◇第二十八話◇甘くとろけるお菓子味のデート
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悪夢の襲来の跡を上手に消したトロスト区の街は、4年前よりも確実に栄えている。
昔はなかったようなお洒落なお店も増えていた。
普段、休日も宿舎の自室でダラダラと寝て過ごすことの多い私にとって、兵舎のすぐ外の世界であるはずのトロスト区の街並みですら、ひどく新鮮に見えた。
誰かと手を繋いで街を歩くなんて人生で初めて過ぎて、最初は違和感があったのも、いつの間にか忘れてしまったくらいに、私は、いつの間にか変わっていた街の様子を楽しんでいた。
そして、たくさんの美味しそうな食べ物を詰め込んだ紙袋を抱えた私達は、駅馬車に乗ってトロスト区の内門を出て、ウォール・ローゼ南西にある公園広場にやって来ていた。
平日だからなのか、お散歩日和なのに、見渡す限り芝生が広がる公園にいるのは、私とジャンの2人だけだった。
用意のいいジャンが持って来てくれた大きなシートを敷いて、買ってきた食べ物をワクワクしながら並べる。
野菜やハム、玉子、具沢山のサンドウィッチに、串にささったお肉、果物を絞ったジュース、その他にもたくさん。
「いただきまーす!」
食べきれるか心配なくらいのそれを見ながら、私の頬は自然とほころぶ。
それは、美味しそうなものに囲まれているからではなくて、私がしてみたいと妄想していた理想通りのデートを過ごせていることで、心が踊っていたせいだ。
「ん、このハム、美味いっすね。」
ジャンが、齧ったばかりのサンドウィッチを見下ろして言う。
だから私も、自分が食べたサンドウィッチを自慢したくなる。
「こっちの玉子たっぷりも美味しいよっ。ほら!」
サンドウィッチをジャンの口の前に持って行って、言った。
そうすると、ジャンは、口元にやってきたサンドウィッチと私を見比べた後に、クスッと笑った。
「仕方ねぇっすね。俺のハムのサンドウィッチも食わせてやりますよ。」
「やった!」
望んだ通りの展開に喜ぶ私の口元に、ジャンは自分のサンドウィッチを持ってくる。
そして、お互いのサンドウィッチをぱくりと口にする。
「美味しい!」
「美味い。」
重なった声に、私達は顔を見合わせてニッと笑い合った。
それからも、一緒にシェアし合いながら美味しい食べ物を楽しめば、食べきれないと思ったほどの昼食は、後はデザートに買ったお菓子を残すだけになった。
「んーーーっ、美味しい!!」
砂糖がたっぷりまぶしてある棒状のお菓子を齧った私は、頬に手を添えて、目を細めた。
本当に美味しい。
最近、王都から伝わって来たばかりのお菓子だと言っていたけど、流石王様達が好んで食べているお菓子だ。
こんなに美味しいお菓子を食べたのは初めてだ。
「ジャンも買えばよかったのに~。すごく美味しいよ?」
私は、シートの上に寝転んでいるジャンを見下ろした。
ジャンは、自分の両手を枕にして仰向けになって、高い空を見上げていた。
「後で貰うからいいです。」
ジャンは、私の方をチラッと見てから答えた。
「え、あげないよ。」
「知ってますよ。」
即座に断った私に、ジャンは当然とばかりに答える。
ならさっきの答えは何だったのか。
適当なジャンの返事を聞き流して、私は、美味しいお菓子を堪能する。
思いっきり齧ってしまいたい気もするし、すぐに食べ終わってしまうのが勿体ないから、少しずつ齧ってしまおうかなとも思う。
そんな最高に幸せな悩みを抱えながら、青い空の下で気持ちのいい風を感じる。
まるで歌を口ずさんでいるような小鳥のさえずりと、踊るように風を舞う緑の葉と色とりどりの花びら。
こうして、最高に幸せな悩み以外は何も考えずに穏やかな時間を過ごしていると、この世界もまだ捨てたものじゃないな、なんて気がしてしまう。
幸せな時間というのは、あっという間に終わることを知ってるのに———。
ほら、美味しいお菓子はあっという間に食べ終わってしまって、私に残ったのは、皺くちゃになった包み紙だけだ。
大切に包んであった甘いお菓子は、もうない。
「食べ終わりました?」
包み紙を丸めていると、ジャンが話しかけて来た。
「うん、あっという間に終わっちゃった。」
