◇第百五十話◇友情の花火が未来を照らす
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時々、カチャ、カチャ、と皿にスプーンがあたるときに出る小さな音がしていた。
あのあと、すぐに夕飯の時間が来てしまった。
それならば、と遠慮して帰ろうとしたリコを強引に引き留め、食事を2人分持ってきたジャンは、自分は仕事が残っているからとまた出ていってしまった。
謝罪は出来た。感謝も伝えられた。
けれど、共に楽しく食事をするほど、関係が修復したわけでもない。
何かを言わなければーーーーそう思ってリコが口が開く度、結局、声は出ないまま、スプーンですくったスープを飲み込んでいる。
なまえは、スープをすくったまま、それを口にはせずに、窓の向こうをただじっと眺めていた。
夕焼けで真っ赤に染まりきった空は、彼女にはどんな風に見えているのだろう。
リコの脳裏には、あの日の地獄のような光景が、今でも色鮮やかに蘇る。
記憶から逃げるように視線を横に流したとき、なまえの腰辺りにぬいぐるみを見つけた。
置いている、というよりは、横倒しになっているそれは、さっきまでなまえと一緒に寝ていたのかもしれない。
なまえのことだけを見ていたから、全く気づかなかった。
気づいてしまえば、目が離せないほどに異様なカタチをしているぬいぐるみだ。熊の胴体に虎のように尖った爪と筋肉隆々の四肢、牛の尻尾に像のように長い鼻を携え、口元には牙も生えている。
現実には存在しないその生き物の名は、夢喰いのバク。人が寝ているときに見る悪夢を食べてくれると言われている想像上の生き物だ。
こんな気味の悪いものをリコが知っているのは、遠い昔、物知りな友人が教えてくれたことがあるからだ。
「いいでしょ。このこのおかげで、悪い夢を見なくなったんだよ。」
なまえの声が聞こえてきて、リコはハッとする。
ぬいぐるみを睨みつけるようにじっと見ていた視線をなまえに戻せば、彼女は本当に嬉しそうに柔らかく微笑んでいた。
「それを買ったのは、やっぱりなまえだったんだな。
まぁ、そんな気味の悪いものを欲しがるのは、なまえくらいしか思い浮かばないが。」
リコは小さく呆れたように言った。
遠い日の思い出が、じわじわと胸の奥に広がっていく。
懐かしい。けれど、胸が苦しくもなる。
それは、いつだったか。確か、自分達が駐屯兵団に入団して1年が経ったくらいの頃だ。
トロスト区に古くからあるアンティークショップ。その奥にある棚の上でひっそりと、その時を待って座っている気味の悪いぬいぐるみを見つけたのは、イアンとリコだった。
駐屯兵団の任務で偶々立ち寄っただけだった。でも、その気味の悪い風貌に思わず、目を奪われてしまった。
そのときに、イアンが、それがバクと呼ばれる想像上の生物で、人が寝ているときに見る悪夢を食べてくれるものだと教えてくれたのだ。
なまえが、10年後までには結婚を機に調査兵団を退団する予定だと知ったのは、それからすぐだった。
調査兵団がいつか世界に自由を取り戻すと信じているなまえは、仕方ないと笑っていたけれど、とても悲しそうでもあった。
そしたらーーーーー。
『それなら、そのときには私たちが婚約祝いを贈らなくっちゃね。
私たちからは、バクのぬいぐるみを贈るわ。』
そう言って、優しく笑ったのは、リヴだった。
その頃にはすでに、なまえは、眠り姫と揶揄されていた。
でも、嘲笑うようにそう呼んでいた馬鹿達は、きっと知らなかったはずだ。
あの頃、夢と大志を抱いて入団した調査兵団で、大勢の仲間を呆気なく亡くし続けていたなまえは、悲劇的で残酷な悪夢に魘され、よく眠れていなかった。
今はどうか知らないが、まだ新人だった彼女が、昼間の訓練中にボーっとして、居眠りをしていたのは、そのせいだ。
きっと、必死に訓練に励む仲間達の声を聞いていると、安心したのだろう。
