◇第二十五話◇お酒が喋らせる危険な秘密【後編】
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「どんな魔法の言葉を使ったの?」
バーから兵舎に戻る帰り道、なまえを背中に抱えているのは、ジャンだった。
明日も任務が残っているエルヴィン達も一緒に帰ることに決めたため、酔い潰れていたゲルガーとモブリットも叩き起こされ、フラフラしながらもなんとか歩いている。
そして、ハンジの冒頭のセリフに繋がったというわけだ。
きっと、ジャンがなにか脅しでもしたのだろう、と疑っているのだろう。
「それは、俺となまえさんの秘密ですよ。」
「恋人同士の魔法の言葉ってやつ?」
「そうですね。」
「ふ~ん。」
ハンジは、全く納得していない顔で頷いた。
だが、そんな彼女に、自分なら分かっているという威張った顔で話しかけたのは、オルオだった。
「分かんないんすか?ハンジさんもまだまだっすね。」
「なになに?オルオは、魔法の言葉が何か分かるの?」
「当たり前っすよ。俺は恋愛マスターって呼ばれてますからね。」
呼ばれてないでしょ———。
すかさずペトラがツッコんでいたけれど、オルオは華麗に聞き流していた。
彼は、都合の悪いことは聞こえないという特殊能力があるに違いない。
だが、たとえ、ペトラがツッコまなくても、オルオに〝恋愛マスター〟という異名がないことは、ここにいる全員が把握している。
それでも、素直なハンジは、本当にオルオが『魔法の言葉』が何かを理解していると思ったようで、ワクワクした顔で教えて欲しいと懇願している。
「あのですね、ハンジさん。婚約者に見捨てるって言われれば
眠り姫だって、目が覚めちまうもんなんですよ。」
アッハッハとオルオが馬鹿にしたように笑った。
それに乗っかるように、ナナバも「それもそうだね。」と笑うから、ハンジも納得したフリをするしかなくなったようだった。
(そんなところだと思ってた。)
オルオの知った顔にも全く焦りもしなかったジャンは、心の中で呟いた。
実際は、ハンジが怪しんだ通り、脅したというのが正解だ。
眠り姫の目が一瞬だけ覚めたのは、調査兵団に残れないという悪魔の言葉があったからだ。
騎士に抱き着くという幸せな夢を見ていた眠り姫は、勢いよく身体を起こした。
そして—————。
『俺とリヴァイ兵長、どっちに兵舎まで連れて帰って欲しいですか?』
好きに選んでいいですよ———。
ジャンにそう言われたなまえに、選択肢なんて与えられていなかった。
当然のように、彼女はジャンを選んだが、ハンジの疑惑は拭いきれずにいるのが現状だ。
お酒に飲まれて嘘を吐くというなまえの決死の作戦も不発に終わったというわけだ。
それも仕方がない。
10年もなまえと一緒に命を懸けて来たハンジが、彼女の嘘を見抜けないわけがないのだ。
たとえば、彼女が本気で『ジャンが好き』だとでも言わない限り、疑いが晴れることはないのだろう。
「ずっと思ってたんですけど、ハンジさんは、なまえさんとジャンが婚約したこと
信じてないんですか?」
オブラートに包むこともせずに、直球で訊ねたのはペトラだった。
さすがのハンジも意表を突かれたような顔をした。
だが、どうしても真相が知りたいハンジは、お酒が入ったこともあって、遠回しということが出来なくなっていたのは確かだ。
怪しんでいると言っているような顔で、ジャンとの馴れ初めを聞き出そうとしていた姿が、なまえ以外のメンバーにも、疑っているように見えても仕方がなかったのだ。
それを理解したのか、ハンジは諦めたように口を割った。
「だってさ、夢ばっかり見てるなまえだよ?
恋人がいるだけで驚きなのに、結婚するなんて言われたら
信じられなくない?」
「まぁ、確かに俺もビックリしましたけどね。
でも、恋と言うのは————。」
オルオがまた、知った風に頷きながら、どこかから得て来た嘘か真かも分からない知識をひけらかす。
それを聞きもしないで、ハンジが続けた。
「それに、一度だけ、なまえが好きな男の話をしてくれたことがあるんだ。」
「え。」
思いも寄らないハンジの告白に、流石にジャンも動揺を隠し切れなかった。
小さく目を見開いたジャンから、思わず小さく漏れた声は、そのせいだ。
それを、ハンジは聞き洩らさなかった。
「好きな人が誰か聞いたってことですか?
