◇第百三十三話◇醜くてバカで美しい人達
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「走れ!!!」
不意に、力強い叫びが聞こえて、フレイヤは声のした方へと視線を向けた。
叫んでいたのはなまえだった。いつの間にか愛馬に乗っていたらしい彼女は、慣れた仕草で馬の腹を蹴っては、声を張り上げている。
彼女の声に反応して、ほとんど不眠の状態で鎧の巨人を追いかけて疲弊していた若い調査兵達が、慌てたように愛馬で駆け出す。
「振り返らず、走れ!!!壁まで休むな!!
走れぇええええええええ!!!」
なまえが叫ぶ。
腹の底から、叫ぶ。
いつもおっとりしていて、ふわふわしていて、本当にお姫様みたいに苦労も何も知らない顔で微笑んでいたなまえが、悪魔みたいに怖い顔で、叫ぶ。
その大きな声はまるで地鳴りのように響いて、調査兵達の耳に、頭に、心に届く。
調査兵達が走る。飛び上がる。壁を目指して、駆けていく。
「あ…。」
走るスピードを上げていく調査兵達の背中を荷馬車は追いかけていた。
時々、巨人に襲われている若い調査兵をなまえ率いる数名の精鋭兵達が救出に向かっている。
その間もずっと、なまえは叫んでいた。怖い顔で叫び続けていた。
そして、フレイヤは漸く気づく。
『構うな!!振り返るな!!前を向いて走れ!!』
あのとき、ミケはそう叫んだ。
その瞬間に、フレイヤは、無垢の巨人さえ討伐出来ない実力不足の調査兵達は、幹部に見放されたのだと思った。
でも、なまえが助けてくれた。
自分達以外にも、巨人に襲われている調査兵は、なまえや精鋭兵達が助けている。
だから、怪我はしていても誰も死んでいない。
(そうか…、ミケさんは、知ってたんだ…。)
なまえがゴリ押ししたという救出作戦をミケが知らないわけがない。
だから、ミケは、襲われた新兵の命をなまえやその他の精鋭兵に任せた。
そして自分は、今、無事でいる調査兵を安全な壁へと急がせて守ったのだ。
自分達は、見放されてなどいなかった。
ちゃんと守られていた。
要らないだなんて、誰も思っていなかった———。
『汚ぇだけの役立たずめ!
お前らみてぇなヤツのせいで、俺達の食いぶちまで減るんだ!!
早く死んでくれ!!』
頭の奥に押し込んでいたはずの記憶から、悪意しか込められていない声が蘇る。
ひとりではない。何人もいた。
ただ醜いというだけで、生きることさえ許してもらえなかった。
そしたら、本当に妹が死んだ。
ウォール・マリアの小さな田舎町を突然襲った悲劇は、幼いフレイヤから両親を奪っただけでなく、妹さえも殺したのだ。
贔屓目なしに可愛い妹だった。くるくるとした大きな瞳と桃色の頬、ぷっくりとした唇と愛嬌のある笑顔は、大人達をいつも笑顔にしていた。まるでお人形のような容姿だと近所でも評判だった。
そんな彼女が、醜いと罵られて死んだ。醜いから死んだ。食べ物を与えてもらえずに、死んだ。
幼い少女の死因には様々な理由があったのだろう。
けれど、醜いままでは生きることさえ許してもらえなのだとフレイヤの心の奥に事実として植えつけるには、妹の死というのは十分すぎる出来事だったのだ。
だから、フレイヤは美しくならなければならなかった。
悲しいことに、妹が死んだことで漸く大人達がフレイヤを保護したことで、なんとか生き永らえることが出来た。
風呂に入り、出来る限り綺麗な服を着て、精一杯の笑顔を作った。愛嬌も覚えた。甘えた声の出し方も知った。切ない涙の流し方も学んだ。
そしたら、人生は簡単になった。大人は『可哀想に。』と涙を流すし、男は『自分こそが君を守ろう。』と盾になってくれた。
死にたくなかった。妹みたいに惨めに、死にたくなかった。
だから、生きていくために美しくあろうとしたのに、調査兵団に入団したらなまえがいた。
一目見て、なまえは自分よりも美しいことが分かった。
認めたくないのに、頭が理解していた。
凛とした立ち姿や、ふわふわと微笑む天使のような笑み、白く細い手足が躍るように揺れる仕草は、容易く人の目を奪った。
さらには、貴族出身で憲兵OBの両親を持つ本物のお姫様でもある。
張りぼてでも、付け焼刃でもなんでもない。本物の美しさを持って生まれたなまえには、どう足掻いたって敵わない。
—美しくないと、生きていちゃいけないのに…!
