◇第十六話◇千年先も続く愛を誓う
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リビングに案内された私とジャンがソファに並んで座り、母が紅茶をテーブルに並べていると、父がやって来た。
すぐにジャンが立ち上がるから、私も慌てて腰を上げた。
すると、母が、嬉しそうに父に話しかけた。
「ほら、お父さん!ジャンくんよ!見てよ、大きくなったでしょう?」
「あぁ、そうだな。2年振りか?」
そう言いながら、父はテーブルを挟んで、私とジャンの目の前に立った。
その途端、身体の中心に長くて太い針が刺さったみたいに、ぴんと背筋が伸びて、身体が固まった。
緊張しすぎて、息も出来ない。
そんな私の代わりに、先に口を開いたのは、堂々としたジャンだった。
「お久しぶりです。本来ならば、もっと早くにご挨拶するべきところを
いきなりの訪問になってしまい、申し訳ありませんでした。
寛大にお招き頂き、感謝致します。」
「いや、構わんよ。娘が家に恋人を連れてくるのは、昔からの夢だったんだ。
もう叶わないものだと諦めていたから、有難いのはこっちの方だ。
——まぁ、相手が君だとは思わなかったがな。」
父は少し冗談めかして言って、ハハッと軽く笑った。
よかった———。
意外だけれど、ジャンの印象は良いようだ。
年下の補佐官を恋人だと連れて行ったら、反対されるものだとばかり思っていたから、とても安心した。
それにしても———。
憲兵OBとして、憲兵団本部に顔を出すことの多い父だけれど、私が仕事で顔を合わせることはほとんどない。
仕事中に会うことを、私が嫌がるからだ。
私の両親が、憲兵幹部を取りまとめるエリートだということを知っている兵士は、調査兵団に限らずとも多くいる。
それでも、実際に隣に並んでいる姿を兵士達に見られて、素晴らしい功績しか残していない両親と自分を比べられるのは、出来れば避けたかった。
だって、残念だとしか思われないことは、分かりきっている。
そういう私の情けない我儘のせいで、両親に会うのは、2年前の副兵士長の就任式以来だった。
久しぶりに会った父は、母とは違って、少し歳を取ったように見えた。
茶色がかっていた金髪に、白い糸のようなものが混じり始めている。
端正で、時に厳しく見えるほどに凛々しかった顔立ちは、目尻に出来た皴のせいなのか、幾分か優しい印象に変わっている。
それでも、父の年代の男性にしては、とても若い方だと思う。
スラリとした細身で長身の引き締まったスタイルは相変わらずで、19歳のジャンと並んでも見劣りしないのは、きっと今でも鍛えることをやめてはいない証拠だ。
もしも人類に万が一のことが起きたら、憲兵を引退した自分も、心臓を捧げるつもりだと話しているのを聞いたことがある。
「長旅で疲れただろう。さぁ、座りなさい。
ゆっくり話をしよう。君達の話を聞くのを楽しみにしていたんだ。」
父がそっと前に手を出して、ソファに座るように促す。
私とジャンは、父がソファに腰を降ろしたのを確認してから、座った。
母も、父の隣に座り、いよいよ、結婚の挨拶が始まる———。
膝の上に置いた手が、無意識に握った拳が、白いワンピースも巻き込んで皴を作った。
「改めまして、今回は、僕達の我儘を快く受け入れて頂き
本当に、ありがとうございます。」
「あ…、ありがとうございます…っ。」
改まった挨拶の後、ジャンが頭を下げるから、私も慌てて、一緒に頭を下げた。
数秒後、父から、顔を上げなさいと言われて、私とジャンはゆっくりと顔を上げた。
「早速だが、結婚の挨拶をしたい、と手紙にはあったが、
その前にジャンくんに確認しておきたいことがある。」
「はい。」
父に言われて、ジャンがぴしゃりと背筋を伸ばす。
私も慌てて、背筋を伸ばした。
「確か、君はまだ、19だったと記憶しているが、間違いはないかな。」
「はい、そうです。」
「君の勤勉な仕事ぶりはエルヴィンから聞いているし、
君達が真剣に交際をしているのなら、歳の差のことを指摘するなんて、
野暮なことはしない。だが———。」