それが…、ジャンじゃなかったってことですか?」
「いやいや、ペトラ。好きな人っていうのは変わるものだからね。
昔の好きな男が、今もだとは限らないだろ。」
言いづらそうにしながらもハッキリと言葉にしてしまったペトラに、エルドが慌てた様にフォローを入れた。
だが、ハンジは「違う、違う。」と少し困ったような笑みを見せて、首を横に振った。
「好きな男っていうか、好きな男のタイプの話になったんだ。」
「へぇ、好きな男のタイプですか。
〝眠り姫〟もそういう話をするんですね。」
グンタが変なところで感心したように言う。
ジャンは、平然を装ってはいたけれど、内心ひどく焦っていた。
それはきっと、憧れの騎士に繋がるもので、リヴァイを意味するものに違いないと分かっていたからだ。
そうでなければ、ハンジがここまでジャンとなまえのことを怪しむとも思えない。
「だろ?何の時だったかは覚えてないけど、
眠り姫から夢以外の話を聞くのは初めてだったから、
すごく印象に残ってるんだ。」
「それで、眠り姫は、好きな男のタイプを何て言ってたんですか?」
オルオが身体を前のめりにしてワクワクした様子で訊ねた。
酔っぱらってフラフラのゲルガーとモブリットは除くとしても、ペトラ達は興味を持っているようで、ハンジへ視線を向けている。
少し前を、エルヴィンと並んで歩いているリヴァイは、背中しか見えないから、どんな顔をしているのかは分からない。
でも、ハンジ達の会話は聞こえてはいるはずだ。
ジャンの隣を歩くナナバは、チラリとジャンに視線を向ける。
その目は『どうやって乗り切る?』と言っていて、うまい方法は見つかっていないようだった。
ジャンにも何か策があるわけでもない。
それに、正直、もうこのまま身を任せようと思っていた。
ハンジが自分達の関係を疑う確固たる理由があるのなら、これから1年間ずっと疑いの眼差しを向けられるということだ。
なまえが上手く対応できるとは思えない。
いつかバレるのなら、早い方が良い。
そうすれば、もしかしたら、リヴァイと気持ちが通じ合えるかもしれない。
その方が、なまえのためになるのなら———。
「もちろん、ジャンに出逢う前だから、今は変わってるかもしれない。」
ハンジは、そう前置きしてから続ける。
「でも、なまえは言ったんだ。」
ハンジはそこまで言うと、一旦切った。
間があけばあくほど、その後に続く言葉への興味が湧く。
そして、その重たさは強くなる。
ハンジがそういう演出のために言葉を切ったのかは分からない。
でも、実際、そうだったのだから仕方がない。
緊張と不安で、心臓の音が、ジャンの頭の奥で響く。
そして、ついに、ハンジが閉じた口をまた、開いた——。
「世界で一番強い人。」
あぁ、終わった———。
ジャンは、心の中で、誰かがそう呟いたのを聞いた。
背中に乗せた華奢な重たさを、ジャンが覚えてからしばらくが経っている。
でも、それよりもずっと前になまえの温もりや抱き着くときの腕の強さを覚えたのが、目の前を歩いている男で、人類最強の兵士だ。
リヴァイは、聞こえていたはずなのに、振り返りもしない。
それが、余計に悔しい。
まるで、最初から分かっていたと言っているみたいで———。
「それってリヴァイ兵長のことなんじゃ———。」
「ジャンらよぉ。」
躊躇いがちなペトラの声に、間の抜けた声が被さった。
それがなまえの声だと認識するのに、ジャンだけではなく、そこにいる全員が、時間がかかってしまった。
「せかいいち、つおいのは、ジャンらよ~。」