リヴは、そんな彼女の苦しみにいち早く気づいて、優しく寄り添おうとした。本当は、すごく優しい女性なのだ。
懐かしい記憶に浸っていると、なまえがバクのぬいぐるみを手に取り、胸に抱き寄せた。
「リヴからの婚約祝いだよ。」
「は?」
思いがけないなまえの訂正に、リコからは渇いた声しか出なかった。
そんなリコに、なまえが嬉しそうに微笑んだまま言う。
「婚約発表してすぐにね、リヴから届いたの。
宛名は書いてなかったけど、リヴの字だった。」
ありえないーーーーーそう思ったが、あまりにも嬉しそうになまえが微笑むから、リコは何も言えなかった。
「リヴ、あの日のこと覚えててくれてたんだね。」
こんなにも嬉しそうに、バクのぬいぐるみを抱きしめているなまえに、そんなはずはないと誰が言えるだろうか。
婚約発表してすぐ、というなら、ジャンが刺される前なのだろう。
ということはきっとそのぬいぐるみは、リヴからの「宣戦布告」もしくは「予告状」だ。
何も考えていないバカなお姫様ーーーーそんな風になまえを思ってる人もいる。
でも実際、なまえは、頭が切れるエルヴィン団長がその頭脳を信頼しているくらいに頭の回転が速いし、兵士としては一応「ちゃんと」している。
そんな彼女が、このぬいぐるみが、リヴからのただの婚約祝いなわけがないと気づいていないわけがないのだ。
「あぁ…、そうだな。」
少し間をおいて、リコはゆっくりと頷いた。
リヴはもうきっと、あの頃の彼女に戻ることはないのだろう。
それならば、信じたいものを、信じればいい。そう思ったのだ。
「トロスト区巨人襲撃事件の真相だが、
まだ、リヴには伝えていないんだ。」
伝えるのなら、今だと思った。
そして、言葉を続けなかったその先は、できれば、頭の回転の早いなまえに察してほしいと願っている。
リコは、狡い自分を嫌というほどに理解していた。
「伝えなくていいと思う。」
なまえがそっと答える。
それは、リコの願い通りの返事だった。
優しい彼女ならそう答えると知っていた。
だから、心臓の奥にある心が、ズキンと痛む。
「そう言ってもらえると、助かる。
本当に…、すまない。」
「ううん、いいの。私にはこの子がいるし、
リヴには、恨む相手が必要だから。」
なまえが、本当に心から大切そうにぬいぐるみを抱きしめる。
そこでようやくリコは気づいたのだ。
なまえはきっと、そのぬいぐるみのどこか端っこでもいいから、あの日のリヴの友情があることを願っているのだろう。
そして、ほんのわずかにもない可能性に縋って、信じている。
そうしないと、大切な友人から心から憎まれ、恨まれているなんていう残酷な現実に打ちのめされて、立っていられない。
同じように、リヴもまた、誰かを恨まないと、この苦しすぎる残酷な現実を生きていけないのだ。
リコはまた、なまえを犠牲にしようとしている。今度は、面と向かってお願いをして、犠牲になれと言っている。
最低最悪な気分だ。けれど、撤回するつもりもない。
こうして、傷つけ合いながらしか互いを守れないなんて、なんて非情な世界だろうか。
早く、こんな悪夢みたいな日々が、終わればいいのにーーーーー。
「私からは、婚約祝いに花火を贈ろう。」
「花火?」
「あぁ。友人がついに宿敵を捕まえてくれた。
だから、私は友人の婚約を祝って
人類は、勝利を祝って、花火を上げるんだ。」
リコがそう告げると、なまえの大きな瞳が、ゆっくりとゆっくりと開いていった。
そして、一瞬、泣きそうな顔をしたあとに、嬉しそうに笑う。
「いいね、それ。最高の婚約祝いだ。」
「私もそう思う。リヴの案なんだ。
準備は私がするから、花火代は、なまえが出せよ。」
「え!?」
「イアンもそれがいいと言っていた。
それとも、イアンが間違っていると言うのか?」
「もう、狡いよ。リコ。
嫌って言えないじゃんか。」
なまえが口を尖らせて、文句を言う。
でも、その目は楽しそうに細められていた。
きっと自分も同じようなだらしない笑みを浮かべているのだろう。