けれど、どうだろうか。
酷い顔をしていたフレイヤを、ジャンは助けてくれた。サシャは『尊敬する。』とまで言って怪我の心配をしてくれた。
フレイヤが、その美しさを妬んだなまえは今、仲間を救うために、愛馬と駆けてあちこち飛び回っては、長い髪を振り乱し、一心不乱にブレードを振るう。
汗で頬に張り付いた髪が口に入ろうがお構いなしだ。誰のものかも分からない血が、頭にも顔にも兵団服にもべっとりついているし、さっきは巨人から胃液のようなものまでぶちまけられていた。
それでも、表情を一切変えず、感情を忘れたかのように飛び回るその姿からは狂気すら感じる。
今のなまえを見て、美しいと呼ぶ人はいないだろう。いたとしても、ジャンやリヴァイくらいなものだ。
けれど、何故かすごく胸が締め付けられた。
ひどく苦しくて、今すぐナイフで胸元を引き裂いて、心臓を掻きむしりたくなる。
「うぁ…ぁああああん…っ。」
気付いたら、声を上げて泣いていた。
人生において信じて来たものがすべて崩れ去っていく、大きな音が響いている。
それがショックなのか、悲しいのか。それとも安心したのか、自分でも分からない。
けれど、涙が溢れるのだ。
妹が死んだときも、両親が巨人に喰われたときも、唇を噛んで呑み込んでいた涙が、今この時を待っていたと叫んでいるみたいに、溢れ出してくる。
「どうしたんですか!?やっぱりどこか怪我をしてたんですか!?
ジャン!ちゃんと彼女を守らなかったんですか!?」
「は!?え!?俺はちゃんと間に合ったはず——。」
「うわぁああーー-んっ。痛いよぉぉおおっ。痛いいいいいっ。
もうやだぁぁあああっ。なんで、私ばっかりぃいいいいっ。」
「ほらぁああ!!痛いって彼女も言ってるじゃないですか!!
カッコつけて、俺がフレイヤに行きます!とか言ってたくせに!!
カッコつけて!!」
「っっせぇな!!カッコつけてを二回言わなくてもいいだろ!!
…フレイヤ、怪我したのか?どこだ?ほんと…悪かった。痛ぇ思いさせて…。」
「わぁあああんっ。ジャンさんが謝ったぁぁあっ。
そこじゃないいいいっ、そこじゃないのにぃぃっ。
ずー-っと痛かったのにぃぃぃっ、ジャンさんのせいでぇぇええっ。」
「ほら!!やっぱりジャンのせいじゃないですか!!」
「うわぁああー------ん!!」
サシャとジャンは、ワーワーと喚きながら、フレイヤの怪我を探す。
でも、身体のどこを探しても、傷ひとつ見つかるわけがない。
ジャンは、ちゃんと守ってくれた。見向きもしてくれなかったくせに突き放すことだけはしてきた冷たいその腕で、抱きしめてくれた。
その腕が、凄く暖かったせいで、痛いのだ。
ずっと忘れていたけれど、心の奥のずっと奥で、完治せずにずっと放置され続けていた傷があった。その中に、確かにジャンがつけた真新しい傷がある。
失恋の傷だ。
そう、それは、失恋の傷だ。
(あぁ、そうか…。私、失恋したんだ…。)
唐突に、分かりきっていたはずのことを理解した。
好きで好きで仕方のない人に、振り向いてもらえなかった。
好きで好きで仕方のない人には、好きで好きで仕方のない人がいた。
よくあるありふれた恋の結末だ。
(私、ジャンさんに恋してた。大好きだったのに———。)
涙が溢れる。胸が苦しくなる。
息が苦しい。悲しい。でもなぜだろう。すごく温かい。
胸が温かくて、泣けてくる。
フレイヤは、俯いた格好で両手で顔を覆い、泣いた。
子供みたいに泣き喚くフレイヤを、サシャとジャンが両側から必死に宥める。
エルヴィン達が見ているのとはまた違う種類の地獄絵図だ。
「なんだジャン、ちゃんと守ってやれなかったのかよ。
カッコつけて、俺なら行けます!とか言ってたくせによぉ。馬のくせに。」
「ユミル、ジャンを責めちゃだめだよ。ジャンなりに頑張ったんだから。
馬だって男の子なんだから、少しくらいカッコつけたいときもあるよ。
でもね、ジャン。それならちゃんと女の子は守らなくちゃダメだよ?」
泣き喚くフレイヤをジャンとサシャでなだめる向こうから、2つの声が聞こえてきた。
あまり関りがなかったから馴染みはないけれど、いつも一緒にいる姿がなんとなく印象的でよく覚えてる。
ユミルとクリスタの声だ。
彼女達の乗る荷馬車が、いつの間にか並走しているようだ。
「今度からは、メスの馬と人参を用意しましょう!
