◇第九十三話◇悲劇を生んだ眠り姫の悪夢
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内門壁上に立つリコは、見るも無残に破壊されたトロスト区の街を見下ろしていた。
超大型巨人により開けられた大きな穴から巨人が入り込み続け、普段はトロスト区に住む民間人が楽しそうに歩く道を、気味の悪い笑みが粉々にしていく。
「…クッ。」
何もできない悔しさが、リコの表情を険しくし、拳を握らせる。
それは、共に壁上から、大切な街が奪われていく様をただ傍観するしかないイアンやリヴも同じだ。
駐屯兵団に所属し、精鋭兵として実力も認められているリコもまた、前衛で多くの巨人討伐に尽力した。
だが、精鋭兵とは言えど、実力はあっても、普段から壁外に出ることがほとんどないリコら精鋭兵達は、経験が極端に少ない。
前衛は、すぐに押され始め、精鋭兵達は、中衛を守っている他の駐屯兵達の姿を多く目にすることになる。
彼らは、逃げ腰ながらも必死に巨人に食らいついては、泣き喚き死んでいく。
その姿が、リコは腹立たしくて、仕方がなかった。
こんな時こそ、兵士は心を強くいなければならない。
その為に、今まで自分達は頑張ってきたはずなのに、その実力の半分も出せずに死んでいくなんて、虚しすぎる。
多くの仲間達の死が、虚しすぎて、悔しいのだ。
なんとか民間人を内門内へと避難させることには成功したが、それだけだ。
シガンシナ区が襲われた時と同じ。一度、巨人に奪われた領域は、もう二度と取り戻せない。
とりあえず今は、駐屯兵も訓練兵達も内門内の安全な場所に退避できてはいるが、今にも、鎧の巨人が現れ、内門を破壊されるか分からない。
「極秘人間兵器って…、なんだそれは。
———こんな緊急事態に、意味の分からないことを言われて、頭が爆発しそうだ。」
リコは、前髪を鷲掴みにしながら、声を絞り出すようにして、怒りと戸惑いを吐き出した。
駐屯兵団司令官であるピクシスが連れて来たのが、少し離れた場所で彼の参謀と作戦会議をしている3人の訓練兵達だ。
そのうちの1人、エレン・イェーガーは、三兵団が極秘に研究してきた巨人化生体実験の成功者なのだと説明を受けた。
そして、ピクシスは、巨人の身体を自ら精製し、意のままに操ることが出来る彼のその力を利用して、前門付近にある例の大岩を持ち上げ、破壊された扉まで運び、塞ぐ作戦を強行しようと言うのだ。
どこから何を、どう信じればいいのか———いや、信じることなど出来ない。
人間が巨人になるなど、誰も想像すらしていない発想だ。
そんな突拍子もない悪夢のようなことを信じて、巨人に挑むなんて馬鹿げた真似はしたくない。
「だが、司令が言うのなら、信じてやるしかない。」
「イアン…!?」
驚いてイアンを見たが、彼の切れ長の目はもう、遠くの破壊された前門を見据えていた。
既に、覚悟を決めてしまったらしい。
その隣に寄り添うように立つリヴもまた、イアンの覚悟についていくと決めているようだった。
公私共にパートナーの彼らは、考え方も似ていて、いつも一緒だ。
この地獄も、共に立ち向かい、そして生き抜くと手を取り合っているのだろう。
「本当に成功すると思っているのか…。」
リコは、反対だった。
ピクシスを信用していないわけではない。
信用していないのは、エレンの方だ。
彼が巨人化したとして、本当に仲間として働いてくれるのか。
それに、巨人化したエレンに他の巨人が近づかないようにする必要がある。
それについては、より多くの人間のいる方へ向かうという巨人の性質を利用し、訓練兵と駐屯兵達が壁上に固まって集まりおびき寄せる作戦を、エレンの友人であるアルミンが発案した。
確かに、それによって、大部分の巨人の接近は防げるだろう。
そして、その性質とは異なる動きをする奇行種は、少数精鋭班がエレンを守るために戦え———それが、リコ達に命じられた任務だ。
反対だからと言って、兵士である以上、ピクシスの指令には逆らえない。
やるしかない、というのは分かっているのだ。
でも、うまくいく確率は極めて低いのではないだろうか。
精鋭と呼ばれるリコ達だけれど、それでも、巨人を一体倒すのに時間がかかったのだ。
実力はあれど、経験値が足りない。
それで本当に、エレンを守りきれるのか。
調査兵団さえ、いてくれたら何かが変わったかもしれないのに————。
「…!」
この非常事態で、いかに人類が生き残るかばかりを考えていて忘れていた。
トロスト区にはまだ、希望が残っている。
超大型巨人に運がなかったのか、人類に運があったのか、このトロスト区には彼女がいる。
もしかすると、想定よりも早くに民間人の避難が完了したのは、彼女のおかげなのかもしれない。
「なまえだ!」
「なまえ?」
リヴが不思議そうに首を傾げた。
だが、その隣に立つイアンは、リコと同じことを思い出したようだった。
ハッとした顔で、目を見開く。
「なまえは今回、壁外調査に出ていない!