もう一度、発せられた間の抜けた声は、確かにジャンの右肩の辺りから聞こえた。
やっぱり、酔っぱらって、寝ぼけているなまえの声だ。
どうやら、ハンジ達の話が聞こえていたらしい。
まだ嘘を吐こうとしているなまえの健気さに、ジャンは胸の痛みを通り越して、ただただ虚しくなった。
「もういいっすよ。なまえさん。
どう考えたって、世界一強い人ってのは、俺じゃないでしょ。」
静かな夜道で、諦めたようなジャンの声が、渇いた地面に落ちる。
ジャンを本当の婚約者だと信じているペトラ達から、なんとも言えない空気が流れた。
それなのに、寝ぼけているなまえには届かない。
だから、まだ言うのだ。
「ジャンらよ。」
「違いますよ。人類最強の兵士の名前は、世界中が知ってることです。
なまえさんだって、分かってるでしょう。」
「しってるよ~。
じんるいさいきょうのへいしは、りヴぁいへいちょうらよ~。」
「そうっすよ。だからもう———」
「でも、一番強い人は、ジャンらもん。」
まるで子供が駄々でもこねるように言って、なまえはジャンの首に抱き着く腕に力を込めた。
「ジャンが一番強いのかい?」
ハンジが、なまえに訊ねた。
相変わらず、ジャンの肩に頬を乗せたなまえは目を閉じたままだ。
おそらく、夢と現実を行ったり来たりしているのだろう。
「ん~、そうらよ~。ジャンは、だれより現実をみてるんだよ。」
「は?」
思ってもいない返事に、声を漏らしたのは、ジャンだった。
「ときろき、きついこと言っちゃうのも、現実見てるからなの。
いじわるじゃ、ないんらよ。嘘がないらけなの。
だから、だれよりも、信じられるの。」
「そうなんだ。ジャンは凄いな。」
ナナバが優しくそう言えば、なまえは目を閉じたままで、満足そうな笑みを浮かべた。
そして、子供が母親に甘えるように、ジャンの首に抱き着いて、続ける。
「うん、ジャンはすごいんらよ。どんなざんこくな現実からも、にげないの。
わたしにはできないこと、いっぱいできるの。
だから、わたしの知ってる一番強い人は、ジャンなの。」
「そっか。それなら、一番強い人はジャンかもしれないな。」
ふふ、とナナバが嬉しそうに笑う。
それに応えるように、なまえも小さく笑った。
「うん、せかいいち、そんけーしてるの。」
ふふふ、と笑いながら、なまえはジャンの肩に頬を擦りよせた。
今なら——、と思ったのかハンジがなまえに話しかけたが、ジャンの耳元に聞こえてくるのは、規則的な寝息に変わってしまった。
「結局、寝ぼけたなまえさんに、惚気られちゃっただけだったね。」
「そうだな。」
ペトラが困ったような笑みを浮かべれば、エルドが苦笑を漏らした。
でも、2人とも、どこかホッとしているようだった。
それもそうだろう。
婚約者の目の前で、なまえは他の男を好きかもしれないと抱いてしまった疑惑が晴れたのだから。
「ハンジさんが、爆弾放り込むから、
修羅場かと思って、ビビったじゃないっすか!!」
オルオは、自分の心臓に手を押しあてて、大袈裟に叫んだ。
「婚約なんて本当に想い合ってないと出来ないものだしな。
俺達の心配なんて必要ないってことか。」
グンタが何度も頷く。
もうダメだと思っていたのに、一気に形勢逆転だ。
しかも、そうさせたのが、寝ぼけたなまえの言葉だというのが、ジャンは信じられなかった。
だって、ハンジでさえも、追撃をやめてしまったのはきっと、なまえの言葉が本音だったからに違いないのだ。
だからこそ、信じられるわけが、なかった。
でも———。
ジャンのジャケットの裾を、ナナバが軽く引っ張った。
「ほら、だから言っただろ?
