雪と牡丹
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大将の書簡を独眼竜に届け、大方の用事を済ますと、すぐになまえちゃんの姿を探した。
甲斐に帰る前に、どうしても、もう一度彼女に会っておきたかったからだ。
竜の旦那の許可を得て、城の中をあちこち歩きまわった。言わずもがな、視界に入ってはこないが監視のため忍を数人付けられているし、一部の限られた場所以外の立ち入りは禁じられている。部外者なのだから当たり前だ。
しばらく探してみて、もし彼女がいなかったら、その時は素直に諦めて甲斐に帰ろうと思っていた。
なまえちゃんは人気のない縁側に一人腰掛けていた。
半纏を羽織るちんまりとした後ろ姿は子供らしくて愛らしいけれど、半纏一枚きりでこんな縁側に座っていては、いつ風邪を引いてもおかしくない。今は真冬だ。事実、擦りあわせた手に息を吹きかける彼女の口からは、白い吐息がほわほわと立ち上っている。
驚かさないよう敢えて足音を立てて彼女に近づき、少し距離を空けて隣に腰掛けた。
彼女は一度ちらりとこちらを見、少し驚いたような表情をしたが、何かを言いかけて口を閉ざし、再び膝の上へと視線を落としてしまった。
元気はないが、もう泣いてはいないようだ。そのことにホッとする。
そんな彼女にさらに少しだけ近づいて、自分の羽織っていた深緑の着物を肩にそっと掛けてやった。
間近で見ると、雪のように白い彼女の顔の中にあって、鼻だけが赤い。
「佐助さん、」
「ん?」
「…さっきは、急に、ごめんね。」
「いいさいいさ。そういう事もあるって。」
「うん…」
「……」
なまえちゃんが一際深い吐息を吐き出した。羽織を引き寄せ、顔をうずめ、瞳を閉じる。
「…これあったかいね。ありがとう。」
「でしょー。なまえちゃん、こんなところにそんな薄着でいたら体調崩すよ。」
「うん。でも、佐助さんも寒そう。」
「そんなことないぜ。俺様強いから。」
「一緒にはいろ」
そう言ってなまえちゃんは、先程肩に掛けてやった羽織を少し持ち上げて、俺を招き入れるような仕草をした。一緒に入ろうと、そう言うのだ。
少しの逡巡の後に、俺は誘われるがまま、彼女と1つの羽織を共有することにした。ついでに、彼女の肩を抱き寄せ、体温も共有してやる。
「あったかいね。」
「そうだねー」
「…佐助さん、なんにも聞かないの?」
なまえちゃんの方を見ると、困ったような、不思議そうな表情でこちらを見上げている。
「…聞いてほしいの?」
「ううん…」
「じゃあ聞かないよ。なまえちゃんが嫌なら無理に聞いたりしない。」
「…やさしいね。」
「でしょー。どう?俺様かっこいい?」
「うん、かっこいいよ。」
やっとなまえちゃんが笑った。
鼻を真っ赤にして、ちょっと寂しそうではあるけど笑ってくれた。
そんな少女の顔を見ていたら、この小さな生き物に対して急に愛おしさがこみ上げてきて、そのまま、彼女の肩を抱き寄せる腕に力を入れた。
「なまえちゃん」
「なあに?」
「右目の旦那…片倉の旦那のこと、ぎゃふんと言わせたくない?」
「こじゅを?」
「そうそう。」
「ぎゃふんて?」
「そう、ぎゃふんて。」
「言うかなぁ?」
くすくすといたずらっぽく笑う彼女の、小さくて白い、繊細な手を取る。
「なまえちゃん、俺様に攫われちゃいなよ。甲斐においで。」
「え…」
「大将も真田の旦那ももちろん俺様も、なまえちゃんのことこんなに放っておいたりしないよ。寂しい思いもさせたりしない。さっきみたいに、なまえちゃんがいつでも笑っていられるようにしてあげる。」
子供相手にずるい大人だな。いやもうほんと。
竜の旦那にも右目の旦那にも、なにかしら事情が有るのだろう。じゃなければ、子供にこんなに寂しそうな顔をさせていて平気なわけがない。寂しそうな彼女を放って置かなければならない何か重要な理由があるはずなのだ。だから同情はしよう。
