◇第百九話◇諦める理由を探してる
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調査兵団分隊長、ミケ・ザカリアス。
無口な大男で、他人の匂いを嗅ぐという特殊な癖のおかげで、第一印象は怖がられることの方が多い。
けれど、胸に優しさと熱いものを持っており、仲間からの信頼はかなり厚い。
だからこそ、ジャンは、口数の少ない彼と一緒にいても、居心地が悪いことなんて少なかった。
でも今は違う。
分隊長に与えられている広い執務室に、ひんやりと気持ちの良い風が吹く。その度に、重たそうなアイボリーのカーテンが揺れていた。
大きなデスクの向こうでは、わざわざ退団届を受け取る為に立ち上がった律儀なミケがいる。
長い文章など書いてはいない。
ただ、調査兵団を退き、兵士を辞める旨が‟一身上の都合”という使い勝手の良い言葉で書かれているだけだ。
だが、退団届を読み始めたっきり、言葉を発さないどころか、ほんの少しも動かなくなった大男を前に、ジャンの緊張はピークをとっくに通り過ぎている。
「———お前が、」
漸く口を開いたミケに、ジャンは思わずビクリとしてしまう。
「後悔しないと考えて、俺にこれを渡したのなら、俺からは何も言わん。
引き留めもしない。
兵士とは、それがいついかなる時であろうが、公に心臓を捧げる必要がある。
それは、自らの決断と覚悟がなければ、務まるものではないからな。」
ミケのゆっくりだけれど、ハッキリとしたいつもの口調が、すごく冷たく感じて、ジャンは、僅かに目を伏せ両方の拳を握りしめた。
我儘な理由で、調査兵団を去ろうとしている部下を突き放す言い方に聞こえたのだ。
いや、それはきっと勘違いに過ぎないのだろう。
勝手に、ミケは自分を引き留めてくれると期待していた。
そうして、本当に辞めるのか、残るのかを改めて熟考させられるのだろうとぼんやりと思っていた。
自分の未熟さを思い知らされたようだった。
結局は、自分で決めきれずに、他人に決断を任せようとした。
甘えていたのだ。
そう気づいた途端に、羞恥心に襲われて、頭は垂れるばかりだった。
「後悔するつもりなんて、ありません。」
本当にそうか————頭の奥から、聞き慣れた声が響いた。
焦ったような、呆れたような、悲しそうなその声は、自分のものだ。
ジャンの心の声が、これでいいわけないだろう、と必死に訴えかけているのだ。
でも———。
(いいに決まってる。お前は何度、辞めてぇと思った?)
ジャンは、心の声に問いかける。
シンと静まり返った心の中で、彼からの返事はなかった。
だが、ジャンは、その答えを知っている。
そもそも、愚問だったのだ。
辞めたいと思ったことなんて、調査兵団に入団してからでは足りないほどにある。
訓練兵団に入団した時からずっと、辞めたいと思っていた。
どうして自分が、身も心も傷つけながら、知らない誰かのために命を懸けないといけないのか。
自分だって生きたい。出来れば優雅に、出来れば悩みもなんにもなく、それが無理ならば、ただ平穏に暮らせたらいい。
地獄しかない壁の外へ出て、巨人と対峙しなくてもいいのならどんなに————そう思っているはずなのにどうして。どうして、ずっと調査兵団にしがみついていたのだろう。
なぜ、辞めるために退団届を出した今も尚、心が揺れ続けているのか————。
「諦めるのか。」
「…っ。俺がいなくたって、ミケさん達がいれば問題ねぇでしょう!?
