◇第百五十三話◇改めて想う、家族の愛
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『非番の日にでもふたりで家に遊びにおいで!』
ジャンの両親にとって、それは、決して、社交辞令ではなかった。けれど同時に、世界を揺るがす大きな作戦が成功したばかりで、調査兵団をはじめとして、三兵団は大忙しであることも重々承知していた。
だから、しばらくは、息子の顔をゆっくり見ることも出来ないだろうし、ましてや、未来のお嫁さんと楽しいお喋りをする機会は、ずっとずっと先だと理解していたのだ。
ところが、あの約束を守れる日は、意外とすぐにやってきた。
調査兵団の幹部達が、つらい現実に苦しみながらも必死に前を向こうとしている104期のメンバーを慮り、ちょっとした宴を開催してくれたのだ。といっても、忙しい任務や会議の合間である昼食の時間をほんの少し贅沢にしただけだ。場所もいつもの食堂で、料理も普段の食事に少し毛が生えた程度の豪華さで、煌びやかさとは程遠い。
それでも、気のおけない友人達と和気藹々と過ごす時間は、104期のメンバーにとって、意味のある休息であることは確かだった。
余計な気を遣わないようにーーと、この宴を企画してくれた調査兵団幹部達は、料理の準備や手配だけをして食堂を出て行った。
『俺たちがいない間に好きなだけ楽しめ。』
『酒は飲むなよ、未成年共。羽目を外しすぎたら大変だ、俺に残しとけ。』
フッと笑ったミケと、大切なことだーーと続けて釘をさしたゲルガーに、調査兵団幹部達は、カラカラと笑い声を上げた。
気を利かせてくれた風を装っていたけれど、本当は違うことを、調査兵の幹部に近いところまで出世して成長した104期のメンバーは知っている。
きっと今頃、幹部達は、104期のメンバーの分も忙しく働いているに違いない。
優しく温かい仲間に恵まれたことを改めて実感できたことも、今の104期のメンバー達にとっては、とても大きな意味のあることだった。
「さぁさぁ、みんな、出来たよー!たくさん作ったから、たんとお食べ!」
ジャンの母親が、明るい声を上げて厨房から出てきた。彼女が抱える大きなトレイには、息子の大好物のオムライスに加えて、チーズがとろけるパンや野菜たっぷりのシチューが乗り、ほんの少しだけ豪華にした食堂の昼食に彩りを添える。
豪快に盛り付けられた料理は、どれもとても美味しそうだ。すぐに、サシャが歓喜の雄叫びを上げて、パンやシチューに飛びついた。それに続けとばかりに、コニー達もお喋りを楽しみながら、ジャンの母親の味を頬張った。
自分の母親が作った料理を美味しそうに食べてくれる同期達を前に、ジャンの気持ちは複雑だった。嬉しいけれど、どこか照れくさい。少しだけ胸がくすぐったくもある。わざとではないのだけれど、普段から目つきが悪いと言われている表情が、今日はより一層、不機嫌そうに歪んでいた。
「ジャン坊、食べないんですか?」
肉を頬張りながら、サシャがジャンに声をかけた。口の中には食べ物がたくさん詰められ、頬が大きく膨らんでいる。まるで、リスだ。
話しかけている間も彼女の口と手は食べることは忘れず、片手にパンを握りしめ、もう片方の手は次の獲物を探している。
サシャが声をかけたのに気づいたコニーが面白そうな顔をしてやってきた。
「チーズたっぷりのパンがめちゃくちゃ美味いぜ、お前も食うか?ジャン坊?」
ニッと笑ったコニーが、チーズたっぷりのパンを差し出してくる。
同期の友人達の優しい声掛けに聞こえなくもないが、ジャンの眉間に刻まれた皺は、さらに不機嫌そうに歪んだ。
「その名前で呼ぶな。」
コニーからパンを乱暴に奪い取り、思いっきり齧った。