なまえを夢から引っ張り出してくれるのは、君だって。」
ジャンと目が合うと、ナナバが満足気に口の端を上げた。
少し前のナナバのセリフが、今やっとジャンの中で繋がった。
それでも、それが本当に自分だなんて、やっぱり思えない。
それも、なまえの言う『誰よりも現実を見ている』という性質のせいだろう。
でもそれを、なまえは『世界で一番強い人』だと思っている。
それがなんだか、嬉しくて、くすぐったくて———。
「ジャン~…、ベッド、まら~?」
右肩から聞こえてくる間抜けな甘えた声に、ジャンは小さく笑った。
「はいはい、もう少しっすよ。
俺のこと尊敬してるなら、もっと敬って欲しいんすけど。
起きてるなら、せめて歩いてくださいよ。」
「ん~…、きこえな~い。ねてるからぁ~。」
「寝てない返事っすよ、それ。
本当、馬鹿っすね。」
本当に馬鹿だな———。
心の中でもそう呟いて、ジャンは、クスリと笑った。
今なら、少し前を歩く人類最強の兵士の背中を、追い抜けそうな、そんな気がした。
バーから兵舎に戻る帰り道、なまえを背中に抱えているのは、ジャンだった。
明日も任務が残っているエルヴィン達も一緒に帰ることに決めたため、酔い潰れていたゲルガーとモブリットも叩き起こされ、フラフラしながらもなんとか歩いている。
そして、ハンジの冒頭のセリフに繋がったというわけだ。
きっと、ジャンがなにか脅しでもしたのだろう、と疑っているのだろう。
「それは、俺となまえさんの秘密ですよ。」
「恋人同士の魔法の言葉ってやつ?」
「そうですね。」
「ふ~ん。」
ハンジは、全く納得していない顔で頷いた。
だが、そんな彼女に、自分なら分かっているという威張った顔で話しかけたのは、オルオだった。
「分かんないんすか?ハンジさんもまだまだっすね。」
「なになに?オルオは、魔法の言葉が何か分かるの?」
「当たり前っすよ。俺は恋愛マスターって呼ばれてますからね。」
呼ばれてないでしょ———。
すかさずペトラがツッコんでいたけれど、オルオは華麗に聞き流していた。
彼は、都合の悪いことは聞こえないという特殊能力があるに違いない。
だが、たとえ、ペトラがツッコまなくても、オルオに〝恋愛マスター〟という異名がないことは、ここにいる全員が把握している。
それでも、素直なハンジは、本当にオルオが『魔法の言葉』が何かを理解していると思ったようで、ワクワクした顔で教えて欲しいと懇願している。
「あのですね、ハンジさん。婚約者に見捨てるって言われれば
眠り姫だって、目が覚めちまうもんなんですよ。」
アッハッハとオルオが馬鹿にしたように笑った。
それに乗っかるように、ナナバも「それもそうだね。」と笑うから、ハンジも納得したフリをするしかなくなったようだった。
(そんなところだと思ってた。)
オルオの知った顔にも全く焦りもしなかったジャンは、心の中で呟いた。
実際は、ハンジが怪しんだ通り、脅したというのが正解だ。
眠り姫の目が一瞬だけ覚めたのは、調査兵団に残れないという悪魔の言葉があったからだ。
騎士に抱き着くという幸せな夢を見ていた眠り姫は、勢いよく身体を起こした。
そして—————。
『俺とリヴァイ兵長、どっちに兵舎まで連れて帰って欲しいですか?』
好きに選んでいいですよ———。
ジャンにそう言われたなまえに、選択肢なんて与えられていなかった。
当然のように、彼女はジャンを選んだが、ハンジの疑惑は拭いきれずにいるのが現状だ。
お酒に飲まれて嘘を吐くというなまえの決死の作戦も不発に終わったというわけだ。
それも仕方がない。
10年もなまえと一緒に命を懸けて来たハンジが、彼女の嘘を見抜けないわけがないのだ。
たとえば、彼女が本気で『ジャンが好き』だとでも言わない限り、疑いが晴れることはないのだろう。
「ずっと思ってたんですけど、ハンジさんは、なまえさんとジャンが婚約したこと
信じてないんですか?」
オブラートに包むこともせずに、直球で訊ねたのはペトラだった。
さすがのハンジも意表を突かれたような顔をした。
だが、どうしても真相が知りたいハンジは、お酒が入ったこともあって、遠回しということが出来なくなっていたのは確かだ。
怪しんでいると言っているような顔で、ジャンとの馴れ初めを聞き出そうとしていた姿が、なまえ以外のメンバーにも、疑っているように見えても仕方がなかったのだ。
それを理解したのか、ハンジは諦めたように口を割った。
「だってさ、夢ばっかり見てるなまえだよ?
恋人がいるだけで驚きなのに、結婚するなんて言われたら
信じられなくない?」
「まぁ、確かに俺もビックリしましたけどね。
でも、恋と言うのは————。」
オルオがまた、知った風に頷きながら、どこかから得て来た嘘か真かも分からない知識をひけらかす。
それを聞きもしないで、ハンジが続けた。
「それに、一度だけ、なまえが好きな男の話をしてくれたことがあるんだ。」
「え。」
思いも寄らないハンジの告白に、流石にジャンも動揺を隠し切れなかった。
小さく目を見開いたジャンから、思わず小さく漏れた声は、そのせいだ。
それを、ハンジは聞き洩らさなかった。
「好きな人が誰か聞いたってことですか?
