◇第百三十六話◇守りたい人と守るべき想い(1)
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リヴァイがジャンとなまえの元へ辿り着いてすぐに、壁上から何かが落ちてきた。
なんとか受け取って確認すれば、2~3メートルほどの長さの縄だ。
「それを使って、ジャンの身体となまえさんを括り付けてください!
引き上げるのに役に立つはずです!」
壁上を見上げれば、サシャが大きな声で叫んでいるのが見えた。
そういうことか———とリヴァイも理解する。
上から垂らして引き上げるには長さが足りないが、ジャンとなまえの身体を固定するのには十分だ。
ジャンとなまえを縄で固定出来れば、リヴァイがひとりで二人を抱えるよりも安全だ。
だがまずは、なまえの容態の確認が先だ。
なまえの顔を覗き込んだリヴァイは、彼女の額に裂傷を見つける。
5㎝ほどの大きな傷だ。僅かに抉れた隙間から、真っ赤な血が流れ出ている。
顔色も悪いように見える。
「なまえ、聞こえるか。」
頬を軽く叩いてみるが、なまえから反応はない。
だが、静かな息遣いは聞こえている。
一体、どれくらいの強さで壁に激突してしまったのだろうか。
でも、処置をすればきっと大丈夫だ————今はそう信じるしかない。
「なにがなんでも壁にしがみついとけ。絶対落ちんじゃねぇぞ。」
リヴァイが、ジャンとなまえの身体に縄をまわしながら言う。
「これで俺の方がなまえさんを守れる男だって、分かりましたね。」
「…立体起動装置を壊して助けを求めてきたヤツが何言ってやがる。」
生意気な態度のジャンにそれらしいことを言い返してみたけれど、本当は痛いところをつかれていた。
あのとき、なまえに背を向けて立っていたリヴァイがジャンよりも先に、彼女の転落に気付くことは不可能だった。
タッチの差でジャンが先に彼女の元へ飛べたのはそのせいだ。
でもそんなものは、関係ない。
どんな状況であろうと、なまえを守れなければいけなかった。
「徹夜で立体起動装置を酷使させすぎなんすよ。」
こんなに簡単に壊れてしまう立体起動装置が悪いのだとジャンは不服そうに口を尖らせる。
平然とした顔で聞き流しながら、リヴァイはジャンとなまえの身体を縄で括り付けることに徹した。
そうしなければ今にも悔しさで叫びだしそうなのだということを、ジャンはほんのわずかにだって気づいていないのだろう。
もしかすると、結局はリヴァイの手を借りることになったことを悔しく思っているのかもしれない。
彼らの身体が絶対に離れてしまわないように堅結びをすると、リヴァイが顔を上げた。
そのときだった。
ジャンとなまえの体重を支えていたアンカーの切っ先が、重さに耐えきれずに抜けたのだ。
ガクッと勢いよくジャンが落ちていく。
「!!」
「ジャンさん!!」
リヴァイが驚いてすぐに、頭上からフレイヤの悲鳴のような声が聞こえた。
ひとつに固結びで繋がっているジャンとなまえが、呆気なく数メートル落ちていく。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
壁に刺していたアンカーを一気に引き抜いたリヴァイが、急降下して彼らを追いかける。
ジャンもまたこれ以上の落下を塞ごうと、抜けた切っ先を掴むと壁に突き立てた。
立体起動装置から発射されるアンカーのような勢いは自力では出せないものの、抜けた切っ先は壁に僅かにめり込んでいく。
石の壁を削りながらアンカーが滑り落ちていく嫌な音が大きく響いた。
だが、これで落ちていくスピードが格段に遅くなった。
今、ジャンがなんとか必死に踏ん張りながらも滑り落ちている場所は、さっき鎧の巨人が勢いよく滑り落ちていった箇所だ。
もしかすると、鎧の巨人の硬い皮膚で削られた壁が脆くなっていたのかもしれない。
アンカーが抜けてしまったのは鎧の巨人のせいで壁が脆弱してしまっていたからかもしれない。だが今度はその脆弱してしまった壁だったからこそジャンが自力でアンカーの切っ先を突き立てることが出来たのだろう。