「まだ終わってないっすよ。」
「何が?」
「次は俺が、貰うって言ったでしょ。」
ジャンはそう言いながら、身体を起こした。
そして、まるで、櫛みたいに、長い指を私の髪に差し入れる。
そうして、後頭部を大きな手で包むと、そのまま私を引き寄せるようにして自分の唇を重ね合わせた。
ぼんやりしていたからではなくて、唇が触れるまでの自然過ぎる流れがあっという間過ぎて、考える暇を与えて貰えなかったのだ。
だから、唇が重なって初めてビックリした私は、身体を離そうとしたけれど、後頭部を押さえる大きな手がそれを許さない。
いつの間にか腰にまわっていた長い腕に抱き寄せられた私は、唇を押しつけられたままのキツい体勢に堪えられなくなって、バランスを崩して、前のめりに倒れ込む。
身体を支えるために手を添えた大きな胸板は、シャツ越しにも筋肉質なのが伝わってくるくらいに硬くて、まるで板でも触っているみたいだ。
それとも、男の人って、みんなそうなんだろうか。
私は、触れたことがないから、分からない。
私の腰を抱き寄せたジャンの唇が少し開いたのが分かった。
でも、それがどういう意味かなんて、男の人の胸板の硬さも知らない私に予想することが出来るわけがなかった。
他人の舌の感触なんて知るはずのない私は、ぬるっとしたそれが、最初は何なのかすら分からなかったくらいだった。
唇の隙間から滑り込んできた舌に驚いて飛び跳ねた私の身体を押さえ込むように、私の後頭部を押さえる大きな手の力も、腰を抱く長い腕の力も強くなる。
長い舌が這いまわる咥内を、私の舌は必死に逃げ回った。
それでも、ジャンの舌が私の舌に触れる度に、鳥肌が立って、身体が僅かに震えた。
「ん…っ。」
ジャンの舌は、咥内を這い回りながら、上顎を撫でて、歯裏をなぞった。
まるで、私の咥内に自分の舌が触れたことのない場所を作らないようにしているみたいだった。
そして、ついに、長い舌に自分のそれを絡めとられてしまった。
捕まった私の舌は必死に逃げようとするけれど、肌触りを確かめるように撫でたと思ったら吸い上げられて、弄ばれているうちに、力まで奪われしまった。
あぁ、違う。
力を奪われていったのは、舌ではなくて、私の身体と思考の方だ。
ただ必死に、ジャンのシャツの胸元を握りしめて、私はそれが終わるのを待った。
そうしていると、息が苦しくなって、今まで必死に閉じようとしていた私の口は、酸素を求めて開いた。
「ふぁ…っ、は、ん…っ、はぁ…っ。」
必死に酸素を吸おうとする私の唇を、ジャンの唇が覆って邪魔をする。
自分でも聞いたことのない吐息のような声が漏れた頃には、咥内を這い回っていたジャンの舌は、まるで暴君みたいに私を襲った。
唇が腫れるほどのキスって、たぶん、これのことだ。
何が起こっているのか分からないまま、長い舌に吸いつくされた思考のせいで、ぼんやりとしていく中、私はそんなことを考えていた気がする。
まるで、脳みそが、甘いお菓子になってしまったみたいだ。
とろけてしまいそう————。
背中が少しひんやりして、シートの上に寝かされたことに気づくくらい、私の頭が働いていなかった。
私をシートに寝かせた後も、ジャンの上半身に覆われて拘束されたまま、〝唇が腫れるようなキス〟をされ続けた。
そうして、漸く、ジャンの唇が離れたときには、私の頭はもう、真っ白だった。
その瞬間だけ、今までたくさん綴って来た妄想物語が、頭の中の本棚から消えてなくなってしまっていたくらい、空っぽだったのだ。
そのとき、私には、現実の世界しかなくて、そこに存在するのは、私とジャンだけだった。
覆いかぶさっていた身体を少しだけ起こしたジャンが、シートに肘をついた格好で、乱れた私の髪を整えるように撫でる————、それが、私に見える世界のすべてだった。
「ご馳走様でした。」
私を見下ろすジャンが、口の端を上げて、小さく微笑む。
「へ?」
「やっぱり、甘すぎですね。わざわざ買わなくて正解でした。」
眉を顰めたジャンを見上げながら、私の思考は少しずつ動くことを思い出し始めていた。
そして、しばらくの間を開けて、漸く、理解した私は、目を吊り上げた。
「ジャンっ、私の口の中でお菓子の味、確かめたの!?