それが…、ジャンじゃなかったってことですか?」
「いやいや、ペトラ。好きな人っていうのは変わるものだからね。
昔の好きな男が、今もだとは限らないだろ。」
言いづらそうにしながらもハッキリと言葉にしてしまったペトラに、エルドが慌てた様にフォローを入れた。
だが、ハンジは「違う、違う。」と少し困ったような笑みを見せて、首を横に振った。
「好きな男っていうか、好きな男のタイプの話になったんだ。」
「へぇ、好きな男のタイプですか。
〝眠り姫〟もそういう話をするんですね。」
グンタが変なところで感心したように言う。
ジャンは、平然を装ってはいたけれど、内心ひどく焦っていた。
それはきっと、憧れの騎士に繋がるもので、リヴァイを意味するものに違いないと分かっていたからだ。
そうでなければ、ハンジがここまでジャンとなまえのことを怪しむとも思えない。
「だろ?何の時だったかは覚えてないけど、
眠り姫から夢以外の話を聞くのは初めてだったから、
すごく印象に残ってるんだ。」
「それで、眠り姫は、好きな男のタイプを何て言ってたんですか?」
オルオが身体を前のめりにしてワクワクした様子で訊ねた。
酔っぱらってフラフラのゲルガーとモブリットは除くとしても、ペトラ達は興味を持っているようで、ハンジへ視線を向けている。
少し前を、エルヴィンと並んで歩いているリヴァイは、背中しか見えないから、どんな顔をしているのかは分からない。
でも、ハンジ達の会話は聞こえてはいるはずだ。
ジャンの隣を歩くナナバは、チラリとジャンに視線を向ける。
その目は『どうやって乗り切る?』と言っていて、うまい方法は見つかっていないようだった。
ジャンにも何か策があるわけでもない。
それに、正直、もうこのまま身を任せようと思っていた。
ハンジが自分達の関係を疑う確固たる理由があるのなら、これから1年間ずっと疑いの眼差しを向けられるということだ。
なまえが上手く対応できるとは思えない。
いつかバレるのなら、早い方が良い。
そうすれば、もしかしたら、リヴァイと気持ちが通じ合えるかもしれない。
その方が、なまえのためになるのなら———。
「もちろん、ジャンに出逢う前だから、今は変わってるかもしれない。」
ハンジは、そう前置きしてから続ける。
「でも、なまえは言ったんだ。」
ハンジはそこまで言うと、一旦切った。
間があけばあくほど、その後に続く言葉への興味が湧く。
そして、その重たさは強くなる。
ハンジがそういう演出のために言葉を切ったのかは分からない。
でも、実際、そうだったのだから仕方がない。
緊張と不安で、心臓の音が、ジャンの頭の奥で響く。
そして、ついに、ハンジが閉じた口をまた、開いた——。
「世界で一番強い人。」
あぁ、終わった———。
ジャンは、心の中で、誰かがそう呟いたのを聞いた。
背中に乗せた華奢な重たさを、ジャンが覚えてからしばらくが経っている。
でも、それよりもずっと前になまえの温もりや抱き着くときの腕の強さを覚えたのが、目の前を歩いている男で、人類最強の兵士だ。
リヴァイは、聞こえていたはずなのに、振り返りもしない。
それが、余計に悔しい。
まるで、最初から分かっていたと言っているみたいで———。
「それってリヴァイ兵長のことなんじゃ———。」
「ジャンらよぉ。」
躊躇いがちなペトラの声に、間の抜けた声が被さった。
それがなまえの声だと認識するのに、ジャンだけではなく、そこにいる全員が、時間がかかってしまった。
「せかいいち、つおいのは、ジャンらよ~。」
もう一度、発せられた間の抜けた声は、確かにジャンの右肩の辺りから聞こえた。
やっぱり、酔っぱらって、寝ぼけているなまえの声だ。
どうやら、ハンジ達の話が聞こえていたらしい。
まだ嘘を吐こうとしているなまえの健気さに、ジャンは胸の痛みを通り越して、ただただ虚しくなった。
「もういいっすよ。なまえさん。
どう考えたって、世界一強い人ってのは、俺じゃないでしょ。」
静かな夜道で、諦めたようなジャンの声が、渇いた地面に落ちる。
ジャンを本当の婚約者だと信じているペトラ達から、なんとも言えない空気が流れた。