彼女がいれば、もしかしたら…、いや、エレンを守ることなら確実に———。」
「ピクシス司令!お呼びでしょうか?」
希望を見つけたリコの視線の先に降り立ったのは、その希望であるなまえだった。
なまえは、彼女を呼びに行っていたらしいグスタフと共に、ピクシスの元へと急ぐ。
やはり、民間人の避難任務にもあたっていたらしい。
兵団服が上から下まで血だらけだ。
巨人の返り血であれば、蒸発して消える。彼女の兵団服を染めているのは、駐屯兵や民間人のものなのだろう。
彼女は一体、何人を救い、何人を救えなかったのか———。
「なまえ!」
「あ、リコ!おつかれ~。」
名前を呼べば、なまえがヘラヘラといつも通りの気が抜けるような笑顔で手を振る。
この緊急事態の緊張感が、彼女の周りからだけ消え失せているようだった。
「なまえにとっては不本意だっただろうが、人類にとっては幸運だったよ。
アンタがいてくれてよかった。」
ホッとしたように言うリコに、なまえは眉尻を下げて、なんとも言えない笑みを返す。
すぐに、ピクシスの参謀であるグスタフとアンカによって、今回のとんでもない作戦について、なまえに説明が始まる。
信じられない作戦だったはずだが、なまえは、途中で少しだけ目を見開いて驚いたような表情を見せ以外は、一度も口を挟まず、ただ静かに説明を聞いていた。
「———というわけで、なまえには、駐屯兵団の精鋭班であるイアンらと共に
エレン死守任務にあたって欲しい。」
グスタフが説明を言い終わる頃には、なまえは目を閉じてしまっていた。
さすがに、寝るのが大好き過ぎて眠り姫と呼ばれている彼女も、こんな時に居眠りはしないだろう。
眉間に若干の皴も刻まれているが、それがなくても、こんな時だからこそ、何かをとても真剣に考えているようだということは分かった。
珍しく、彼女から張りつめた空気が放たれている。
でもそれは、残念ながら、リコの勘違いだったらしい。
「おい、なまえ、寝るな。」
ミタビが、呆れたように肩を叩くと、なまえがハッとした顔をして目を開ける。
「…寝てた。」
「おい…嘘だろ。冗談だったんだが。」
驚いたのは、ミタビだけではなかった。
リコも、さすがにあり得ない、と目を見開く。
だが、イアンが呆れたようにため息を吐き、リヴが面白そうにクスクスと笑う———それは、リコ達が、壁の中につくりあげられた安寧の中で見つけた〝普段の自分達〟だった。
なまえが、それを意識してしたのかは分からない。
でも、確かに、なまえのおかげで、リコ達から肩の力が抜けたのと同時に、この〝なんでもない幸せな日常〟をなんとしても守ってみせようと心に強く誓わせた。
「それで、エレン…くん、だっけ?