意味わかんないよ!意味わかんないし、変態!!変態だ!!」
シートに仰向けで寝転んだ格好のままで、私は、自分を見下ろすジャンを叱った。
意味わかんない、と言うのは本当で、私はパニックに近かったと思う。
叱られたジャンは、少しだけ目を見開いたけれど、すぐに意地悪な笑みを浮かべた。
そして、私の前髪を指に絡めて遊びながら言う。
「なら、なまえさんも変態なんじゃないんすか?」
「なんで、私が———。」
「俺に食われながら、エロい声出してましたよ。」
「…!?出してなんか…っ、ない!!」
自分を見下ろすジャンの視線から逃げたくて、私は横を向いて、口を右腕で覆って隠した。
恥ずかしさで、顔が熱い。
きっと、笑えるくらい真っ赤になってるんだと思う。
鏡を見なくたって、分かる。
馬鹿じゃ、ないんだから————。
「そんな赤い顔で言われても説得力ないっすよ。
気持ち良かったんでしょ?」
「気持ちよくなんか、ない…!!」
横を向いたまま、私は必死に答えた。
不思議だけれど、ショックとか、嫌だったとか、そういうのはなかった。
ジャンに何度もキスをされ過ぎて、そういう感情が鈍っていたのかもしれない。
ただ、恥ずかしさに加えて、なぜか、ひどく悔しくて、泣いてしまいそうだった。
だから、唇を噛んだら、私の頬を、ジャンの長い指がそっと撫でた。
「俺は、気持ち良かったですよ。」
「馬鹿じゃないの…っ。」
「そうなんすかね。」
クスッと笑って、ジャンはまたシートの上に横になった。
そして、私の腰に腕を回して、抱き寄せた。
反対を向いている私を、まるで抱き枕みたいにして、大きな身体で包み込む。
「さ、寝ましょうか。」
「もう本当、意味わかんないよ、ジャン。」
私の口調も、ジャンからは見えない私の尖った口も、完全に拗ねた子供のものだった。
だって、私ばかりが、感情をかき乱されていて、ジャンはいつも平然としているから、急に、私は何も知らない子供なんだって思い知らされたみたいで、ショックだった。
「そうっすか?青い空の下で、美味いもん食ったら、今度は昼寝でしょ。
せっかくの、お昼寝日和ですよ。」
「…そうだけど。なんで、私に抱き着く必要があるの。」
「なまえさんは、俺専用の抱き枕だから。」
「いつそんなことになったの。」
「ご褒美でもらったときからですよ。」
「それはあのときだけだよ。」
「ダメっすよ、なまえさんは、一生俺のです。」
「勝手なこと言わないでよ。」
ジャンの額のあたりが、私の頭に押しあてられたのが分かった。
それからは、私が何を言っても、ジャンから返事はなかった。
本当に寝てしまったのだろうか。
あぁ、でも、眠ってしまいたい気持ちもわかる。
すごくわかる。
だって、高い空は青くて、柔らかく吹く風は気持ちが良いし、お腹いっぱいで、眠気がやってくる頃だ。
それに、ジャンから伝わってくる体温が、暖かくて———。
私の右肩の辺りに伝わってくるジャンの心臓の鼓動は、まるで子守唄みたいで———。
ゆっくりと、瞼が落ちていくのが、最高に気持ちがよかった。
「怒りながら寝れるって、ガキかよ。
早ぇーな、いつも。マジで尊敬する。」
クスクスと笑うひどく柔らかい声が、まどろみの中で聞こえたような気がした。
昔はなかったようなお洒落なお店も増えていた。
普段、休日も宿舎の自室でダラダラと寝て過ごすことの多い私にとって、兵舎のすぐ外の世界であるはずのトロスト区の街並みですら、ひどく新鮮に見えた。
誰かと手を繋いで街を歩くなんて人生で初めて過ぎて、最初は違和感があったのも、いつの間にか忘れてしまったくらいに、私は、いつの間にか変わっていた街の様子を楽しんでいた。
そして、たくさんの美味しそうな食べ物を詰め込んだ紙袋を抱えた私達は、駅馬車に乗ってトロスト区の内門を出て、ウォール・ローゼ南西にある公園広場にやって来ていた。