確かに、チーズがたっぷりで美味しい。懐かしいチーズの味だ。貴重な牛乳を母親が発酵させて作っているチーズは、家族にも評判だった。何か特別なことがある日には、母はいつも、オムライスにチーズをかけてくれた。それがすごく嬉しくて、大好きな料理のひとつだった。
「ジャン坊、そんなとこで突っ立ってないで、あんたも食べなさい。そんなにヒョロヒョロの身体じゃなまえさんは守れないよ!」
不意に背中をバシッと叩かれた。
猛烈な痛みに振り返れば、母親がニシシといたずらっ子のような顔をして笑っていた。
ジャンの母親の登場に、揶揄うのを楽しんでいたサシャとコニーが、余計に面白そうに笑う。
「そうですよー。大好きななまえさんを守れませんよー。」
「なまえさんに守られちゃうぞー。」
「うっせぇな!ヒョロヒョロじゃねぇし、守られる気なんかねぇし!」
顔を真っ赤にして友人達に言い返すジャンに、母親は面白そうにクスリと笑った。
「それなら、もっと食べて、訓練して、筋肉をたくさんつけなくちゃね。
ライナー君とかベルトルト君みたいに、しっかりした身体を作らなきゃ。」
楽しそうに言った母親の口から、不意に出てきた同期二人の名前に、ジャンとサシャ、コニーの空気が変わる。
ジャンは思わず口を噤み、サシャとコニーはどうすればいいか分からない表情で、チラリと視線を合わせた。
運が良かったのは、ジャンの母親は勘が鋭い方ではなく、さらには、可愛い息子が調査兵達と和気藹々と過ごしている姿を見ることができてとても機嫌が良く、空気が変わったジャン達に気づかなかったことだ。
「ジャンのお母さんは、ライナー達のことを知ってるんですか?」
思いがけず、話しかけてきたのはクリスタだった。
どうやら、騒がしいジャンとサシャ、コニーの声が、近くで仲良く食事をとっていたクリスタとユミルにも聞こえていたようだ。
なんでそんなことを聞くんだーーー思わず眉を顰めたジャンだったけれど、クリスタの意図は、なんとなく分かった気がする。
ジャン達は今、自分達の知らないライナーとベルトルトの裏の顔を知ってしまった。それがショックで、悲しくて、腹立たしくて、仕方がないのだ。
だから、もっと知りたいのだ。自分達が見ていない時の裏切り者達が、どんな顔をしていたのか。それは本当に、自分達の知らない友人達なのかーーー。
気づけば、地獄耳のアルミンに手招きされたエレンとミカサも近くに寄ってきている。
「時々、トロスト区の見回りをしてくれてたからね。少なくともうちの近所の人たちは、よく知ってると思うよ。」
「トロスト区の見回り?そんな任務あったか?」
コニーが不思議そうに首を傾げる。
調査兵達の任務について全てを把握しているアルミンがすかさずに「それは、駐屯兵団の任務だから、調査兵はしないよ。」と答えた。
それならどうして、と訝しげな表情を浮かべるジャン達に、母親は説明を挟んだ。
「何年か前に、連続窃盗事件があっただろう?」
ジャン達も覚えている。2年程前のことだ。トロスト区内で連続窃盗事件が発生するようになった。盗まれるものはさまざまで、貴重品の他に食料や洋服もあった。必ず空き巣が狙われ、誰かが怪我をすることはなかったが、ニアミスをして怖い思いをした民間人もいた。
結局、犯人は、ローゼ内からやって来た中年の男だった。職をなくした彼は、生きる為に他人のものを盗むことにしたのだ。駐屯兵に捕まった時の男は、げっそりと痩せ細り、生きているのが不思議なくらいに生気を失っていた。彼もまた、この混沌とした世界の被害者だったのだろう。
けれど、あの事件が、ライナーとベルトルトと何が関係あるのだろうか。あの頃、104期はまだ新人に毛が生えた程度の立場でしかなく、ジャンが副兵士長の補佐官に選ばれたことで兵団内外から不満が溢れていたくらいだ。それは、実力だけで言えば精鋭兵たちに並んでいたライナーとベルトルトも同じだった。