本当に、巨人になれるの?」
なまえもそこが気になったらしい。
眠り姫と揶揄され、変人扱いされる彼女も、自分と同じ思考回路を持っていることを知り、リコは少し安心する。
「えっと…、は、い…。たぶん。」
エレンは、両隣にいるミカサとアルミンの顔色を伺うように確認した後、自信なさそうに言う。
「たぶん?」
「い、いえ…!必ず!!必ず巨人になって、壁の穴を塞いでみせます!!」
焦ったように早口で叫んだエレンの額には、汗が浮かんでいた。
自信がある、とはどうしても思えない。
「巨人化生体実験か~…。」
なまえはそう言いながら、しばらくエレンを見ていた。
観察している——と言った方が、しっくりくるかもしれない。
緊張しているエレンと、不安そうなアルミンの隣で、ミカサは怖い顔でなまえを睨みつけていたが、彼女は気にする様子もなく、ただじっと観察を続ける。
そして、しばらくした後、彼女は振り返り、ピクシスに声をかける。
「ピクシス司令!私、作戦に参加できません!」
なまえがハッキリと言ったのは、信じられない答えだった。
何を言ってるんだ——そう言おうとしたリコよりも先に、ピクシスが答える。
「なんじゃ、ワシらの作戦に抜けでも見つかったか?
美人の・・・・、調査兵団幹部に近いお主の提案なら、喜んで乗るぞ。」
「いいえ、エルヴィン団長が考案したのかと思うほどに、とても素晴らしい作戦です。
巨人化したエレンがしっかり働いてくれれば、きっと成功するでしょう。」
「なら、なんじゃ?」
「すごい妄想を思いついちゃったんです、私!」
首を傾げるピクシスに、なまえがニシシと笑う。
「それは、いつものようにワシの心を動かしてくれるような夢の話かい?」
「はい!」
なまえは、キッパリと答えた。
「なら、仕方あるまい。
お主がおれば、完璧な作戦をさらに強固なものに出来ると思ったんじゃが。」
ピクシス司令が、諦めたように首を竦めた。
それはこの緊急事態で、最もありえない事態だった。
最高司令官であるピクシスの指令を『夢を見るのに忙しい』という言い訳で断るだけではなく、それが認められてしまったのだ。
「ピクシス司令、何を言ってるんですか!」
「仕方ないじゃろう。ワシは、美人の願いを断れん性格なんじゃ。」
「はぁ!?」
「じゃあ、私はこれで失礼します!」
「あ、おい!待て、なまえ!!」
手を伸ばし追いかけようとしたリコの腕を、なまえはスルリとすり抜けると、少し駆けてからクルッと振り返った。
「きっと、リコ達なら作戦を成功させられるよ!
人類の初勝利のお祝いは、花火を打ち上げてしよう!」
なまえが、楽しそうに言う。
そしてそのまま、追いかけようとするリコの声に手を振って、壁上から舞い上がって飛んで行ってしまった。
ありえない。
信じられない事態だ。
だが、イアンもミタビも、リヴも、呆れたような顔をしながらも、笑っているのだ。
「諦めるしかないさ、なまえの自由を縛ることなんて誰にも出来ないんだ。」
「アレは昔からあぁじゃないか。今更、変われと言っても無理な話だ。」
「大丈夫よ、リコ。なまえが言ったように、私達ならきっとやれるわ。
そして、みんなで花火を打ち上げて、人類の初勝利を祝いましょう。」
呑気な友人達の笑みに、リコもついに毒気が抜かれる。
確かに、なまえは昔から、緊張感のない笑顔で、都合の悪いことからは『夢』を言い訳にして逃げるような癖があった。
だからこそ、眠り姫なんて呼び名がついてしまったくらいだ。
今更、叱ったところで、彼女を変えることなんて誰にも出来ないだろう。
「花火代は、あの夢バカ持ちだ。」
渋々、リコが苦々し気に言えば、イアンが「違いない。」と笑った。
それが、イアンの笑顔を見た最後だった。
リコが、ミタビの、リヴの、大切な友人達の笑顔を見た、最後だった。
超大型巨人により開けられた大きな穴から巨人が入り込み続け、普段はトロスト区に住む民間人が楽しそうに歩く道を、気味の悪い笑みが粉々にしていく。
「…クッ。」
何もできない悔しさが、リコの表情を険しくし、拳を握らせる。
それは、共に壁上から、大切な街が奪われていく様をただ傍観するしかないイアンやリヴも同じだ。
駐屯兵団に所属し、精鋭兵として実力も認められているリコもまた、前衛で多くの巨人討伐に尽力した。
