨日は結局、購買欲が膨らんだだけで、懐が間に合わず、何も買わずに帰宅しただけの一日で、近所の住人の代筆を何本か済ませただけですぐに寝た。

 昨夜は副業のシフトではなかったので存分に眠れた。

 そして、今朝。
 手書き新聞の模写を20枚書いて、手書き新聞を所望する、依頼人の自宅や商店に届けておしまい。

 昼食前から代筆業を行う。

 手書き新聞の模写は誰でも行える仕事ではなく、新聞社に手書き職人として登録した人物だけが行える職業だ。

 無論、新聞社の意向で記事が捏造改竄される事もしばしば。
 更に新聞社のスポンサーになっている商店が宣伝を『不自然なく』捩じ込んでほしいという依頼が多い。
 寧ろ、新聞社は帝国より下達手段を承っている機関というより、スポンサーの依頼料と広告料が目当てでしれっと社会通念を無視した商売をしていることになる。

 夕方前に早々に代筆業を看板にして早い夕食を取る。

 飲食店専門の露店街で夕食を済ませるとすぐに帰宅し、神経が昂ぶったままの脳味噌を鎮めるためのハーブティーを飲んでベッドに潜り込む。

 暫くは眠気も何もない苛つきに悩まされていたが、やがて腹が満たされたことによる満足感が湧いてきて知らぬ間に眠りに落ちる。
 
 今夜は副業なので、意地でも早く寝る必要があった。





 十分ではないが眠る事ができたはず。

 代筆業の収入だけでは生活に困るので誰でも資格なしに始められる夜警団に入団していたが、イヅの持ち回りは夜回りや不審者の路上での職務質問ではなく、所属する夜警団の事務所代わりになっている街の集会所の一室で待機していることだ。

 当初は見てくれが全く頼りにならないイヅを笑っていた夜警団のメンツも彼が識字と四則演算を使えると分かってから大事な戦力として扱ってくれた。

 不審者や犯罪者を現行犯で捕えるのは難しいことではないが、身の上調書が作成できる人間がほとんど居なかったので不都合や不手際が多発していた。

 その度に自分たちの活動に資金を援助してくれている貴族に代筆を願っていたのだ。

 その貴族の子爵…街の治安をあずかる治安府務めの高官である子爵も夜中に呼ばれると機嫌が悪くなるので、イヅの存在には期待を大きくしていた。
 
 それだけ文字の読み書きが出きる人間は貴重だったのだ。

「!」

(焦げ臭い。火事?!)

 集会所の一室で眠気覚ましの濃い茶を飲んでいた時に窓の外から喉がいがらっぽくなる匂いを嗅いで、蔀窓を大きく開けて換気をした。

 やがて街で火災が有ったことを報せる鐘が鳴る。

 外に飛び出て辺りを見る。

(西からの風。強くない。この匂い……軽い刺激臭。拭き屋根? 空気は乾燥していない。小火が家事になったか?
拭き屋根? …屋根瓦と煉瓦の家が燃えているわけじゃない?! ……あの方向は備蓄倉庫の辺り!?)

 路地を抜ける風に乗って不快な煙は濃厚になる。

 火災を報せる鐘が鳴ったのだから消防団も向かうだろう。それに伴って警吏も殺到する。

「……」

 集会所の前の広場から暗い夜道へと続くそれぞれの路地を見る。

(火事が起きるのは事件だとして……)

 イヅの心の隅に嫌な針が突き刺さった。

 バザーが開かれている期間中の火事は注意したほうがいいと昔から夜警団の間で流布されているからだ。

(火事を起こしてそのドサクサに窃盗…よくある話だ。すぐに収まる、ただの失火であってほしい)
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