【第1章】喋らない者とその者ども

 先ずは、と、イヅは懐紙を広げて胸ポケットから葦ペンを抜き、インクを浸けてから書き始める。

 ここは治安府の警吏の休憩所で街の大型食堂くらいの広さがある。
 休憩所とドアにはそのような文字が書かれた札がかかっているが、都合の良い多目的室として使われている。

 その休憩所の片隅にあるテーブルでイヅとライデ・ジーロ子爵は顔を突き合わせていた。

 イヅが子爵とテイ人の男に休憩を促してから丸一日。

 泥のように眠ったという子爵の顔色は昨日と比べるとだいぶ疲労が回復していて声色も気力が感じられる。

 テイ人の男にも十分な食事を与えて傷の手当もして、毛布を与えて休ませたとのことだ。

 犯罪者同様のテイ人の男にそこまで手厚く扱う意味がわからないと治安府内部でも子爵と対立する派閥は気炎を上げていたが、この件に関して……この街でのドル氏殺害の件に関してはライデ・ジーロ子爵主導で行われているので強い語気で堂々と非難する者は少なかった。
 子爵に反論することはルーフン公爵に反意を見せるのと同じだと解釈されるのが怖かったのだ。

 早朝の手書き新聞の仕事を終えた直後に露店で朝食を掻っ込んで、真っ直ぐ、乗合馬車に乗って治安府までやってきた。
 自宅から一刻(一時間)もかかったが、押し合いへし合いの狭い馬車の中でスリと戦いながら脳内を整理するのに余念がなかった。

 乗合馬車が停車して降りた所で子爵が直々に出迎えてくれる。
 治安府の荘厳な門扉の前で待っていてくれたのだ。
 そもそも、庶民は通報者か出入り業者か犯罪者でもない限り自らこの門をくぐることはできない。大方は門番が訪れる人間の要件を聴いて、門扉の外側で待たされる。

 子爵が付いていてくれないと門前払いは確実なのだ。たとえ夜警団や自警団であっても庶民は庶民だ。庶民が爵位持ちと気軽に公的機関の敷地内で触れ合うことは状況が揃わないと無理である。

 ゆえに、彼のエスコートでイヅは治安府の休憩所へやってきてテーブルにつき、彼の希望に応えるべくテイ人の男に対する攻略方法を伝授していた。

「と、まあ、攻略方法というか作戦というか、大まかな流れはこのとおりです」
「おいおいおい、これ全部を覚えるのか?」
「はい。ライデ様の美貌が加わればこその作戦にございます」
「改めて言われるとなんかイラッとくるな……」
「滅相もない。本心にございます」

(というか、この人、自分の顔の良さだけは否定しないのよな) 
 
 愛すべき子爵は唇を尖らせながらも今し方書き上げられた紙を手に取り目を走らせる。
 少年とは軽い口調で話をしているが、視線は真剣そのものだ。

(与えられた仕事しかできないのではなく、与えられた仕事ならば完璧にこなすのがこの美人の怖いところなんだよな)

 テイ人の男に関する疑問を晴らすために練られた作戦だ。

 ルーフン公爵の指令の要点はあくまでドル氏が中心だ。その捜査と捜索の線上にテイ人の男であるガラが浮上して捉えることが出来ただけ。
 ドル氏と関係はあるだろうが、決定的証拠も自白も何もない。状況だけで推測や思い込みが混じった尋問を続けていればやがて、死ぬ。

 ここはそういうところだ。

 子爵がブツブツと懐紙に描かれた内容を読んでるうちに、イヅも再確認するように疑問点を問題が大きい順に脳内に浮かべる。

 何故、宿屋でドル氏に暴力を働いたかのような痕跡を残した?
 何故、西の外れの倉庫でドル氏の右膝下を残した?
 何故、西の外れで鶏の血を抜いた?
 何故、ドル氏の持ち込んだ【南方動物稀譚】が必要なのか?
 何故、西の外れの倉庫で火事を起こした? ここに人を集めるようなものではないか。ひっそりと犯罪を遂行したいのではないか?

