春恋し
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伊達の統べる領地のとある村の、治水事業の詳細に目を走らせていた時のことである。
もくもくと作業に勤しむ強面の男の隣で、同じように書簡に視線をやっていた隻眼の若者が、ふと思い出したように顔を上げた。
「小十郎、それが終わったら後で少し付き合え。」
宣う彼の横顔は真剣その物で、発する声はどことなく固い。
「は。如何なされました政宗様。」
「…ちょっとな。」
そう、彼の主であり、ここ奥州を統べる独眼竜こと伊達政宗に声をかけられたのがつい半刻ほど前。どこか含みのある、わざと話を濁すような発言に、強面の男、片倉小十郎は訝しげに眉を寄せた。
そして現在。主に言われるがまま赴いた部屋の戸を引くと、そこには、伊達と同盟を結び直したいと先だって書簡を寄越してきた某国人と、その娘らしい、いかにもなお姫様が膝を揃えぎらぎらとした野心に燃える4つの瞳でもって自分を出迎えたのであった。
(やられた…)
一瞬にして状況を悟った小十郎はその場で頭を抱えたい衝動に襲われた。長年の経験から、この空気が何を意味するかが嫌でも分かってしまう。
この状況は、どう見ても…。
「Hey,小十郎. んなところにぼけっと突っ立ってねぇで中に入ったらどうだ。」
「は…」
言いつつ、先方には分からぬよう視線で主を責める。
当の本人はどこ吹く風で、わずかに肩をすくめると、煙管に手を伸ばしくつくつと喉を鳴らした。
…完全に楽しんでいる。
「いやはやこれは奇遇ですな。丁度今、貴殿の噂をしていたところだったのですよ、片倉殿。」
政宗の隣に膝を折り、袴を手早く正し、さてどうしたものかと一瞬の内に思案していると、予想通り向こうから声をかけられる。
左様で、と社交辞令で返しつつ、これは長くなりそうだなと内心早々に腹をくくっていた。
「貴殿の武勇の数々、私ども常々耳にしております。龍の右目と謳われるその剣技、知己にとんだ采配、統率力、伊達殿を支える軍師としての並々ならぬ才能、もはやこの乱世において貴殿の名を知らぬ者はおりますまい。」
とまぁ、そこからは永遠小一時間は小十郎に対するご機嫌取りが行われたわけだが、当の小十郎はというと始終眉間に皺を寄せ、かしこまったように『はい』だとか『いえそのようなことは』だとか、当たり障りのない返答をしつつ、両膝の上ではしっかりと拳を握りしめ、背筋を伸ばしたまま微動だにしなかった。
小十郎を騙し(言い方は悪いが)、無理やりこの場に引きずり出した張本人である政宗はというと、そんな彼の様子を横目でちらりと確認し、心の中で『悪いな小十郎、』と今更だが手を合わせた。
(でもまぁ、これでおあいこだろ。)
以前から自分も同じような目にあわされていた政宗は、しかし、実にあっけらかんとして事の成り行きを見守っていた。もちろん、この場に小十郎を呼び出したのも、政宗がここまで落ち着き払っているのも、彼がこの縁談を断ると見越したうえの事である。
「時に、片倉殿は何かご趣味などはお持ちですかな。」
「趣味ですか。」
「ええ。実は私の娘…名を菊と申しますが、幼い頃より舞や唄を習わせておりましてな。」
「はぁ、それは…」
小十郎の視線が自分に向けられたと気が付き、菊と呼ばれた娘はしずしずとその場で頭を垂れた。
「菊と申します。」
目の前の男の切れ長の瞳に見つめられ、わずかに頬を染めそっと視線を外す。
(若ぇな…)と小十郎は感心した。
「今年で十六になります。」
聞かれなくとも父親が答え、
「十六。お若いですな。」
対する小十郎はさりげなく自分と彼女の年の差を示し、相手にその気がないことを伝えた。
が、しかし。
「ええ、確かに若いのですが、如何せん本人がこのように年頃の娘とは思えぬほど落ち着いておりまして、いやはやとても十六には見えぬとよく、」
「父上…!」
かぁと顔を赤くして、娘が小さく叫んだ。
小十郎が年の差を盾に拒絶の色を示したことを読み取って、父親は娘の為、良かれと思って口にしたことなのであろうが、娘からすれば自分が老けた女だと思われることがよほど恥ずかしかったのだろう、若干恨むような視線を自分の父親へと送っていた。
小十郎は思わず苦笑を浮かべる。
政宗はと言うと、
(小十郎の奴、小せぇのは嫌いじゃねぇとでも言ってやりゃぁいいのに。)
と、少し伸びた後ろ髪を弄びつつ内心にやにやとほくそ笑んでいた。
いるじゃねぇか、この城にも小せぇのが一匹。……誰とは言わねぇけど。
他人事なのをいいことに、散々な言い様である。
かん、と音を立て煙管の灰を打ち落としつつ、政宗は小十郎の奮闘を尻目に、すでに彼は彼でぼうっと違うことを考え始めていた。
(だが、今日のところは一先ず、そろそろ終わらせねぇとな。)
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