平日だからなのか、お散歩日和なのに、見渡す限り芝生が広がる公園にいるのは、私とジャンの2人だけだった。
用意のいいジャンが持って来てくれた大きなシートを敷いて、買ってきた食べ物をワクワクしながら並べる。
野菜やハム、玉子、具沢山のサンドウィッチに、串にささったお肉、果物を絞ったジュース、その他にもたくさん。
「いただきまーす!」
食べきれるか心配なくらいのそれを見ながら、私の頬は自然とほころぶ。
それは、美味しそうなものに囲まれているからではなくて、私がしてみたいと妄想していた理想通りのデートを過ごせていることで、心が踊っていたせいだ。
「ん、このハム、美味いっすね。」
ジャンが、齧ったばかりのサンドウィッチを見下ろして言う。
だから私も、自分が食べたサンドウィッチを自慢したくなる。
「こっちの玉子たっぷりも美味しいよっ。ほら!」
サンドウィッチをジャンの口の前に持って行って、言った。
そうすると、ジャンは、口元にやってきたサンドウィッチと私を見比べた後に、クスッと笑った。
「仕方ねぇっすね。俺のハムのサンドウィッチも食わせてやりますよ。」
「やった!」
望んだ通りの展開に喜ぶ私の口元に、ジャンは自分のサンドウィッチを持ってくる。
そして、お互いのサンドウィッチをぱくりと口にする。
「美味しい!」
「美味い。」
重なった声に、私達は顔を見合わせてニッと笑い合った。
それからも、一緒にシェアし合いながら美味しい食べ物を楽しめば、食べきれないと思ったほどの昼食は、後はデザートに買ったお菓子を残すだけになった。
「んーーーっ、美味しい!!」
砂糖がたっぷりまぶしてある棒状のお菓子を齧った私は、頬に手を添えて、目を細めた。
本当に美味しい。
最近、王都から伝わって来たばかりのお菓子だと言っていたけど、流石王様達が好んで食べているお菓子だ。
こんなに美味しいお菓子を食べたのは初めてだ。
「ジャンも買えばよかったのに~。すごく美味しいよ?」
私は、シートの上に寝転んでいるジャンを見下ろした。
ジャンは、自分の両手を枕にして仰向けになって、高い空を見上げていた。
「後で貰うからいいです。」
ジャンは、私の方をチラッと見てから答えた。
「え、あげないよ。」
「知ってますよ。」
即座に断った私に、ジャンは当然とばかりに答える。
ならさっきの答えは何だったのか。
適当なジャンの返事を聞き流して、私は、美味しいお菓子を堪能する。
思いっきり齧ってしまいたい気もするし、すぐに食べ終わってしまうのが勿体ないから、少しずつ齧ってしまおうかなとも思う。
そんな最高に幸せな悩みを抱えながら、青い空の下で気持ちのいい風を感じる。
まるで歌を口ずさんでいるような小鳥のさえずりと、踊るように風を舞う緑の葉と色とりどりの花びら。
こうして、最高に幸せな悩み以外は何も考えずに穏やかな時間を過ごしていると、この世界もまだ捨てたものじゃないな、なんて気がしてしまう。
幸せな時間というのは、あっという間に終わることを知ってるのに———。
ほら、美味しいお菓子はあっという間に食べ終わってしまって、私に残ったのは、皺くちゃになった包み紙だけだ。
大切に包んであった甘いお菓子は、もうない。
「食べ終わりました?」
包み紙を丸めていると、ジャンが話しかけて来た。
「うん、あっという間に終わっちゃった。」
「まだ終わってないっすよ。」
「何が?」
「次は俺が、貰うって言ったでしょ。」
ジャンはそう言いながら、身体を起こした。
そして、まるで、櫛みたいに、長い指を私の髪に差し入れる。
そうして、後頭部を大きな手で包むと、そのまま私を引き寄せるようにして自分の唇を重ね合わせた。
ぼんやりしていたからではなくて、唇が触れるまでの自然過ぎる流れがあっという間過ぎて、考える暇を与えて貰えなかったのだ。