父はそこまで言って、一旦言葉を切った。
そして、ジャンではなくて、私を気にするようにチラリと視線を向けてから、言いづらそうに続けた。
「娘の前で言うのも可哀想な気もするが、
これは娘の為だと思ってハッキリ言わせて欲しい。いいな?」
父が私を真っすぐに見るから、不安になってしまった。
だから、私はいつもの癖で、助けを求めるようにジャンの方を見てしまった。
目が合ったジャンが、小さく頷いた。
私は小さな深呼吸をした後に、父の方を向いて、頷いた。
それを待って、父が口を開く。
「娘はもういい大人だ。娘の友人達も何人も結婚をしているし、子供を持ったという話も聞く。
私は、娘が生まれたときから、そういう普通の幸せを送って欲しいと願っている。
でもね、だからと言って、娘と結婚してくれるなら誰でもいいというわけじゃない。」
「仰る通りだと思います。」
「そう言ってくれると助かるよ。だからこそ、君に聞きたい。」
「はい。」
「まだ若い君にはこれからたくさんの出逢いが待っている。
エルヴィンが自慢してしまうくらいに仕事が出来る君なら、尚更だ。
今は、好きだという感情が先行しているかもしれないが、
将来、君が娘と結婚をしたことを後悔しないかを、私も家内も心配している。」
父の心配を聞いて、私を気にした理由に納得した。
歳下の恋人を連れて来たら、娘がいつか、若い旦那に逃げられるのではないかと不安になるのも当然だ。
頭ごなしに反対をするのではなく、冷静に、娘と、そして、その恋人の将来を憂いている父と母を知って、彼らが人格者と呼ばれる所以を見た気がした。
そして、私がどれほど自分のことしか考えていなかったのか、自分の浅はかさを改めて思い知った。
そんな私の隣で、それでもジャンは、しゃんと背筋を伸ばして、堂々と答えた。
「確かに、俺はまだ19です。みょうじさん達から見れば、まだまだ子供でしょうし、
調査兵として素晴らしい功績を残して来た彼女と比べても、追いつかないことばかりです。
だから、なまえさんのご両親であるみょうじさん達にお願いがあって、来ました。」
ジャンはそう言うと、もう一度、頭を下げた。
父が、片眉をピクリと上げる。その隣で、母は少し不安そうにしていた。
「今年が10年という約束の年だということは、なまえさんから聞きました。
でも、あと1年、俺が20になるまで待って貰えないでしょうか。」
「たったの1年待って、君が20になったからといって、何が変わるのかな。」
「その間に必ず、兵士としても男しても、
なまえさんに相応しいのは俺だと世界中に認めさせるような功績を残してみせます。」
頭を下げて続けたジャンのセリフはまるで、お姫様を愛した騎士みたいだった。
だから、隣に座るジャンの姿が、私の夢見る騎士の姿に変わっていく。
結婚どころか、愛し合うことすらも反対する王様に、お姫様に相応しい男になってみせると堂々と誓える彼は、お姫様にとって、誰よりも魅力的で、素敵で、やっぱり彼しかいないと思わされる。
そして、力強い彼のその姿に感激して、もっともっと好きになるのだ。
だからもし、この後、王様が『娘はやらん!』と首を横に振れば、2人はきっと駆け落ちしてしまう。
王様を怒らせ、城から追い出されてしまった騎士は、その日の夜、黒い馬に乗ってやって来る。
そして、部屋を抜け出してお城の外で待っていた私にそっと手を差し伸べるのだ。
『姫、覚悟は出来ましたか?』
騎士が私に訊ねる。
私は少し不安を抱きながらもコクリと頷く。
母が、父の手をとったように、私も、騎士の手をとる。
そして、愛し合う2人を乗せた黒い馬が駆けていく。
誰にも邪魔されない2人だけの幸せを築くために———。
「それが無理だとは言わない。
だがそのとき、君がまだ娘を想っているかは分からないだろう。」
父の声で、私はハッと現実の世界へと引き戻された。
そうだ。ここにいるのは騎士ではなくて、ジャンで、彼は私が調査兵団に残留できるように、恋人のフリをしてくれた補佐官だ。
隣に座っていた騎士が、ジャンの姿に戻った。
「それはご心配いりません。俺はずっと彼女を想い続けてきました。
