奥州式ペットのしつけ方
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不覚にも先の戦で傷を負ってしまった。曲がりなりにも竜の右目と呼ばれる身でありながら、このような失態を犯してしまったことにどうしても悔いを感じずにはいられなかった。
幸いなことに戦はこちらの勝利に終わった。不利な状況に怯んだ敵があっさりと撤退したことは、こちらにとっては嬉しい誤算だった。
そうして確かに勝ちはしたが、その事後処理に関しては、政宗様からの命により、不本意ではあったが安静にしているより他に仕方がなかった。事実、自分が思っていたより傷は深かったらしい。床に伏せ、天井を見上げながらぼんやりと考えた。
(不甲斐ねぇな…。)
腹の傷跡を確かめつつ目を瞑り、ふと、何かがいつもと違うことに気が付いた。
(なんだ…?)
じっと耳を澄ます。
「……」
(…やけに静かじゃねぇか。)
いやに胸が騒ついた。傷に触らぬよう身を起こし、鈍痛と、多少だるさを感じる体を無理矢理立たせて、戸の外に待機する女中に、おいと声をかけた。
「そこにいるか。」
「はい、こちらに。なにか御用でしょうか。」
すらっと襖が開き、見知った女中が顔をのぞかせる。
「いや、用と言うほどじゃねぇんだが、なんだかいやに静かな気がしてな…。何か変わった事はあったか。」
「?そうでしょうか。」
はて、と首を傾げつつ女中は口を閉じ、耳を澄ませる。城の外からは、部下たちの鎧の音、馬のいななき、それに武器を運ぶ荷車の地を揺らす低い音が重なって耳に届く。十分なほどの雑音の中で、城の中だけが妙に静かで、それがどうにも気になった。いつも通りと言われれば確かに気にならない程度の違和感だ。
そうして暫く黙っていると、女中はややあってから、ああと何事か思いついたかのようにぽんと手を打った。
「なまえ様が、」
「…なまえが?」
「片倉様や殿をお迎えに、少し前に城の門の先の方へ向かわれましたわ。」
「………何?」
脳の芯が、すうっと冷えた心地がした。
「家臣の方と一緒だから平気だ、と仰っていて…私てっきり…。もしや、お会いになっておりませんか?」
こちらの表情から何かただならぬ気配を感じ取ったのだろう、女中は急に神妙な顔つきになると、声を潜めた。
こういう時、嫌な予感というのは当たるものだ。
「その家臣とやらの面は見たか。」
「ええ…。ただ、あぁ…確かに、初めて見るお方でした。そうですわ、初めて見たお顔でした。」
迂闊だった。卑劣なやり口を得意とする敵と知りながら、相手を軽んじ、城の警備を手薄にしたことが悔やまれた。戦力になりそうな主要な忍びをおおかた戦場へ駆りだしていた事も失態だ。なまえには念の為見張りとして忍びを付けていたはずだが、もしこの女中の話が本当なら、もうその忍びは生きてはいまい。
今になって思えば、敵があっさりと撤退した理由はここにあったのかもしれないと思い至る。
「ちっ…」
なんてざまだ。
嫌な予感が段々と確信へ変わる。
状況が芳しくない事だけは確かだった。
「なまえには会ってねぇな。その家臣っつうのも本当かどうか怪しい。」
「まさか…」
女中の顔色がさあっと青ざめる。
「なまえ達はいつ頃出ていった。どちらへ向かうと言ったか覚えているか。」
床の傍に掛けてあった羽織りを着込みながら問うた。それを見て、自分が何をしようとしているのか気付いたのであろう。女中は、いけません、と悲鳴にも似た声を上げて止めに入った。着物に縋るように引き止められる。
「おやめくださいませ片倉様!お体に触ります!」
「平気だ。」
「し、しかし…、」
「分からねぇか。構わねぇと言っている。」
自分でも情けないほど声が動揺しているのが分かった。
(あんっの馬鹿野郎が。)
「それで行き先は。」
「たしか…城下の先の、杉並木の辺りと仰っていました…ですが、」
「分かった。」
「片倉様!」
この女中には悪い事をしてしまうとは思ったが、致し方ない。
「政宗様にはなんとか上手いこと言っといてくれ。」
足早に廊下を駆け、城の外へ出なり馬を連れた部下の一人に近寄った。
「あ、小十郎様!もうお身体の方は大丈夫なんで?」
「ちょっと借りるぜ。」
「え?あ、ちょっ…!」
返事を聞かずに馬にまたがり、思い切り手綱を引く。驚き前足を高く振りかぶった馬が、一度大きくいななく。馬の動きに腹の傷がじくりと疼いたような気もするが、この際そんなのはどうだっていい。まだまだ動ける、問題ねぇ。