「犯人は捕まったけど、やっぱりまだ私たちは不安でね。そんな時に、ライナーとベルトルトが、トロスト区の見守りを始めてくれたんだよ。」
「アイツらが?」
懐かしげに語るジャンの母親の言葉に、一番最初に反応したのはエレンだった。
信じられないとばかりに見開いた瞳はどこか痛々しく、エレンの心にはたくさんの感情が駆け巡っているのが、側からみても痛いほどに伝わってくる。
「おかしなことはないか?困ったことはないか?って、声をかけては、買い物帰りに抱えていた荷物を家まで一緒に運んでくれるライナーとベルトルトがとても頼もしくてね。
トロスト区に住んでる民間人には、二人に感謝してる人がたくさんいると思うよ。今日も近所の人に、調査兵団に行ってくるって言ったら、二人によろしく伝えてくれって頼まれたんだ。
今日はいないみたいだけど…、もしかして、二人に何かあったわけじゃないんだろう?」
ジャンの母親は、不安そうに長身の息子を見上げた。
死んだーーーとでも思っているのか。もしくは、前回の大規模作戦で大怪我をしたのかと心配しているのかもしれない。
まさか、そのライナーとベルトルトが、人類からウォール・マリアを奪っただけでは飽き足らず、トロスト区の街までぶち壊した仇だと知りもしないでーーーーーーー。
「アイツらは別の任務で、今日は来れなかっただけさ。
調査兵団の兵舎にはいるから、宴が終わったら、アタシらで伝言を伝えといてやるよ。」
何とも言えない空気の中、ツラツラと適当なことを言ったのは、ユミルだった。
あまりにも自然な彼女の口ぶりに、ジャンの母親は、すっかり騙されたようで、安堵した様子でホッと息を吐いた。
「そういうことかい。あぁ、よろしく頼むよ。
でも、こんな日まで忙しくしてるなんて、大変だね。あの二人は、幹部陣にも期待されているんだねぇ。」
「期待…、まぁ、ある意味その通りだな。」
感心したように言ったジャンの母親の言葉に、ユミルが意地悪く口の端を歪めてククッと笑った。すかさず、クリスタに背中をバシっと叩かれて、睨まれている。
同期達を助けるかのようなさっきのユミルの言葉に少しだけ、彼女を見直したばかりだったのに、相変わらずの姿を見せられて、ジャン達は目を見合わせて呆れたように小さく口元を綻ばせた。
本当に、こんな時にまで、104期は相変わらずだ。バカで、アホで、騒がしい。
そして、ライナーとベルトルトも相変わらずだった。お人よしで、頼り甲斐があって、それがまるで当然のことであるようにいつも誰かを助けている。
ジャンの母親から聞いた彼らは、ジャン達のよく知る友人の姿、そのままだった。
「そういえば、少し前にサシャちゃんのお宅にお邪魔したんだよ。」
ふ、と思い出したようにジャンの母親が言う。
以前、サシャの両親に誘われて、ウォール・ローゼ南東の田舎町へ遊びに行ったことは、ジャンも母親から聞いていた。何と言っても、その時に、なまえとの婚約を母親にバラされてしまったのだ。あの時は、偽物の婚約者であることは両親には黙っているつもりだったから、とても焦った。
「そうなんですか?うちの両親と交流があったなんて、初耳です。」
「ジャンの副兵士長補佐官の就任式の日に、サシャのお母さん達も来ていただろう?それから、手紙のやり取りをするようになってね。
コニー君のお母さんもサシャちゃんの家に泊まりに来ていて、たくさん面白い話を聞かせてもらったよ。」
不意に出てきた自分の名前に、コニーがゲッと小さく声を上げた。
