◇第百三話◇彼女はいつも遠い夢の世界にいた
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元駐屯兵に調査兵が刺されるという事件から数ヶ月が過ぎていた。
順調にリハビリを終えたジャンも、少し前から職場復帰している。
両親からは、家に戻ることを求められたけれど、調査兵団への残留を決めたのだ。
夢を、夢のままで終わらせたくなかったからだ。
「———忘れた。」
首を小さく横に振ると、ジャンは木陰に腰を降ろした。
厳しすぎる訓練で疲れ切っていた。座った途端に、ホっと息が抜けるのを身体全体で感じる。
汗ばむ額を手の甲で拭っていると、隣にライナーとベルトルトも腰を降ろした。
憲兵団に行くつもりだったはずなのに、どうして突然、調査兵団を志願しようと思ったのかなんて、彼らが聞いてくるから、昔のことを思い出してしまった。
あの日、ひどく輝いて見えた凛としたお姫様が、なまえ・みょうじという名前の精鋭兵だと知ったのは、ジャンが調査兵団に入団して1ヵ月後に行われた壁外調査当日の夜だった。
恐怖と後悔で眠れない新兵に、夢のような話を聞かせているなまえから、目が離せなかった。
楽しそうに夢を語る彼女の芯の強さや、途方もない野望を知っているのは、ここにいる中では自分だけなのだという優越感は、ジャンを興奮させた。
そして、彼女を照らす月明かりの幻想的な美しさは、今も鮮やかに思い出させる。
なまえは、ジャンにとって、道標のようなものだ。
憧れとも違う、目指すべき調査兵というわけでもない。
ただ、平和な未来を必ず手に入れる為に夢を見続ける彼女がいる限り、自分は間違わずにいられるような気がしていた。
彼女が副兵士長になると聞いて、すぐに補佐官を志願したのも、下心があったからではない。
それがなかったと言えば嘘になるかもしれないけれど、彼女のそばで仕事がしてみたかったのだ。
彼女の隣にいたら、この疑念だらけの淀んだ世界はどんな風に見えるのか、知りたかった。
現実を嫌という程に思い知らされても尚、夢を見続けられる彼女の見る世界は、どんなものなのか興味があった。
そしてそれを知った今、アレは夢の世界だったに違いないと信じている。
あんな幸せが、この世界に存在するはずがないのだ。
「でも、調査兵団にとっては有難いことだったぜ。
ジャンの状況判断能力には、俺達も何度も助けられた。」
「なんだよ、いきなりそんなこと言いだして。気持ち悪ぃ。」
いきなり褒めだしたライナーに、ジャンは顔を引きつらせた。
だが、豪快に笑うライナーの向こうで、ベルトルトが柔らかく微笑む。
「本当のことだよ。
調査兵団にとって、ジャンはもうなくてはならない人材だ。
戻ってきてくれて、本当によかった。」
「———あぁ。どれくらいの奴らが、そう思ってるか知らねぇけどな。」
優しいベルトルトの視線から、逃げるように目を逸らした。
でも、逃げたりするから、罰があった。
逃げた視線の先にいたのは、幾つか向こうの木陰で、相変わらず居眠りをしているお姫様だった。
騎士の肩に頭を乗せて、幸せそうに夢の世界だ。
彼らも訓練途中の休憩のようで、外された立体起動装置とブレードがそばに置いてある。
熱心にブレードを磨いているリヴァイは、なまえが肩に乗せた頭がズレ落ちそうになると、あの日のように、額にそっと手を添えた。
でも、気が変わったのか、思い直したように手を離すと、彼女の耳元で何かを言う。
そんなことで起きるはずのないなまえは、小さく首を横に振ったようだったけれど、リヴァイに肩を揺すられると、寄りかかっていた身体を少しだけ起こした。
すると、すかさずにリヴァイが、なまえの頭と肩に手を添え、そのまま、自分の膝の上にそっとおろしてやる。
なまえが自分の膝の上で眠っていれば、さすがにブレードを磨くことは危なくて出来ないと思ったのか、リヴァイが、鞘に仕舞う。
そして、あの日のように、つまらなそうな顔をしながら、空を見上げ始める。
人類最強の膝枕が許されるのなんて、この世界でも、夢の世界でも、なまえだけに違いない。
畏れ多い枕の上で幸せそうに夢の世界を楽しんでいるなまえは、それを理解しているのかは、どうも分からない。
だが、仲睦まじいその姿は、誰がどう見ても、想い合っている恋人同士だ。
