第2章:うたプリアワード
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「うーん…いいんだけど、なんか違和感あるなぁ」
第17話
聖川くんも無事オーディションに合格し、稽古の日々を過ごしている中、私の方のドラマ撮影も始まっていた。初めてのことなので勿論緊張はしていたけど思いの外、私と皇さんの相性は良いらしく、特に問題なく撮影は進んでいた。
だが、3話目の撮影にして初めて監督が悩ましげに呟いた。
どこか違和感がある、と。
そのシーンは私が料理をするシーンなのだけど、その動きが監督にとっては違和感があるのだと言う。普段から料理はするし、特別危うい所作ではないと思うのだけど、他人からそう見えるならそうなのだろう。
「うーん…どうするかなぁ…。料理好きの人格なだけになぁ」
「…すみません、監督。少し時間をいただけませんでしょうか。私も客観的に自分の動きを見て修正します」
「うん。幸い撮影は早いペースで進んでたしね。じゃ、少し休憩も兼ねて時間とろうか」
ありがとうございます、と頭を下げて監督の背中を見送る。そして思わず溜息。まさかこんな壁に出くわすとは。自分でも分かっていないのが余計にタチが悪い。
私のせいで撮影を止めてしまったことをスタッフさんにも謝り、何度もテイクを一緒に重ねさせてしまった皇さんのもとへ向かう。ぼうっと座っていた彼は私が近付くとゆっくりとこちらに視線を合わせて小さく会釈してくれた。
「皇さん、すみません。私のせいで何度も付き合わせてしまって…」
「大丈夫だ…。全てが順調に…進むと思っていない…」
「はい…。すぐ修正します」
「…気にするな」
申し訳なくて視線の下がる私に、彼は特に気にすることなく気にするなと言ってくれる。それでも浮かない表情に、テーブルの上にあったケータリングの中からリンゴ味の飴を差し出してくれた。その優しさにグッと涙腺が緩み、見られないように頭を下げてお礼を言ってその場を去った。甘えていられない。しっかりしないと。
「…これ、は…」
カメラさんに先程のテイクを見せてもらうと、監督の言う違和感に私もすぐに気付いた。自分では分からなかったけれど、それは他人から見れば違和感があるのは当然だった。気付けたなら修正は出来る、…はずだけど、これに関しては頭を抱えるしかなかった。
「…私、気付かない内に左手を庇う動きをしてたんだ…」
結局、その日は問題のシーン以外を撮り、その日は解散となった。あの後、何度かテイクを重ねたがダメだった。分かっているのに、出来なかった。左手を気にせずにやれば安定感が失われ、左手を気にすれば違和感が。だからと言ってこの左手の事は出来れば言いたくない。それは今後の仕事にも影響してくる。デビューライブが決まったあの日、諦めることを辞めると決めたのだ。出来ないことを、左手を理由にしたくない。そんな私のちっぽけなプライドが邪魔をするのだ。悔しい。悔しい。
「あれ?高原だ!おーい!」
「…一十木くん、それに七海ちゃんも。おかえりなさい」
「へへっ、ただいま!高原も今帰り?」
「はい。ドラマの撮影だったんです。お二人も出掛けられてたんですか?」
「はいっ!打ち合わせの帰りに一十木くんに偶然お会いして」
「そっか。お疲れ様です」
「…高原、なんか元気ない?」
「え?」
寮の玄関を開こうとすると聞こえた明るい声。偶然会ったのだという一十木くんと七海ちゃんはいつもの笑顔で、少しホッとした。暗い顔をしていても仕方ないのだから、今はどうにかする方法を考えないと。
そう思っていると一十木くんは私の顔を覗き込んだ。真っ直ぐなその視線に思わずたじろぐと、何かあったの?、と。