それから、ジャン坊を揶揄っていたサシャとコニーの子供の頃の話で盛り上がった。いや、盛り上がったのは、サシャとコニー以外だったか。小さな頃の失敗に恥ずかしそうにする彼らを、ここぞとばかりにジャンが揶揄うとエレン達も面白そうに笑った。
いつの間にか、話題は、104期のメンバー達の子供時代に移っていた。
聞き上手なクリスタが女神の笑顔で楽しそうに笑えば、バカな男性陣は、子供の頃の武勇伝を語り出したし、悪戯っ子なユミルが意地悪く煽れば、やっぱりバカな男性陣達が、聞いてもいない武勇伝を語った。そして、どの武勇伝もミカサの武勇伝には敵わないのだから、切なすぎる。それが面白くて、ジャンの母親も声を上げて笑っていた。
本当に、楽しい時間だった。
「なんだか、みんなの家族に会いたくなっちゃいました。」
サシャが、ふふっと頬を緩めた。
もっと騒がしくなるぞ、なんて誰かが言うから、それもそうだと、やっぱりみんなで笑った。
けれど、そんな日が来たら良いなーーーと思ったのはきっと、ジャンだけではなかったはずだ。
コニーにそっくりだという彼の母親にも会ってみたいし、世界一の狩人だというサシャの父親にも会ってみたい。
エレンを守るために死んだという彼の強く美しい母親には、「あなたが守ってくれたおかげで、俺は調査兵に入る羽目になった」と感謝を伝えたい。壁の外を見たいと空を飛んだアルミンの両親には、「あなたの息子はいつか本当に壁の外で海を見るから、楽しみに待っていてほしい。」と教えてやりたい。美しく強い女性をこの世に誕生させてくれたミカサの両親には「俺の初恋の人は、どうしようもなくムカつく男の恋人になってしまったけれど、裏切ることだけは絶対にしないから心配しなくても大丈夫だ。」と伝えようか。
この世界で生きていくためには戦うしかないーーー教えてくれたのは、104期だ。
現実は想像以上に残酷で、あまりにも無慈悲だーーーー教えてくれたのは、104期だ。
両親が生きている。それがどれだけ奇跡で、ありがたいことなのか。
そんな当たり前のことを教えてくれたのもやっぱり、104期だった。
ジャンの両親にとって、それは、決して、社交辞令ではなかった。けれど同時に、世界を揺るがす大きな作戦が成功したばかりで、調査兵団をはじめとして、三兵団は大忙しであることも重々承知していた。
だから、しばらくは、息子の顔をゆっくり見ることも出来ないだろうし、ましてや、未来のお嫁さんと楽しいお喋りをする機会は、ずっとずっと先だと理解していたのだ。
ところが、あの約束を守れる日は、意外とすぐにやってきた。
調査兵団の幹部達が、つらい現実に苦しみながらも必死に前を向こうとしている104期のメンバーを慮り、ちょっとした宴を開催してくれたのだ。といっても、忙しい任務や会議の合間である昼食の時間をほんの少し贅沢にしただけだ。場所もいつもの食堂で、料理も普段の食事に少し毛が生えた程度の豪華さで、煌びやかさとは程遠い。
それでも、気のおけない友人達と和気藹々と過ごす時間は、104期のメンバーにとって、意味のある休息であることは確かだった。
余計な気を遣わないようにーーと、この宴を企画してくれた調査兵団幹部達は、料理の準備や手配だけをして食堂を出て行った。
『俺たちがいない間に好きなだけ楽しめ。』
『酒は飲むなよ、未成年共。羽目を外しすぎたら大変だ、俺に残しとけ。』
フッと笑ったミケと、大切なことだーーと続けて釘をさしたゲルガーに、調査兵団幹部達は、カラカラと笑い声を上げた。
気を利かせてくれた風を装っていたけれど、本当は違うことを、調査兵の幹部に近いところまで出世して成長した104期のメンバーは知っている。
きっと今頃、幹部達は、104期のメンバーの分も忙しく働いているに違いない。
優しく温かい仲間に恵まれたことを改めて実感できたことも、今の104期のメンバー達にとっては、とても大きな意味のあることだった。