久しぶりで、嬉しかった。楽しかった。
友人の名前を出して、なんてことないお喋りが出来るのはーーーーー。
あのあと、すぐに夕飯の時間が来てしまった。
それならば、と遠慮して帰ろうとしたリコを強引に引き留め、食事を2人分持ってきたジャンは、自分は仕事が残っているからとまた出ていってしまった。
謝罪は出来た。感謝も伝えられた。
けれど、共に楽しく食事をするほど、関係が修復したわけでもない。
何かを言わなければーーーーそう思ってリコが口が開く度、結局、声は出ないまま、スプーンですくったスープを飲み込んでいる。
なまえは、スープをすくったまま、それを口にはせずに、窓の向こうをただじっと眺めていた。
夕焼けで真っ赤に染まりきった空は、彼女にはどんな風に見えているのだろう。
リコの脳裏には、あの日の地獄のような光景が、今でも色鮮やかに蘇る。
記憶から逃げるように視線を横に流したとき、なまえの腰辺りにぬいぐるみを見つけた。
置いている、というよりは、横倒しになっているそれは、さっきまでなまえと一緒に寝ていたのかもしれない。
なまえのことだけを見ていたから、全く気づかなかった。
気づいてしまえば、目が離せないほどに異様なカタチをしているぬいぐるみだ。熊の胴体に虎のように尖った爪と筋肉隆々の四肢、牛の尻尾に像のように長い鼻を携え、口元には牙も生えている。
現実には存在しないその生き物の名は、夢喰いのバク。人が寝ているときに見る悪夢を食べてくれると言われている想像上の生き物だ。
こんな気味の悪いものをリコが知っているのは、遠い昔、物知りな友人が教えてくれたことがあるからだ。
「いいでしょ。このこのおかげで、悪い夢を見なくなったんだよ。」
なまえの声が聞こえてきて、リコはハッとする。
ぬいぐるみを睨みつけるようにじっと見ていた視線をなまえに戻せば、彼女は本当に嬉しそうに柔らかく微笑んでいた。
「それを買ったのは、やっぱりなまえだったんだな。
まぁ、そんな気味の悪いものを欲しがるのは、なまえくらいしか思い浮かばないが。」
リコは小さく呆れたように言った。
遠い日の思い出が、じわじわと胸の奥に広がっていく。
懐かしい。けれど、胸が苦しくもなる。
それは、いつだったか。確か、自分達が駐屯兵団に入団して1年が経ったくらいの頃だ。
トロスト区に古くからあるアンティークショップ。その奥にある棚の上でひっそりと、その時を待って座っている気味の悪いぬいぐるみを見つけたのは、イアンとリコだった。
駐屯兵団の任務で偶々立ち寄っただけだった。でも、その気味の悪い風貌に思わず、目を奪われてしまった。
そのときに、イアンが、それがバクと呼ばれる想像上の生物で、人が寝ているときに見る悪夢を食べてくれるものだと教えてくれたのだ。
なまえが、10年後までには結婚を機に調査兵団を退団する予定だと知ったのは、それからすぐだった。
調査兵団がいつか世界に自由を取り戻すと信じているなまえは、仕方ないと笑っていたけれど、とても悲しそうでもあった。
そしたらーーーーー。
『それなら、そのときには私たちが婚約祝いを贈らなくっちゃね。
私たちからは、バクのぬいぐるみを贈るわ。』
そう言って、優しく笑ったのは、リヴだった。
その頃にはすでに、なまえは、眠り姫と揶揄されていた。
でも、嘲笑うようにそう呼んでいた馬鹿達は、きっと知らなかったはずだ。
あの頃、夢と大志を抱いて入団した調査兵団で、大勢の仲間を呆気なく亡くし続けていたなまえは、悲劇的で残酷な悪夢に魘され、よく眠れていなかった。
今はどうか知らないが、まだ新人だった彼女が、昼間の訓練中にボーっとして、居眠りをしていたのは、そのせいだ。
きっと、必死に訓練に励む仲間達の声を聞いていると、安心したのだろう。
リヴは、そんな彼女の苦しみにいち早く気づいて、優しく寄り添おうとした。本当は、すごく優しい女性なのだ。
懐かしい記憶に浸っていると、なまえがバクのぬいぐるみを手に取り、胸に抱き寄せた。