「小十郎様!?その傷でどこへ行かれるおつもりですか?!」
「すぐに戻る。」
「ちょっ、小十郎様ぁあ?!」
そのまま飛ぶように城下へと駆け抜けた。
***
(遅いなぁ…)
ぶるっと肩を震わせ、もう一度辺りを見渡してみた。伊達軍の姿はどこにも見当たらない。こじゅも政宗様もいない。それどころかこの道、先程からとんと人の通る気配が無かった。
ここまで一緒に来た家来の人は、少し前に、神妙な顔して急に立ち止まるなり、『少しここで待っていてくれるかい。』とだけ残しそのままどこかへ行ってしまった。あれからまだ帰ってきていない。
きれいに揃えられた杉。その隙間から見上げた空には、かぁかぁとカラスの家族がお宿へと帰る様子が見受けられる。
奥州の春先はまだまだ寒い。日中日が出ているうちはまだマシだが、夕刻になると途端にぐっと冷え込む。身を切るような冷気は言うまでもなかったが、雪が降っていないのは不幸中の幸いであった。ぴんと張り詰めた空気の中、いくら耳を澄ませても馬の蹄の音は一向に聞こえてこなかった。
(もう、帰ろうかなぁ。)
皆に、こじゅに、政宗様に、誰よりも早くおかえりなさいと言ってあげたかった。が、この様子だと行き違いになってしまったのか、はたまた帰路が変更されたのか。いずれにせよ、この分ではもう皆に会える見込みはないだろう。
(早く帰ろう。)
(そしてこじゅにおかえりなさいって言ってあげるんだ。)
久しく会えていない彼を思い出したら、堪らず恋しくなった。
さて。
立ち上がって左右を見渡す。
右を見て、左を見て、もう一度右を確認する。
が、しかし、
(あ……れ?)
困ったことに、どちらから来たのかさっぱり思い出せなくなってしまった。同じように規則的に続く杉並木がなまえの方向感覚を鈍らせていた。そもそも、ここまでの道のりは未だ帰ってこない家臣に頼りきりだったため、行き帰りの事なぞ全く覚えていなかった。
(どうしよう…)
これからのことを考え、途方に暮れて立ち尽くしていたその時であった。
「ねぇ、お嬢ちゃん。」
不意に背後から聞こえた声にびくりと驚いて振り返ると、確かに先程までは誰もいなかったところに、一人のにこやかな青年が立っていた。
目深に被った笠をはずすと、鮮やかな橙色の髪がそこから現れる。人懐こそうな笑み。
旅人といったかんじだろうか。風貌も、身なりも、旅人のものとそう変わりはない。
(けど、)
それだけではない、何か得体の知れない不安が一瞬なまえを捕らえた。初めての感覚に自然と足が動いていた。じり、と、一歩後退して相手の顔を伺う。
と、
「心外だなー。」
少し残念そうな表情を浮かべ、彼はその両の手を胸の辺りで広げてみせた。
「俺様、別に怪しい奴じゃないよ。ただの旅行客だし。ね、ほら。」
「………」
「なーんかお嬢ちゃんがお困りのようだったからさ。」
そう言って微笑んでみせた青年に、なまえはわずかに警戒を解く。頭の先からつま先まで改めて相手を観察してみるが、見たところ怪しいところはない。どうやら悪人ではないみたいだ。正直まだ完全には信用しきれていないのだが、少しだけ緊張の糸が解けたような気がした。
「嬢ちゃんがさっきまで一緒だったおじさん、どこかに行っちまったんだね。」
「うん…」
「もしかして迷子?」
こちらへ近づき、目線を合わせるようにしゃがみ込む彼の瞳を見つめ返し、こくりと頷いてみせる。
少し考え込んだ後で彼は突然立ち上がると、こちらを見下ろしながら、よし、と短く呟いた。
「俺様が城下まで連れていくよ。」
「…え?」
思わぬ提案に期待を込めて目線を上げる。
「いいの?」
「うん。」
なまえは思わず嬉しさで顔を綻ばせた。
もしかすると、本当にこの人は親切でいい人なのかもしれない。最初に感じた変な感じは、あれは自分の気のせいだったのかもしれないな、と思い直す。だって見ず知らずの私を、親切にも道案内してくれると言うのだ。これで悪い人のわけがない。初め少し疑ってかかってしまったことを心の中で詫びた。
そんななまえを見つめた後、彼は、ついでだから城下で甘味をご馳走すると提案してきた。さすがにそれは悪いと遠慮するなまえであったが、
「いいんだよ。お嬢ちゃんには聞きたいことが山ほどあるしね。」
「……え?」
「いやいや、こっちの話ー。」
さあ行こう、と手を引く彼に従って、二人並んで歩きだした。
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