そうすれば、ジャンのスピードももっと上がるはずです!!馬ですから!!」
「そうだな、馬だしな。」
「そうだね、馬だもん。」
「馬じゃねぇ!!!」
怒りのままにジャンが声を張り上げる。
この荷馬車の向こうでは鎧の巨人を追いかけて、団長のエルヴィンを先頭に仲間が命を削って戦っている。
すぐそこでは、なまえや数名の精鋭兵達が、巨人に襲われている仲間を命懸けで助けに向かっている。
でも、顔を両手で覆って子供のように泣き喚くフレイヤの頭上では、子供でもやらないようなくだらない言い争いの声が続いている。
この人たちは一体何をしているのだろう。
自分は一体何を泣いているのだろう。
バカみたい————。
「バカみたい…。」
気づけば、心の声が漏れていた。
でも、馬だのカッコつけだの人参だのと騒いでいる彼らには聞こえなかったようだ。
飽きもせずに、馬鹿みたいに騒いでいる。
ゆっくりと顔を上げると、クリスタの乗る荷馬車が並走しているのが視線に入った。
なまえに助けてもらった同期の女が、呆気にとられた顔でジャン達を見ている。
血の気が引き真っ青だった表情は、フレイヤがよく知る彼女のものに戻っていた。
(…!)
不意に、彼女と目が合った。
何と言えばいいか、どんな顔をすればいいか分からなかった。
でも、言葉は要らなかったらしい。
彼女が躊躇いがちに上げた右手が、ぎこちなくピースサインを作るから、フレイヤも真似てピースを送ってみる。
一瞬、彼女は驚いた顔をして目を見開く。
そしてすぐに、ひどく嬉しそうに顔をクシャリと潰した後に悪戯っ子のようにニシシと笑う。
荷馬車に合わせて揺れる彼女のピースサインは、よく見るとマメだらけだ。
「うるせぇな!!俺はお前らのくだらねぇ話に付き合ってやれるほど暇じゃねぇんだよ!」
「カッコつけて、なまえにアピールするのに忙しいからなぁ。」
「そっか!そうだよね!今はなまえさんへのアピールチャンスだもんね!頑張ってね!!」
「みんなが必死に戦ってるこんなに大変なときに、
ジャンはなまえへのアピールチャンスだと思っていたんですか!?最低ですね!!
軽蔑します!!心底!!」
「ちっげぇええよ!!勝手なこと言って、勝手に軽蔑してんじゃねぇよ!!」
それにしてもジャン達は騒がしい。
104期が先輩調査兵達から煙たがられている理由を嫌という程に理解する。
(私もこんな風に、いつか誰かと…。)
自分でも想像もしたこともなかったことを思いながら、無意識にフレイヤが目を向けたのは、ジャン達を前にして困ったように眉尻を下げている同期の彼女だった。
ジャン達の騒がしい声を聞き流しながら、フレイヤは、あのときどうして自分が彼女を守ろうとしたのか、なんとなく分かった気がした。
(よかった…。)
生きていてよかった。
同期が減らずに済んでよかった。
彼女が死ななくてよかった。
友人が、生きていてよかった————。
不意に、力強い叫びが聞こえて、フレイヤは声のした方へと視線を向けた。
叫んでいたのはなまえだった。いつの間にか愛馬に乗っていたらしい彼女は、慣れた仕草で馬の腹を蹴っては、声を張り上げている。
彼女の声に反応して、ほとんど不眠の状態で鎧の巨人を追いかけて疲弊していた若い調査兵達が、慌てたように愛馬で駆け出す。
「振り返らず、走れ!!!壁まで休むな!!