だが、精鋭兵とは言えど、実力はあっても、普段から壁外に出ることがほとんどないリコら精鋭兵達は、経験が極端に少ない。
前衛は、すぐに押され始め、精鋭兵達は、中衛を守っている他の駐屯兵達の姿を多く目にすることになる。
彼らは、逃げ腰ながらも必死に巨人に食らいついては、泣き喚き死んでいく。
その姿が、リコは腹立たしくて、仕方がなかった。
こんな時こそ、兵士は心を強くいなければならない。
その為に、今まで自分達は頑張ってきたはずなのに、その実力の半分も出せずに死んでいくなんて、虚しすぎる。
多くの仲間達の死が、虚しすぎて、悔しいのだ。
なんとか民間人を内門内へと避難させることには成功したが、それだけだ。
シガンシナ区が襲われた時と同じ。一度、巨人に奪われた領域は、もう二度と取り戻せない。
とりあえず今は、駐屯兵も訓練兵達も内門内の安全な場所に退避できてはいるが、今にも、鎧の巨人が現れ、内門を破壊されるか分からない。
「極秘人間兵器って…、なんだそれは。
———こんな緊急事態に、意味の分からないことを言われて、頭が爆発しそうだ。」
リコは、前髪を鷲掴みにしながら、声を絞り出すようにして、怒りと戸惑いを吐き出した。
駐屯兵団司令官であるピクシスが連れて来たのが、少し離れた場所で彼の参謀と作戦会議をしている3人の訓練兵達だ。
そのうちの1人、エレン・イェーガーは、三兵団が極秘に研究してきた巨人化生体実験の成功者なのだと説明を受けた。
そして、ピクシスは、巨人の身体を自ら精製し、意のままに操ることが出来る彼のその力を利用して、前門付近にある例の大岩を持ち上げ、破壊された扉まで運び、塞ぐ作戦を強行しようと言うのだ。
どこから何を、どう信じればいいのか———いや、信じることなど出来ない。
人間が巨人になるなど、誰も想像すらしていない発想だ。
そんな突拍子もない悪夢のようなことを信じて、巨人に挑むなんて馬鹿げた真似はしたくない。
「だが、司令が言うのなら、信じてやるしかない。」
「イアン…!?」
驚いてイアンを見たが、彼の切れ長の目はもう、遠くの破壊された前門を見据えていた。
既に、覚悟を決めてしまったらしい。
その隣に寄り添うように立つリヴもまた、イアンの覚悟についていくと決めているようだった。
公私共にパートナーの彼らは、考え方も似ていて、いつも一緒だ。
この地獄も、共に立ち向かい、そして生き抜くと手を取り合っているのだろう。
「本当に成功すると思っているのか…。」
リコは、反対だった。
ピクシスを信用していないわけではない。
信用していないのは、エレンの方だ。
彼が巨人化したとして、本当に仲間として働いてくれるのか。
それに、巨人化したエレンに他の巨人が近づかないようにする必要がある。
それについては、より多くの人間のいる方へ向かうという巨人の性質を利用し、訓練兵と駐屯兵達が壁上に固まって集まりおびき寄せる作戦を、エレンの友人であるアルミンが発案した。
確かに、それによって、大部分の巨人の接近は防げるだろう。
そして、その性質とは異なる動きをする奇行種は、少数精鋭班がエレンを守るために戦え———それが、リコ達に命じられた任務だ。
反対だからと言って、兵士である以上、ピクシスの指令には逆らえない。
やるしかない、というのは分かっているのだ。
でも、うまくいく確率は極めて低いのではないだろうか。
精鋭と呼ばれるリコ達だけれど、それでも、巨人を一体倒すのに時間がかかったのだ。
実力はあれど、経験値が足りない。
それで本当に、エレンを守りきれるのか。
調査兵団さえ、いてくれたら何かが変わったかもしれないのに————。
「…!」
この非常事態で、いかに人類が生き残るかばかりを考えていて忘れていた。
トロスト区にはまだ、希望が残っている。
超大型巨人に運がなかったのか、人類に運があったのか、このトロスト区には彼女がいる。
もしかすると、想定よりも早くに民間人の避難が完了したのは、彼女のおかげなのかもしれない。
「なまえだ!」
「なまえ?」
リヴが不思議そうに首を傾げた。
だが、その隣に立つイアンは、リコと同じことを思い出したようだった。
ハッとした顔で、目を見開く。
「なまえは今回、壁外調査に出ていない!