彼らのすぐそばを通り過ぎていく調査兵達も、チラリとは見るものの、驚いたりしているような様子はない。
調査兵団内に、なまえとリヴァイの婚約が発表されたのは、あれからすぐのことだった。
彼らの婚約は、今ではもう兵団の垣根を越えたどころか、世界中が知っていることだ。
調査兵団のお姫様と人類最強の兵士が夫婦になるのだ。
世界中が注目する大ニュースであることに間違いない。
「なまえの補佐官にはいつ復帰するんだ?」
ジャンの視線の先に気づいたらしく、ライナーが訊ねる。
ベルトルトも気になっていたのか、視線がジャンに向いた。
「さぁ。まだ特に何も言われてねぇ。」
「復帰はするんだよな?」
「それもどうだか。眠り姫の御守は、なかなか体力使うからな。
怪我した俺は、お役御免かもしれねぇし。」
「それに…、気持ち的に難しいんじゃないか。
別れた婚約者の補佐官なんて…。」
ベルトルトは言いづらそうにしながらもそう言うと、心配そうにジャンを見た。
彼は何も関係ないと言うのに、なぜかとても申し訳なさそうにしている。
「まぁ……。そうだな。」
何と答えればいいのか分からず、ジャンは頷くしかなかった。
ずっと避けてきた話題だったが、わざわざここで話を逸らすのも逃げているようでしたくない。
「なまえとリヴァイ兵長のことは尊敬していたんだがな…。
正直、軽蔑しちまいそうだ。」
「ジャンが大変なときに、浮気だなんて最低だと思う…。」
眉を顰めるライナーの隣で、ベルトルトはポツリと呟き目を伏せた。
「ジャンのことで傷ついてるなまえをリヴァイ兵長が慰めてるうちに…ってことらしいと
同じ分隊の奴らが噂していたが……。あわよくばって気持ちがねぇと
婚約者から奪うなんてことにはならねぇはずだ。リヴァイ兵長って意外と姑息な男だったんだな。」
ライナーは、軽蔑と呆れを混ぜたような表情で、肩をすぼめた。
確かに姑息だ。婚約者としてしまったジャンの存在を消すために、なまえとリヴァイが考えたのが、今ライナーが言ったような苦し紛れの言い訳だったのだろう。
嫌、実際、嘘でもないのかもしれない。ジャンが眠っている間に、なまえとリヴァイは距離を縮めていたのだろう。
だから、なまえはジャンの見舞いにも来てくれなかった。そう考えれば合点がいく。
自分のせいで刺された婚約者を捨てて、他の男と新しく婚約を交わしたと知れ渡ったなまえの評判は地に落ち、地獄も見下ろすくらい最悪なものになってしまっている。
ジャンは偽物の婚約者だったのだと真実を認めれば、ここまでのことにはならなかったと思うが、嘘の大嫌いな両親には言い出せず仕方がなかったのだろう。
だが、そのおかげで、ジャンにとって都合が良かったこともある。
それは———。
「なまえさんの婚約者だからって刺されたっていうのに、本当に災難だったね…。」
「あぁ、本当だ。だが、そんな最低な女だと結婚する前に分かってよかったじゃないか。」
そうなのだ。
人殺しだと呼ばれ、評判が地に落ちたなまえだが、アルミンから聞いたところによると、その婚約者であるジャンまで悪者になっていたらしい。
親友の恋人を殺したなまえの婚約者なのだから、刺されて当然だと言うものまでいたというのだから、驚きだ。
だがそれも、婚約者の汚名が原因で刺されて昏睡状態になっている間に、その原因となった婚約者が他の男と浮気してフラれてしまう———というあまりにも不遇な男となったジャンは今、完全なる被害者になった。
今では、誰もがジャンに対して同情的だ。
そのおかげで、調査兵団に復帰してからも、あらゆる角度から気を遣われて、やりづら過ぎるくらいなのだ。
ジャンに向けられていた悪口は、どうやら、リヴァイへとベクトルが向いたようだが、人類最強の兵士は、その強さと今まで培ってきた人望のおかげで、ダメージ少なく過ごしている。
「でも……正直言うと、僕もショックだったんだ。
なまえさんとジャンは、お互いに想い合っていて
とてもお似合いに見えていたから。」
ベルトルトが悲しそうにつぶやけば、今度はライナーがそれに静かに頷いた。
お似合い———それは、夢物語のお姫様と騎士のような彼らを見ても尚、そう思うのだろうか。
答えなんて分かりきっていて、ジャンからは失笑が漏れる。
「初めから、こうしとけばよかったんだ。」