しかし、こんなに可愛いお土産を目の前にして、手をこまねいて眺めている程俺様はお人好しでもない。今なら苦労せずすんなり手中に収まりそうだというのに、それをみすみす逃す手もないだろう。
そんなに大事なものなら、隙なんか見せちゃ駄目だよな。特にこんな狡賢い忍の前で隙を見せようものなら、どうなったって文句は言えないさ。
悪いねー、ほら、俺様ってばこう見えて結構欲張りだからさ。
なまえちゃんは心底困った顔をしてこちらを見上げていた。駄目押しでもう一度、攫われちゃいな、と指をなぜてやると、彼女は困ったように笑って視線を膝に落とし、それから庭先へと視線を移した。
しんしんと雪が降り積もる広々とした庭へ。
遠くの方で、どさっと枝から雪が落ちる音がした。それ以外の雑音が聞こえない、それくらいに静かだ。降り積もった雪が、辺りのあらゆる音を吸収しているみたいだ。
「佐助さんのおうちかぁ…」
「そう、甲斐ね。良いところだよ。」
「うん。」
「ここほど寒くなくて、雪はそれほど降らない。米も野菜も魚も美味いし、ああ、近くに海はないけど、過ごしやすい土地だよ。お館様も真田の旦那も熱い人で…たまに暑苦しいくらいでさ。芯が通っていて根が真っ直ぐな人達なんだよなぁ。ただ、いっつも何か叫んでてうるさいったら。」
「いいなぁ、楽しそうだね。」
「なまえちゃんもきっと気にいると思うんだけど。」
「うん、行ったら、きっと好きになっちゃうかも。」
「だろ?」
「…けど、」
「けど?」
なまえちゃんのくりくりとした目がこちらを向く。
「今、なまえがいなくなっちゃったら、こじゅが独りぼっちになっちゃうよね?さみしくなっちゃうよね?」
「……」
「こじゅをさみしくさせたくないよ…」
右目の旦那がさみしがる、と言いながら、そういうなまえちゃんこそとても寂しそうな表情を浮かべているのに、気がついているのだろうか。それに、この子がいようがいまいが決して右目の旦那が一人になるわけではないのだけれど。彼女が言いたいのはそういう事じゃないんだろう。
「こじゅと約束したんだ。」
「…なんて?」
「こじゅがお仕事頑張るから、なまえも頑張るよって。ちゃんと我慢するよって。」
「そっかー。なまえちゃんは、それがいつまで続くか分からなくても頑張るの?」
「うん」
「寂しくても?」
「うん」
「旦那と一緒にいられなくても?」
「うん…」
「今日みたいに、置いていかれて泣いちゃっても?」
「う…、それはね、あのね、」
「うんうん、分かってるよ。」
今日は特別なんだよね、と問えば、彼女は頬を赤くして恥ずかしそうに俯いた。
「今日はね、佐助さんがいてくれたからね、我慢できなくなっちゃってね、」
「うんうん、ごめんごめん、分かってる。意地悪言ってごめん。」
残念だけど、ここまでみたいだ。
彼女の細い髪を指で梳きながら、彼女に気づかれないようにそっと苦笑する。
惜しいねぇ、もう少し強引に押せば連れていけたかな。
けど、なまえちゃんの意思は硬いから、これ以上は望めないだろう。
追い詰めたらまた泣かせてしまうかもしれない。それに、彼女の気持ちは尊重しなくちゃ。
「右目の旦那の傍には、なまえちゃんがついていてやらないとだもんな。」
「うん。」
「しゃーない、お兄さん諦めますか。」
笑ってやれば、
「佐助さん、ごめんね…」
「謝らなくていーの。まあ、残念だけどね。」
「じゃあ…佐助さん、ありがとう。今はだめだけど、いつか、佐助さんのおうちに遊びに行ってもいい?」
「もちろん。いつでもどうぞ。」
俺の返答に嬉しそうに口元を緩ませ、楽しみだなぁと呟く。そうして、胸元に無防備にも頭をもたれ掛けさせてくる少女を見下ろしながら、この子なら、きっとお館様も旦那も温かく迎え入れてくれるだろうと確信する。
春が来たら、きっと遊びにおいでよね。
待ってるからさ。
雪と牡丹ゆきとぼたん
2020.3.29
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