彼女がいれば、もしかしたら…、いや、エレンを守ることなら確実に———。」
「ピクシス司令!お呼びでしょうか?」
希望を見つけたリコの視線の先に降り立ったのは、その希望であるなまえだった。
なまえは、彼女を呼びに行っていたらしいグスタフと共に、ピクシスの元へと急ぐ。
やはり、民間人の避難任務にもあたっていたらしい。
兵団服が上から下まで血だらけだ。
巨人の返り血であれば、蒸発して消える。彼女の兵団服を染めているのは、駐屯兵や民間人のものなのだろう。
彼女は一体、何人を救い、何人を救えなかったのか———。
「なまえ!」
「あ、リコ!おつかれ~。」
名前を呼べば、なまえがヘラヘラといつも通りの気が抜けるような笑顔で手を振る。
この緊急事態の緊張感が、彼女の周りからだけ消え失せているようだった。
「なまえにとっては不本意だっただろうが、人類にとっては幸運だったよ。
アンタがいてくれてよかった。」
ホッとしたように言うリコに、なまえは眉尻を下げて、なんとも言えない笑みを返す。
すぐに、ピクシスの参謀であるグスタフとアンカによって、今回のとんでもない作戦について、なまえに説明が始まる。
信じられない作戦だったはずだが、なまえは、途中で少しだけ目を見開いて驚いたような表情を見せ以外は、一度も口を挟まず、ただ静かに説明を聞いていた。
「———というわけで、なまえには、駐屯兵団の精鋭班であるイアンらと共に
エレン死守任務にあたって欲しい。」
グスタフが説明を言い終わる頃には、なまえは目を閉じてしまっていた。
さすがに、寝るのが大好き過ぎて眠り姫と呼ばれている彼女も、こんな時に居眠りはしないだろう。
眉間に若干の皴も刻まれているが、それがなくても、こんな時だからこそ、何かをとても真剣に考えているようだということは分かった。
珍しく、彼女から張りつめた空気が放たれている。
でもそれは、残念ながら、リコの勘違いだったらしい。
「おい、なまえ、寝るな。」
ミタビが、呆れたように肩を叩くと、なまえがハッとした顔をして目を開ける。
「…寝てた。」
「おい…嘘だろ。冗談だったんだが。」
驚いたのは、ミタビだけではなかった。
リコも、さすがにあり得ない、と目を見開く。
だが、イアンが呆れたようにため息を吐き、リヴが面白そうにクスクスと笑う———それは、リコ達が、壁の中につくりあげられた安寧の中で見つけた〝普段の自分達〟だった。
なまえが、それを意識してしたのかは分からない。
でも、確かに、なまえのおかげで、リコ達から肩の力が抜けたのと同時に、この〝なんでもない幸せな日常〟をなんとしても守ってみせようと心に強く誓わせた。
「それで、エレン…くん、だっけ?
