◇第百十九話◇君の寄り道に消毒を
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リヴァイさんの部屋の前に立った私は、両手の人差し指で頬を押し上げた。
———ニィ。
無理やり作った笑顔を、リヴァイさんは見抜くだろうか。
ジャンならきっと————また不要なことを考えてしまって、慌てて首を横に振る。
泣いた。思いっきり泣いた。
赤く腫れた瞼は冷水で冷やしてきた。
今度こそ、ちゃんと終わりにしたのだ。
壁外調査前に、ジャンと2人で話せたのはむしろ良かったかもしれない。
(うん、絶対にそうだ!)
自分にそう言い聞かせて、何度も何度も頷く。
そうして、心の準備を整えてから、私は扉に手をかけた。
以前なら、緊張しながら扉をノックして、返事を貰わなければ入れなかった部屋だ。
でも、その必要はないとこの部屋の主から何度も言われた私は、まるで自分のものみたいに扉を開くべきなのだ。
だって私は、リヴァイさんの婚約者なのだから————。
「遅くなってすみません。」
扉を開くと、執務室のデスクで仕事をしていたらしいリヴァイさんがゆっくりと振り向く。
疲れているのか、切れ長の瞳にはいつものような覇気はなく、少し虚ろに見える。
「書庫に行っただけのはずなのに、だいぶ遅かったな。」
「すみません。少し寄り道をしていて…。」
「————そうか。」
短く答えると、リヴァイさんはまだデスクに身体を戻した。
「大丈夫ですか?顔色が良くないですよ。
夕食はとりましたか?まだならすぐに準備するので、今日は早めに寝ましょう。」
デスクの椅子に座るリヴァイさんのそばに行くと、力のない瞳がよく見える。
連日続いている会議と厳しい訓練に加えて、私の問題まで一緒に抱えてくれているリヴァイさんの心労は察するに余りある。
このままだと、本当に倒れてしまいそうだ。
思わず心配になって声をかけると、羽ペンを動かしていた手が止まった。
そして、顔を上げたリヴァイさんは、私を見ると普段から不機嫌そうに曲がっている眉を、より深く歪めた。
「お前、額の傷はどうした。」
「あ…!」
すっかり忘れていた。
思わず手で抑えようとしてしまった私の手首は、いきなりリヴァイさんに掴まれる。
驚いて目を見開く私に、リヴァイさんは怖い顔で目を細めて睨むように言う。
「不用意に触るな。黴菌でも入って、腫れちまったらどうすんだ。クソが。」
「あ…っ、すみません…っ。」
「医務室へ行くぞ。手当してやる。」
「え!いいですよ、これくらい!寝れば治ります!!」
「寝て治れば医者は要らねぇ。」
呆れたようにため息を吐いたリヴァイさんは、適当に書類を片付けてデスクの引き出しにしまい、立ち上がる。
そして、奥のチェストの上に置いてある救急箱を手に取った。
「ソファに座れ。」
「はい。」
指示通りに、中央のソファに座る。
リヴァイ兵長も、私の隣に腰をおろすと、自分の膝の上に置いた救急箱の蓋を開けて、処置に必要そうな消毒液や軟膏、傷テープを準備し始める。
医務室には行きたくないと我儘を言い出した私のために、人類最強の兵士自らが処置をしてくれるつもりのようだ。
優しいリヴァイさんなら、部下のためにこれくらいのこと当然のようにしてくれる。
傷の具合を見るために、リヴァイさんが私の額に触れる。
一気に近づいた距離感と、すぐ目の前にある綺麗な顔に緊張して、私は逃げるように目を伏せた。
額に触れる手はすごく慎重で、優しい。ひんやりと冷たい手は気持ち良くて、眠たくなりそうだ。
もしかしたらこれは、婚約者の特権なのかもしれない。
それでも私は、ジャンもいつもこうしてくれた———なんて、もう二度と戻れない過去を思い出してしまうのだ。
緊張もせずに、時々無邪気にからかいながらジャンに身を任せていた。
あの頃が恋しくて、リヴァイさんにも申し訳なくて、苦しい。
「思ったより深くはねぇようだが、