それなのに、寝ぼけているなまえには届かない。
だから、まだ言うのだ。
「ジャンらよ。」
「違いますよ。人類最強の兵士の名前は、世界中が知ってることです。
なまえさんだって、分かってるでしょう。」
「しってるよ~。
じんるいさいきょうのへいしは、りヴぁいへいちょうらよ~。」
「そうっすよ。だからもう———」
「でも、一番強い人は、ジャンらもん。」
まるで子供が駄々でもこねるように言って、なまえはジャンの首に抱き着く腕に力を込めた。
「ジャンが一番強いのかい?」
ハンジが、なまえに訊ねた。
相変わらず、ジャンの肩に頬を乗せたなまえは目を閉じたままだ。
おそらく、夢と現実を行ったり来たりしているのだろう。
「ん~、そうらよ~。ジャンは、だれより現実をみてるんだよ。」
「は?」
思ってもいない返事に、声を漏らしたのは、ジャンだった。
「ときろき、きついこと言っちゃうのも、現実見てるからなの。
いじわるじゃ、ないんらよ。嘘がないらけなの。
だから、だれよりも、信じられるの。」
「そうなんだ。ジャンは凄いな。」
ナナバが優しくそう言えば、なまえは目を閉じたままで、満足そうな笑みを浮かべた。
そして、子供が母親に甘えるように、ジャンの首に抱き着いて、続ける。
「うん、ジャンはすごいんらよ。どんなざんこくな現実からも、にげないの。
わたしにはできないこと、いっぱいできるの。
だから、わたしの知ってる一番強い人は、ジャンなの。」
「そっか。それなら、一番強い人はジャンかもしれないな。」
ふふ、とナナバが嬉しそうに笑う。
それに応えるように、なまえも小さく笑った。
「うん、せかいいち、そんけーしてるの。」
ふふふ、と笑いながら、なまえはジャンの肩に頬を擦りよせた。
今なら——、と思ったのかハンジがなまえに話しかけたが、ジャンの耳元に聞こえてくるのは、規則的な寝息に変わってしまった。
「結局、寝ぼけたなまえさんに、惚気られちゃっただけだったね。」
「そうだな。」
ペトラが困ったような笑みを浮かべれば、エルドが苦笑を漏らした。
でも、2人とも、どこかホッとしているようだった。
それもそうだろう。
婚約者の目の前で、なまえは他の男を好きかもしれないと抱いてしまった疑惑が晴れたのだから。
「ハンジさんが、爆弾放り込むから、
修羅場かと思って、ビビったじゃないっすか!!」
オルオは、自分の心臓に手を押しあてて、大袈裟に叫んだ。
「婚約なんて本当に想い合ってないと出来ないものだしな。
俺達の心配なんて必要ないってことか。」
グンタが何度も頷く。
もうダメだと思っていたのに、一気に形勢逆転だ。
しかも、そうさせたのが、寝ぼけたなまえの言葉だというのが、ジャンは信じられなかった。
だって、ハンジでさえも、追撃をやめてしまったのはきっと、なまえの言葉が本音だったからに違いないのだ。
だからこそ、信じられるわけが、なかった。
でも———。
ジャンのジャケットの裾を、ナナバが軽く引っ張った。
「ほら、だから言っただろ?
なまえを夢から引っ張り出してくれるのは、君だって。」
ジャンと目が合うと、ナナバが満足気に口の端を上げた。
少し前のナナバのセリフが、今やっとジャンの中で繋がった。
それでも、それが本当に自分だなんて、やっぱり思えない。
それも、なまえの言う『誰よりも現実を見ている』という性質のせいだろう。
でもそれを、なまえは『世界で一番強い人』だと思っている。
それがなんだか、嬉しくて、くすぐったくて———。
「ジャン~…、ベッド、まら~?」
右肩から聞こえてくる間抜けな甘えた声に、ジャンは小さく笑った。
「はいはい、もう少しっすよ。
俺のこと尊敬してるなら、もっと敬って欲しいんすけど。
起きてるなら、せめて歩いてくださいよ。」
「ん~…、きこえな~い。ねてるからぁ~。」
「寝てない返事っすよ、それ。
本当、馬鹿っすね。」
本当に馬鹿だな———。
心の中でもそう呟いて、ジャンは、クスリと笑った。
今なら、少し前を歩く人類最強の兵士の背中を、追い抜けそうな、そんな気がした。