ジャンが、誰に言うわけでもなく、ポツリ、と呟いた先では、リヴァイが、なまえの頬を愛おしそうに撫でていた。
順調にリハビリを終えたジャンも、少し前から職場復帰している。
両親からは、家に戻ることを求められたけれど、調査兵団への残留を決めたのだ。
夢を、夢のままで終わらせたくなかったからだ。
「———忘れた。」
首を小さく横に振ると、ジャンは木陰に腰を降ろした。
厳しすぎる訓練で疲れ切っていた。座った途端に、ホっと息が抜けるのを身体全体で感じる。
汗ばむ額を手の甲で拭っていると、隣にライナーとベルトルトも腰を降ろした。
憲兵団に行くつもりだったはずなのに、どうして突然、調査兵団を志願しようと思ったのかなんて、彼らが聞いてくるから、昔のことを思い出してしまった。
あの日、ひどく輝いて見えた凛としたお姫様が、なまえ・みょうじという名前の精鋭兵だと知ったのは、ジャンが調査兵団に入団して1ヵ月後に行われた壁外調査当日の夜だった。
恐怖と後悔で眠れない新兵に、夢のような話を聞かせているなまえから、目が離せなかった。
楽しそうに夢を語る彼女の芯の強さや、途方もない野望を知っているのは、ここにいる中では自分だけなのだという優越感は、ジャンを興奮させた。
そして、彼女を照らす月明かりの幻想的な美しさは、今も鮮やかに思い出させる。
なまえは、ジャンにとって、道標のようなものだ。
憧れとも違う、目指すべき調査兵というわけでもない。
ただ、平和な未来を必ず手に入れる為に夢を見続ける彼女がいる限り、自分は間違わずにいられるような気がしていた。
彼女が副兵士長になると聞いて、すぐに補佐官を志願したのも、下心があったからではない。
それがなかったと言えば嘘になるかもしれないけれど、彼女のそばで仕事がしてみたかったのだ。
彼女の隣にいたら、この疑念だらけの淀んだ世界はどんな風に見えるのか、知りたかった。
現実を嫌という程に思い知らされても尚、夢を見続けられる彼女の見る世界は、どんなものなのか興味があった。
そしてそれを知った今、アレは夢の世界だったに違いないと信じている。
あんな幸せが、この世界に存在するはずがないのだ。
「でも、調査兵団にとっては有難いことだったぜ。
ジャンの状況判断能力には、俺達も何度も助けられた。」
「なんだよ、いきなりそんなこと言いだして。気持ち悪ぃ。」
いきなり褒めだしたライナーに、ジャンは顔を引きつらせた。
だが、豪快に笑うライナーの向こうで、ベルトルトが柔らかく微笑む。
「本当のことだよ。
調査兵団にとって、ジャンはもうなくてはならない人材だ。
戻ってきてくれて、本当によかった。」
「———あぁ。どれくらいの奴らが、そう思ってるか知らねぇけどな。」
優しいベルトルトの視線から、逃げるように目を逸らした。
でも、逃げたりするから、罰があった。
逃げた視線の先にいたのは、幾つか向こうの木陰で、相変わらず居眠りをしているお姫様だった。
騎士の肩に頭を乗せて、幸せそうに夢の世界だ。
彼らも訓練途中の休憩のようで、外された立体起動装置とブレードがそばに置いてある。
熱心にブレードを磨いているリヴァイは、なまえが肩に乗せた頭がズレ落ちそうになると、あの日のように、額にそっと手を添えた。
でも、気が変わったのか、思い直したように手を離すと、彼女の耳元で何かを言う。
そんなことで起きるはずのないなまえは、小さく首を横に振ったようだったけれど、リヴァイに肩を揺すられると、寄りかかっていた身体を少しだけ起こした。
すると、すかさずにリヴァイが、なまえの頭と肩に手を添え、そのまま、自分の膝の上にそっとおろしてやる。
なまえが自分の膝の上で眠っていれば、さすがにブレードを磨くことは危なくて出来ないと思ったのか、リヴァイが、鞘に仕舞う。
そして、あの日のように、つまらなそうな顔をしながら、空を見上げ始める。
人類最強の膝枕が許されるのなんて、この世界でも、夢の世界でも、なまえだけに違いない。
畏れ多い枕の上で幸せそうに夢の世界を楽しんでいるなまえは、それを理解しているのかは、どうも分からない。
だが、仲睦まじいその姿は、誰がどう見ても、想い合っている恋人同士だ。
彼らのすぐそばを通り過ぎていく調査兵達も、チラリとは見るものの、驚いたりしているような様子はない。
