象牙の塔シリーズ③ 口頭試問は今年も大変!

「あのさ~、窪田先生。お前、オレらの後輩なんだから、パシってくれねえ?」
いきなり進藤に言われて、窪田はきょとんとなった。意味が分からないのか、進藤の顔をしばらく見つめ、それから戸田の方を振り返る。
「進藤。邪魔をするなら担当を外すぞ」
主査の権限で戸田が注意をする。
「だって俺、急にコーラ飲みたくなったんだも~ん」
ふざけた言い方で戸田を牽制すると、進藤はもう1度窪田に言った。
「悪いんだけどさ、コーラ、買ってきてくれよ」
「進藤、いい加減に!」
さすがに頭に来たのか、冷静で温厚なはずの戸田が立ち上がって声を上げた。
「い、いや、いいです!戸田先生、僕は別にいいですから」
取りなすように、慌てて窪田も立ち上がり、一触即発の進藤と戸田の間に入った。
「コカ・コーラじゃなくて、ペプシがいいな」
「はい。解りました。じゃあ、戸田先生、ちょっと休憩ってことで、僕行ってきます。先生は何か?」
「いえ、私は結構です」
こちらは意地になっているのか、固い表情のままそっぽを向いて戸田が答えた。
窪田が不安そうな愛想笑いを残して買い物に出かけると、堪えきれなくなったのか、戸田が進藤に詰め寄った。
「…進藤!お前一体!」
だが、それを余裕の笑みで受け止めた進藤に、ふと戸田が戸惑いを感じた。なぜ進藤はこんなに落ち着いているんだろう?
その戸田の心の隙に進藤は付け入るかのように、にんまりとしながら立ち上がり、ここ第5試問室のドアの内側の鍵をかけてしまった。
「…これで、2人きりだな」
「?…!進藤、お前!」
意味ありげに振り返る進藤の表情に、戸田が何事かを察して慌てる。進藤のこの表情には警戒が必要な事を戸田は知っているのだ。こんなに神妙な顔をしていながら、とっておきの悪戯を思いついた子どものように瞳をきらめかせた進藤に、戸田はいつも手を焼いている。また何かしでかす気だと、戸田は身構えた。
ゆっくりと、進藤が戸田に近づく。怒りのあまりに思わず立ち上がった戸田だったが、進藤の悪巧みに巻き込まれまいと、冷静さを装い元の席に戻り、資料を手にした。いっそ何事もなかったフリをするつもりだった。
つんと素知らぬ顔をした戸田に甘えるかのように、進藤がすり寄った。
「あのさー、こんな狭い部屋にいるのに、俺の事無視するの、無しな」
言いながら背後に回り込み、進藤は戸田の背に覆い被さるように腕を回した。
「誰も無視なんて…」
背中に進藤の温もりを感じ、戸田も動揺する。
「それと、俺の前で他の男と仲良くするのも、無し」
「仲良くなんてしてないだろう」
戸田の首筋に吐息を落とすように進藤が囁く。
「さっき、窪田とイイ感じになった」
「そんなこと…」
拗ねたような言い方と、甘えた仕草、それ以前に進藤の高めの体温と体臭だけでも戸田は愛する相手に良からぬ期待を感じてしまう。
「担当、外してもいいぜ。だって俺、お前のことならどんなことでも嫉妬しちまうからさ」
「…進藤」
「でも、お前とずっと一緒に居たいって思ってるのも本心だけどな」
これが悪巧みだと思う一方で、心細げに言う進藤が愛おしい。
「子どもみたいなこと、言うな」
素直すぎる進藤に、戸田の胸がきゅっと苦しくなる。本当は、同じセリフを戸田が口にしていたかもしれないからだ。
さっきから作業に没頭して、険悪な態度を取っていたのは、進藤と窪田が仕事に集中しないことを不快に思っていたからではない。もっと個人的な理由…つまり、進藤が自分以外の人間と楽しげに話すのがイヤだったからだ。戸田は、進藤に乗せられただけの窪田にも嫉妬していたのだ。
そんなことは嫉妬するに足りないことだ。解っている。戸田は、またそれを自覚しているからこそ、自己嫌悪を感じてさらに不機嫌な態度になる。結局は、進藤が言っているのと同じ、大人げない幼稚な嫉妬という感情に振り回されていた。
そんな自分がイヤなのに、それと同じ感情を持ちながら、そのことを素直に口に出す進藤を、戸田は愛しいと思う。いや、弱い自分を認め、告白できる柔軟さに畏敬すら感じる。
「けどさ。…ホントに好き、なんだよ。お前が」
「言うな、こんなトコロで…」
胸の動悸に耐えきれず、突き放すように戸田は言った。
「お前は?」
深層を探るように言われて、戸田は内心焦った。
「……」
何かを言おうとして言葉が出ない。真面目で優等生な「自分」に縛られる戸田は、どれほどの想いが溢れていようとも、享楽的な進藤を喜ばせるような言葉を口にすることができない。
「いいよ。何もいうなよ、戸田。今何か言っても…お前らしくない…」
戸田らしさ…それを他の誰より理解している進藤は、戸田に見返りを求めない。
「ただ、これだけ、な」
進藤は、戸田の正面に回ると、その両肩に手を乗せ、幼い恋人同士のように、そっと唇を重ねた。
「…誕生日、おめでとう」
優しいキスを終えた瞬間。吐息と一緒に進藤が小さく呟いた。
「ん…」
照れているのか、視線を逸らしたまま戸田が頷いた。
「これで、同じ年だよな」
同級生の進藤と戸田だが、7月生まれと1月生まれの2人の歳がようやく並んだ。
「なあ、戸田…」
こつんと自分の額を戸田の額に当て、進藤は切ない眼差しで言った。
「オレら、もうオッサンだけどさ…。これからも、ずっと一緒、な」
高校時代からの付き合いだった。途中、お互いに寄り道も回り道あった。
でも、ずっと好きだった。
若すぎて見失った時期もあるけれど、今はもうオトナだから迷う事もしない。
「お前が、もう少し利口になれば、な」
照れ臭さを押し殺して、戸田が言う。
「俺?かなり利口だぜ?だって、ペプシコーラは学内に売ってないんだ」
進藤はにんまりと、窪田を遠ざけた作戦を告白した。
学内に売っていないとなれば、駅前のコンビニまで行かねばならない。窪田は当分帰っては来れないだろう。
そんな進藤の悪知恵に呆れながらも、戸田は苦笑を隠せない。
「なるほど…。じゃあ、これくらいは許してやる」
そういうと戸田は立ち上がり進藤を抱きすくめた。
「今夜のアペリティフ分くらいは、な」
そう言って、堕落した優等生は、堕落させた張本人を甘いキスで酔わせた。
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