◇第百四十七話◇最愛を唱えるのは天使か悪魔か
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「それじゃ、また来るよ。」
翌日、見舞いに来てくれたナナバとゲルガーは、沢山の大笑いと戸惑いを持ってきてくれた。
それをどう受け止めて、今後にどう生かすのかは、私次第だ。
「うん、来てくれてありがとう。」
休憩時間が終わり、任務に戻るという彼らに礼を言う。
病室を出ようとしたナナバとゲルガーは、扉を開けると驚いたような顔をして動きを止めた。
どうしたのだろうか———訊ねようとしたけれど、彼らはすぐに何もなかったような風で病室を出て行ってしまう。
何だったのだろうと首を傾げる暇もなく、ナナバ達が出て行ったはずなのに閉まらないままの扉から病室に入ってきたのはジャンだった。
ナナバとゲルガーは、ちょうどジャンと出くわして驚いたということだったのだろう。
ついさっきまで、彼らとジャンのことについて話をしていたばかりだ。
途端に緊張してしまって、息が苦しくなる。
「ゲルガーさん達が来てたんですね。」
ベッドに歩み寄りながら、ジャンは閉じたばかりの扉をチラリと見て声をかけてくる。
昨日と同じで、普段通りの補佐官に見える。
それでも、昨日伝わって来た痛々しいほどのジャンの気持ちを思い返せば、彼もまた心の奥では平静ではいられていないのかもしれない。
ジャンにならって、私も表面だけはなんとか繕おうとしたけれど、結局「うん。」と頷くだけしか出来なかった。
「体調はどうっすか?」
そう言いながら、ジャンはさっきまでナナバが座っていた椅子を引いて腰をおろした。
「うん、なんともないよ。
さっきもナナバとゲルガーに、早く任務に戻りたいって話をしてたところ。」
肩を竦めながら、私は少しだけ困ったような笑みを織り交ぜて見せた。
そんな私に、ジャンは呆れたような表情を返す。
「昨日まで寝てたやつが何言ってんすか。
まずは検査して、身体が無事だと分かっても、リハビリが先です。」
「…そうだね。ジャンもそうやって頑張ったんだもんね。」
一瞬だけ、文句を口にしそうになって、すぐに気が付いた。
今、ジャンが言ったのは全部、彼自身が経験したことだ。
私なんかよりも大怪我を負って、それでも必死にリハビリをして、あの短期間で壁外調査への参加をリヴァイ兵長に認められるまで回復させた。
私が想像するよりもずっとツラいリハビリや訓練をこなしたのだろう。
「あぁ…確かにそうっすね。俺が早期復帰したかったのは、
任務に戻りたかったからじゃなくて、なまえに会いたかっただけだけど。」
「え!?」
サラリとジャンがそんなことを言うから、思わず声が出てしまった。
私なりに必死に平静を装っていたつもりだったのに、真っ赤な顔で大きな声を上げてしまっては台無しだ。
突然のことに驚いて目を丸くする私を、ジャンは射貫くように見つめる。
そんな彼の切れ長の瞳は、私の奥にある本心を探ろうとしているみたいで、どうしたらいいか分からなくなる。
今すぐ目を逸らしたいけれど、ここで逃げたら、今のジャンの気持ちからも逃げることになりそうで、絶対にしたくない。
「まぁ、やっと復帰できたと思ったら
婚約者が上司に寝取られちまってたんすけどね。」
ジャンはまた、サラリと爆弾を落としていく。
でもきっと、無自覚ではない。
敢えてそうして、私の反応を確かめようとしているのが、挑むような強い眼差しからひしひしと伝わってくる。
でも、だからって私に何が言えるだろう。何を言えばいいのだろう。
「ごめんなさい。」
謝ることしか出来ない自分が情けなくて、結局、私はジャンの視線から逃げるように目を伏せた。
こんな情けない私の姿は、ジャンにはどんな風に映っているのだろう。
眠って現実逃避したい。
「そのおかげで、婚約者を寝取られた可哀想な男ってことで
