◇第百九話◇諦める理由を探してる
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
数日後、誰にも退団の意思を告げないまま、ジャンは残している仕事を片付けていた。
退団してからも残ってしまいそうな仕事があれば、その時に信頼できる誰かに引き継げばいい。
そう考えていることすら、言い訳であることは分かっていた。
退団の意思を仲間に伝えてしまったら、もう逃げられなくなる。
それが、怖かったのだ。
辞めたいとずっと、思っていたはずなのに————。
「みょうじさん!?お、おつ…っ、お疲れさまです!!」
任務報告を終えたジャンが、自室に向かおうとしていたときだった。
少し前を歩いていた後輩の焦ったような声に気づいて、新しく受け取った書類に目を通しながら歩いていたジャンの顔が上がる。
そして、ジャンは、慌てて頭を下げている後輩よりも驚いた。
廊下の向こうから歩いてやってきているのは、なまえの両親だったのだ。
長身の父親と、彼に寄り添う小柄ながらも目を奪われるほどの美貌を持つ母親は、少し離れた距離から見ても圧倒されるオーラを放っていた。
スラリと長い脚で堂々と歩く父親に寄り添うように歩く母親は、挨拶をしてきた調査兵ににこやかな笑みを返している。
そして、すぐに、驚きで呆然と立ち尽くしてしまっていたジャンに気が付いた。
なまえとジャンが婚約を解消した理由を何と聞いているのかは、分からない。
だが、ジャンが偽物の婚約者であったことはまだ彼らも知らないはずだ。
どちらにしろ、兵士という立場を考えれば、ジャンも彼らに挨拶をするべきだ。
だが、今、彼らは自分のことをどう思っているのだろう———そう思うと、どうしても声にならなかった。
「やぁ!久しぶりだな!!探していたぞ!」
ジャンよりも先に、父親の方が嬉しそうに片手を上げた。
どんな顔をすればいいか分からず、ジャンは反射的に目を逸らしてしまった。
あぁ、でも———。
彼らの方から声をかけてくれたのなら、話をするくらいなら————。
顔を上げたジャンの横を、父親が軽やかな足取りで通り過ぎていく。
まるで、その存在に気づいていないかのような様子に、思わずジャンが首を傾げたときだった。
「リヴァイくん!」
楽しそうな父親の声にハッとして、ジャンは勢いよく振り返った。
そこにいたのは、父親に肩をバシバシと叩かれながら、それを当然のように受け入れるリヴァイと困ったような笑みを返しているなまえだった。
「これからも、なまえのことをよろしく頼む!」
父親が嬉しそうに言った。
リヴァイが何かを答える。そうすれば、父親はさらに嬉しそうに声を上げて笑った。
あれほど、お似合いだと思い知らされていたなまえとリヴァイに、今は、違和感しかなかった。
それがなぜなのか、ジャンは気づいていた。
どうしても、思ってしまうのだ。
そこにいるのは、少し前までは自分だったのに———と。
(…!)
母親と目が合った。
凛とした瞳が、射貫くようにジャンを見つめる。
そうして、思い出さなくてもいい記憶が、蘇ってくる。
『これから、どんななまえを知っても、それがどんななまえでも、
変わらずにそばにいてあげてほしいの。』
調査兵団兵舎になまえの両親が来た日の夜、不安そうにしながら、母親はそう言って、ジャンに頭を下げた。
あのとき、母親には、こうなる未来が見えていたのだろうか。
なまえが、誰からも信用してもらえずに、人殺しと罵られるツラい現実が———。
(俺は…っ。)
ジャンは、幸せを絵に描いたような彼らから逃げるように、背を向けると、早足で自室へと向かった。
すれ違う誰かに声をかけられた気がするけれど、何も耳に入らなかった。
(うるせぇ…!うるせぇ、うるせぇ…!)