 何かが多いような気がする。
 必要のない情報が多いような気がする。
 いや、必要でなくなった情報が混じっているような違和感というべきだろう。
 無闇な推測は意味のない選択肢を増やすこともあるので、目をきつく閉じて思考を遮断する。

 検証のしようがない仮説ばかりが推測と混ざり合って脳内で雑音のように広がる。

 今は思い浮かんだ疑問だけで解いてみよう。
 イヅはよし、と小さくひとりごちる。

「ライデ様。お忙しいところ申し訳有りません」
「?」
「この街の地図と糊を分けてもらえますか?」

 構わないが、とライデ・ジーロ子爵はその席で座ったまま右手を挙げて、下っ端の警吏を呼んでこの街の地図と糊を持ってくるように命令した。

 イヅは新しい懐紙を取り出して、折り畳みナイフの刃を起こした。

 四半刻(30分)後。
 
 子爵は従者然とした少年を連れて取調室にいた。
 血とカビの匂いとそのシミで染め上げられた狭い部屋で3人…警吏を含めると4人いた。

 椅子に座った子爵。少年は子爵の右手側後方に経つ。テーブルを挟んで椅子に足を縄で結ばれたテイ人のガラが座っている。

 部屋の出入口では万が一に備えた警吏が鋲が打たれた棒を持って獰猛な眼光で取調べ対象者を見ている。
 それはそういう意匠をした置物だと思わないと気が散って仕方がない。

「さて…聴取の再開だ。なに、お前は何も喋らなくてもいい」

 ライデ・ジーロ子爵は横柄にそう言いながら席に座り直す。
 目の前にこの街の地区一帯を記した地図を広げる。

「『もうお前には何も訊かない』。もう殴ったり絶食したりなどはさせない。寧ろ、喉が渇いているのなら水でも酒でも飲ませてやるし、好きな時に寝かせてやる」

 彼はゆっくりとテイ人に話す。
 テイ人はその言葉を全く信用していない顔で睨みつける。

(お。いい反応だ)
(今のところ、素直に表情に出るタイプだと分かった)

 イヅはテイ人のガラなる人物の顔を見る。確かに、バザーで遭った男だ。今は顔に傷や痣を作っているが、骨格が変わるほど殴られてはいないので簡単にわかる。

 緊張、不信に反感に僅かな恐怖。

 ガラの両手はテーブルの下で枷を嵌められたまま握り拳を作っている。
 両膝頭の間隔も小さい。
 やや顎を引き気味の前傾姿勢。
 完全に警戒している姿勢だ。

「さあ、『最初からお前の』心に問おう。港の15番桟橋から下船したな?」
 
そういうと、子爵は細い指で地図の上に突き立てるように指す。

「……」

 ガラは黙ったままだ。従者のようにライデ・ジーロ子爵の右後方で控えているイヅはガラの目や唇や全身の挙動を見ている。

「調書のよると…」

 子爵は左手で書類をめくりながら感情を抑えてゆっくりはっきりと読み上げる。

「15番桟橋から東大通りの居酒屋へ入り、半刻(1時間)ほど酒を飲んだ後に店を出て、陶器屋の角の路地に入り……えーと、雑貨屋で買い物。…だな」
「……」

 子爵は調書を読み上げながら読み上げた場所をたどるように指先を地図の上にゆっくりと這わせていた。 
 ガラは頷いた。彼の母国語で肯定するつぶやきが聞こえる。

(頷くまでに小さな余白。つぶやく前に唇の端が小さく震える。……否定をするつもりはないが…『この場合の答え』? を探している?)

 ガラは地図上に新しく貼られた小さな四角い紙を不審に見ていた。視線が、新しい小さな四角い紙切れの貼られた位置を何度も往復する。
 それはイヅが休憩所で地図を受け取ってから懐紙を小さくナイフで切って糊で貼り付けた紙切れだった。
 紙切れには葦ペンによって黒い十字の印が描かれている。
 
「……で、少し時間をここで費やした後に…『現場の宿屋の前』を、通過、した、のだな……」

(! …『動いた!』)

 イヅは明後日の方向に向かって咳払いをした。

 子爵の指がドル氏が拉致された現場の宿屋の前を通過しようとした時に貼り付けられた紙を撫でた。

 その紙に触れたときに、ガラの頭頂部が一瞬早く吊り上がった。……再び聞こえたイヅの咳払い。

 子爵は貼り付けられた紙の十字の上で指先をぐりぐりと押し付けていたが、ゆっくりと、指を宿屋前から移動させて、間延びした声で調書を読み上げながら、指先を移動させる。

(宿屋の裏路地から通りへ……この通りは夜は確かに真っ暗だ。角を幾つか曲がっているようだが、嘘が3つと本当が2つ……『調書にない』ことに反応しているな)
 