それに、急降下していく勢いが加わり、うまく壁に突き刺さったままでいてくれるのだと思われる。
咄嗟のジャンの機転と運のおかげで、リヴァイは落ちていった彼らを捕まえることに成功した。
リヴァイがジャンの腕を捕まえてすぐに、頭上から息を呑んで状況を見守っていた調査兵達から感嘆の声が上がった。
「はぁ~~~~ぁ…。マジで死ぬかと思った…。
リヴァイ兵長になまえさんと身体を結んでもらっててよかったです…。
片腕で抱えるだけだったら、危なかったかも…。」
「それでも死んでも放すんじゃねぇ。」
「分かってますよ。」
ジャンがまた口を尖らせる。
まだ表情は強張ってはいるものの、落下しているときと比べれば当然少しは安心しているように見える。
けれど、リヴァイの表情は険しさを増していた。
ジャンを追いかけて飛んだ時のガスが噴射される音のせいだ。
(まずい。ガスの残量がもうほとんどねぇ。)
これ以上トラブルが起これば、それに対応する分のガスは残っていないかもしれない。
さっきジャンが落下してしまったことで眼下の巨人との距離がだいぶ縮まってしまった。
不幸中の幸いか、15m級の巨人が必死に手を伸ばしてもギリギリ届かない距離で止まることは出来たようだが、まだ予断は許さない。
このまま一気に頭上に飛び上がるのが最善か———。けれど、3人分の体重を持ち上げるのにはそれなりにガスを使用することになる。
万が一にも足りなかったら、3人仲良く巨人の巣へ真っ逆さまだ。
「リヴァイ!」
名前を呼ばれて、リヴァイは顔を上げた。
壁上との距離が開いたせいで、その表情までは確認することが出来ないが、名前を呼んだのはエルヴィンのようだ。
「5分待て!なんとかそこで堪えるんだ!
ガスを補充してすぐにミカサとエルドが向かう!!」
だから————。
エルヴィンは初めから、リヴァイの立体起動装置のガスが残り少ないことを分かっていたのだ。
なまえを救出にリヴァイが飛んだ時、エルヴィンが引き留めたのは、ガスを補充してから行けと伝えたかったのだろう。
冷静に考えれば、リヴァイでもわかったことだ。
途中、馬を利用はしたが、調査兵達は徹夜でほぼ休みなく立体起動装置で飛び続けた。
ジャンのトリガーが故障したように、長い時間使い過ぎた立体起動装置にもガタが来ているのだろう。
その上、精鋭兵として最後の最後まで鎧の巨人を追いかけていたリヴァイ班の立体起動装置のガスは、おそらくほとんど残っていない。
エルヴィンの判断を聞いてから行動するべきだった———だが、今さら後悔しても遅い。
今は、今の状況で最善の策をとるだけだ。
「了解だ!」
エルヴィンの指示に従い、リヴァイはミカサとエルドの到着を待つことにする。
「俺、まだここ握ってた方がいいっすか?
結構…、痛いんすけど。」
ジャンは、自分が壁に突き刺しているアンカーを見上げて言う。
壁に突き刺さるだけの鋭さのあるアンカーだ。
一応、リヴァイがジャンの腕を掴んで落下から防いでいるものの、ジャンは鋭いアンカーを自分となまえの身体を支える為に力強く握っている。
それは、ナイフを素手の状態で思いきり握りしめるようなものだ。
当然、彼の手は血だらけだ。
「好きにしろ。」
ジャンとなまえの2人分の体重が自分にかかることを覚悟して、リヴァイは彼の腕を握る手に力を込めた。
「嘘っすよ。
無駄にリヴァイ兵長を疲れさせて、3人全滅なんてことになったら洒落にならないでしょ。」
俺、重ぇし————最後にジャンはそう付け足したけれど、それは自分が高身長で筋肉質だということが言いたいのだろうか。
嫌味だろうか。悪口だろうか。
「・・・・・。」
なんだか苛ついて、リヴァイはジャンを睨みつけた。
目が合うと、すぐにジャンが目を逸らしてクツクツと笑う。
どうやら、確信犯らしい。
嫌味を言っている余裕があるのだから、アンカーを握る手はもう少し真っ赤に染まっても大丈夫そうだ。