だから、唇が重なって初めてビックリした私は、身体を離そうとしたけれど、後頭部を押さえる大きな手がそれを許さない。
いつの間にか腰にまわっていた長い腕に抱き寄せられた私は、唇を押しつけられたままのキツい体勢に堪えられなくなって、バランスを崩して、前のめりに倒れ込む。
身体を支えるために手を添えた大きな胸板は、シャツ越しにも筋肉質なのが伝わってくるくらいに硬くて、まるで板でも触っているみたいだ。
それとも、男の人って、みんなそうなんだろうか。
私は、触れたことがないから、分からない。
私の腰を抱き寄せたジャンの唇が少し開いたのが分かった。
でも、それがどういう意味かなんて、男の人の胸板の硬さも知らない私に予想することが出来るわけがなかった。
他人の舌の感触なんて知るはずのない私は、ぬるっとしたそれが、最初は何なのかすら分からなかったくらいだった。
唇の隙間から滑り込んできた舌に驚いて飛び跳ねた私の身体を押さえ込むように、私の後頭部を押さえる大きな手の力も、腰を抱く長い腕の力も強くなる。
長い舌が這いまわる咥内を、私の舌は必死に逃げ回った。
それでも、ジャンの舌が私の舌に触れる度に、鳥肌が立って、身体が僅かに震えた。
「ん…っ。」
ジャンの舌は、咥内を這い回りながら、上顎を撫でて、歯裏をなぞった。
まるで、私の咥内に自分の舌が触れたことのない場所を作らないようにしているみたいだった。
そして、ついに、長い舌に自分のそれを絡めとられてしまった。
捕まった私の舌は必死に逃げようとするけれど、肌触りを確かめるように撫でたと思ったら吸い上げられて、弄ばれているうちに、力まで奪われしまった。
あぁ、違う。
力を奪われていったのは、舌ではなくて、私の身体と思考の方だ。
ただ必死に、ジャンのシャツの胸元を握りしめて、私はそれが終わるのを待った。
そうしていると、息が苦しくなって、今まで必死に閉じようとしていた私の口は、酸素を求めて開いた。
「ふぁ…っ、は、ん…っ、はぁ…っ。」
必死に酸素を吸おうとする私の唇を、ジャンの唇が覆って邪魔をする。
自分でも聞いたことのない吐息のような声が漏れた頃には、咥内を這い回っていたジャンの舌は、まるで暴君みたいに私を襲った。
唇が腫れるほどのキスって、たぶん、これのことだ。
何が起こっているのか分からないまま、長い舌に吸いつくされた思考のせいで、ぼんやりとしていく中、私はそんなことを考えていた気がする。
まるで、脳みそが、甘いお菓子になってしまったみたいだ。
とろけてしまいそう————。
背中が少しひんやりして、シートの上に寝かされたことに気づくくらい、私の頭が働いていなかった。
私をシートに寝かせた後も、ジャンの上半身に覆われて拘束されたまま、〝唇が腫れるようなキス〟をされ続けた。
そうして、漸く、ジャンの唇が離れたときには、私の頭はもう、真っ白だった。
その瞬間だけ、今までたくさん綴って来た妄想物語が、頭の中の本棚から消えてなくなってしまっていたくらい、空っぽだったのだ。
そのとき、私には、現実の世界しかなくて、そこに存在するのは、私とジャンだけだった。
覆いかぶさっていた身体を少しだけ起こしたジャンが、シートに肘をついた格好で、乱れた私の髪を整えるように撫でる————、それが、私に見える世界のすべてだった。
「ご馳走様でした。」
私を見下ろすジャンが、口の端を上げて、小さく微笑む。
「へ?」
「やっぱり、甘すぎですね。わざわざ買わなくて正解でした。」
眉を顰めたジャンを見上げながら、私の思考は少しずつ動くことを思い出し始めていた。
そして、しばらくの間を開けて、漸く、理解した私は、目を吊り上げた。
「ジャンっ、私の口の中でお菓子の味、確かめたの!?