皆に優しくしてもらえましたからいいですよ。」
意識不明の重体から目を覚めた後のジャンのことなら、よく知っている。
私の方からジャンから逃げたのに、それでもどうしても気になって、ハンジやミケさん、医療兵達から教えてもらっていた。
良くも悪くも、私とリヴァイ兵長の婚約の話が復帰したジャンと他の調査兵達とのスムーズな関係修復に役立っていたようだった。
でも、ジャンはどこまで知っているのだろうか。
さっき見舞いに来てくれたナナバとゲルガーから、リヴァイ兵長との婚約は偽装だったという噂で兵舎内は持ちきりだと聞かされた。
ジャンも既に聞いているのだろうか。もし聞いていたとしたら、一体どこまで———。
「でも、俺はもう婚約者を寝取られた可哀想な男ではいたくないですよ。」
ジャンの声のトーンが低くなったように聞こえた。
少しだけ空気も張りつめたように感じる。
「昨日は、今はまだ補佐官としてそばにいられるだけでいいって言いましたけど
いつまでもそれで満足は出来ません。俺は、なまえさんのことを———。」
「待って…!」
慌てたように顔を上げて、何かを言いかけたジャンを引き留めた。
驚いたように目を見開くジャンと視線が絡む。
もし———。
ジャンが今まさに私に伝えようとしたその言葉が、私の期待しているものだったとしたのなら、私は彼に伝えなければいけないことがある。
ううん、彼がその言葉を言わなくても、私は伝えなきゃいけない。
いつだって、私は守られてばかりだった。ジャンからも、リヴァイ兵長からも、与えられてばかりだった。
それは、彼らが強かったからではない。彼らが勇気と覚悟を持ったからだ。
すべて、私が弱かったせいだ。
傷つくのが怖かったし、傷つけるのも怖かった。
でも、私は、いつもまっすぐ私にぶつかってくれたジャンや、優しく見守ってくれたリヴァイ兵長から学んだのだ。
どんな結果になろうとも、逃げていたらダメだ。愛してる人がいるのなら、その人を心から愛さなければならない。
だから私は、不安を物語っているジャンの瞳から目を逸らさずに、見つめ返すのだ。
少しだけ眉を顰める彼に、私はちゃんと自分の気持ちと真実を伝える。
それがたとえ、私にとって都合の悪いことで、言いづらいことだとしても。
「ジャンに聞いてほしい話があるの。
だから…私から、話をさせてほしい。いい、かな?」
不安そうに訊ねる私に、ジャンも不安そうに瞳を揺らす。
しばらくの沈黙の後、ジャンはゆっくりと頷いてくれた。
その途端、私は緊張で身体が強張って、心臓が苦しくなる。
それでも、なんとか「ありがとう。」と笑顔を繕う。きっと下手くそで、ジャンをさらに不安にさせただけだったかもしれない。
「本当は、話したいことはたくさんあって…。
でも今、ジャンに伝えたいことはひとつしかないの。」
「…そう、なんすか…?」
何を言っているのか、ジャンはいまいちよく分かっていないようだった。
それでも、彼は私の言葉に耳を傾けてくれる。
だから、私も、散らかった頭の中をひとつひとつ必死に整理しながら、言葉にしていく。
「私とリヴァイ兵長の婚約は、なかったことになった。」
「…はい。」
ジャンは、少しだけ片眉を動かした。
けれど、それだけだ。
驚くと思っていたジャンの反応は意外なもので、私の方が拍子抜けだった。
もしかしたら、ジャンも噂を聞いているのかもしれない。
気を取り直して続ける。
「もしかしたら、これから、ジャンのところには
私とリヴァイ兵長は最初から婚約者ではなかったって話が届くかもしれない。
…私への恨みが婚約者だったジャンに向かってしまったから、ジャンを守る為に
私達の関係が終わったと思わせる為の演技だったんだって。」
昨日、リヴァイ兵長に、私達の関係は初めからそんなものだったと言った。
リヴァイ兵長がどんな気持ちでそんな風に言ったのか、私はその想いをはかることしか出来ない。