「リヴからの婚約祝いだよ。」
「は?」
思いがけないなまえの訂正に、リコからは渇いた声しか出なかった。
そんなリコに、なまえが嬉しそうに微笑んだまま言う。
「婚約発表してすぐにね、リヴから届いたの。
宛名は書いてなかったけど、リヴの字だった。」
ありえないーーーーーそう思ったが、あまりにも嬉しそうになまえが微笑むから、リコは何も言えなかった。
「リヴ、あの日のこと覚えててくれてたんだね。」
こんなにも嬉しそうに、バクのぬいぐるみを抱きしめているなまえに、そんなはずはないと誰が言えるだろうか。
婚約発表してすぐ、というなら、ジャンが刺される前なのだろう。
ということはきっとそのぬいぐるみは、リヴからの「宣戦布告」もしくは「予告状」だ。
何も考えていないバカなお姫様ーーーーそんな風になまえを思ってる人もいる。
でも実際、なまえは、頭が切れるエルヴィン団長がその頭脳を信頼しているくらいに頭の回転が速いし、兵士としては一応「ちゃんと」している。
そんな彼女が、このぬいぐるみが、リヴからのただの婚約祝いなわけがないと気づいていないわけがないのだ。
「あぁ…、そうだな。」
少し間をおいて、リコはゆっくりと頷いた。
リヴはもうきっと、あの頃の彼女に戻ることはないのだろう。
それならば、信じたいものを、信じればいい。そう思ったのだ。
「トロスト区巨人襲撃事件の真相だが、
まだ、リヴには伝えていないんだ。」
伝えるのなら、今だと思った。
そして、言葉を続けなかったその先は、できれば、頭の回転の早いなまえに察してほしいと願っている。
リコは、狡い自分を嫌というほどに理解していた。
「伝えなくていいと思う。」
なまえがそっと答える。
それは、リコの願い通りの返事だった。
優しい彼女ならそう答えると知っていた。
だから、心臓の奥にある心が、ズキンと痛む。
「そう言ってもらえると、助かる。
本当に…、すまない。」
「ううん、いいの。私にはこの子がいるし、
リヴには、恨む相手が必要だから。」
なまえが、本当に心から大切そうにぬいぐるみを抱きしめる。
そこでようやくリコは気づいたのだ。
なまえはきっと、そのぬいぐるみのどこか端っこでもいいから、あの日のリヴの友情があることを願っているのだろう。
そして、ほんのわずかにもない可能性に縋って、信じている。
そうしないと、大切な友人から心から憎まれ、恨まれているなんていう残酷な現実に打ちのめされて、立っていられない。
同じように、リヴもまた、誰かを恨まないと、この苦しすぎる残酷な現実を生きていけないのだ。
リコはまた、なまえを犠牲にしようとしている。今度は、面と向かってお願いをして、犠牲になれと言っている。
最低最悪な気分だ。けれど、撤回するつもりもない。
こうして、傷つけ合いながらしか互いを守れないなんて、なんて非情な世界だろうか。
早く、こんな悪夢みたいな日々が、終わればいいのにーーーーー。
「私からは、婚約祝いに花火を贈ろう。」
「花火?」
「あぁ。友人がついに宿敵を捕まえてくれた。
だから、私は友人の婚約を祝って
人類は、勝利を祝って、花火を上げるんだ。」
リコがそう告げると、なまえの大きな瞳が、ゆっくりとゆっくりと開いていった。
そして、一瞬、泣きそうな顔をしたあとに、嬉しそうに笑う。
「いいね、それ。最高の婚約祝いだ。」
「私もそう思う。リヴの案なんだ。
準備は私がするから、花火代は、なまえが出せよ。」
「え!?」
「イアンもそれがいいと言っていた。
それとも、イアンが間違っていると言うのか?」
「もう、狡いよ。リコ。
嫌って言えないじゃんか。」
なまえが口を尖らせて、文句を言う。
でも、その目は楽しそうに細められていた。
きっと自分も同じようなだらしない笑みを浮かべているのだろう。
久しぶりで、嬉しかった。楽しかった。
友人の名前を出して、なんてことないお喋りが出来るのはーーーーー。