「さぁさぁ、みんな、出来たよー!たくさん作ったから、たんとお食べ!」
ジャンの母親が、明るい声を上げて厨房から出てきた。彼女が抱える大きなトレイには、息子の大好物のオムライスに加えて、チーズがとろけるパンや野菜たっぷりのシチューが乗り、ほんの少しだけ豪華にした食堂の昼食に彩りを添える。
豪快に盛り付けられた料理は、どれもとても美味しそうだ。すぐに、サシャが歓喜の雄叫びを上げて、パンやシチューに飛びついた。それに続けとばかりに、コニー達もお喋りを楽しみながら、ジャンの母親の味を頬張った。
自分の母親が作った料理を美味しそうに食べてくれる同期達を前に、ジャンの気持ちは複雑だった。嬉しいけれど、どこか照れくさい。少しだけ胸がくすぐったくもある。わざとではないのだけれど、普段から目つきが悪いと言われている表情が、今日はより一層、不機嫌そうに歪んでいた。
「ジャン坊、食べないんですか?」
肉を頬張りながら、サシャがジャンに声をかけた。口の中には食べ物がたくさん詰められ、頬が大きく膨らんでいる。まるで、リスだ。
話しかけている間も彼女の口と手は食べることは忘れず、片手にパンを握りしめ、もう片方の手は次の獲物を探している。
サシャが声をかけたのに気づいたコニーが面白そうな顔をしてやってきた。
「チーズたっぷりのパンがめちゃくちゃ美味いぜ、お前も食うか?ジャン坊?」
ニッと笑ったコニーが、チーズたっぷりのパンを差し出してくる。
同期の友人達の優しい声掛けに聞こえなくもないが、ジャンの眉間に刻まれた皺は、さらに不機嫌そうに歪んだ。
「その名前で呼ぶな。」
コニーからパンを乱暴に奪い取り、思いっきり齧った。
確かに、チーズがたっぷりで美味しい。懐かしいチーズの味だ。貴重な牛乳を母親が発酵させて作っているチーズは、家族にも評判だった。何か特別なことがある日には、母はいつも、オムライスにチーズをかけてくれた。それがすごく嬉しくて、大好きな料理のひとつだった。
「ジャン坊、そんなとこで突っ立ってないで、あんたも食べなさい。そんなにヒョロヒョロの身体じゃなまえさんは守れないよ!」
不意に背中をバシッと叩かれた。
猛烈な痛みに振り返れば、母親がニシシといたずらっ子のような顔をして笑っていた。
ジャンの母親の登場に、揶揄うのを楽しんでいたサシャとコニーが、余計に面白そうに笑う。
「そうですよー。大好きななまえさんを守れませんよー。」
「なまえさんに守られちゃうぞー。」
「うっせぇな!ヒョロヒョロじゃねぇし、守られる気なんかねぇし!」
顔を真っ赤にして友人達に言い返すジャンに、母親は面白そうにクスリと笑った。
「それなら、もっと食べて、訓練して、筋肉をたくさんつけなくちゃね。
ライナー君とかベルトルト君みたいに、しっかりした身体を作らなきゃ。」
楽しそうに言った母親の口から、不意に出てきた同期二人の名前に、ジャンとサシャ、コニーの空気が変わる。
ジャンは思わず口を噤み、サシャとコニーはどうすればいいか分からない表情で、チラリと視線を合わせた。
運が良かったのは、ジャンの母親は勘が鋭い方ではなく、さらには、可愛い息子が調査兵達と和気藹々と過ごしている姿を見ることができてとても機嫌が良く、空気が変わったジャン達に気づかなかったことだ。
「ジャンのお母さんは、ライナー達のことを知ってるんですか?」
思いがけず、話しかけてきたのはクリスタだった。
どうやら、騒がしいジャンとサシャ、コニーの声が、近くで仲良く食事をとっていたクリスタとユミルにも聞こえていたようだ。
なんでそんなことを聞くんだーーー思わず眉を顰めたジャンだったけれど、クリスタの意図は、なんとなく分かった気がする。