けれど、リヴァイ兵長の気持ちがどうだったとしても、私には否定できなかった。
「俺に危害を加えようとしてたやつがいたって話は、本当だったってことですか?」
ジャンにそう訊ねられて、驚いてしまった。
本人だけではなく、両親や友人達に不要な心配をさせないように、と必死に隠しているつもりだった。でも、ジャンは、知っていた。いつ、どこで———いや、今はそこを気にしているところではない。
「本当だよ。ごめんなさい。」
「なまえさんが謝ることじゃないでしょ。
逆恨みしてるやつが悪いんですよ。」
謝る私に、ジャンはそう言って慰めてくれる。
リヴァイ兵長やエルヴィン団長、ハンジ達も同じように言ってくれた。
でも、そんなことをさせるきっかけを作ったのが私であることに間違いはないのだ。
ジャンに何かがあったとき、私は何も悪くなかった、で許されることはないだろう。
「…どんな嫌がらせだったんですか?」
「それは…、命に関わる殺害予告みたいなのもあったり
実際に、お見舞いの品にナイフや爆弾みたいなものが仕込まれてることもあった。」
「…っ!?まじかよ…、質が悪いってレベルじゃねぇな。」
驚いた顔をしたジャンは、怒りを通り越してドン引きしているようだった。
そして、こう続ける。
「それで、俺は振られた可哀想な奴ってことにして、
逆恨みしてる奴らのターゲットから外そうとしたってことですか?」
ジャンが納得したように言う。
そうだ———リヴァイ兵長がここにいたら、彼はそう答えるだろうし、私にもそう答えるように強要するはずだ。
でも、私はもうジャンに嘘は吐きたくない。
あるかもしれない大好きな人との未来に、嘘とわだかまりを残したくない。そう思うのは、私の我儘だと思う。
真実は時に、人を傷つける。それがいまかもしれないのに、私は真実を彼に伝えようとしてる。
分かっていて、私は「違うの。」と首を横に振った。
「違うって…どういうことですか?」
「最初にそういう提案してきたのは、ハンジさんだった。
でも、私は断ったの。」
「断った?」
「うん…。私がいつだってそばにいてジャンを守るから、
そんな嘘は吐かなくていいと思ってたから。
でも…、私はジャンを傷つけて、そばにいることが出来なくなった。
そのとき、リヴァイ兵長が、もう一度、ハンジさんと同じ提案をしたの。」
「…それで?偽物の婚約者になった?」
ジャンは、確かめるように訊ねた。
もしも、私に向かっているジャンの気持ちが、私が期待しているものだとしたのなら、彼が期待している答えを私は知っている。
でも、そんな彼の期待を打ち砕くためだけに、私は首を横に振った。
「リヴァイ兵長がどんな気持ちで、婚約者になるって言ってくれたのか、
私には分からないけど…。少なくとも私は、本当にリヴァイ兵長と結婚するつもりだったよ。」
「…好きだったんですか?」
ジャンが訊ねる。
何かを言おうとして、私は言葉を探す。でも、見つからない。
口を開いては閉じてを繰り返している間、ジャンはその答えを待っていてくれた。
でも、私に答えられるのは、これしかなかった。
「好きに、なれると思ったの。」
「…それで?なれました?」
私は目を伏せて、首を横に振る。
斜め上の方から、ジャンが息を吐いた音が聞こえた。
「ジャンに嫌われたと思って、ツラくて、苦しくて
自分がどうにかなりそうで、リヴァイ兵長の優しさに逃げたのに…
もっとつらくなるばっかりだった…。」
そこまで言って、私はゆっくりと顔を上げた。
ジャンは、私の方をまっすぐに見つめてくれていた。
そうなるのが必然であるみたいに、私達の視線が絡み合う。
ジャンはもう眉を顰めてはいないけれど、切れ長の瞳をまっすぐに向けるその表情からは、彼の気持ちは読めなかった。
私は、今度こそ覚悟と勇気を持って、口を開いた。
「私は…、ジャンが好きです。
これからもずっと、ずっとずっとジャンだけが好き…!