この気持ちは生涯変わりませんし、1000年後も調査兵でいたいと願う彼女の夢が叶うのなら、
1000年後も俺が守り続けます。大切な娘さんに、傷ひとつつけないと誓います。」
1000年後も調査兵でいたいなんて、ジャンの前で言ったことがあるかも覚えていない、そんな叶うはずのない途方もない夢だった。
その頃にはもう人類が壁の中に囚われていないのが一番だと思っているし、それがいい。
それでも、1000年後も彼らと一緒にいたい———。
そんな恥ずかしい夢なんて、忘れてくれてよかったのに。
馬鹿な夢だと聞き流していてもおかしくないことを、ジャンがちゃんと胸に留めてくれていたことが、素直に嬉しかった。
だから、愛を誓う騎士みたいなセリフよりも、私はそのことが耳にくすぐったくて、緩む頬が恥ずかしくて俯いてしまった。
1000年後の愛まで誓ったジャンの言葉に、厳しく力の入っていた父の目が、柔らかく細められていく。
そして、その隣で、母が「まぁまぁっ。」と頬を両手で包んで、少女のようにはしゃぐ。
ジャンに顔を上げさせた後に、父は答える。
「それを聞いて安心した。君みたいなしっかりした男が
1000年後も娘のそばにいてくれるのなら、私達も心残りなく死ねそうだ。」
父が、ハハッと楽しそうに笑った。
すると、母が少し眉尻を下げた。そして、父の腕にそっと手を触れて甘えるように言う。
「死ぬなんていやよ、あなた。
あなたも1000年後も私を守ってくれなくちゃ困るわ。」
「君も1000年後も生きてるつもりなのか?
全く歳を取らないと思ったらそういうことだったのか。
いつまでも綺麗なままだから、おかしいと思っていたんだ。」
「まぁ、あなたったら。」
母が嬉しそうに頬を染める。
そして、とてもご機嫌で「ジャンくんからもらったお土産のお菓子を持ってくるわね。」と席を立ち、スキップしながらキッチンへ向かった。
父のことが大好きだと全身で表現する母は、娘の私から見ても、どんな彼女よりも一番可愛らしいと思う。
大好きな人に心から愛されて慈しむように大切にされている母は、昔から私の憧れのお姫様だ。
「私も手伝ってくるね。待ってて。」
ジャンにそう声をかけてから、私は母の華奢な背中を追いかけた。
「君もたまには、あぁしてご機嫌を取ることをお勧めするよ。
それだけで、私達の生活は潤うし、美味しいものが食べられる。
何より、女性というのは、褒められた分だけ綺麗になってくいく花のような生き物だからね。」
母と私の姿が見えなくなってから、父は悪戯っ子のような顔で、ジャンに言った。
すると、ジャンが、カウンターになっているキッチンの奥にいる私を見た。
不意に目が合った私は、何の話をしているかも知らないから、不思議に思って首を傾げる。
そんな私を見て、ジャンは苦笑しながら、口を開いて父に何かを答えていた。
「それは困りましたね。うっかり口が滑らないように気をつけます。
これ以上、彼女が綺麗になってしまったら、俺の後ろで、
今か今かとチャンスを狙ってる男達の列が、さらに長くなってしまいますから。」
「ほう、君もなかなかやるね。」
父が、顎を擦りながらニヤニヤと口の端を上げた。
「いえ、切実ですよ。俺のうなじは常に狙われているんで。」
「ハハ、それは怖い。壁内にいても、うかうか寝ていられないな。」
楽しそうな父の笑い声がキッチンにまで聞こえてきた。
一体、何がそんなに面白いのだろうか。
ティーカップに紅茶を注ぎながら、何の話をしているのだろうと零した私に、母が悪戯っ子のような顔をして教えてくれる。
「男の人っていうのはね、女が可愛く笑ってるだけでどんな苦労も喜んで越えられる単純な生き物なのよ。
だから、なまえも、ジャンくんの前では笑顔を絶やさないようにしなさいね。
そして、時々、涙を見せたり、拗ねたりすれば、完璧よ。世界一幸せにしてくれるわ。」
私みたいにね———。
母はそう言って、楽しそうに鼻歌を口ずさみながら、ジャンが買ってきたお土産を皿に並べだした。
いつものほほんと笑っている母の方が、頭の回転の速い父を操っていたのか。
彼女の方が、父よりも、何枚も上手だったらしい。