どうしたら額に怪我なんてすることになるんだ。」
「えっと…、邪念を払おうとして…。」
「なんだそりゃ。」
呆れたようにリヴァイ兵長が零した後、目を伏せていた私の額に、温かくて柔らかい感触が触れる。
それが、リヴァイさんの唇だと気づいて驚いたときにはもう、額に触れていた感触は離れていた。
それなのに、触れていたその場所に身体中の熱が一気に集まるから、ジンジンと響いていて、まだそこにリヴァイさんの唇が残っているような感覚になる。
「消毒だ。」
平然とした顔で、リヴァイさんが言う。
「え・・・?」
「一応、傷跡が残らねぇように薬も塗っておく。」
まるで、何もなかったかのように、リヴァイさんは私の額に薬を塗ってくれる。
慎重に触れる指は、相変わらず優しくて、ひんやりと気持ちがいい。
でも、驚きと戸惑い、それから緊張で鼓動が速くなっていた私は、眠ってしまいそうだとはもう思えなかった。
「———それで、邪念は振り払えたのか。」
一通りの処置を終えたリヴァイさんは、使った薬を救急箱に片付けながら訊ねた。
伏せた切れ長の瞳の上で、意外と重たそうな睫毛が心細そうに揺れていることに気付く。
その瞬間に、額に痛みが走ったけれど、きっと気のせいだ。
今、痛い思いをしているのは、我儘な私が傷つけてばかりいるジャンとリヴァイさんだ。
決して、守られてばかりいる私じゃない。
そして私は、リヴァイさんを選んだ。
それならば、選んだその人くらいは、しっかりと守らなければ———。
絶対に裏切らないように。胸の痛みを、ほんの少しでもなくしてあげられるように。
「はい。もう、大丈夫です。
二度と、寄り道をして遅く帰ってきたりしないようにしますね!」
出来る限り、明るく務めた私の空振りした声が、静かな部屋に虚しく響いた。
救急箱の蓋を閉じたリヴァイさんが、顔を上げて私を見る。
「————あぁ、そうしてくれ。
これ以上の怪我されちまったら、俺もお手上げだ。」
数秒、じっと黙って私を見た後、リヴァイさんは、困ったように息を吐くとぎこちなく口の端を上げた。
———ニィ。
無理やり作った笑顔を、リヴァイさんは見抜くだろうか。
ジャンならきっと————また不要なことを考えてしまって、慌てて首を横に振る。
泣いた。思いっきり泣いた。
赤く腫れた瞼は冷水で冷やしてきた。
今度こそ、ちゃんと終わりにしたのだ。
壁外調査前に、ジャンと2人で話せたのはむしろ良かったかもしれない。
(うん、絶対にそうだ!)
自分にそう言い聞かせて、何度も何度も頷く。
そうして、心の準備を整えてから、私は扉に手をかけた。
以前なら、緊張しながら扉をノックして、返事を貰わなければ入れなかった部屋だ。
でも、その必要はないとこの部屋の主から何度も言われた私は、まるで自分のものみたいに扉を開くべきなのだ。
だって私は、リヴァイさんの婚約者なのだから————。
「遅くなってすみません。」
扉を開くと、執務室のデスクで仕事をしていたらしいリヴァイさんがゆっくりと振り向く。
疲れているのか、切れ長の瞳にはいつものような覇気はなく、少し虚ろに見える。
「書庫に行っただけのはずなのに、だいぶ遅かったな。」
「すみません。少し寄り道をしていて…。」
「————そうか。」
短く答えると、リヴァイさんはまだデスクに身体を戻した。
「大丈夫ですか?顔色が良くないですよ。
夕食はとりましたか?まだならすぐに準備するので、今日は早めに寝ましょう。」
デスクの椅子に座るリヴァイさんのそばに行くと、力のない瞳がよく見える。
連日続いている会議と厳しい訓練に加えて、私の問題まで一緒に抱えてくれているリヴァイさんの心労は察するに余りある。
このままだと、本当に倒れてしまいそうだ。
思わず心配になって声をかけると、羽ペンを動かしていた手が止まった。
そして、顔を上げたリヴァイさんは、私を見ると普段から不機嫌そうに曲がっている眉を、より深く歪めた。