ジャン達は今、自分達の知らないライナーとベルトルトの裏の顔を知ってしまった。それがショックで、悲しくて、腹立たしくて、仕方がないのだ。
だから、もっと知りたいのだ。自分達が見ていない時の裏切り者達が、どんな顔をしていたのか。それは本当に、自分達の知らない友人達なのかーーー。
気づけば、地獄耳のアルミンに手招きされたエレンとミカサも近くに寄ってきている。
「時々、トロスト区の見回りをしてくれてたからね。少なくともうちの近所の人たちは、よく知ってると思うよ。」
「トロスト区の見回り?そんな任務あったか?」
コニーが不思議そうに首を傾げる。
調査兵達の任務について全てを把握しているアルミンがすかさずに「それは、駐屯兵団の任務だから、調査兵はしないよ。」と答えた。
それならどうして、と訝しげな表情を浮かべるジャン達に、母親は説明を挟んだ。
「何年か前に、連続窃盗事件があっただろう?」
ジャン達も覚えている。2年程前のことだ。トロスト区内で連続窃盗事件が発生するようになった。盗まれるものはさまざまで、貴重品の他に食料や洋服もあった。必ず空き巣が狙われ、誰かが怪我をすることはなかったが、ニアミスをして怖い思いをした民間人もいた。
結局、犯人は、ローゼ内からやって来た中年の男だった。職をなくした彼は、生きる為に他人のものを盗むことにしたのだ。駐屯兵に捕まった時の男は、げっそりと痩せ細り、生きているのが不思議なくらいに生気を失っていた。彼もまた、この混沌とした世界の被害者だったのだろう。
けれど、あの事件が、ライナーとベルトルトと何が関係あるのだろうか。あの頃、104期はまだ新人に毛が生えた程度の立場でしかなく、ジャンが副兵士長の補佐官に選ばれたことで兵団内外から不満が溢れていたくらいだ。それは、実力だけで言えば精鋭兵たちに並んでいたライナーとベルトルトも同じだった。
「犯人は捕まったけど、やっぱりまだ私たちは不安でね。そんな時に、ライナーとベルトルトが、トロスト区の見守りを始めてくれたんだよ。」
「アイツらが?」
懐かしげに語るジャンの母親の言葉に、一番最初に反応したのはエレンだった。
信じられないとばかりに見開いた瞳はどこか痛々しく、エレンの心にはたくさんの感情が駆け巡っているのが、側からみても痛いほどに伝わってくる。
「おかしなことはないか?困ったことはないか?って、声をかけては、買い物帰りに抱えていた荷物を家まで一緒に運んでくれるライナーとベルトルトがとても頼もしくてね。
トロスト区に住んでる民間人には、二人に感謝してる人がたくさんいると思うよ。今日も近所の人に、調査兵団に行ってくるって言ったら、二人によろしく伝えてくれって頼まれたんだ。
今日はいないみたいだけど…、もしかして、二人に何かあったわけじゃないんだろう?」
ジャンの母親は、不安そうに長身の息子を見上げた。
死んだーーーとでも思っているのか。もしくは、前回の大規模作戦で大怪我をしたのかと心配しているのかもしれない。
まさか、そのライナーとベルトルトが、人類からウォール・マリアを奪っただけでは飽き足らず、トロスト区の街までぶち壊した仇だと知りもしないでーーーーーーー。
「アイツらは別の任務で、今日は来れなかっただけさ。
調査兵団の兵舎にはいるから、宴が終わったら、アタシらで伝言を伝えといてやるよ。」
何とも言えない空気の中、ツラツラと適当なことを言ったのは、ユミルだった。
あまりにも自然な彼女の口ぶりに、ジャンの母親は、すっかり騙されたようで、安堵した様子でホッと息を吐いた。
「そういうことかい。あぁ、よろしく頼むよ。
でも、こんな日まで忙しくしてるなんて、大変だね。あの二人は、幹部陣にも期待されているんだねぇ。」