「ガス、もうないんすか。」
「あぁ。」
「なんで補充してから来なかったんすか。」
「お前がすぐに助けに来てくれとピーピー喚いてたからだ。」
「リヴァイ兵長ってなまえさんのことになると周りが見えなくなりますよね。」
「お前にだけは言われたくねぇ。」
「———。
まだっすかね。」
「まだ2分も経ってねぇ。」
「なげぇな…。」
待っているだけだと、どうしてこんなにも時間が過ぎるのが遅いのだろう。
一緒に待つ相手がなまえなら、このまま時間が止まってしまえばいいのに———なんてよく思ったりしていたのに、彼女ではないだけで1分が1時間のように感じる。
その相手がジャンで、しかもこんなに危機迫った状況なら、尚更だ。
あと3分が永遠のように長く感じる気がした。
けれど、そんな心配は無用だとすぐに思い知ることになる。
「あ…!!」
驚いたような声を上げたのは、ジャンだった。
それとほぼ同時に、ジャンの腕を掴んでいたリヴァイも1mほど下に沈み込でしまった。
壁に突き立てたアンカーを強く握りしめて必死に堪えるジャンの足元を覗くと、すぐそこに大きな手を見つけた。
さっきからずっと手を伸ばしていた15m級の巨人が、ジャンプをしてなまえの脚を掴んだようだ。
「リヴァイ兵長…!!」
ジャンが名前を呼ぶ。
自分達がこのまま引きずり降ろされてしまう前に巨人を討伐してくれということだろう。
けれど、そうするのに十分なガスがないのだ。
「…!!」
巨人がなまえの脚を下に引っ張る。
その勢いで、アンカーを握っていたジャンの手が離れてしまった。
背中からジャンが落ちていく。まるで、スローモーションのようだった。
「捕まれ!!」
掴んでいたジャンの腕を引き上げながら、リヴァイが叫ぶ。
それに応えるようにジャンがすぐにリヴァイの腕を掴み返す。
なんとか助かったが、この状況にも限界がある。
なまえの脚を掴んだ巨人の力が、疲弊したジャンの負荷となって重くのしかかっているのだ。
いきなりのそれは、ジャンの体力と精神力を一気に奪った。
アンカーから手を放してしまったジャンは今、リヴァイに腕を捕まえてもらっていることでなんとか落下を免れている状態だ。
ガスが足りないという問題の前に、今、ジャンの手を放して巨人の討伐へは向かえない。
「まだなのか!」
「不具合が起きて思ったより時間がかかってます…!
あと5…3分待ってください!」
「クソ…ッ。」
聞こえてきたオルオの返事に、リヴァイからは思わず舌打ちが漏れる。
そのあと3分が待てない状態なのだ。
「誰か!ガスが残ってる奴はいねぇのか!」
リヴァイは叫んだ。
誰か一人くらいはいるはずだ。
精鋭兵の立体起動装置のガスはどれも似たようなものだろう。酷使し過ぎている。
では、護衛部隊の調査兵や怪我をしている調査兵の立体起動装置はどうだろうか。
残念ながら、護衛部隊のほとんどが精鋭兵だ。リヴァイと同じく、仲間を巨人から助けるために立体起動装置で飛び回っている。
怪我をしている調査兵もほとんどが、巨人から襲われたときの衝撃で立体起動装置が壊れてしまっていて使い物にならない。
そもそも、ガスが残っている立体起動装置があれば、エルヴィンがもっと早くに支援を送っている。
その上、数分前の状況とは違う。今はすぐそこに巨人がいる。
行って帰るだけのガスを補充できればいいという状況ではなくなってしまった。下手をしたら、助けに降りた調査兵まで命の危機に晒されることになる。
充分なガスを補充をするのは最低条件だろう。
でも、それを待ってやれる時間はもうリヴァイ達にはない。
「兵長…っ、どう…っ、するんすか…?」
リヴァイに腕を掴まれて、なんとかぶら下がっている状態のジャンももう限界なようだ。
なまえの脚が巨人に引っ張られる度に、固く結んだ縄が彼の腹に食い込んでいる。
このままだと、落下する前にジャンの上半身と下半身が2つに分割されてしまいそうだ。
「リヴァイ!」