だから、そばにいてほしい。補佐官としてじゃなくて…。」
そこまで言って、間違いに気づいた。
「あ、違う。補佐官としてもそばにいてほしいんだけど…っ。
そうじゃなくて、婚約者として。偽物じゃなくて、本物の…!」
慌てて訂正して、私はジャンをまっすぐに見つめる。
一瞬だけ、僅かに見開かれたジャンの瞳は、眉間に皴を寄せて細くなってしまった。
何かを思案するようなその表情は、私の望む答えは返せないと言っているようだ。
ほんの少しの期間は、私はジャンに想われていたと思う。己惚れなんかじゃないはずだ。
でも、それからたくさんのことがあって、ジャンの心はもう遠く離れてしまったのかもしれない。
私の我儘や弱さに呆れてしまっていても、不思議なことではないのだ。
翌日、見舞いに来てくれたナナバとゲルガーは、沢山の大笑いと戸惑いを持ってきてくれた。
それをどう受け止めて、今後にどう生かすのかは、私次第だ。
「うん、来てくれてありがとう。」
休憩時間が終わり、任務に戻るという彼らに礼を言う。
病室を出ようとしたナナバとゲルガーは、扉を開けると驚いたような顔をして動きを止めた。
どうしたのだろうか———訊ねようとしたけれど、彼らはすぐに何もなかったような風で病室を出て行ってしまう。
何だったのだろうと首を傾げる暇もなく、ナナバ達が出て行ったはずなのに閉まらないままの扉から病室に入ってきたのはジャンだった。
ナナバとゲルガーは、ちょうどジャンと出くわして驚いたということだったのだろう。
ついさっきまで、彼らとジャンのことについて話をしていたばかりだ。
途端に緊張してしまって、息が苦しくなる。
「ゲルガーさん達が来てたんですね。」
ベッドに歩み寄りながら、ジャンは閉じたばかりの扉をチラリと見て声をかけてくる。
昨日と同じで、普段通りの補佐官に見える。
それでも、昨日伝わって来た痛々しいほどのジャンの気持ちを思い返せば、彼もまた心の奥では平静ではいられていないのかもしれない。
ジャンにならって、私も表面だけはなんとか繕おうとしたけれど、結局「うん。」と頷くだけしか出来なかった。
「体調はどうっすか?」
そう言いながら、ジャンはさっきまでナナバが座っていた椅子を引いて腰をおろした。
「うん、なんともないよ。
さっきもナナバとゲルガーに、早く任務に戻りたいって話をしてたところ。」
肩を竦めながら、私は少しだけ困ったような笑みを織り交ぜて見せた。
そんな私に、ジャンは呆れたような表情を返す。
「昨日まで寝てたやつが何言ってんすか。
まずは検査して、身体が無事だと分かっても、リハビリが先です。」
「…そうだね。ジャンもそうやって頑張ったんだもんね。」
一瞬だけ、文句を口にしそうになって、すぐに気が付いた。
今、ジャンが言ったのは全部、彼自身が経験したことだ。
私なんかよりも大怪我を負って、それでも必死にリハビリをして、あの短期間で壁外調査への参加をリヴァイ兵長に認められるまで回復させた。
私が想像するよりもずっとツラいリハビリや訓練をこなしたのだろう。
「あぁ…確かにそうっすね。俺が早期復帰したかったのは、
任務に戻りたかったからじゃなくて、なまえに会いたかっただけだけど。」
「え!?」
サラリとジャンがそんなことを言うから、思わず声が出てしまった。
私なりに必死に平静を装っていたつもりだったのに、真っ赤な顔で大きな声を上げてしまっては台無しだ。
突然のことに驚いて目を丸くする私を、ジャンは射貫くように見つめる。
そんな彼の切れ長の瞳は、私の奥にある本心を探ろうとしているみたいで、どうしたらいいか分からなくなる。
今すぐ目を逸らしたいけれど、ここで逃げたら、今のジャンの気持ちからも逃げることになりそうで、絶対にしたくない。
「まぁ、やっと復帰できたと思ったら
婚約者が上司に寝取られちまってたんすけどね。」
ジャンはまた、サラリと爆弾を落としていく。
でもきっと、無自覚ではない。
敢えてそうして、私の反応を確かめようとしているのが、挑むような強い眼差しからひしひしと伝わってくる。
でも、だからって私に何が言えるだろう。何を言えばいいのだろう。
「ごめんなさい。」
謝ることしか出来ない自分が情けなくて、結局、私はジャンの視線から逃げるように目を伏せた。
こんな情けない私の姿は、ジャンにはどんな風に映っているのだろう。