調査兵団内に、なまえとリヴァイの婚約が発表されたのは、あれからすぐのことだった。
彼らの婚約は、今ではもう兵団の垣根を越えたどころか、世界中が知っていることだ。
調査兵団のお姫様と人類最強の兵士が夫婦になるのだ。
世界中が注目する大ニュースであることに間違いない。
「なまえの補佐官にはいつ復帰するんだ?」
ジャンの視線の先に気づいたらしく、ライナーが訊ねる。
ベルトルトも気になっていたのか、視線がジャンに向いた。
「さぁ。まだ特に何も言われてねぇ。」
「復帰はするんだよな?」
「それもどうだか。眠り姫の御守は、なかなか体力使うからな。
怪我した俺は、お役御免かもしれねぇし。」
「それに…、気持ち的に難しいんじゃないか。
別れた婚約者の補佐官なんて…。」
ベルトルトは言いづらそうにしながらもそう言うと、心配そうにジャンを見た。
彼は何も関係ないと言うのに、なぜかとても申し訳なさそうにしている。
「まぁ……。そうだな。」
何と答えればいいのか分からず、ジャンは頷くしかなかった。
ずっと避けてきた話題だったが、わざわざここで話を逸らすのも逃げているようでしたくない。
「なまえとリヴァイ兵長のことは尊敬していたんだがな…。
正直、軽蔑しちまいそうだ。」
「ジャンが大変なときに、浮気だなんて最低だと思う…。」
眉を顰めるライナーの隣で、ベルトルトはポツリと呟き目を伏せた。
「ジャンのことで傷ついてるなまえをリヴァイ兵長が慰めてるうちに…ってことらしいと
同じ分隊の奴らが噂していたが……。あわよくばって気持ちがねぇと
婚約者から奪うなんてことにはならねぇはずだ。リヴァイ兵長って意外と姑息な男だったんだな。」
ライナーは、軽蔑と呆れを混ぜたような表情で、肩をすぼめた。
確かに姑息だ。婚約者としてしまったジャンの存在を消すために、なまえとリヴァイが考えたのが、今ライナーが言ったような苦し紛れの言い訳だったのだろう。
嫌、実際、嘘でもないのかもしれない。ジャンが眠っている間に、なまえとリヴァイは距離を縮めていたのだろう。
だから、なまえはジャンの見舞いにも来てくれなかった。そう考えれば合点がいく。
自分のせいで刺された婚約者を捨てて、他の男と新しく婚約を交わしたと知れ渡ったなまえの評判は地に落ち、地獄も見下ろすくらい最悪なものになってしまっている。
ジャンは偽物の婚約者だったのだと真実を認めれば、ここまでのことにはならなかったと思うが、嘘の大嫌いな両親には言い出せず仕方がなかったのだろう。
だが、そのおかげで、ジャンにとって都合が良かったこともある。
それは———。
「なまえさんの婚約者だからって刺されたっていうのに、本当に災難だったね…。」
「あぁ、本当だ。だが、そんな最低な女だと結婚する前に分かってよかったじゃないか。」
そうなのだ。
人殺しだと呼ばれ、評判が地に落ちたなまえだが、アルミンから聞いたところによると、その婚約者であるジャンまで悪者になっていたらしい。
親友の恋人を殺したなまえの婚約者なのだから、刺されて当然だと言うものまでいたというのだから、驚きだ。
だがそれも、婚約者の汚名が原因で刺されて昏睡状態になっている間に、その原因となった婚約者が他の男と浮気してフラれてしまう———というあまりにも不遇な男となったジャンは今、完全なる被害者になった。
今では、誰もがジャンに対して同情的だ。
そのおかげで、調査兵団に復帰してからも、あらゆる角度から気を遣われて、やりづら過ぎるくらいなのだ。
ジャンに向けられていた悪口は、どうやら、リヴァイへとベクトルが向いたようだが、人類最強の兵士は、その強さと今まで培ってきた人望のおかげで、ダメージ少なく過ごしている。
「でも……正直言うと、僕もショックだったんだ。
なまえさんとジャンは、お互いに想い合っていて
とてもお似合いに見えていたから。」
ベルトルトが悲しそうにつぶやけば、今度はライナーがそれに静かに頷いた。
お似合い———それは、夢物語のお姫様と騎士のような彼らを見ても尚、そう思うのだろうか。
答えなんて分かりきっていて、ジャンからは失笑が漏れる。
「初めから、こうしとけばよかったんだ。」
ジャンが、誰に言うわけでもなく、ポツリ、と呟いた先では、リヴァイが、なまえの頬を愛おしそうに撫でていた。