走れぇええええええええ!!!」
なまえが叫ぶ。
腹の底から、叫ぶ。
いつもおっとりしていて、ふわふわしていて、本当にお姫様みたいに苦労も何も知らない顔で微笑んでいたなまえが、悪魔みたいに怖い顔で、叫ぶ。
その大きな声はまるで地鳴りのように響いて、調査兵達の耳に、頭に、心に届く。
調査兵達が走る。飛び上がる。壁を目指して、駆けていく。
「あ…。」
走るスピードを上げていく調査兵達の背中を荷馬車は追いかけていた。
時々、巨人に襲われている若い調査兵をなまえ率いる数名の精鋭兵達が救出に向かっている。
その間もずっと、なまえは叫んでいた。怖い顔で叫び続けていた。
そして、フレイヤは漸く気づく。
『構うな!!振り返るな!!前を向いて走れ!!』
あのとき、ミケはそう叫んだ。
その瞬間に、フレイヤは、無垢の巨人さえ討伐出来ない実力不足の調査兵達は、幹部に見放されたのだと思った。
でも、なまえが助けてくれた。
自分達以外にも、巨人に襲われている調査兵は、なまえや精鋭兵達が助けている。
だから、怪我はしていても誰も死んでいない。
(そうか…、ミケさんは、知ってたんだ…。)
なまえがゴリ押ししたという救出作戦をミケが知らないわけがない。
だから、ミケは、襲われた新兵の命をなまえやその他の精鋭兵に任せた。
そして自分は、今、無事でいる調査兵を安全な壁へと急がせて守ったのだ。
自分達は、見放されてなどいなかった。
ちゃんと守られていた。
要らないだなんて、誰も思っていなかった———。
『汚ぇだけの役立たずめ!
お前らみてぇなヤツのせいで、俺達の食いぶちまで減るんだ!!
早く死んでくれ!!』
頭の奥に押し込んでいたはずの記憶から、悪意しか込められていない声が蘇る。
ひとりではない。何人もいた。
ただ醜いというだけで、生きることさえ許してもらえなかった。
そしたら、本当に妹が死んだ。
ウォール・マリアの小さな田舎町を突然襲った悲劇は、幼いフレイヤから両親を奪っただけでなく、妹さえも殺したのだ。
贔屓目なしに可愛い妹だった。くるくるとした大きな瞳と桃色の頬、ぷっくりとした唇と愛嬌のある笑顔は、大人達をいつも笑顔にしていた。まるでお人形のような容姿だと近所でも評判だった。
そんな彼女が、醜いと罵られて死んだ。醜いから死んだ。食べ物を与えてもらえずに、死んだ。
幼い少女の死因には様々な理由があったのだろう。
けれど、醜いままでは生きることさえ許してもらえなのだとフレイヤの心の奥に事実として植えつけるには、妹の死というのは十分すぎる出来事だったのだ。
だから、フレイヤは美しくならなければならなかった。
悲しいことに、妹が死んだことで漸く大人達がフレイヤを保護したことで、なんとか生き永らえることが出来た。
風呂に入り、出来る限り綺麗な服を着て、精一杯の笑顔を作った。愛嬌も覚えた。甘えた声の出し方も知った。切ない涙の流し方も学んだ。
そしたら、人生は簡単になった。大人は『可哀想に。』と涙を流すし、男は『自分こそが君を守ろう。』と盾になってくれた。
死にたくなかった。妹みたいに惨めに、死にたくなかった。
だから、生きていくために美しくあろうとしたのに、調査兵団に入団したらなまえがいた。
一目見て、なまえは自分よりも美しいことが分かった。
認めたくないのに、頭が理解していた。
凛とした立ち姿や、ふわふわと微笑む天使のような笑み、白く細い手足が躍るように揺れる仕草は、容易く人の目を奪った。
さらには、貴族出身で憲兵OBの両親を持つ本物のお姫様でもある。
張りぼてでも、付け焼刃でもなんでもない。本物の美しさを持って生まれたなまえには、どう足掻いたって敵わない。
—美しくないと、生きていちゃいけないのに…!