頭上からエルヴィンの声がした。
けれど、リヴァイは見上げなかった。
エルヴィンの顔を見たくなかったのだ。
きっと彼は、何かを決意したような顔をしている———そんな気がした。
要するに、悪い予感がしたのだ。
胸を引き裂かれそうになる決断に迫られる度に、彼はそういう表情を見せる。
リヴァイも、幾度となくその場面に出くわしたことがある。
「お前が選べ。」
聞こえてきた指示に、リヴァイは表情を強張らせる。
今回は、彼の判断を仰ぐ前から、どうすることが最善策であるのかは分かっていた。
けれど、認めたくなかったのだ。
でももう、そうは言ってられないのも分かっている。
仕方がない。
今までだって、そうやって〝命〟の取捨選択をしてきたのだから———。
「ジャン、今から———。」
「俺は大丈夫です…!」
正解を導き出しながらもいまだに迷いのあるリヴァイの瞳を、ジャンの力強い瞳が真っすぐに見据える。
リヴァイの腕を掴むジャンの手は握力を無くし震えているし、腹の辺りは縄が食い込み擦れたせいでシャツが赤い血で滲んでいる。
大丈夫なわけがない。
このままでは、なまえが巨人に奪われた瞬間に、ジャンは死ぬ。
それなら———。
「時間がねぇ。今からお前となまえを繋ぐ縄を切る。」
「ダメっす・・・・!!」
力なんてもう入らなくなっていたはずだ。
けれど、ジャンはアンカーを掴んで出来たきり傷だらけの真っ赤な手でリヴァイの腕を捕まえた。
ブレードで縄を切ろうとしたリヴァイの手が止まる。
リヴァイの心にも迷いが生じる。
本当は、なまえを見捨てるようなことはしたくない。
けれど、このままの状態で何もせずにただじっとミカサとエルドを待っていれば、なまえは確実に巨人に喰われるだろう。そして、巨人がなまえの身体を引きずり下ろすことで、ジャンの命も危険に晒される。
巨人に喰われるか、それより先になまえと繋いで結んだ縄でジャンの身体がバラバラになかのどちらかだ。
最悪、3人とも巨人の腹の中ということもありうる。
ここで捨てるべきは、今、巨人に脚を掴まれているなまえ以外にない。
だからこそ、エルヴィンはリヴァイに選択の余地を与えたのだろう。
助けるべき仲間がどちらなのか、彼は分かっているはずなのに————。
いつだってそうだった。
誰かが助かる為には、誰かを諦めなければならない。
それが今回、なまえだった———それだけのことなのだ。
なんとか受け取って確認すれば、2~3メートルほどの長さの縄だ。
「それを使って、ジャンの身体となまえさんを括り付けてください!
引き上げるのに役に立つはずです!」
壁上を見上げれば、サシャが大きな声で叫んでいるのが見えた。
そういうことか———とリヴァイも理解する。
上から垂らして引き上げるには長さが足りないが、ジャンとなまえの身体を固定するのには十分だ。
ジャンとなまえを縄で固定出来れば、リヴァイがひとりで二人を抱えるよりも安全だ。
だがまずは、なまえの容態の確認が先だ。
なまえの顔を覗き込んだリヴァイは、彼女の額に裂傷を見つける。
5㎝ほどの大きな傷だ。僅かに抉れた隙間から、真っ赤な血が流れ出ている。
顔色も悪いように見える。
「なまえ、聞こえるか。」
頬を軽く叩いてみるが、なまえから反応はない。
だが、静かな息遣いは聞こえている。
一体、どれくらいの強さで壁に激突してしまったのだろうか。
でも、処置をすればきっと大丈夫だ————今はそう信じるしかない。
「なにがなんでも壁にしがみついとけ。絶対落ちんじゃねぇぞ。」
リヴァイが、ジャンとなまえの身体に縄をまわしながら言う。
「これで俺の方がなまえさんを守れる男だって、分かりましたね。」
「…立体起動装置を壊して助けを求めてきたヤツが何言ってやがる。」
生意気な態度のジャンにそれらしいことを言い返してみたけれど、本当は痛いところをつかれていた。
あのとき、なまえに背を向けて立っていたリヴァイがジャンよりも先に、彼女の転落に気付くことは不可能だった。