私はその日、幼い頃から憧れていたお姫様は、少なくとも、私の実家には存在していなかったことを知った。
すぐにジャンが立ち上がるから、私も慌てて腰を上げた。
すると、母が、嬉しそうに父に話しかけた。
「ほら、お父さん!ジャンくんよ!見てよ、大きくなったでしょう?」
「あぁ、そうだな。2年振りか?」
そう言いながら、父はテーブルを挟んで、私とジャンの目の前に立った。
その途端、身体の中心に長くて太い針が刺さったみたいに、ぴんと背筋が伸びて、身体が固まった。
緊張しすぎて、息も出来ない。
そんな私の代わりに、先に口を開いたのは、堂々としたジャンだった。
「お久しぶりです。本来ならば、もっと早くにご挨拶するべきところを
いきなりの訪問になってしまい、申し訳ありませんでした。
寛大にお招き頂き、感謝致します。」
「いや、構わんよ。娘が家に恋人を連れてくるのは、昔からの夢だったんだ。
もう叶わないものだと諦めていたから、有難いのはこっちの方だ。
——まぁ、相手が君だとは思わなかったがな。」
父は少し冗談めかして言って、ハハッと軽く笑った。
よかった———。
意外だけれど、ジャンの印象は良いようだ。
年下の補佐官を恋人だと連れて行ったら、反対されるものだとばかり思っていたから、とても安心した。
それにしても———。
憲兵OBとして、憲兵団本部に顔を出すことの多い父だけれど、私が仕事で顔を合わせることはほとんどない。
仕事中に会うことを、私が嫌がるからだ。
私の両親が、憲兵幹部を取りまとめるエリートだということを知っている兵士は、調査兵団に限らずとも多くいる。
それでも、実際に隣に並んでいる姿を兵士達に見られて、素晴らしい功績しか残していない両親と自分を比べられるのは、出来れば避けたかった。
だって、残念だとしか思われないことは、分かりきっている。
そういう私の情けない我儘のせいで、両親に会うのは、2年前の副兵士長の就任式以来だった。
久しぶりに会った父は、母とは違って、少し歳を取ったように見えた。
茶色がかっていた金髪に、白い糸のようなものが混じり始めている。
端正で、時に厳しく見えるほどに凛々しかった顔立ちは、目尻に出来た皴のせいなのか、幾分か優しい印象に変わっている。
それでも、父の年代の男性にしては、とても若い方だと思う。
スラリとした細身で長身の引き締まったスタイルは相変わらずで、19歳のジャンと並んでも見劣りしないのは、きっと今でも鍛えることをやめてはいない証拠だ。
もしも人類に万が一のことが起きたら、憲兵を引退した自分も、心臓を捧げるつもりだと話しているのを聞いたことがある。
「長旅で疲れただろう。さぁ、座りなさい。
ゆっくり話をしよう。君達の話を聞くのを楽しみにしていたんだ。」
父がそっと前に手を出して、ソファに座るように促す。
私とジャンは、父がソファに腰を降ろしたのを確認してから、座った。
母も、父の隣に座り、いよいよ、結婚の挨拶が始まる———。
膝の上に置いた手が、無意識に握った拳が、白いワンピースも巻き込んで皴を作った。
「改めまして、今回は、僕達の我儘を快く受け入れて頂き
本当に、ありがとうございます。」
「あ…、ありがとうございます…っ。」
改まった挨拶の後、ジャンが頭を下げるから、私も慌てて、一緒に頭を下げた。
数秒後、父から、顔を上げなさいと言われて、私とジャンはゆっくりと顔を上げた。
「早速だが、結婚の挨拶をしたい、と手紙にはあったが、
その前にジャンくんに確認しておきたいことがある。」
「はい。」
父に言われて、ジャンがぴしゃりと背筋を伸ばす。
私も慌てて、背筋を伸ばした。
「確か、君はまだ、19だったと記憶しているが、間違いはないかな。」
「はい、そうです。」
「君の勤勉な仕事ぶりはエルヴィンから聞いているし、
君達が真剣に交際をしているのなら、歳の差のことを指摘するなんて、
野暮なことはしない。だが———。」
父はそこまで言って、一旦言葉を切った。
そして、ジャンではなくて、私を気にするようにチラリと視線を向けてから、言いづらそうに続けた。