本当に、巨人になれるの?」
なまえもそこが気になったらしい。
眠り姫と揶揄され、変人扱いされる彼女も、自分と同じ思考回路を持っていることを知り、リコは少し安心する。
「えっと…、は、い…。たぶん。」
エレンは、両隣にいるミカサとアルミンの顔色を伺うように確認した後、自信なさそうに言う。
「たぶん?」
「い、いえ…!必ず!!必ず巨人になって、壁の穴を塞いでみせます!!」
焦ったように早口で叫んだエレンの額には、汗が浮かんでいた。
自信がある、とはどうしても思えない。
「巨人化生体実験か~…。」
なまえはそう言いながら、しばらくエレンを見ていた。
観察している——と言った方が、しっくりくるかもしれない。
緊張しているエレンと、不安そうなアルミンの隣で、ミカサは怖い顔でなまえを睨みつけていたが、彼女は気にする様子もなく、ただじっと観察を続ける。
そして、しばらくした後、彼女は振り返り、ピクシスに声をかける。
「ピクシス司令!私、作戦に参加できません!」
なまえがハッキリと言ったのは、信じられない答えだった。
何を言ってるんだ——そう言おうとしたリコよりも先に、ピクシスが答える。
「なんじゃ、ワシらの作戦に抜けでも見つかったか?
美人の・・・・、調査兵団幹部に近いお主の提案なら、喜んで乗るぞ。」
「いいえ、エルヴィン団長が考案したのかと思うほどに、とても素晴らしい作戦です。
巨人化したエレンがしっかり働いてくれれば、きっと成功するでしょう。」
「なら、なんじゃ?」
「すごい妄想を思いついちゃったんです、私!」
首を傾げるピクシスに、なまえがニシシと笑う。
「それは、いつものようにワシの心を動かしてくれるような夢の話かい?」
「はい!」
なまえは、キッパリと答えた。
「なら、仕方あるまい。
お主がおれば、完璧な作戦をさらに強固なものに出来ると思ったんじゃが。」
ピクシス司令が、諦めたように首を竦めた。
それはこの緊急事態で、最もありえない事態だった。
最高司令官であるピクシスの指令を『夢を見るのに忙しい』という言い訳で断るだけではなく、それが認められてしまったのだ。
「ピクシス司令、何を言ってるんですか!」
「仕方ないじゃろう。ワシは、美人の願いを断れん性格なんじゃ。」
「はぁ!?」
「じゃあ、私はこれで失礼します!」
「あ、おい!待て、なまえ!!」
手を伸ばし追いかけようとしたリコの腕を、なまえはスルリとすり抜けると、少し駆けてからクルッと振り返った。
「きっと、リコ達なら作戦を成功させられるよ!
人類の初勝利のお祝いは、花火を打ち上げてしよう!」
なまえが、楽しそうに言う。
そしてそのまま、追いかけようとするリコの声に手を振って、壁上から舞い上がって飛んで行ってしまった。
ありえない。
信じられない事態だ。
だが、イアンもミタビも、リヴも、呆れたような顔をしながらも、笑っているのだ。
「諦めるしかないさ、なまえの自由を縛ることなんて誰にも出来ないんだ。」
「アレは昔からあぁじゃないか。今更、変われと言っても無理な話だ。」
「大丈夫よ、リコ。なまえが言ったように、私達ならきっとやれるわ。
そして、みんなで花火を打ち上げて、人類の初勝利を祝いましょう。」
呑気な友人達の笑みに、リコもついに毒気が抜かれる。
確かに、なまえは昔から、緊張感のない笑顔で、都合の悪いことからは『夢』を言い訳にして逃げるような癖があった。
だからこそ、眠り姫なんて呼び名がついてしまったくらいだ。
今更、叱ったところで、彼女を変えることなんて誰にも出来ないだろう。
「花火代は、あの夢バカ持ちだ。」
渋々、リコが苦々し気に言えば、イアンが「違いない。」と笑った。
それが、イアンの笑顔を見た最後だった。
リコが、ミタビの、リヴの、大切な友人達の笑顔を見た、最後だった。