眠って現実逃避したい。
「そのおかげで、婚約者を寝取られた可哀想な男ってことで
皆に優しくしてもらえましたからいいですよ。」
意識不明の重体から目を覚めた後のジャンのことなら、よく知っている。
私の方からジャンから逃げたのに、それでもどうしても気になって、ハンジやミケさん、医療兵達から教えてもらっていた。
良くも悪くも、私とリヴァイ兵長の婚約の話が復帰したジャンと他の調査兵達とのスムーズな関係修復に役立っていたようだった。
でも、ジャンはどこまで知っているのだろうか。
さっき見舞いに来てくれたナナバとゲルガーから、リヴァイ兵長との婚約は偽装だったという噂で兵舎内は持ちきりだと聞かされた。
ジャンも既に聞いているのだろうか。もし聞いていたとしたら、一体どこまで———。
「でも、俺はもう婚約者を寝取られた可哀想な男ではいたくないですよ。」
ジャンの声のトーンが低くなったように聞こえた。
少しだけ空気も張りつめたように感じる。
「昨日は、今はまだ補佐官としてそばにいられるだけでいいって言いましたけど
いつまでもそれで満足は出来ません。俺は、なまえさんのことを———。」
「待って…!」
慌てたように顔を上げて、何かを言いかけたジャンを引き留めた。
驚いたように目を見開くジャンと視線が絡む。
もし———。
ジャンが今まさに私に伝えようとしたその言葉が、私の期待しているものだったとしたのなら、私は彼に伝えなければいけないことがある。
ううん、彼がその言葉を言わなくても、私は伝えなきゃいけない。
いつだって、私は守られてばかりだった。ジャンからも、リヴァイ兵長からも、与えられてばかりだった。
それは、彼らが強かったからではない。彼らが勇気と覚悟を持ったからだ。
すべて、私が弱かったせいだ。
傷つくのが怖かったし、傷つけるのも怖かった。
でも、私は、いつもまっすぐ私にぶつかってくれたジャンや、優しく見守ってくれたリヴァイ兵長から学んだのだ。
どんな結果になろうとも、逃げていたらダメだ。愛してる人がいるのなら、その人を心から愛さなければならない。
だから私は、不安を物語っているジャンの瞳から目を逸らさずに、見つめ返すのだ。
少しだけ眉を顰める彼に、私はちゃんと自分の気持ちと真実を伝える。
それがたとえ、私にとって都合の悪いことで、言いづらいことだとしても。
「ジャンに聞いてほしい話があるの。
だから…私から、話をさせてほしい。いい、かな?」
不安そうに訊ねる私に、ジャンも不安そうに瞳を揺らす。
しばらくの沈黙の後、ジャンはゆっくりと頷いてくれた。
その途端、私は緊張で身体が強張って、心臓が苦しくなる。
それでも、なんとか「ありがとう。」と笑顔を繕う。きっと下手くそで、ジャンをさらに不安にさせただけだったかもしれない。
「本当は、話したいことはたくさんあって…。
でも今、ジャンに伝えたいことはひとつしかないの。」
「…そう、なんすか…?」
何を言っているのか、ジャンはいまいちよく分かっていないようだった。
それでも、彼は私の言葉に耳を傾けてくれる。
だから、私も、散らかった頭の中をひとつひとつ必死に整理しながら、言葉にしていく。
「私とリヴァイ兵長の婚約は、なかったことになった。」
「…はい。」
ジャンは、少しだけ片眉を動かした。
けれど、それだけだ。
驚くと思っていたジャンの反応は意外なもので、私の方が拍子抜けだった。
もしかしたら、ジャンも噂を聞いているのかもしれない。
気を取り直して続ける。
「もしかしたら、これから、ジャンのところには
私とリヴァイ兵長は最初から婚約者ではなかったって話が届くかもしれない。
…私への恨みが婚約者だったジャンに向かってしまったから、ジャンを守る為に
私達の関係が終わったと思わせる為の演技だったんだって。」
昨日、リヴァイ兵長に、私達の関係は初めからそんなものだったと言った。
リヴァイ兵長がどんな気持ちでそんな風に言ったのか、私はその想いをはかることしか出来ない。
けれど、リヴァイ兵長の気持ちがどうだったとしても、私には否定できなかった。
「俺に危害を加えようとしてたやつがいたって話は、本当だったってことですか?」
ジャンにそう訊ねられて、驚いてしまった。
