雪と牡丹
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大将から預かった大切な書簡を渡すため、久方ぶりに独眼竜の居城を訪れることとなった。季節はちょうど冬半ばの頃である。
城へ向かう道中は、奥州に近づくにつれ辺り一面雪景色に変わり、大きな通りであっても膝まで埋まるほどの雪が積もっていた。常人が徒歩で向かうには非常に厳しい道のりだ。この時期にあえて奥州に向かおうとする者はまずいないだろう。まあ、道なき道を進む忍びの自分には関係のない話だが。
大将から独眼竜宛の遣いを頼まれたのはつい先日のことだ。任務を聞かされた時は、なんで俺がこんな雑用を…と内心文句たらたらで全く乗り気ではなかったのだが、上司からの頼まれごとを無碍に断ることもできず、渋々遣い走りを了承して今に至る。なんで渋々かって、だってこんな寒い時期に、誰が好き好んで奥州なんて寒い土地へ行きたいというのか。少なくとも俺様はごめんだね。寒いのは嫌だし。きっとろくな出迎えされないだろうし。…まあ行くんだけど。言いながらここまで来ちゃったんだけどさ。
たまには、こういう、命が危険にさらされないぬるーいお仕事というのも良いものかもしれない、と考えてみる。これで給料が支払われるなら部下としてはむしろ喜ぶべきことなのだ、きっと。命あってのなんとやらだ。
そしてなにより、このお遣いにはちょっとした楽しみもあったりするので、実は存外悪くない話なのだ。何が楽しみかって、ほら、久しぶりにあの子に会える。
正面から堂々と独眼竜の城に入るのは初めてのことだった。
名乗りの後に門扉が開くと、まず最初に右目の旦那直々に出迎えられた。それはまぁいつ見ても強面の渋い男だ。遠路遥々ご苦労だった、とねぎらいの言葉まで頂戴してしまった。恐縮しちゃうね。
次いで、そんな右目の旦那の背後から大量のむさ苦しい男たちが現れる。あっちも男、こっちも男、見渡す限りの男、男、男…。この城には男しかいないのでは、と錯覚するくらいに男ばっかりだ。
あっちこっちからあからさまな警戒と威嚇の視線が遠慮なしに自分に注がれる。忍の自分は、普段こんなにも人の目にさらされるようなことがないので、どうしたって居心地の悪さが拭いきれない。
そしてこれまた無遠慮な話し声が聞こえてくる。
『なんだあの兄ちゃん、見ねえ顔だな。』
『変な色の頭してるぜ。』
いや、変なのはあんたたちも一緒だから。
『筆頭のお客人らしいぜ。』
『へえ〜』
『ん?あれって、武田の忍じゃねえか?』
『忍び?ド派手だなぁ。忍べてんのかアレ?』
うるさいわ!放っとけよ!