「期待…、まぁ、ある意味その通りだな。」
感心したように言ったジャンの母親の言葉に、ユミルが意地悪く口の端を歪めてククッと笑った。すかさず、クリスタに背中をバシっと叩かれて、睨まれている。
同期達を助けるかのようなさっきのユミルの言葉に少しだけ、彼女を見直したばかりだったのに、相変わらずの姿を見せられて、ジャン達は目を見合わせて呆れたように小さく口元を綻ばせた。
本当に、こんな時にまで、104期は相変わらずだ。バカで、アホで、騒がしい。
そして、ライナーとベルトルトも相変わらずだった。お人よしで、頼り甲斐があって、それがまるで当然のことであるようにいつも誰かを助けている。
ジャンの母親から聞いた彼らは、ジャン達のよく知る友人の姿、そのままだった。
「そういえば、少し前にサシャちゃんのお宅にお邪魔したんだよ。」
ふ、と思い出したようにジャンの母親が言う。
以前、サシャの両親に誘われて、ウォール・ローゼ南東の田舎町へ遊びに行ったことは、ジャンも母親から聞いていた。何と言っても、その時に、なまえとの婚約を母親にバラされてしまったのだ。あの時は、偽物の婚約者であることは両親には黙っているつもりだったから、とても焦った。
「そうなんですか?うちの両親と交流があったなんて、初耳です。」
「ジャンの副兵士長補佐官の就任式の日に、サシャのお母さん達も来ていただろう?それから、手紙のやり取りをするようになってね。
コニー君のお母さんもサシャちゃんの家に泊まりに来ていて、たくさん面白い話を聞かせてもらったよ。」
不意に出てきた自分の名前に、コニーがゲッと小さく声を上げた。
それから、ジャン坊を揶揄っていたサシャとコニーの子供の頃の話で盛り上がった。いや、盛り上がったのは、サシャとコニー以外だったか。小さな頃の失敗に恥ずかしそうにする彼らを、ここぞとばかりにジャンが揶揄うとエレン達も面白そうに笑った。
いつの間にか、話題は、104期のメンバー達の子供時代に移っていた。
聞き上手なクリスタが女神の笑顔で楽しそうに笑えば、バカな男性陣は、子供の頃の武勇伝を語り出したし、悪戯っ子なユミルが意地悪く煽れば、やっぱりバカな男性陣達が、聞いてもいない武勇伝を語った。そして、どの武勇伝もミカサの武勇伝には敵わないのだから、切なすぎる。それが面白くて、ジャンの母親も声を上げて笑っていた。
本当に、楽しい時間だった。
「なんだか、みんなの家族に会いたくなっちゃいました。」
サシャが、ふふっと頬を緩めた。
もっと騒がしくなるぞ、なんて誰かが言うから、それもそうだと、やっぱりみんなで笑った。
けれど、そんな日が来たら良いなーーーと思ったのはきっと、ジャンだけではなかったはずだ。
コニーにそっくりだという彼の母親にも会ってみたいし、世界一の狩人だというサシャの父親にも会ってみたい。
エレンを守るために死んだという彼の強く美しい母親には、「あなたが守ってくれたおかげで、俺は調査兵に入る羽目になった」と感謝を伝えたい。壁の外を見たいと空を飛んだアルミンの両親には、「あなたの息子はいつか本当に壁の外で海を見るから、楽しみに待っていてほしい。」と教えてやりたい。美しく強い女性をこの世に誕生させてくれたミカサの両親には「俺の初恋の人は、どうしようもなくムカつく男の恋人になってしまったけれど、裏切ることだけは絶対にしないから心配しなくても大丈夫だ。」と伝えようか。
この世界で生きていくためには戦うしかないーーー教えてくれたのは、104期だ。
現実は想像以上に残酷で、あまりにも無慈悲だーーーー教えてくれたのは、104期だ。
両親が生きている。それがどれだけ奇跡で、ありがたいことなのか。
そんな当たり前のことを教えてくれたのもやっぱり、104期だった。