だから、次回の壁外調査にだって、俺は要らねぇと判断された!!」
ジャンが気づいた時にはもう、顔を上げて、声の限りに叫んでいた。
僅かに、ミケの片眉が上がった。そして、ため息を吐く。
呆れよりも、残念だと言われているようだった。
「最後にもう一度聞く。正直に答えろ。」
「なんすか。」
「本当に、諦めていいのか。」
「だからそれは———。」
「なまえを、諦めるのか。」
「…っ。」
「お前は、それでいいのか。後悔しないんだな?」
しません———ジャンは目を逸らし、震えるような小さな声で答える。
なんて、情けないんだろう。
吹っ切れることも出来なければ、プライドもなにもかも捨てて縋りつくことも出来ない。
自分が、悔しい。
「退団の手続きにも時間がかかる。
任せてある仕事の引継ぎも必要だ。
正式に退団するのは、1か月後。壁外調査の前頃になる。」
それまでゆっくり考えてみろ————そういうことなのかもしれない。
でも、ミケが最後にくれたチャンスに何も答えないまま頭を下げ、ジャンは執務室を後にした。
無口な大男で、他人の匂いを嗅ぐという特殊な癖のおかげで、第一印象は怖がられることの方が多い。
けれど、胸に優しさと熱いものを持っており、仲間からの信頼はかなり厚い。
だからこそ、ジャンは、口数の少ない彼と一緒にいても、居心地が悪いことなんて少なかった。
でも今は違う。
分隊長に与えられている広い執務室に、ひんやりと気持ちの良い風が吹く。その度に、重たそうなアイボリーのカーテンが揺れていた。
大きなデスクの向こうでは、わざわざ退団届を受け取る為に立ち上がった律儀なミケがいる。
長い文章など書いてはいない。
ただ、調査兵団を退き、兵士を辞める旨が‟一身上の都合”という使い勝手の良い言葉で書かれているだけだ。
だが、退団届を読み始めたっきり、言葉を発さないどころか、ほんの少しも動かなくなった大男を前に、ジャンの緊張はピークをとっくに通り過ぎている。
「———お前が、」
漸く口を開いたミケに、ジャンは思わずビクリとしてしまう。
「後悔しないと考えて、俺にこれを渡したのなら、俺からは何も言わん。
引き留めもしない。
兵士とは、それがいついかなる時であろうが、公に心臓を捧げる必要がある。
それは、自らの決断と覚悟がなければ、務まるものではないからな。」
ミケのゆっくりだけれど、ハッキリとしたいつもの口調が、すごく冷たく感じて、ジャンは、僅かに目を伏せ両方の拳を握りしめた。
我儘な理由で、調査兵団を去ろうとしている部下を突き放す言い方に聞こえたのだ。
いや、それはきっと勘違いに過ぎないのだろう。
勝手に、ミケは自分を引き留めてくれると期待していた。
そうして、本当に辞めるのか、残るのかを改めて熟考させられるのだろうとぼんやりと思っていた。
自分の未熟さを思い知らされたようだった。
結局は、自分で決めきれずに、他人に決断を任せようとした。
甘えていたのだ。
そう気づいた途端に、羞恥心に襲われて、頭は垂れるばかりだった。
「後悔するつもりなんて、ありません。」
本当にそうか————頭の奥から、聞き慣れた声が響いた。
焦ったような、呆れたような、悲しそうなその声は、自分のものだ。
ジャンの心の声が、これでいいわけないだろう、と必死に訴えかけているのだ。
でも———。
(いいに決まってる。お前は何度、辞めてぇと思った?)
ジャンは、心の声に問いかける。
シンと静まり返った心の中で、彼からの返事はなかった。
だが、ジャンは、その答えを知っている。
そもそも、愚問だったのだ。
辞めたいと思ったことなんて、調査兵団に入団してからでは足りないほどにある。
訓練兵団に入団した時からずっと、辞めたいと思っていた。
どうして自分が、身も心も傷つけながら、知らない誰かのために命を懸けないといけないのか。
自分だって生きたい。出来れば優雅に、出来れば悩みもなんにもなく、それが無理ならば、ただ平穏に暮らせたらいい。
地獄しかない壁の外へ出て、巨人と対峙しなくてもいいのならどんなに————そう思っているはずなのにどうして。どうして、ずっと調査兵団にしがみついていたのだろう。
なぜ、辞めるために退団届を出した今も尚、心が揺れ続けているのか————。
「諦めるのか。」
「…っ。俺がいなくたって、ミケさん達がいれば問題ねぇでしょう!?
だから、次回の壁外調査にだって、俺は要らねぇと判断された!!」
ジャンが気づいた時にはもう、顔を上げて、声の限りに叫んでいた。
僅かに、ミケの片眉が上がった。そして、ため息を吐く。
呆れよりも、残念だと言われているようだった。
「最後にもう一度聞く。正直に答えろ。」
「なんすか。」
「本当に、諦めていいのか。」
「だからそれは———。」
「なまえを、諦めるのか。」
「…っ。」
「お前は、それでいいのか。後悔しないんだな?」
しません———ジャンは目を逸らし、震えるような小さな声で答える。
なんて、情けないんだろう。
吹っ切れることも出来なければ、プライドもなにもかも捨てて縋りつくことも出来ない。
自分が、悔しい。
「退団の手続きにも時間がかかる。
任せてある仕事の引継ぎも必要だ。
正式に退団するのは、1か月後。壁外調査の前頃になる。」
それまでゆっくり考えてみろ————そういうことなのかもしれない。
でも、ミケが最後にくれたチャンスに何も答えないまま頭を下げ、ジャンは執務室を後にした。