本人だけではなく、両親や友人達に不要な心配をさせないように、と必死に隠しているつもりだった。でも、ジャンは、知っていた。いつ、どこで———いや、今はそこを気にしているところではない。
「本当だよ。ごめんなさい。」
「なまえさんが謝ることじゃないでしょ。
逆恨みしてるやつが悪いんですよ。」
謝る私に、ジャンはそう言って慰めてくれる。
リヴァイ兵長やエルヴィン団長、ハンジ達も同じように言ってくれた。
でも、そんなことをさせるきっかけを作ったのが私であることに間違いはないのだ。
ジャンに何かがあったとき、私は何も悪くなかった、で許されることはないだろう。
「…どんな嫌がらせだったんですか?」
「それは…、命に関わる殺害予告みたいなのもあったり
実際に、お見舞いの品にナイフや爆弾みたいなものが仕込まれてることもあった。」
「…っ!?まじかよ…、質が悪いってレベルじゃねぇな。」
驚いた顔をしたジャンは、怒りを通り越してドン引きしているようだった。
そして、こう続ける。
「それで、俺は振られた可哀想な奴ってことにして、
逆恨みしてる奴らのターゲットから外そうとしたってことですか?」
ジャンが納得したように言う。
そうだ———リヴァイ兵長がここにいたら、彼はそう答えるだろうし、私にもそう答えるように強要するはずだ。
でも、私はもうジャンに嘘は吐きたくない。
あるかもしれない大好きな人との未来に、嘘とわだかまりを残したくない。そう思うのは、私の我儘だと思う。
真実は時に、人を傷つける。それがいまかもしれないのに、私は真実を彼に伝えようとしてる。
分かっていて、私は「違うの。」と首を横に振った。
「違うって…どういうことですか?」
「最初にそういう提案してきたのは、ハンジさんだった。
でも、私は断ったの。」
「断った?」
「うん…。私がいつだってそばにいてジャンを守るから、
そんな嘘は吐かなくていいと思ってたから。
でも…、私はジャンを傷つけて、そばにいることが出来なくなった。
そのとき、リヴァイ兵長が、もう一度、ハンジさんと同じ提案をしたの。」
「…それで?偽物の婚約者になった?」
ジャンは、確かめるように訊ねた。
もしも、私に向かっているジャンの気持ちが、私が期待しているものだとしたのなら、彼が期待している答えを私は知っている。
でも、そんな彼の期待を打ち砕くためだけに、私は首を横に振った。
「リヴァイ兵長がどんな気持ちで、婚約者になるって言ってくれたのか、
私には分からないけど…。少なくとも私は、本当にリヴァイ兵長と結婚するつもりだったよ。」
「…好きだったんですか?」
ジャンが訊ねる。
何かを言おうとして、私は言葉を探す。でも、見つからない。
口を開いては閉じてを繰り返している間、ジャンはその答えを待っていてくれた。
でも、私に答えられるのは、これしかなかった。
「好きに、なれると思ったの。」
「…それで?なれました?」
私は目を伏せて、首を横に振る。
斜め上の方から、ジャンが息を吐いた音が聞こえた。
「ジャンに嫌われたと思って、ツラくて、苦しくて
自分がどうにかなりそうで、リヴァイ兵長の優しさに逃げたのに…
もっとつらくなるばっかりだった…。」
そこまで言って、私はゆっくりと顔を上げた。
ジャンは、私の方をまっすぐに見つめてくれていた。
そうなるのが必然であるみたいに、私達の視線が絡み合う。
ジャンはもう眉を顰めてはいないけれど、切れ長の瞳をまっすぐに向けるその表情からは、彼の気持ちは読めなかった。
私は、今度こそ覚悟と勇気を持って、口を開いた。
「私は…、ジャンが好きです。
これからもずっと、ずっとずっとジャンだけが好き…!
だから、そばにいてほしい。補佐官としてじゃなくて…。」
そこまで言って、間違いに気づいた。
「あ、違う。補佐官としてもそばにいてほしいんだけど…っ。
そうじゃなくて、婚約者として。偽物じゃなくて、本物の…!」
慌てて訂正して、私はジャンをまっすぐに見つめる。
一瞬だけ、僅かに見開かれたジャンの瞳は、眉間に皴を寄せて細くなってしまった。
何かを思案するようなその表情は、私の望む答えは返せないと言っているようだ。
ほんの少しの期間は、私はジャンに想われていたと思う。己惚れなんかじゃないはずだ。
でも、それからたくさんのことがあって、ジャンの心はもう遠く離れてしまったのかもしれない。
私の我儘や弱さに呆れてしまっていても、不思議なことではないのだ。