けれど、どうだろうか。
酷い顔をしていたフレイヤを、ジャンは助けてくれた。サシャは『尊敬する。』とまで言って怪我の心配をしてくれた。
フレイヤが、その美しさを妬んだなまえは今、仲間を救うために、愛馬と駆けてあちこち飛び回っては、長い髪を振り乱し、一心不乱にブレードを振るう。
汗で頬に張り付いた髪が口に入ろうがお構いなしだ。誰のものかも分からない血が、頭にも顔にも兵団服にもべっとりついているし、さっきは巨人から胃液のようなものまでぶちまけられていた。
それでも、表情を一切変えず、感情を忘れたかのように飛び回るその姿からは狂気すら感じる。
今のなまえを見て、美しいと呼ぶ人はいないだろう。いたとしても、ジャンやリヴァイくらいなものだ。
けれど、何故かすごく胸が締め付けられた。
ひどく苦しくて、今すぐナイフで胸元を引き裂いて、心臓を掻きむしりたくなる。
「うぁ…ぁああああん…っ。」
気付いたら、声を上げて泣いていた。
人生において信じて来たものがすべて崩れ去っていく、大きな音が響いている。
それがショックなのか、悲しいのか。それとも安心したのか、自分でも分からない。
けれど、涙が溢れるのだ。
妹が死んだときも、両親が巨人に喰われたときも、唇を噛んで呑み込んでいた涙が、今この時を待っていたと叫んでいるみたいに、溢れ出してくる。
「どうしたんですか!?やっぱりどこか怪我をしてたんですか!?
ジャン!ちゃんと彼女を守らなかったんですか!?」
「は!?え!?俺はちゃんと間に合ったはず——。」
「うわぁああーー-んっ。痛いよぉぉおおっ。痛いいいいいっ。
もうやだぁぁあああっ。なんで、私ばっかりぃいいいいっ。」
「ほらぁああ!!痛いって彼女も言ってるじゃないですか!!
カッコつけて、俺がフレイヤに行きます!とか言ってたくせに!!
カッコつけて!!」
「っっせぇな!!カッコつけてを二回言わなくてもいいだろ!!
…フレイヤ、怪我したのか?どこだ?ほんと…悪かった。痛ぇ思いさせて…。」
「わぁあああんっ。ジャンさんが謝ったぁぁあっ。
そこじゃないいいいっ、そこじゃないのにぃぃっ。
ずー-っと痛かったのにぃぃぃっ、ジャンさんのせいでぇぇええっ。」
「ほら!!やっぱりジャンのせいじゃないですか!!」
「うわぁああー------ん!!」
サシャとジャンは、ワーワーと喚きながら、フレイヤの怪我を探す。
でも、身体のどこを探しても、傷ひとつ見つかるわけがない。
ジャンは、ちゃんと守ってくれた。見向きもしてくれなかったくせに突き放すことだけはしてきた冷たいその腕で、抱きしめてくれた。
その腕が、凄く暖かったせいで、痛いのだ。
ずっと忘れていたけれど、心の奥のずっと奥で、完治せずにずっと放置され続けていた傷があった。その中に、確かにジャンがつけた真新しい傷がある。
失恋の傷だ。
そう、それは、失恋の傷だ。
(あぁ、そうか…。私、失恋したんだ…。)
唐突に、分かりきっていたはずのことを理解した。
好きで好きで仕方のない人に、振り向いてもらえなかった。
好きで好きで仕方のない人には、好きで好きで仕方のない人がいた。
よくあるありふれた恋の結末だ。
(私、ジャンさんに恋してた。大好きだったのに———。)
涙が溢れる。胸が苦しくなる。
息が苦しい。悲しい。でもなぜだろう。すごく温かい。
胸が温かくて、泣けてくる。
フレイヤは、俯いた格好で両手で顔を覆い、泣いた。
子供みたいに泣き喚くフレイヤを、サシャとジャンが両側から必死に宥める。
エルヴィン達が見ているのとはまた違う種類の地獄絵図だ。
「なんだジャン、ちゃんと守ってやれなかったのかよ。
カッコつけて、俺なら行けます!とか言ってたくせによぉ。馬のくせに。」
「ユミル、ジャンを責めちゃだめだよ。ジャンなりに頑張ったんだから。
馬だって男の子なんだから、少しくらいカッコつけたいときもあるよ。
でもね、ジャン。それならちゃんと女の子は守らなくちゃダメだよ?」
泣き喚くフレイヤをジャンとサシャでなだめる向こうから、2つの声が聞こえてきた。
あまり関りがなかったから馴染みはないけれど、いつも一緒にいる姿がなんとなく印象的でよく覚えてる。
ユミルとクリスタの声だ。
彼女達の乗る荷馬車が、いつの間にか並走しているようだ。
「今度からは、メスの馬と人参を用意しましょう!