「娘の前で言うのも可哀想な気もするが、
これは娘の為だと思ってハッキリ言わせて欲しい。いいな?」
父が私を真っすぐに見るから、不安になってしまった。
だから、私はいつもの癖で、助けを求めるようにジャンの方を見てしまった。
目が合ったジャンが、小さく頷いた。
私は小さな深呼吸をした後に、父の方を向いて、頷いた。
それを待って、父が口を開く。
「娘はもういい大人だ。娘の友人達も何人も結婚をしているし、子供を持ったという話も聞く。
私は、娘が生まれたときから、そういう普通の幸せを送って欲しいと願っている。
でもね、だからと言って、娘と結婚してくれるなら誰でもいいというわけじゃない。」
「仰る通りだと思います。」
「そう言ってくれると助かるよ。だからこそ、君に聞きたい。」
「はい。」
「まだ若い君にはこれからたくさんの出逢いが待っている。
エルヴィンが自慢してしまうくらいに仕事が出来る君なら、尚更だ。
今は、好きだという感情が先行しているかもしれないが、
将来、君が娘と結婚をしたことを後悔しないかを、私も家内も心配している。」
父の心配を聞いて、私を気にした理由に納得した。
歳下の恋人を連れて来たら、娘がいつか、若い旦那に逃げられるのではないかと不安になるのも当然だ。
頭ごなしに反対をするのではなく、冷静に、娘と、そして、その恋人の将来を憂いている父と母を知って、彼らが人格者と呼ばれる所以を見た気がした。
そして、私がどれほど自分のことしか考えていなかったのか、自分の浅はかさを改めて思い知った。
そんな私の隣で、それでもジャンは、しゃんと背筋を伸ばして、堂々と答えた。
「確かに、俺はまだ19です。みょうじさん達から見れば、まだまだ子供でしょうし、
調査兵として素晴らしい功績を残して来た彼女と比べても、追いつかないことばかりです。
だから、なまえさんのご両親であるみょうじさん達にお願いがあって、来ました。」
ジャンはそう言うと、もう一度、頭を下げた。
父が、片眉をピクリと上げる。その隣で、母は少し不安そうにしていた。
「今年が10年という約束の年だということは、なまえさんから聞きました。
でも、あと1年、俺が20になるまで待って貰えないでしょうか。」
「たったの1年待って、君が20になったからといって、何が変わるのかな。」
「その間に必ず、兵士としても男しても、
なまえさんに相応しいのは俺だと世界中に認めさせるような功績を残してみせます。」
頭を下げて続けたジャンのセリフはまるで、お姫様を愛した騎士みたいだった。
だから、隣に座るジャンの姿が、私の夢見る騎士の姿に変わっていく。
結婚どころか、愛し合うことすらも反対する王様に、お姫様に相応しい男になってみせると堂々と誓える彼は、お姫様にとって、誰よりも魅力的で、素敵で、やっぱり彼しかいないと思わされる。
そして、力強い彼のその姿に感激して、もっともっと好きになるのだ。
だからもし、この後、王様が『娘はやらん!』と首を横に振れば、2人はきっと駆け落ちしてしまう。
王様を怒らせ、城から追い出されてしまった騎士は、その日の夜、黒い馬に乗ってやって来る。
そして、部屋を抜け出してお城の外で待っていた私にそっと手を差し伸べるのだ。
『姫、覚悟は出来ましたか?』
騎士が私に訊ねる。
私は少し不安を抱きながらもコクリと頷く。
母が、父の手をとったように、私も、騎士の手をとる。
そして、愛し合う2人を乗せた黒い馬が駆けていく。
誰にも邪魔されない2人だけの幸せを築くために———。
「それが無理だとは言わない。
だがそのとき、君がまだ娘を想っているかは分からないだろう。」
父の声で、私はハッと現実の世界へと引き戻された。
そうだ。ここにいるのは騎士ではなくて、ジャンで、彼は私が調査兵団に残留できるように、恋人のフリをしてくれた補佐官だ。
隣に座っていた騎士が、ジャンの姿に戻った。
「それはご心配いりません。俺はずっと彼女を想い続けてきました。
この気持ちは生涯変わりませんし、1000年後も調査兵でいたいと願う彼女の夢が叶うのなら、