タッチの差でジャンが先に彼女の元へ飛べたのはそのせいだ。
でもそんなものは、関係ない。
どんな状況であろうと、なまえを守れなければいけなかった。
「徹夜で立体起動装置を酷使させすぎなんすよ。」
こんなに簡単に壊れてしまう立体起動装置が悪いのだとジャンは不服そうに口を尖らせる。
平然とした顔で聞き流しながら、リヴァイはジャンとなまえの身体を縄で括り付けることに徹した。
そうしなければ今にも悔しさで叫びだしそうなのだということを、ジャンはほんのわずかにだって気づいていないのだろう。
もしかすると、結局はリヴァイの手を借りることになったことを悔しく思っているのかもしれない。
彼らの身体が絶対に離れてしまわないように堅結びをすると、リヴァイが顔を上げた。
そのときだった。
ジャンとなまえの体重を支えていたアンカーの切っ先が、重さに耐えきれずに抜けたのだ。
ガクッと勢いよくジャンが落ちていく。
「!!」
「ジャンさん!!」
リヴァイが驚いてすぐに、頭上からフレイヤの悲鳴のような声が聞こえた。
ひとつに固結びで繋がっているジャンとなまえが、呆気なく数メートル落ちていく。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
壁に刺していたアンカーを一気に引き抜いたリヴァイが、急降下して彼らを追いかける。
ジャンもまたこれ以上の落下を塞ごうと、抜けた切っ先を掴むと壁に突き立てた。
立体起動装置から発射されるアンカーのような勢いは自力では出せないものの、抜けた切っ先は壁に僅かにめり込んでいく。
石の壁を削りながらアンカーが滑り落ちていく嫌な音が大きく響いた。
だが、これで落ちていくスピードが格段に遅くなった。
今、ジャンがなんとか必死に踏ん張りながらも滑り落ちている場所は、さっき鎧の巨人が勢いよく滑り落ちていった箇所だ。
もしかすると、鎧の巨人の硬い皮膚で削られた壁が脆くなっていたのかもしれない。
アンカーが抜けてしまったのは鎧の巨人のせいで壁が脆弱してしまっていたからかもしれない。だが今度はその脆弱してしまった壁だったからこそジャンが自力でアンカーの切っ先を突き立てることが出来たのだろう。
それに、急降下していく勢いが加わり、うまく壁に突き刺さったままでいてくれるのだと思われる。
咄嗟のジャンの機転と運のおかげで、リヴァイは落ちていった彼らを捕まえることに成功した。
リヴァイがジャンの腕を捕まえてすぐに、頭上から息を呑んで状況を見守っていた調査兵達から感嘆の声が上がった。
「はぁ~~~~ぁ…。マジで死ぬかと思った…。
リヴァイ兵長になまえさんと身体を結んでもらっててよかったです…。
片腕で抱えるだけだったら、危なかったかも…。」
「それでも死んでも放すんじゃねぇ。」
「分かってますよ。」
ジャンがまた口を尖らせる。
まだ表情は強張ってはいるものの、落下しているときと比べれば当然少しは安心しているように見える。
けれど、リヴァイの表情は険しさを増していた。
ジャンを追いかけて飛んだ時のガスが噴射される音のせいだ。
(まずい。ガスの残量がもうほとんどねぇ。)
これ以上トラブルが起これば、それに対応する分のガスは残っていないかもしれない。
さっきジャンが落下してしまったことで眼下の巨人との距離がだいぶ縮まってしまった。
不幸中の幸いか、15m級の巨人が必死に手を伸ばしてもギリギリ届かない距離で止まることは出来たようだが、まだ予断は許さない。
このまま一気に頭上に飛び上がるのが最善か———。けれど、3人分の体重を持ち上げるのにはそれなりにガスを使用することになる。
万が一にも足りなかったら、3人仲良く巨人の巣へ真っ逆さまだ。
「リヴァイ!」
名前を呼ばれて、リヴァイは顔を上げた。
壁上との距離が開いたせいで、その表情までは確認することが出来ないが、名前を呼んだのはエルヴィンのようだ。
「5分待て!なんとかそこで堪えるんだ!