そうすれば、ジャンのスピードももっと上がるはずです!!馬ですから!!」
「そうだな、馬だしな。」
「そうだね、馬だもん。」
「馬じゃねぇ!!!」
怒りのままにジャンが声を張り上げる。
この荷馬車の向こうでは鎧の巨人を追いかけて、団長のエルヴィンを先頭に仲間が命を削って戦っている。
すぐそこでは、なまえや数名の精鋭兵達が、巨人に襲われている仲間を命懸けで助けに向かっている。
でも、顔を両手で覆って子供のように泣き喚くフレイヤの頭上では、子供でもやらないようなくだらない言い争いの声が続いている。
この人たちは一体何をしているのだろう。
自分は一体何を泣いているのだろう。
バカみたい————。
「バカみたい…。」
気づけば、心の声が漏れていた。
でも、馬だのカッコつけだの人参だのと騒いでいる彼らには聞こえなかったようだ。
飽きもせずに、馬鹿みたいに騒いでいる。
ゆっくりと顔を上げると、クリスタの乗る荷馬車が並走しているのが視線に入った。
なまえに助けてもらった同期の女が、呆気にとられた顔でジャン達を見ている。
血の気が引き真っ青だった表情は、フレイヤがよく知る彼女のものに戻っていた。
(…!)
不意に、彼女と目が合った。
何と言えばいいか、どんな顔をすればいいか分からなかった。
でも、言葉は要らなかったらしい。
彼女が躊躇いがちに上げた右手が、ぎこちなくピースサインを作るから、フレイヤも真似てピースを送ってみる。
一瞬、彼女は驚いた顔をして目を見開く。
そしてすぐに、ひどく嬉しそうに顔をクシャリと潰した後に悪戯っ子のようにニシシと笑う。
荷馬車に合わせて揺れる彼女のピースサインは、よく見るとマメだらけだ。
「うるせぇな!!俺はお前らのくだらねぇ話に付き合ってやれるほど暇じゃねぇんだよ!」
「カッコつけて、なまえにアピールするのに忙しいからなぁ。」
「そっか!そうだよね!今はなまえさんへのアピールチャンスだもんね!頑張ってね!!」
「みんなが必死に戦ってるこんなに大変なときに、
ジャンはなまえへのアピールチャンスだと思っていたんですか!?最低ですね!!
軽蔑します!!心底!!」
「ちっげぇええよ!!勝手なこと言って、勝手に軽蔑してんじゃねぇよ!!」
それにしてもジャン達は騒がしい。
104期が先輩調査兵達から煙たがられている理由を嫌という程に理解する。
(私もこんな風に、いつか誰かと…。)
自分でも想像もしたこともなかったことを思いながら、無意識にフレイヤが目を向けたのは、ジャン達を前にして困ったように眉尻を下げている同期の彼女だった。
ジャン達の騒がしい声を聞き流しながら、フレイヤは、あのときどうして自分が彼女を守ろうとしたのか、なんとなく分かった気がした。
(よかった…。)
生きていてよかった。
同期が減らずに済んでよかった。
彼女が死ななくてよかった。
友人が、生きていてよかった————。