 イヅは顔を背けて咳払いや鼻を短くすする。

 その度にライデ・ジーロ子爵の指は突拍子もなく、貼り付けた紙の十字の上に移動していた。その指の動きに法則性はない。少なくともガラにはそう視えているだろう。

 それを何度も繰り返し、時折、調書を間延びした声で読み上げる。貼り付けた紙の上に子爵の指が止まる度に、ガラの小鼻が小さく膨らむ。下唇を内側に引き込む。

 やがて西の外れの倉庫に指が止まる。

 ガラは気が付いているだろうか?
 子爵は最初は正確に調書を読み上げてその通りに指先を動かしていた。
 やがて子爵は調書に書かれていない些細な嘘を発言しながらも指先をを動かしていた。
 その嘘に最初は怪訝な顔や不審な顔や不満な顔などの移り変わりを見せていたガラだったが……。

「っくしゅん」

 イヅは小さなくしゃみをして、少し失礼と言い残し退室した。

「風邪か? ちょっと待て、いい薬があるんだ……あ、すまん、こいつを見張っていてくれ!」

 ライデ・ジーロ子爵は先程の取り調べの時とは打って変わって、ハキハキとした声で部屋の隅で見守っていた警吏を呼んで、ガラを見張るように命令し、風邪気味の少年の背中に手を回しながら部屋を出る。

「あ、いけません。風邪がうつってしまいます」
「気にするな、朝から辛いところすまなかったな」

 警吏は、子爵が囲っている稚児の少年に食い扶持を与えるために、従者として雇っているに違いない! と勘違いしたであろう。
 あれだけの美丈夫でありながら女性関係での浮いた噂の一つも聞かない子爵で有名だったので、清廉なイメージを保つためかと思っていが、そうでもなかったのだな、と警吏の男は勝手な推測で想像を広げて、少年が趣味の対象らしい上司の子爵を心のなかで鼻で笑った。

 2人は取調室を出ると、壁に背をあずけて、はーっとため息を吐いた。

 子爵は懐から細巻きの葉巻を取り出して銜えながら、薄暗い廊下の唯一の光源である壁に打ち込んだ蝋燭の火で先端を炙りながら吸う。

「火事のあった西の外れの倉庫、再調査が必要です。現場での調査と、移動時間の調査です」

 イヅは不意に喋りだす。

「現場と時間? 現場だけではダメか?」
「嘘を混ぜた調書を読み上げてもらいましたが、火と時間帯と距離に関する言葉にだけ異常に反応して防御の顔をしました」
「確証はないのか?」
「今はまだ…。確証を固めるためです。子爵や警吏が彼を散々痛めつけてくれたおかげで分かり易い表情を見せてくれました」
「どういうことだ?」
「これから恐怖の時間が始まる。十分に休ませてから再開。今度はもっと厳しいだろう。しかし、今度は喋らなくてもいいときた。…それだけで不審に思うでしょう。警戒を強めるでしょう。さらに最初だけ正確な調書の読み上げ。これが僕としては決め手にかかるヒントだと思います」
「ん? ただの『事実』だぞ?」
 
 子爵はシガリロの煙を遠くに吐いてからイヅに向き直り顔に疑問符を浮かべる。

「調書は正確。予め用意していた返答も間違いない。そのうえで拷問を受けてなおかつ、休憩を与えて同じ質問をしているのに今度は簡単なカマかけに次々と引っかかってボロを出しました」
「……そんな話は事前に聞いていないぞ」

 子供が拗ねたようにむっと膨れる子爵様。

「あなたは正直すぎるので必要以上の芝居は無理だと思ったので、【芝居ではなく、アドリブをしてください】と懐紙に書いて教えておきました」
「お前なぁ、不敬で素っ首を叩き落される危険性も考えてくれ……」

 子爵は肩を落として呆れ返った。怒るを通り越して、傲岸不遜にも見える少年の思考と口調に軽い疲労を感じた。

 この少年を不敬で罰する時は直命で指揮しているライデ・ジーロ子爵が直接、処刑台送りにするのだ。それは高い可能性。……爵位を持つものに怒りや反感を抱かせただけで処罰の対象だ。
 不敬だと憤慨する一方で、ライデ・ジーロ自身も彼がどんなびっくり箱を持ち出すのか楽しみだったので怒鳴りつける気力が湧いてこなかったのも事実の一部だ。
 寧ろ、貴族を転がすその機転と策謀を褒めねば懐の小さい男として笑われるような気すらした。
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