ガスを補充してすぐにミカサとエルドが向かう!!」
だから————。
エルヴィンは初めから、リヴァイの立体起動装置のガスが残り少ないことを分かっていたのだ。
なまえを救出にリヴァイが飛んだ時、エルヴィンが引き留めたのは、ガスを補充してから行けと伝えたかったのだろう。
冷静に考えれば、リヴァイでもわかったことだ。
途中、馬を利用はしたが、調査兵達は徹夜でほぼ休みなく立体起動装置で飛び続けた。
ジャンのトリガーが故障したように、長い時間使い過ぎた立体起動装置にもガタが来ているのだろう。
その上、精鋭兵として最後の最後まで鎧の巨人を追いかけていたリヴァイ班の立体起動装置のガスは、おそらくほとんど残っていない。
エルヴィンの判断を聞いてから行動するべきだった———だが、今さら後悔しても遅い。
今は、今の状況で最善の策をとるだけだ。
「了解だ!」
エルヴィンの指示に従い、リヴァイはミカサとエルドの到着を待つことにする。
「俺、まだここ握ってた方がいいっすか?
結構…、痛いんすけど。」
ジャンは、自分が壁に突き刺しているアンカーを見上げて言う。
壁に突き刺さるだけの鋭さのあるアンカーだ。
一応、リヴァイがジャンの腕を掴んで落下から防いでいるものの、ジャンは鋭いアンカーを自分となまえの身体を支える為に力強く握っている。
それは、ナイフを素手の状態で思いきり握りしめるようなものだ。
当然、彼の手は血だらけだ。
「好きにしろ。」
ジャンとなまえの2人分の体重が自分にかかることを覚悟して、リヴァイは彼の腕を握る手に力を込めた。
「嘘っすよ。
無駄にリヴァイ兵長を疲れさせて、3人全滅なんてことになったら洒落にならないでしょ。」
俺、重ぇし————最後にジャンはそう付け足したけれど、それは自分が高身長で筋肉質だということが言いたいのだろうか。
嫌味だろうか。悪口だろうか。
「・・・・・。」
なんだか苛ついて、リヴァイはジャンを睨みつけた。
目が合うと、すぐにジャンが目を逸らしてクツクツと笑う。
どうやら、確信犯らしい。
嫌味を言っている余裕があるのだから、アンカーを握る手はもう少し真っ赤に染まっても大丈夫そうだ。
「ガス、もうないんすか。」
「あぁ。」
「なんで補充してから来なかったんすか。」
「お前がすぐに助けに来てくれとピーピー喚いてたからだ。」
「リヴァイ兵長ってなまえさんのことになると周りが見えなくなりますよね。」
「お前にだけは言われたくねぇ。」
「———。
まだっすかね。」
「まだ2分も経ってねぇ。」
「なげぇな…。」
待っているだけだと、どうしてこんなにも時間が過ぎるのが遅いのだろう。
一緒に待つ相手がなまえなら、このまま時間が止まってしまえばいいのに———なんてよく思ったりしていたのに、彼女ではないだけで1分が1時間のように感じる。
その相手がジャンで、しかもこんなに危機迫った状況なら、尚更だ。
あと3分が永遠のように長く感じる気がした。
けれど、そんな心配は無用だとすぐに思い知ることになる。
「あ…!!」
驚いたような声を上げたのは、ジャンだった。
それとほぼ同時に、ジャンの腕を掴んでいたリヴァイも1mほど下に沈み込でしまった。
壁に突き立てたアンカーを強く握りしめて必死に堪えるジャンの足元を覗くと、すぐそこに大きな手を見つけた。
さっきからずっと手を伸ばしていた15m級の巨人が、ジャンプをしてなまえの脚を掴んだようだ。
「リヴァイ兵長…!!」
ジャンが名前を呼ぶ。
自分達がこのまま引きずり降ろされてしまう前に巨人を討伐してくれということだろう。
けれど、そうするのに十分なガスがないのだ。
「…!!」
巨人がなまえの脚を下に引っ張る。
その勢いで、アンカーを握っていたジャンの手が離れてしまった。
背中からジャンが落ちていく。まるで、スローモーションのようだった。
「捕まれ!!」
掴んでいたジャンの腕を引き上げながら、リヴァイが叫ぶ。
それに応えるようにジャンがすぐにリヴァイの腕を掴み返す。
なんとか助かったが、この状況にも限界がある。
なまえの脚を掴んだ巨人の力が、疲弊したジャンの負荷となって重くのしかかっているのだ。
いきなりのそれは、ジャンの体力と精神力を一気に奪った。
アンカーから手を放してしまったジャンは今、リヴァイに腕を捕まえてもらっていることでなんとか落下を免れている状態だ。
ガスが足りないという問題の前に、今、ジャンの手を放して巨人の討伐へは向かえない。
「まだなのか!」
「不具合が起きて思ったより時間がかかってます…!