そんなに分かりやすく落ち込んでいたらしい。それを気にかけてくれるのはとても嬉しい。その気持ちだけでもっと頑張ろうと思える。…けれど、左手の事情を知らない彼等に相談なんて出来るはずもなく。私はちょっと疲れちゃっただけです、と笑うだけだった。けれどそれを二人は良しとはしなかった。真剣にこちらを見つめる視線にビクリと肩が跳ねた。
「高原、教えてよ。高原が一人が抱えこんでるなんて…俺、嫌だよ」
「わたしも、頼りないかもしれませんが…綾奈ちゃんの力になりたいです」
「ほ、ほんとに大したことじゃないんです。私のことだから、私が乗り越えなきゃいけないだけで…。二人のことを頼り甲斐がないとか、決してそういうのじゃないんです。ただ、わた、しが…」
「高原…っ」
「ご、ごめんなさい!でも本当に大丈夫なので!ありがとうございます!ま、また!」
「あっ…綾奈ちゃんっ…!」
ボロリと流れた涙に慌てて彼等に背を向けて走りだした。引き止める声が聞こえたけど止まるわけにはいかない。自分の体のことだ。一人でなんとかしないと。
とにかく数をこなそうとキッチンに立ったはいいが、材料を買い込むのを忘れていた。食材がない。これから買いに行くのはあまりに時間のロスだ。ぼんやりとしすぎた、とため息を吐いて再度出かける準備をする。急げばまだ近くのスーパーは空いているはずだ。
部屋を出て足早に玄関に向かっていると、ふと目に留まった給湯室…というには立派すぎる共同のキッチン。…もしかしたらここになら食材はあるかもしれない。仕込みとして提供するので…!とすがる思いで冷蔵庫を開けてみればなんとまぁ潤沢な。さすがシャイニング事務所の寮。
とにかく助かった。
私はそこで練習させてもらうことにし、チェック用のカメラを設置した。そして本番でも使う食材をメインに切っていく。握力がないから包丁で切るときについ肩が入りがちなのだ。腕で抑えるようになってしまっている。
「っなんで…なんでできないの…っ」
何度チェックを繰り返したか分からない。まな板に対して真っ直ぐに向き合って切る。たったそれだけのことなのに、たったそれだけのことができない。
この左手の握力をカバーする為にトレーニングはしてきたつもりだ。だから料理だって日常生活だって、特に大きく困ることなくこなしてきたのだ。でも今回はそれではいけない。ダメだ。ダメなんだ。
あまりにも大きなハンデを背負っているということに、私はこの時になって初めて気付いた。
「…お前、こんな時間までなにやってんだ」
「っ!あ、く…黒崎さん…」
「…なんつー顔してんだ。そんな面じゃ飯が不味くなる」
「あ、ご、ごめんなさい…」
垂れていた頭を上げさせたのは低い男の人の声。そこには怪訝な表情を浮かべた黒崎さんの姿。こんな時間、と言われて久しぶりに時計を見た。とっくに日付は超えていた。
今帰ってきたところだという彼は、小腹が空いたらしくここにきたらしい。たくさん材料も切っていたので、良ければ私が作ります、と申し出れば少し私をじっと見てから一言、じゃあ頼む、と口にして近くの椅子に腰を下ろした。とりあえず今はなにも考えずに彼の夜食を作ろう。
「お待たせしました。苦手なものとかって無かったですか?」
「あ?腹に入りゃそれでいい」
「そ、そうですか…」
夜食と言えどアイドルである彼にあまり高カロリーなものを出すのは忍びないのでポトフと少しの炒め物を出した。いただきます、と小さく呟き黙々と食べ進める姿にどうやら口には合ったらしくホッとした。少し気が抜けたのもあって、私はようやく自分の空腹を思い出した。なにも解決していないけど黒崎さんの前で不甲斐ない姿を見せるわけにもいかないし、少し休憩も兼ねてお腹を満たそう。
みんなが寝静まって静かな寮のキッチンに、カチャカチャと食器の音だけが響く。
黒崎さんは、なにも言わなかった。
20191213