1000年後も俺が守り続けます。大切な娘さんに、傷ひとつつけないと誓います。」
1000年後も調査兵でいたいなんて、ジャンの前で言ったことがあるかも覚えていない、そんな叶うはずのない途方もない夢だった。
その頃にはもう人類が壁の中に囚われていないのが一番だと思っているし、それがいい。
それでも、1000年後も彼らと一緒にいたい———。
そんな恥ずかしい夢なんて、忘れてくれてよかったのに。
馬鹿な夢だと聞き流していてもおかしくないことを、ジャンがちゃんと胸に留めてくれていたことが、素直に嬉しかった。
だから、愛を誓う騎士みたいなセリフよりも、私はそのことが耳にくすぐったくて、緩む頬が恥ずかしくて俯いてしまった。
1000年後の愛まで誓ったジャンの言葉に、厳しく力の入っていた父の目が、柔らかく細められていく。
そして、その隣で、母が「まぁまぁっ。」と頬を両手で包んで、少女のようにはしゃぐ。
ジャンに顔を上げさせた後に、父は答える。
「それを聞いて安心した。君みたいなしっかりした男が
1000年後も娘のそばにいてくれるのなら、私達も心残りなく死ねそうだ。」
父が、ハハッと楽しそうに笑った。
すると、母が少し眉尻を下げた。そして、父の腕にそっと手を触れて甘えるように言う。
「死ぬなんていやよ、あなた。
あなたも1000年後も私を守ってくれなくちゃ困るわ。」
「君も1000年後も生きてるつもりなのか?
全く歳を取らないと思ったらそういうことだったのか。
いつまでも綺麗なままだから、おかしいと思っていたんだ。」
「まぁ、あなたったら。」
母が嬉しそうに頬を染める。
そして、とてもご機嫌で「ジャンくんからもらったお土産のお菓子を持ってくるわね。」と席を立ち、スキップしながらキッチンへ向かった。
父のことが大好きだと全身で表現する母は、娘の私から見ても、どんな彼女よりも一番可愛らしいと思う。
大好きな人に心から愛されて慈しむように大切にされている母は、昔から私の憧れのお姫様だ。
「私も手伝ってくるね。待ってて。」
ジャンにそう声をかけてから、私は母の華奢な背中を追いかけた。
「君もたまには、あぁしてご機嫌を取ることをお勧めするよ。
それだけで、私達の生活は潤うし、美味しいものが食べられる。
何より、女性というのは、褒められた分だけ綺麗になってくいく花のような生き物だからね。」
母と私の姿が見えなくなってから、父は悪戯っ子のような顔で、ジャンに言った。
すると、ジャンが、カウンターになっているキッチンの奥にいる私を見た。
不意に目が合った私は、何の話をしているかも知らないから、不思議に思って首を傾げる。
そんな私を見て、ジャンは苦笑しながら、口を開いて父に何かを答えていた。
「それは困りましたね。うっかり口が滑らないように気をつけます。
これ以上、彼女が綺麗になってしまったら、俺の後ろで、
今か今かとチャンスを狙ってる男達の列が、さらに長くなってしまいますから。」
「ほう、君もなかなかやるね。」
父が、顎を擦りながらニヤニヤと口の端を上げた。
「いえ、切実ですよ。俺のうなじは常に狙われているんで。」
「ハハ、それは怖い。壁内にいても、うかうか寝ていられないな。」
楽しそうな父の笑い声がキッチンにまで聞こえてきた。
一体、何がそんなに面白いのだろうか。
ティーカップに紅茶を注ぎながら、何の話をしているのだろうと零した私に、母が悪戯っ子のような顔をして教えてくれる。
「男の人っていうのはね、女が可愛く笑ってるだけでどんな苦労も喜んで越えられる単純な生き物なのよ。
だから、なまえも、ジャンくんの前では笑顔を絶やさないようにしなさいね。
そして、時々、涙を見せたり、拗ねたりすれば、完璧よ。世界一幸せにしてくれるわ。」
私みたいにね———。
母はそう言って、楽しそうに鼻歌を口ずさみながら、ジャンが買ってきたお土産を皿に並べだした。
いつものほほんと笑っている母の方が、頭の回転の速い父を操っていたのか。
彼女の方が、父よりも、何枚も上手だったらしい。
私はその日、幼い頃から憧れていたお姫様は、少なくとも、私の実家には存在していなかったことを知った。