頭の奥で、声がする。
なまえの母親の声が、ミケの声が、聞きたくもない声がするのだ。
自室に入ると、ジャンはベッドに仰向けに倒れ込んだ。
声はいつまでも響き続ける。
その声が、自分のことを責めているようで、煩わしかった。
だから、両手で耳を塞いだのに、まだ聞こえる。
聞こえてくる———。
『誰があの娘を嫌っても、憎んでも、ジャンくんだけは、なまえを諦めないで。』
『なまえを、諦めるのか。』
ジャンは、必死に両耳を塞ぎ続ける。
諦めるとか、そういう問題ではないのだ。
ただ、自分はただの補佐官だっただけだ。偽物の婚約者に過ぎなかっただけ。
今、なまえの隣には、本物の婚約者がいる。
その人は、人類最強の兵士で、ジャンよりもずっと前からなまえのことを知っている。
まるで、夢の世界から飛び出してきたかのようにお似合いで、誰にも入り込む隙間なんてない。
そう、ジャンは、諦めたわけではない。
ただ———。
(俺がそばにいない方が、なまえは幸せなんだ…っ。)
だから、必死に伸ばして、やっとつかみかけた手を離した。
離して、あげたのだ。
彼女のために、手を離してあげただけ。
だから、だから———。
「俺は、悪くねぇ…っ。」
自分に言い聞かせるジャンの悲痛な声が、綺麗に片付き過ぎた無機質な部屋に、無情に響いた。
退団してからも残ってしまいそうな仕事があれば、その時に信頼できる誰かに引き継げばいい。
そう考えていることすら、言い訳であることは分かっていた。
退団の意思を仲間に伝えてしまったら、もう逃げられなくなる。
それが、怖かったのだ。
辞めたいとずっと、思っていたはずなのに————。
「みょうじさん!?お、おつ…っ、お疲れさまです!!」
任務報告を終えたジャンが、自室に向かおうとしていたときだった。
少し前を歩いていた後輩の焦ったような声に気づいて、新しく受け取った書類に目を通しながら歩いていたジャンの顔が上がる。
そして、ジャンは、慌てて頭を下げている後輩よりも驚いた。
廊下の向こうから歩いてやってきているのは、なまえの両親だったのだ。
長身の父親と、彼に寄り添う小柄ながらも目を奪われるほどの美貌を持つ母親は、少し離れた距離から見ても圧倒されるオーラを放っていた。
スラリと長い脚で堂々と歩く父親に寄り添うように歩く母親は、挨拶をしてきた調査兵ににこやかな笑みを返している。
そして、すぐに、驚きで呆然と立ち尽くしてしまっていたジャンに気が付いた。
なまえとジャンが婚約を解消した理由を何と聞いているのかは、分からない。
だが、ジャンが偽物の婚約者であったことはまだ彼らも知らないはずだ。
どちらにしろ、兵士という立場を考えれば、ジャンも彼らに挨拶をするべきだ。
だが、今、彼らは自分のことをどう思っているのだろう———そう思うと、どうしても声にならなかった。
「やぁ!久しぶりだな!!探していたぞ!」
ジャンよりも先に、父親の方が嬉しそうに片手を上げた。
どんな顔をすればいいか分からず、ジャンは反射的に目を逸らしてしまった。
あぁ、でも———。
彼らの方から声をかけてくれたのなら、話をするくらいなら————。
顔を上げたジャンの横を、父親が軽やかな足取りで通り過ぎていく。
まるで、その存在に気づいていないかのような様子に、思わずジャンが首を傾げたときだった。
「リヴァイくん!」
楽しそうな父親の声にハッとして、ジャンは勢いよく振り返った。
そこにいたのは、父親に肩をバシバシと叩かれながら、それを当然のように受け入れるリヴァイと困ったような笑みを返しているなまえだった。
「これからも、なまえのことをよろしく頼む!」
父親が嬉しそうに言った。
リヴァイが何かを答える。そうすれば、父親はさらに嬉しそうに声を上げて笑った。
あれほど、お似合いだと思い知らされていたなまえとリヴァイに、今は、違和感しかなかった。
それがなぜなのか、ジャンは気づいていた。
どうしても、思ってしまうのだ。
そこにいるのは、少し前までは自分だったのに———と。
(…!)
母親と目が合った。
凛とした瞳が、射貫くようにジャンを見つめる。
そうして、思い出さなくてもいい記憶が、蘇ってくる。
『これから、どんななまえを知っても、それがどんななまえでも、
変わらずにそばにいてあげてほしいの。』
調査兵団兵舎になまえの両親が来た日の夜、不安そうにしながら、母親はそう言って、ジャンに頭を下げた。
あのとき、母親には、こうなる未来が見えていたのだろうか。
なまえが、誰からも信用してもらえずに、人殺しと罵られるツラい現実が———。
(俺は…っ。)
ジャンは、幸せを絵に描いたような彼らから逃げるように、背を向けると、早足で自室へと向かった。
すれ違う誰かに声をかけられた気がするけれど、何も耳に入らなかった。
(うるせぇ…!うるせぇ、うるせぇ…!)
頭の奥で、声がする。
なまえの母親の声が、ミケの声が、聞きたくもない声がするのだ。
自室に入ると、ジャンはベッドに仰向けに倒れ込んだ。
声はいつまでも響き続ける。
その声が、自分のことを責めているようで、煩わしかった。
だから、両手で耳を塞いだのに、まだ聞こえる。
聞こえてくる———。
『誰があの娘を嫌っても、憎んでも、ジャンくんだけは、なまえを諦めないで。』
『なまえを、諦めるのか。』
ジャンは、必死に両耳を塞ぎ続ける。
諦めるとか、そういう問題ではないのだ。
ただ、自分はただの補佐官だっただけだ。偽物の婚約者に過ぎなかっただけ。
今、なまえの隣には、本物の婚約者がいる。
その人は、人類最強の兵士で、ジャンよりもずっと前からなまえのことを知っている。
まるで、夢の世界から飛び出してきたかのようにお似合いで、誰にも入り込む隙間なんてない。
そう、ジャンは、諦めたわけではない。
ただ———。
(俺がそばにいない方が、なまえは幸せなんだ…っ。)
だから、必死に伸ばして、やっとつかみかけた手を離した。
離して、あげたのだ。
彼女のために、手を離してあげただけ。
だから、だから———。
「俺は、悪くねぇ…っ。」
自分に言い聞かせるジャンの悲痛な声が、綺麗に片付き過ぎた無機質な部屋に、無情に響いた。