「…悪ぃな。あとでシメとく。」
右目の旦那は何気ない事のように言うが、シメるってなんだよ、とはツッコんだりしない。そんなのは時間外労働だ。俺様は知らない。
男たちの無遠慮な視線を受けつつ、そんな事を考えながら強面の男の後ろをついて歩いていると、突然腰の辺りに軽い衝撃を感じた。小さな手が腰に巻き付く感触もする。
気配でなんとなく分かってはいたけれど。これはもしかして、もしかすると、と期待を込めて視線を移せば、
「佐助さんだーっ!」
「お、やっぱり嬢ちゃんだ。」
見れば、腰に抱きつき、キラキラと瞳を輝かせて俺様を見上げるなまえちゃんの姿が。
これだよ、これ。これを待ってたんだって。
「久しぶりー、元気してた?」
「うん、元気だよ!佐助さんも元気だ!」
「うん、元気元気ー」
そっかぁ良かったぁ、なんて。いじらしいったらさぁ。もう。なにその顔。やめてよ。
幼児特有の細くさらさらとした髪に指を通してやると、くすぐったそうに目を細め、嬉しそうに頬を緩める。もし獣のような耳がこの子に生えてたとしたら、喜びで伏せているに違いない。なんだろう、うちの旦那に似ているような、いや、それは失礼だな……いやあれだよ、旦那にね。
独眼竜の部下たちの男臭さと、この幼い少女との差が、すごいったらない。
右目の旦那や独眼竜の旦那含め、自分もまた、この純真無垢な彼女にほだされているうちの一人なのだろう。不思議だ。俺様、ここまで単純なお人好しじゃなかったはずなんだけどなぁ。普段の捻くれ心はどこへいったのやら、本心からこの少女を憎からず思う自分がいる。ちょっと気味悪いくらいだ。
こんな甘っちょろい自分に成り下がるくらいなら、あの時助けるんじゃなかったかなぁ、なんて一瞬考えもしたが、今こうして目の前の少女が舌足らずな声で「さすけさん」と嬉しそうに呼ぶのを聞いたら、そんな事どうでもよくなってしまった。
「いやぁ、すごいよ、おたくは。」
「へ?」
それに、初めて彼女を見たときから分かっていた事だ。こういうのは目を見れば分かる。幼少期から戦の道具として育てられ、人を傷つける術を知った子供は、少なからず瞳が淀んでいるのだ。よくある話。そういう子供を、自分は今まで腐るほど見てきた。けどこの子は違う。違うからこそ、独眼竜の旦那も自分の城にこの子を置いているんだろう。
ついつい撫で回しすぎたせいか、背後に控える強面の男の視線が気になってきた。なんとなく背中がチクチクとする気がして、そっと盗み見れば、思ったとおり、旦那は眉間に皺を寄せて渋い表情でこちらを見ていた。そんなおっかない顔するなら止めるなりなんなりすれば良いものを、と思うが、珍しく、右目の旦那は何の牽制もしてこないし、何も言ってこない。
珍しいこともあるものだ。明日は槍でも降るんじゃないの?
普段なら、「人んちの物にあんまりちょっかい出すんじゃねぇ。」くらい言って、嬢ちゃんを引き剥がし奪い返しそうなものだが。はて。
などと、考えていたら、早速声が掛かった。
「おい、猿飛。」
「はいはーい、なんですかっと。」
「気は済んだか。先に行くぞ。政宗様がお待ちだ。」
………
何?その程度?
「えー、なになに?じゃあ気が済まなかったらもうちょっとなまえちゃんと遊んでていいの?」
「…そうか、なら好きにしろ。俺は先に行く。道は分かるな?」
「はぁ…」
あらぁ?
あららら?
右目の旦那はちらりとこちらを一瞥するだけでそれ以上何も言わず、そのままスタスタと先を歩いていってしまった。
…まあ、旦那が俺様を置いて先に行くのは分かるさ。大将の命で使者としてやってきた俺が、流石に他人の城で好き放題する程馬鹿じゃないと承知しているからだろう。
しかし。
しかしだ。
こんなことってあるか?
ちらり、と腰に巻き付く少女の表情を見れば、その視線は遠ざかる右目の旦那の背中を追い、しかしその場から動くことはせず、ただただ寂しそうに旦那を見送っていた。
俺様の着物の裾を掴む小さな手が、着物に皺を作っている。
「…なまえちゃーん」
「……」
「おーい、お兄さん動けないぞー」
「……」
「……」
返事はない。
嬢ちゃんの頭が、ぽすっと俺様の着物に埋められた。彼女の可愛い顔が見えなくなってしまった。そして、動かなくなってしまった。
どうしたものか、と考えていると、着物の裾にじんわりと生暖かい涙の感触。
これはあれかな?俺様の着物の裾で、拭ってるのかな?おーい?
はてさて、何か事情が有るらしい。
音もたてずに着物を濡らす彼女の背をさすりながら、こういう時旦那ならなんて言うだろう、なんて考えた。
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