意味わかんないよ!意味わかんないし、変態!!変態だ!!」
シートに仰向けで寝転んだ格好のままで、私は、自分を見下ろすジャンを叱った。
意味わかんない、と言うのは本当で、私はパニックに近かったと思う。
叱られたジャンは、少しだけ目を見開いたけれど、すぐに意地悪な笑みを浮かべた。
そして、私の前髪を指に絡めて遊びながら言う。
「なら、なまえさんも変態なんじゃないんすか?」
「なんで、私が———。」
「俺に食われながら、エロい声出してましたよ。」
「…!?出してなんか…っ、ない!!」
自分を見下ろすジャンの視線から逃げたくて、私は横を向いて、口を右腕で覆って隠した。
恥ずかしさで、顔が熱い。
きっと、笑えるくらい真っ赤になってるんだと思う。
鏡を見なくたって、分かる。
馬鹿じゃ、ないんだから————。
「そんな赤い顔で言われても説得力ないっすよ。
気持ち良かったんでしょ?」
「気持ちよくなんか、ない…!!」
横を向いたまま、私は必死に答えた。
不思議だけれど、ショックとか、嫌だったとか、そういうのはなかった。
ジャンに何度もキスをされ過ぎて、そういう感情が鈍っていたのかもしれない。
ただ、恥ずかしさに加えて、なぜか、ひどく悔しくて、泣いてしまいそうだった。
だから、唇を噛んだら、私の頬を、ジャンの長い指がそっと撫でた。
「俺は、気持ち良かったですよ。」
「馬鹿じゃないの…っ。」
「そうなんすかね。」
クスッと笑って、ジャンはまたシートの上に横になった。
そして、私の腰に腕を回して、抱き寄せた。
反対を向いている私を、まるで抱き枕みたいにして、大きな身体で包み込む。
「さ、寝ましょうか。」
「もう本当、意味わかんないよ、ジャン。」
私の口調も、ジャンからは見えない私の尖った口も、完全に拗ねた子供のものだった。
だって、私ばかりが、感情をかき乱されていて、ジャンはいつも平然としているから、急に、私は何も知らない子供なんだって思い知らされたみたいで、ショックだった。
「そうっすか?青い空の下で、美味いもん食ったら、今度は昼寝でしょ。
せっかくの、お昼寝日和ですよ。」
「…そうだけど。なんで、私に抱き着く必要があるの。」
「なまえさんは、俺専用の抱き枕だから。」
「いつそんなことになったの。」
「ご褒美でもらったときからですよ。」
「それはあのときだけだよ。」
「ダメっすよ、なまえさんは、一生俺のです。」
「勝手なこと言わないでよ。」
ジャンの額のあたりが、私の頭に押しあてられたのが分かった。
それからは、私が何を言っても、ジャンから返事はなかった。
本当に寝てしまったのだろうか。
あぁ、でも、眠ってしまいたい気持ちもわかる。
すごくわかる。
だって、高い空は青くて、柔らかく吹く風は気持ちが良いし、お腹いっぱいで、眠気がやってくる頃だ。
それに、ジャンから伝わってくる体温が、暖かくて———。
私の右肩の辺りに伝わってくるジャンの心臓の鼓動は、まるで子守唄みたいで———。
ゆっくりと、瞼が落ちていくのが、最高に気持ちがよかった。
「怒りながら寝れるって、ガキかよ。
早ぇーな、いつも。マジで尊敬する。」
クスクスと笑うひどく柔らかい声が、まどろみの中で聞こえたような気がした。