「お前、額の傷はどうした。」
「あ…!」
すっかり忘れていた。
思わず手で抑えようとしてしまった私の手首は、いきなりリヴァイさんに掴まれる。
驚いて目を見開く私に、リヴァイさんは怖い顔で目を細めて睨むように言う。
「不用意に触るな。黴菌でも入って、腫れちまったらどうすんだ。クソが。」
「あ…っ、すみません…っ。」
「医務室へ行くぞ。手当してやる。」
「え!いいですよ、これくらい!寝れば治ります!!」
「寝て治れば医者は要らねぇ。」
呆れたようにため息を吐いたリヴァイさんは、適当に書類を片付けてデスクの引き出しにしまい、立ち上がる。
そして、奥のチェストの上に置いてある救急箱を手に取った。
「ソファに座れ。」
「はい。」
指示通りに、中央のソファに座る。
リヴァイ兵長も、私の隣に腰をおろすと、自分の膝の上に置いた救急箱の蓋を開けて、処置に必要そうな消毒液や軟膏、傷テープを準備し始める。
医務室には行きたくないと我儘を言い出した私のために、人類最強の兵士自らが処置をしてくれるつもりのようだ。
優しいリヴァイさんなら、部下のためにこれくらいのこと当然のようにしてくれる。
傷の具合を見るために、リヴァイさんが私の額に触れる。
一気に近づいた距離感と、すぐ目の前にある綺麗な顔に緊張して、私は逃げるように目を伏せた。
額に触れる手はすごく慎重で、優しい。ひんやりと冷たい手は気持ち良くて、眠たくなりそうだ。
もしかしたらこれは、婚約者の特権なのかもしれない。
それでも私は、ジャンもいつもこうしてくれた———なんて、もう二度と戻れない過去を思い出してしまうのだ。
緊張もせずに、時々無邪気にからかいながらジャンに身を任せていた。
あの頃が恋しくて、リヴァイさんにも申し訳なくて、苦しい。
「思ったより深くはねぇようだが、
どうしたら額に怪我なんてすることになるんだ。」
「えっと…、邪念を払おうとして…。」
「なんだそりゃ。」
呆れたようにリヴァイ兵長が零した後、目を伏せていた私の額に、温かくて柔らかい感触が触れる。
それが、リヴァイさんの唇だと気づいて驚いたときにはもう、額に触れていた感触は離れていた。
それなのに、触れていたその場所に身体中の熱が一気に集まるから、ジンジンと響いていて、まだそこにリヴァイさんの唇が残っているような感覚になる。
「消毒だ。」
平然とした顔で、リヴァイさんが言う。
「え・・・?」
「一応、傷跡が残らねぇように薬も塗っておく。」
まるで、何もなかったかのように、リヴァイさんは私の額に薬を塗ってくれる。
慎重に触れる指は、相変わらず優しくて、ひんやりと気持ちがいい。
でも、驚きと戸惑い、それから緊張で鼓動が速くなっていた私は、眠ってしまいそうだとはもう思えなかった。
「———それで、邪念は振り払えたのか。」
一通りの処置を終えたリヴァイさんは、使った薬を救急箱に片付けながら訊ねた。
伏せた切れ長の瞳の上で、意外と重たそうな睫毛が心細そうに揺れていることに気付く。
その瞬間に、額に痛みが走ったけれど、きっと気のせいだ。
今、痛い思いをしているのは、我儘な私が傷つけてばかりいるジャンとリヴァイさんだ。
決して、守られてばかりいる私じゃない。
そして私は、リヴァイさんを選んだ。
それならば、選んだその人くらいは、しっかりと守らなければ———。
絶対に裏切らないように。胸の痛みを、ほんの少しでもなくしてあげられるように。
「はい。もう、大丈夫です。
二度と、寄り道をして遅く帰ってきたりしないようにしますね!」
出来る限り、明るく務めた私の空振りした声が、静かな部屋に虚しく響いた。
救急箱の蓋を閉じたリヴァイさんが、顔を上げて私を見る。
「————あぁ、そうしてくれ。
これ以上の怪我されちまったら、俺もお手上げだ。」
数秒、じっと黙って私を見た後、リヴァイさんは、困ったように息を吐くとぎこちなく口の端を上げた。