あと5…3分待ってください!」
「クソ…ッ。」
聞こえてきたオルオの返事に、リヴァイからは思わず舌打ちが漏れる。
そのあと3分が待てない状態なのだ。
「誰か!ガスが残ってる奴はいねぇのか!」
リヴァイは叫んだ。
誰か一人くらいはいるはずだ。
精鋭兵の立体起動装置のガスはどれも似たようなものだろう。酷使し過ぎている。
では、護衛部隊の調査兵や怪我をしている調査兵の立体起動装置はどうだろうか。
残念ながら、護衛部隊のほとんどが精鋭兵だ。リヴァイと同じく、仲間を巨人から助けるために立体起動装置で飛び回っている。
怪我をしている調査兵もほとんどが、巨人から襲われたときの衝撃で立体起動装置が壊れてしまっていて使い物にならない。
そもそも、ガスが残っている立体起動装置があれば、エルヴィンがもっと早くに支援を送っている。
その上、数分前の状況とは違う。今はすぐそこに巨人がいる。
行って帰るだけのガスを補充できればいいという状況ではなくなってしまった。下手をしたら、助けに降りた調査兵まで命の危機に晒されることになる。
充分なガスを補充をするのは最低条件だろう。
でも、それを待ってやれる時間はもうリヴァイ達にはない。
「兵長…っ、どう…っ、するんすか…?」
リヴァイに腕を掴まれて、なんとかぶら下がっている状態のジャンももう限界なようだ。
なまえの脚が巨人に引っ張られる度に、固く結んだ縄が彼の腹に食い込んでいる。
このままだと、落下する前にジャンの上半身と下半身が2つに分割されてしまいそうだ。
「リヴァイ!」
頭上からエルヴィンの声がした。
けれど、リヴァイは見上げなかった。
エルヴィンの顔を見たくなかったのだ。
きっと彼は、何かを決意したような顔をしている———そんな気がした。
要するに、悪い予感がしたのだ。
胸を引き裂かれそうになる決断に迫られる度に、彼はそういう表情を見せる。
リヴァイも、幾度となくその場面に出くわしたことがある。
「お前が選べ。」
聞こえてきた指示に、リヴァイは表情を強張らせる。
今回は、彼の判断を仰ぐ前から、どうすることが最善策であるのかは分かっていた。
けれど、認めたくなかったのだ。
でももう、そうは言ってられないのも分かっている。
仕方がない。
今までだって、そうやって〝命〟の取捨選択をしてきたのだから———。
「ジャン、今から———。」
「俺は大丈夫です…!」
正解を導き出しながらもいまだに迷いのあるリヴァイの瞳を、ジャンの力強い瞳が真っすぐに見据える。
リヴァイの腕を掴むジャンの手は握力を無くし震えているし、腹の辺りは縄が食い込み擦れたせいでシャツが赤い血で滲んでいる。
大丈夫なわけがない。
このままでは、なまえが巨人に奪われた瞬間に、ジャンは死ぬ。
それなら———。
「時間がねぇ。今からお前となまえを繋ぐ縄を切る。」
「ダメっす・・・・!!」
力なんてもう入らなくなっていたはずだ。
けれど、ジャンはアンカーを掴んで出来たきり傷だらけの真っ赤な手でリヴァイの腕を捕まえた。
ブレードで縄を切ろうとしたリヴァイの手が止まる。
リヴァイの心にも迷いが生じる。
本当は、なまえを見捨てるようなことはしたくない。
けれど、このままの状態で何もせずにただじっとミカサとエルドを待っていれば、なまえは確実に巨人に喰われるだろう。そして、巨人がなまえの身体を引きずり下ろすことで、ジャンの命も危険に晒される。
巨人に喰われるか、それより先になまえと繋いで結んだ縄でジャンの身体がバラバラになかのどちらかだ。
最悪、3人とも巨人の腹の中ということもありうる。
ここで捨てるべきは、今、巨人に脚を掴まれているなまえ以外にない。
だからこそ、エルヴィンはリヴァイに選択の余地を与えたのだろう。
助けるべき仲間がどちらなのか、彼は分かっているはずなのに————。
いつだってそうだった。
誰かが助かる為には、誰かを諦めなければならない。
それが今回、なまえだった———それだけのことなのだ。